凪の潮騒

水戸けい

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 暁闇の中、ぽかりと水面に顔を出して、岩場に上がる。髪を絞り、体を拭いて、小袖を羽織った。ぶるりと身を震わせて、腕をさする。早く帰ってあたたまろう。

 足元を見ながら岩陰から出ようとして、人の足が目の前に現れたのに顔を上げた。

「――っ」

 そこに見えた顔に、息をのむ。――宗也が、そこにいた。何の関心もないような、まるで私が岩か木か、とにかくそのあたりにいくらでもあるような、取るに足らないものを見ているような顔をして。

 死んでも袖を通すことなど出来ないような、上等の着物を着ている宗也からすれば、私のようなものは取るに足らない草木と変わらないものなのかもしれない。

 びち、と網の中で魚が跳ねた。私に何かを言うように促している気がして、口を開く。

「何か、用?」

 思うよりも硬い声が出た私に、眉一つ動かさず宗也は問いを返してきた。

「漁を、していたのか」

「見てわからない?」

 自然と、喧嘩腰の口調になる。宗也は気にする様子も無く、網を目にして、海を見つめた。

「このように暗くとも、見えるのか」

「さぁね。試してみればいい」

 私の横を通り過ぎた宗也は、岩場から海の中を覗き込んだ。昨日、宗也が立っていた場所の真下にあたる海面は、岩陰になっていて昇りはじめた朝日はまだ、届いていない。

「見えぬな」

 ふうむ、とつぶやいて立ち上がった宗也が私に顔を向ける。

「娘――闇の中でも見ることが出来るのか」

 娘、だなんて自分がうんと年上のような言い方をする。私の身分を軽んじての、言い方だろうか。鼻を鳴らして顎を逸らし、腰に手を当てて小ばかにしたように言ってやった。

「アンタのようなきれいな着物に身を包んで、食べるにも困らないような暮らしをしている奴には、出来ない芸当だろうねぇ」

 ほう、と目を開いた宗也が近づいてくる。体いっぱいに虚勢をみなぎらせ、待ち受けた。

「食べるにも、困っておるのか」

「いまんところは、困っちゃいないけどね」

「困っていたことが、あったのか」

 まっすぐに、何の感情も乗せない言葉に肯定も否定もしたくなくて、背を向けた。
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