真夏の笛に 新月の舞う

水戸けい

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終章

「夢でも見ているのかと思ったわ」

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 さやさやと流れてくる風が心地いい。
朔はうんと伸びをして、深緑の香りが溶け込んだ空気を吸い込み、体に満たした。

「こんな形で戻ってこられるとは、思わなかったわ」

 朔の声に

「本当に。どうなることかと思いましたけれど、姫様にとっては良うございましたね」

 かたわらに控えている芙蓉が、おだやかに、しみじみともらした。

 朔と芙蓉は数日間の遊山を楽しむため、穴多の別荘にいた。

「あの時の柳原様のお顔に、胸がすうっといたしました」

「まぁ、芙蓉ったら」

 くすくすと、二人は喉を鳴らす。

 皇子誕生の宴で真夏が笛を披露し、その腕前に感服をした帝が官職を授けた。のみならず、多くの公家が、素晴らしい品々を真夏に贈ると言った。左大臣である柳原公忠も何か褒美を与えなければならなくなり、真夏はそこで朔が欲しいと望んだ。

「本当に驚きました」

 芙蓉が心底、安堵したようにつぶやく。

「夢でも見ているのかと思ったわ」

 うなずき、朔は思い出す。苦々しげな笑みを浮かべ、真夏の望みを許すと公忠が言った後、今出川実篤が朔の父を慕う公家たちを先導し、久我久秀の失脚はいかにもむごい。朔と真夏の婚礼の祝いに、下位であろうとも役職を与えてはどうかと帝に進言した。帝はこれを快諾。かといって左大臣に対しはばかりがあるので、大学寮の博士という形で手を打った。

「権力はくらぶべくもない事におなりあそばしましたけれど、安堵いたしました」

「父を慕う方々が、あのように声を上げてくださるなんて、本当にありがたいわ。それこそが、権力にも勝る力よ」
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