流浪の興国ー託しきれない夢を、相棒と呼んでくれる君とー

水戸けい

文字の大きさ
2 / 31
第一章 決起

しおりを挟む
 ふっと息を抜いた烏有は、書き上げたばかりの文を読み直し、筆をおいた。あとは墨が乾くのを待ち、押印して郵亭の受付に出すのみだ。

 扉を叩く音がして、耳を澄ませば声がした。

「お茶をお持ち致しました」

「ああ」

 短く答えれば、少女が茶と焼菓子を持って入ってきた。少女に茶代を支払えば、会釈をした彼女はニコリともせずに去っていった。

 烏有がいるのは、書簡などを各所へ配送する郵亭の二階にある、書茶室と呼ばれる個室だった。蕪雑と約束をした翌日、府を造る旨を岐に住む知人へ伝えるために、甲柄に戻り、ここに入った。ここならば必要な道具はすべてそろっているし、それなりの金を払えば、内密に送付の手続きをおこなえる。

 烏有は茶をすすり、宛名に目を落とす。そこには各地の府から届く報告書を管轄している、官僚の名前が書かれていた。ただの楽士がそんな相手に直接、文を送れるはずがない。しかし、それを可能にするものを、烏有は持っていた。

「僕からの文だと知ったら、どう思うかな」

 ぽつりとこぼした烏有は、革袋から見事な細工の施された、翡翠の印を取り出した。墨の乾きを確認し、文を降りたたむと、宛名を記した包みに入れて、封をする。そこに、墨をたっぷりとつけた翡翠の印を押し当てて、差出人の署名に鶴楽かくらくと記した。

 重労働を終えた者に似た息を吐き、烏有は小窓の外に視線を投げる。灰色の雲が空を覆っているからか、人通りは少ない。

「まさかこんなふうに、この印を使う日がくるなんて、思わなかったな」

 印の墨を、備え付けの布で丁寧に拭って、革袋に入れる。これさえあれば、烏有は岐の太政官だじょうかんにも、直接に文を送ることができる。無用の長物だと思いつつ、持ち歩いていたものが役に立つ日がこようとは、夢にも思っていなかった。

 烏有にこれを使わせたのは、蕪雑の純朴な願いだった。

 この世は神に等しい申皇が治めている。その下に神との行儀を受け持つ神祇官じんぎかんと、地上の行政を受け持つ太政官が置かれていた。

 岐を中心に人々は生きている。ゆえにそこは、中枢と呼ばれていた。各地に点在する豪族は、太政官から派遣された領主に管理される。それらの地は“府”と呼ばれ、そうでない場所は“国”と呼ばれた。“国”は申皇に認められていない土地とされ、中枢からの恩恵は受けられない。豪族らは“府”となりたいがために、各地を流浪し神事を行う下級の神祇官へ、領主をいただきたいと願い出る。あるいは”国”を見つけた神祇官が、それを上へと報告し、太政官から視察団が送られて、認定されれば“府”となった。

 よって、よほどでなければ、国は必ず“府”と変わり、岐より派遣された領主が、中枢の常識を持っての統治を豪族に指導、監視をするため、どの地もおおかた、身分に関する意識は似通っていた。

工夫こうふや農夫が、人としての尊厳を奪われない国……か」

 そんな国があると記されている書物があった。多くの者が住み働いているからこそ、国となる。生み出す力のある者を、統治する者は敬わなければならない。でなければ、なにも生み出せぬ統治者は、ただ渇いて朽ちるだけだろう。

 それは異教の書物だった。本当に、そんな国があるのかと烏有は驚き、見てみたいと望んだ。だが、それを口に出すのははばられた。それはつまり、申皇のなさり方を否定するものだからだ。申の一族は人として降りられた神の末裔であり、天上の神の御使いでもある。その威光をわずかでも傷つける発言が、できようはずもない。

 民は神のために地上を豊かにするものであり、その神の意思を伝え支える官僚は、選ばれし者とされている。神祇官が神事のたびに歴史として、それらの教えを伝えることで、申皇の統べる土地のすべてに、生み出すものを最下級とする認識が定着していた。

 烏有は蕪雑の「人を大切に扱う府」という言葉に惹かれた。そういう府がないわけではないが、烏有が書物に見た国のように、官僚よりも民が上とするものではない。官僚こそが、さまざまなものを作り生み出す民に生かされている、という意識を持った府は、どこにもなかった。

「蕪雑なら、そのような国を造れるかもしれない」

 自ら頭目となったわけではなく、人々に慕われ、いつの間にか中心となっていた蕪雑なら、書物の国を現実のものとできるのではないか。

 その気持ちが興国の提案となって、口をついて出てしまった。頭目となっても、自分よりも優れた者がいると意識している蕪雑が統治をすれば、世の常識がくつがえるのではないか。

 烏有は呼び鈴を鳴らした。さきほど茶を運んできた少女が現れる。

「間違いなく届けてくれよ」

 文とともに手間賃を渡すと、少女は頭を下げて去った。

 書茶室で書かれた文を受け取るのは、文字の読めない少女と決まっている。どこの室内で書かれたものかがわからないよう、郵亭馬車が到着する日まで、ひとまとめにして保管される。どこの誰がどこ宛に文を書いたのか、警兵官けいへいかんが郵官を尋問しても漏れることはない。そのぶん値段は跳ね上がるが、烏有は届け先の官僚に支払いを求める、信用書面も添えていた。それを使える人間も、その存在を知っている者も、限られている。

 烏有は腰に下げている横笛を、袋の上から撫でた。彼の商売道具には、こういう場所での優待と信用を受けるために使用する、身分証明となる印が刻まれている。

 山中で蕪雑たちに襲われたとき、彼等がこの印の意味を知っていたなら、こんなふうにはなっていなかったろう。彼等は烏有から奪えるものが、わずかな金と横笛だけと知り、夜の山道は危ないからと、彼等のねぐらへ連れ帰った。

「まったく、不思議な連中だよ」

 烏有はゆったりと茶と菓子を味わう。彼等は、菓子を口にしたことはないだろう。あったとしても、小麦粉を練って油で揚げたものに、蜜をかけた程度のものに違いない。

「自分が作り、生み出したものであるのに、その口に入れることなく命を終える者もいる」

 それが常識となっている世の中が、烏有は不思議だった。

 口に入れるよりも、売るほうが生活の糧となる。

 調理などの加工を施す道具や技術を、有していない。

 ほかにも、さまざまな理由があるだろう。なるほどそうかと、いったんは納得をするのだが、しばらくするとに落ちないものを感じてしまう。

 烏有は焼菓子をしげしげとながめた。これの材料となるものを育てた者は、食べてみたいと思うだろうか。どうでもいいと、考えているのかもしれない。

「妙なことを気にすると、叔父上にもよく言われたな」

 口辺に郷愁きょうしゅうの笑みを漂わせた烏有は、菓子をかじった。ほろほろと口内で崩れるそれは、頭の芯がゆるむほどに甘かった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...