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第一章 決起
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粗末で手狭な山小屋の中、若い男がふたり、炉を囲んで酒を酌み交わしている。
「俺らだってよぉ。別に好き好んで、山賊なんざ、やってるわけじゃねぇんだよ」
烏有は向かいに座っている男、蕪雑の、なめした革のように、つややかな褐色の肌が、橙の炎に照らされているのをながめた。太い髪はクセが強く、筋骨のたくましい大柄な体躯は、見るものによっては畏怖を感じてしまうだろう。
だが、烏有はすこしも蕪雑を怖がらなかった。彼もまた偉丈夫だから、というわけではない。烏有は細身で、抜けるように色が白く、女の着物を身につけていれば、そのように見えそうなほど華奢で艶麗な、力強さとは縁遠い容姿の男だった。
「人を襲う、なんてことをしなくても生きていけるんなら、そうするさ。けどよぉ、烏有と言ったか? 俺ぁアイツらを放り出して、自分だけがそうなろうとは、思えねぇんだ」
わかるだろう、と言いたげに蕪雑が烏有を見る。その目は木の実のように丸く大きく、端が吊りあがっている。無垢な子どものように、透き通った輝きをしている瞳に、烏有は切れ長のすずやかな目を合わせた。
「全員でどこかへ移住すれば、いいだけだろう」
「それができりゃあ、こんな面白くもねぇ境遇に、堕ちちゃいねぇさ」
蕪雑が酒をあおる。烏有は杯に唇を当て、香りを楽しむように、わずかに舌を湿らせた。
「この酒は、盗んだものではないんだね」
「ああ。こいつぁ、この山で採れる果実で作ったもんだ。猿酒を知っている奴がいてな。そいつを真似たんだよ」
「そうか。……猿酒」
烏有は杯に目を落とした。ドロリと重く濁りのある酒は、花のような香りがする。
「知っているか? 猿酒ってのは、木の洞なんかに猿が貯めた果物が、勝手に酒になっちまうもんなんだ」
「それを真似て人工的に発酵させ、作ったというんだね」
さらりと烏有に受け止められて、蕪雑はつまらなさそうに口をつぐんだ。烏有は彼に好意的な視線を向ける。
「僕が知らないと思ったのかい」
「……まあ、各地を渡り歩く楽士なら、知っていても不思議じゃねぇさ」
「知らないふりでもすれば、よかったかな」
「やめてくれ。こっちの無知をひけらかしているみてぇで、こっぱずかしい」
軽く手を振った蕪雑は、そうだと膝を叩いた。
「いろんな土地を見て回ったんだろう? そんなら、俺らが落ち着けそうな府も、知っているんじゃねぇのか」
「それを聞いて、山賊をやめて移り住もうという腹か」
そうだと蕪雑が首を動かす。
「さっきアンタが言っただろう。移住すりゃあ、いいってよぉ。そういうアテがあって、言ったんじゃあねぇのか」
期待を放つ蕪雑の顔をながめつつ、烏有は杯に口をつけた。
「不思議だな」
「何がだ」
「いやいや山賊をしている、というところがだよ。この山を通る荷駄を襲って、いろいろなものを手に入れるほうが、楽だと思ったりはしないのかい」
「しねぇよ。誰かがあくせく働いて手に入れたモンを、ちょろまかして威張るなんざ、格好悪いじゃねぇか」
「クッ……」
烏有が口元に手を当てる。クックと喉を鳴らす烏有の姿に、蕪雑はてれくさそうに頭を掻いた。
「まあ、その……なんだ。できるなら、山賊から足を洗いてぇのよ。けど、どうすりゃいいのか、さっぱりわからねぇんだ。わけのわかんねぇうちに頭目になっちまったから、どっかで落ち着けるまでは、俺はあいつらの面倒を見なきゃならねぇだろう」
「はじめから、蕪雑が首魁と決まっていたわけじゃないのかい」
「違ぇよ。なんかしんねぇけど、いつの間にか俺が兄貴分になってたんだ。たぶん、ここに一番、長く住んでいるからじゃねぇかな」
「いったい、どういう集まりなのか、教えてもらえるかな」
烏有の問いに、蕪雑は首をかしげた。
「どういうって。俺はそこの府、甲柄の隅っこで、貧乏やってるガキどもと、日銭働きをしていたんだよ」
「それがどうして、府の外で山賊をすることになったんだい」
「商売人が山越えをするってんで、その護衛に雇われたんだよ。そんで襲われて、無我夢中で戦っていたら、雇い主は荷物を置いて逃げちまうし、気づいたら襲ってきた連中は全滅してるしで、そっからどうすりゃいいか、わかんなくなっちまった」
興味深そうに、烏有はわずかに前にのめって、杯をかたむけた。
「しばらく待ってみたんだが、雇い主は帰ってこねぇ。どうしようかって悩んでいたら、府に引きかえそうって言った奴がいてな。そうするしかねぇかって戻ったら、そいつがいきなり、俺に縄をかけて山賊の仲間をつかまえたとか、ほざきやがった。ちょっと調べりゃあ、そうじゃねぇってわかっただろうに、俺ぁそのまま牢にぶち込まれたんだよ。アイツぁ、よっぽど報奨金が欲しかったんだろうなぁ」
「それは、災難だったね」
「まあ、俺がそんなことをする奴じゃねぇってのを、知っている奴等が牢破りの手伝いをしてくれてさ。けど、そんなことをすりゃあ、ただじゃすまねぇ。そんで、ひとまず山に隠れておこうってなったんだが……」
やれやれとため息を吐いて、蕪雑は心底から不本意だと声音に乗せて言った。
「いつの間にか、本物の山賊になっちまったんだよ」
「はは」
「笑いごとじゃねぇよ」
「ああ、すまない。……つまり、ここに住んでいる仲間は、濡れ衣を着せられた蕪雑を救った者たち、ということか」
「そういうのもいるけどな。なんか、府を追ン出された奴とか、妙な嫌疑をかけられて逃げ出して、ここに身を寄せるようになった奴だとか、そういうのもいてよぉ。どんどん人数がふくれちまって、そうこうしているうちに俺が頭目になっちまってたんだよなぁ。俺より頭がいい奴も、年上の奴もいるのによぉ」
わけがわからねぇとぼやく蕪雑に、烏有はうなずいた。
「自然と中心になったということは、人徳があるのだろうね」
「へっ?」
蕪雑が目を丸くする。
「そういうことだろう」
烏有が薄くほほえむと、いやいやと顔の前で手を振りつつ、蕪雑は照れた。
「そんなに、偉かぁねぇよ。もしそんなふうなら、アイツらをひきつれて、まっとうな仕事のできる府に、落ち着いているさ。甲柄のほかに行けば、甲柄の法は届かねぇからな」
うんうんと、蕪雑は自分の言葉に相づちを打つ。
「そうすりゃあ、年のいった連中も安心だろう。まったく、かわいそうな連中ばっかなんだぜ? ちょっとばかし無礼を働いたとかなんかで、簡単に牢にぶちこまれて辛い目に遭わされてよぉ。領主や豪族なんかは、俺たちを家畜みてぇに考えてやがんだ」
「そう思うのなら、ほかの土地に行ってもおなじとは、考えないのか」
「豪族とか領主とかの考えひとつで、法は決まるんだろう? そんなら、甲柄よりも人を大切に扱う府が、あるかもしれねぇじゃねぇか。……もしかして、烏有の見てきた府はどれも、工夫や農夫なんかを、家畜みてぇに扱ってんのか?」
蕪雑が眉をひそめる。烏有はゆるくかぶりを振った。
「生産者がいなければ、品物はできないからね。重要だと考えている府も、あるにはあったよ」
「そんなら、その府を教えてくれよ。そこに移住すりゃあ、わけのわかんねえ罪状を突きつけられる心配もなくなるだろ」
子どものように目を輝かせる蕪雑を、烏有はじっと見た。
「……なんだよ」
「蕪雑。府を造らないか」
「は?」
「君の望む府を探すより、造るほうが確実だろう」
蕪雑は目をしばたたかせ、炎にあぶられ輝く烏有の白い顔を見た。
「正気で言ってんのか」
「もちろんだ」
ふたりはしばし見つめ合うと、互いに顔を寄せて、声を低めた。
「府なんて、どこに、どうやって造るんだよ。府は、この国を治める申皇が定めて、領主と決めた者を据えてできるもんだろう?」
「申皇に許しを乞えばいい」
「どうやって」
「申皇のおわす岐に、文を書くんだ。府を造る許可をいただきたい、と」
蕪雑がポカンとする。
「どの府もはじめは、ちいさな村だった。それが大きくなり力を持つと、国になる。そうなった国を府と定めるべく、申皇からの使いであり、連絡役となる領主が派遣される」
「そうなのか」
「ああ」
感心したように、蕪雑がうめいた。
「俺ぁ、はじめっから府があるモンだと思っていたぜ。そんなら、どっかの府に属している離れ村が、でっかくなって新しい府になるってことも、ありうるのか」
「ある。もともと各地の府は、そのようにしてできたんだ。小さな村が力をつけて、豪族が生まれ、それらが協力したり駆逐しあって村を大きくした結果、神領としての府に任じられ、領主が据えられる」
「へぇー。そんなら、俺らが村を造って、そいつがでっかくなっていったら、府になれるってことか」
「そうだよ」
「けどよぉ、烏有」
蕪雑は干し肉を烏有に差し出しながら、疑問を述べた。
「府になるには、岐から領主がやってこなきゃ、いけねぇんだろ? だったら、村を造っても、領主が横暴な奴だったら、おんなじことになるんじゃねぇか」
「それは心配ないよ。実質的な統治をするのは、豪族だからね」
よくわからないと、蕪雑が首をかしげる。
「領主はあくまでも、土地を治める豪族と岐の橋渡し。というか、申皇の定められし法の監視役と言ったほうがいいかな。だから、府を造ると届け出て、先に恭順を行うと伝えておけばいい。そうして下地を作っておけば、好意的な領主を迎えられるはずだよ」
「そんなんで、承知されるのか? もともと大地は申皇のモンだろう。恭順を示すもなにも、はなっから申皇のモンなんだから、村ができようが豪族が興ろうが、一緒じゃねぇか」
「それならどうして、岐に任命された領主が据えられる必要があるんだい。豪族がそのまま、大きくなった村を府にせず、運営をすればいいはずだろう」
蕪雑は眉間にシワを寄せ、腕を組んで唇をとがらせた。
「さっぱり、わからねぇな」
「天領だと示さなければ、悪心の徒とみなされるからだよ。だから国と呼ばれるほどに大きくなった村の豪族は、領主を迎えようとする。中枢も、恭順を示さない国は不穏だとして、府や中枢との交易などに制限を設けたり、災厄に見舞われた場合にも救出をしないよう、各所の府に定めていたりする。そうならないために、これから造る村が、豪族が興るほどの国と育っても、府とするつもりであると先に伝えておけばいい。そして中枢の法に沿った統治をすれば、建設中でも府の持つ権利を受けられるはずだよ」
ふうんと、わかったような、わからないような鼻息を漏らした蕪雑が、天井に視線を投げる。
「そんな方法があるんなら、なんで豪族はそうしねぇで、たまに領主とああだこうだ言い争ってたりするんだ? 甲柄だけがそうで、ほかの府はそうじゃねぇのか」
「どこも似たり寄ったりだよ。領主は申皇の定められた法を基準に、豪族の治世を正そうとする。豪族は己の法律で府を統治しようとする。その折り合いがうまくいかなければ、争いとなる。あるいは、賂欲しさに、わざと文句を言ったりもする。……はじめから、中枢の法を基準としていれば、そんなことはなくなるさ」
「てこたぁ、豪族はその法律を知らねぇってことかよ」
「そういうことになるね。あるいは、知っていて知らぬふりをしているか、かな」
「なんで烏有は、そんなことを知ってんだ」
「僕は腕のいい楽士だからね。岐の官僚の宴に呼ばれ、褒美と滞在の寵を受けることもあるのさ」
謎めいた微笑を浮かべた烏有は、杯を目の高さまで持ち上げて、乾杯をするようにそれを揺らすと、一気に飲み干した。美麗な所作に、蕪雑が居心地悪そうに目を泳がせる。
「ねえ、蕪雑。あたらしい府となる国を造り、人々を安堵せしめようじゃないか」
「俺ぁただ、山賊をやめて、どっかに落ち着きたいって言っただけだぞ。それが、こんな大掛かりな話になるたぁなぁ」
「なら、やめておくかい?」
烏有の切れ長の目が、炉の炎を映して怪しくきらめく。蕪雑は酒の入った革袋を持ち、烏有に差し出した。
「本当に、そんなことができるんなら、試してみてぇな。俺たちみてぇなのが、大事にされる府を造れるんなら、最高だからよぉ」
「決まりだね。これから、僕等の理想とする国を造ろう。――興国のはじまりだ」
「興国?」
「民のことを第一に考える府を、興すんだ。府にするためには、国にならなければならない。だから、興国だよ」
烏有は蕪雑の酌を受け、蕪雑は手酌で杯を満たした。
「でっけぇことをはじめるってのは、なんだかこう、腹のあたりがムズムズするな」
ニッと蕪雑が歯を見せる。
「それを引きしめ抑えなければ、足元を掬われるよ」
「わあってるって。そのために、よろしくたのむぜ、烏有。これからアンタは、俺の相棒だ」
「……相棒?」
「おうよ」
力強い蕪雑の声に、烏有はかすかに照れのようなものを目元に浮かべた。
「興国の成功を祈って、今夜はぞんぶんに飲み明かそうぜ」
「ああ。蕪雑の興国に、持てるすべてで協力しよう」
「違ぇよ。言い出しだのはソッチだし、相棒なんだから、一緒に、だろ」
屈託のない蕪雑に、烏有はためらいつつも、うなずいた。
「ああ。一緒に、国を興そう」
赤々と燃える炉の上で、ふたりは杯を打ち鳴らし、交わした誓いを飲み干した。
「俺らだってよぉ。別に好き好んで、山賊なんざ、やってるわけじゃねぇんだよ」
烏有は向かいに座っている男、蕪雑の、なめした革のように、つややかな褐色の肌が、橙の炎に照らされているのをながめた。太い髪はクセが強く、筋骨のたくましい大柄な体躯は、見るものによっては畏怖を感じてしまうだろう。
だが、烏有はすこしも蕪雑を怖がらなかった。彼もまた偉丈夫だから、というわけではない。烏有は細身で、抜けるように色が白く、女の着物を身につけていれば、そのように見えそうなほど華奢で艶麗な、力強さとは縁遠い容姿の男だった。
「人を襲う、なんてことをしなくても生きていけるんなら、そうするさ。けどよぉ、烏有と言ったか? 俺ぁアイツらを放り出して、自分だけがそうなろうとは、思えねぇんだ」
わかるだろう、と言いたげに蕪雑が烏有を見る。その目は木の実のように丸く大きく、端が吊りあがっている。無垢な子どものように、透き通った輝きをしている瞳に、烏有は切れ長のすずやかな目を合わせた。
「全員でどこかへ移住すれば、いいだけだろう」
「それができりゃあ、こんな面白くもねぇ境遇に、堕ちちゃいねぇさ」
蕪雑が酒をあおる。烏有は杯に唇を当て、香りを楽しむように、わずかに舌を湿らせた。
「この酒は、盗んだものではないんだね」
「ああ。こいつぁ、この山で採れる果実で作ったもんだ。猿酒を知っている奴がいてな。そいつを真似たんだよ」
「そうか。……猿酒」
烏有は杯に目を落とした。ドロリと重く濁りのある酒は、花のような香りがする。
「知っているか? 猿酒ってのは、木の洞なんかに猿が貯めた果物が、勝手に酒になっちまうもんなんだ」
「それを真似て人工的に発酵させ、作ったというんだね」
さらりと烏有に受け止められて、蕪雑はつまらなさそうに口をつぐんだ。烏有は彼に好意的な視線を向ける。
「僕が知らないと思ったのかい」
「……まあ、各地を渡り歩く楽士なら、知っていても不思議じゃねぇさ」
「知らないふりでもすれば、よかったかな」
「やめてくれ。こっちの無知をひけらかしているみてぇで、こっぱずかしい」
軽く手を振った蕪雑は、そうだと膝を叩いた。
「いろんな土地を見て回ったんだろう? そんなら、俺らが落ち着けそうな府も、知っているんじゃねぇのか」
「それを聞いて、山賊をやめて移り住もうという腹か」
そうだと蕪雑が首を動かす。
「さっきアンタが言っただろう。移住すりゃあ、いいってよぉ。そういうアテがあって、言ったんじゃあねぇのか」
期待を放つ蕪雑の顔をながめつつ、烏有は杯に口をつけた。
「不思議だな」
「何がだ」
「いやいや山賊をしている、というところがだよ。この山を通る荷駄を襲って、いろいろなものを手に入れるほうが、楽だと思ったりはしないのかい」
「しねぇよ。誰かがあくせく働いて手に入れたモンを、ちょろまかして威張るなんざ、格好悪いじゃねぇか」
「クッ……」
烏有が口元に手を当てる。クックと喉を鳴らす烏有の姿に、蕪雑はてれくさそうに頭を掻いた。
「まあ、その……なんだ。できるなら、山賊から足を洗いてぇのよ。けど、どうすりゃいいのか、さっぱりわからねぇんだ。わけのわかんねぇうちに頭目になっちまったから、どっかで落ち着けるまでは、俺はあいつらの面倒を見なきゃならねぇだろう」
「はじめから、蕪雑が首魁と決まっていたわけじゃないのかい」
「違ぇよ。なんかしんねぇけど、いつの間にか俺が兄貴分になってたんだ。たぶん、ここに一番、長く住んでいるからじゃねぇかな」
「いったい、どういう集まりなのか、教えてもらえるかな」
烏有の問いに、蕪雑は首をかしげた。
「どういうって。俺はそこの府、甲柄の隅っこで、貧乏やってるガキどもと、日銭働きをしていたんだよ」
「それがどうして、府の外で山賊をすることになったんだい」
「商売人が山越えをするってんで、その護衛に雇われたんだよ。そんで襲われて、無我夢中で戦っていたら、雇い主は荷物を置いて逃げちまうし、気づいたら襲ってきた連中は全滅してるしで、そっからどうすりゃいいか、わかんなくなっちまった」
興味深そうに、烏有はわずかに前にのめって、杯をかたむけた。
「しばらく待ってみたんだが、雇い主は帰ってこねぇ。どうしようかって悩んでいたら、府に引きかえそうって言った奴がいてな。そうするしかねぇかって戻ったら、そいつがいきなり、俺に縄をかけて山賊の仲間をつかまえたとか、ほざきやがった。ちょっと調べりゃあ、そうじゃねぇってわかっただろうに、俺ぁそのまま牢にぶち込まれたんだよ。アイツぁ、よっぽど報奨金が欲しかったんだろうなぁ」
「それは、災難だったね」
「まあ、俺がそんなことをする奴じゃねぇってのを、知っている奴等が牢破りの手伝いをしてくれてさ。けど、そんなことをすりゃあ、ただじゃすまねぇ。そんで、ひとまず山に隠れておこうってなったんだが……」
やれやれとため息を吐いて、蕪雑は心底から不本意だと声音に乗せて言った。
「いつの間にか、本物の山賊になっちまったんだよ」
「はは」
「笑いごとじゃねぇよ」
「ああ、すまない。……つまり、ここに住んでいる仲間は、濡れ衣を着せられた蕪雑を救った者たち、ということか」
「そういうのもいるけどな。なんか、府を追ン出された奴とか、妙な嫌疑をかけられて逃げ出して、ここに身を寄せるようになった奴だとか、そういうのもいてよぉ。どんどん人数がふくれちまって、そうこうしているうちに俺が頭目になっちまってたんだよなぁ。俺より頭がいい奴も、年上の奴もいるのによぉ」
わけがわからねぇとぼやく蕪雑に、烏有はうなずいた。
「自然と中心になったということは、人徳があるのだろうね」
「へっ?」
蕪雑が目を丸くする。
「そういうことだろう」
烏有が薄くほほえむと、いやいやと顔の前で手を振りつつ、蕪雑は照れた。
「そんなに、偉かぁねぇよ。もしそんなふうなら、アイツらをひきつれて、まっとうな仕事のできる府に、落ち着いているさ。甲柄のほかに行けば、甲柄の法は届かねぇからな」
うんうんと、蕪雑は自分の言葉に相づちを打つ。
「そうすりゃあ、年のいった連中も安心だろう。まったく、かわいそうな連中ばっかなんだぜ? ちょっとばかし無礼を働いたとかなんかで、簡単に牢にぶちこまれて辛い目に遭わされてよぉ。領主や豪族なんかは、俺たちを家畜みてぇに考えてやがんだ」
「そう思うのなら、ほかの土地に行ってもおなじとは、考えないのか」
「豪族とか領主とかの考えひとつで、法は決まるんだろう? そんなら、甲柄よりも人を大切に扱う府が、あるかもしれねぇじゃねぇか。……もしかして、烏有の見てきた府はどれも、工夫や農夫なんかを、家畜みてぇに扱ってんのか?」
蕪雑が眉をひそめる。烏有はゆるくかぶりを振った。
「生産者がいなければ、品物はできないからね。重要だと考えている府も、あるにはあったよ」
「そんなら、その府を教えてくれよ。そこに移住すりゃあ、わけのわかんねえ罪状を突きつけられる心配もなくなるだろ」
子どものように目を輝かせる蕪雑を、烏有はじっと見た。
「……なんだよ」
「蕪雑。府を造らないか」
「は?」
「君の望む府を探すより、造るほうが確実だろう」
蕪雑は目をしばたたかせ、炎にあぶられ輝く烏有の白い顔を見た。
「正気で言ってんのか」
「もちろんだ」
ふたりはしばし見つめ合うと、互いに顔を寄せて、声を低めた。
「府なんて、どこに、どうやって造るんだよ。府は、この国を治める申皇が定めて、領主と決めた者を据えてできるもんだろう?」
「申皇に許しを乞えばいい」
「どうやって」
「申皇のおわす岐に、文を書くんだ。府を造る許可をいただきたい、と」
蕪雑がポカンとする。
「どの府もはじめは、ちいさな村だった。それが大きくなり力を持つと、国になる。そうなった国を府と定めるべく、申皇からの使いであり、連絡役となる領主が派遣される」
「そうなのか」
「ああ」
感心したように、蕪雑がうめいた。
「俺ぁ、はじめっから府があるモンだと思っていたぜ。そんなら、どっかの府に属している離れ村が、でっかくなって新しい府になるってことも、ありうるのか」
「ある。もともと各地の府は、そのようにしてできたんだ。小さな村が力をつけて、豪族が生まれ、それらが協力したり駆逐しあって村を大きくした結果、神領としての府に任じられ、領主が据えられる」
「へぇー。そんなら、俺らが村を造って、そいつがでっかくなっていったら、府になれるってことか」
「そうだよ」
「けどよぉ、烏有」
蕪雑は干し肉を烏有に差し出しながら、疑問を述べた。
「府になるには、岐から領主がやってこなきゃ、いけねぇんだろ? だったら、村を造っても、領主が横暴な奴だったら、おんなじことになるんじゃねぇか」
「それは心配ないよ。実質的な統治をするのは、豪族だからね」
よくわからないと、蕪雑が首をかしげる。
「領主はあくまでも、土地を治める豪族と岐の橋渡し。というか、申皇の定められし法の監視役と言ったほうがいいかな。だから、府を造ると届け出て、先に恭順を行うと伝えておけばいい。そうして下地を作っておけば、好意的な領主を迎えられるはずだよ」
「そんなんで、承知されるのか? もともと大地は申皇のモンだろう。恭順を示すもなにも、はなっから申皇のモンなんだから、村ができようが豪族が興ろうが、一緒じゃねぇか」
「それならどうして、岐に任命された領主が据えられる必要があるんだい。豪族がそのまま、大きくなった村を府にせず、運営をすればいいはずだろう」
蕪雑は眉間にシワを寄せ、腕を組んで唇をとがらせた。
「さっぱり、わからねぇな」
「天領だと示さなければ、悪心の徒とみなされるからだよ。だから国と呼ばれるほどに大きくなった村の豪族は、領主を迎えようとする。中枢も、恭順を示さない国は不穏だとして、府や中枢との交易などに制限を設けたり、災厄に見舞われた場合にも救出をしないよう、各所の府に定めていたりする。そうならないために、これから造る村が、豪族が興るほどの国と育っても、府とするつもりであると先に伝えておけばいい。そして中枢の法に沿った統治をすれば、建設中でも府の持つ権利を受けられるはずだよ」
ふうんと、わかったような、わからないような鼻息を漏らした蕪雑が、天井に視線を投げる。
「そんな方法があるんなら、なんで豪族はそうしねぇで、たまに領主とああだこうだ言い争ってたりするんだ? 甲柄だけがそうで、ほかの府はそうじゃねぇのか」
「どこも似たり寄ったりだよ。領主は申皇の定められた法を基準に、豪族の治世を正そうとする。豪族は己の法律で府を統治しようとする。その折り合いがうまくいかなければ、争いとなる。あるいは、賂欲しさに、わざと文句を言ったりもする。……はじめから、中枢の法を基準としていれば、そんなことはなくなるさ」
「てこたぁ、豪族はその法律を知らねぇってことかよ」
「そういうことになるね。あるいは、知っていて知らぬふりをしているか、かな」
「なんで烏有は、そんなことを知ってんだ」
「僕は腕のいい楽士だからね。岐の官僚の宴に呼ばれ、褒美と滞在の寵を受けることもあるのさ」
謎めいた微笑を浮かべた烏有は、杯を目の高さまで持ち上げて、乾杯をするようにそれを揺らすと、一気に飲み干した。美麗な所作に、蕪雑が居心地悪そうに目を泳がせる。
「ねえ、蕪雑。あたらしい府となる国を造り、人々を安堵せしめようじゃないか」
「俺ぁただ、山賊をやめて、どっかに落ち着きたいって言っただけだぞ。それが、こんな大掛かりな話になるたぁなぁ」
「なら、やめておくかい?」
烏有の切れ長の目が、炉の炎を映して怪しくきらめく。蕪雑は酒の入った革袋を持ち、烏有に差し出した。
「本当に、そんなことができるんなら、試してみてぇな。俺たちみてぇなのが、大事にされる府を造れるんなら、最高だからよぉ」
「決まりだね。これから、僕等の理想とする国を造ろう。――興国のはじまりだ」
「興国?」
「民のことを第一に考える府を、興すんだ。府にするためには、国にならなければならない。だから、興国だよ」
烏有は蕪雑の酌を受け、蕪雑は手酌で杯を満たした。
「でっけぇことをはじめるってのは、なんだかこう、腹のあたりがムズムズするな」
ニッと蕪雑が歯を見せる。
「それを引きしめ抑えなければ、足元を掬われるよ」
「わあってるって。そのために、よろしくたのむぜ、烏有。これからアンタは、俺の相棒だ」
「……相棒?」
「おうよ」
力強い蕪雑の声に、烏有はかすかに照れのようなものを目元に浮かべた。
「興国の成功を祈って、今夜はぞんぶんに飲み明かそうぜ」
「ああ。蕪雑の興国に、持てるすべてで協力しよう」
「違ぇよ。言い出しだのはソッチだし、相棒なんだから、一緒に、だろ」
屈託のない蕪雑に、烏有はためらいつつも、うなずいた。
「ああ。一緒に、国を興そう」
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隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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