われても末に もの想う身は

水戸けい

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 男を連れて来ると橘森繁は請け負ったが、旭が辞するまでに誰も彼と朔宮のことを邪魔することはなかった。いつもの退屈な御簾越しの、主立った公家との対面の時、坐する前にちらと視線を森繁に投げてみたが、はかばかしいことがあった様子はない。しくじったのか、男が見つからないのか。

 少々の落胆を交えながら息を吐き、旭が坐すると公家たちは口ぐちにそれぞれの手の者が調べてきた男の話をし始めた。

「なんでも、彼の者は自ら無位無官となったとか」

「みすぼらしいながら、髪には櫛を通し、見苦しくはない様子」

「姿かたちが悪くないそうで、それにほだされた姫やら公達やらが世話を焼いておるゆえ、餓えるどころか良き暮らしが出来ているそうな」

「なればなぜ、そこに身を寄せぬ」

「複数の加護を受けておれば、そのどれかに万一があっても問題がないということでは」

「なんとも姑息な」

「しかし、それならば何ゆえ、いままで我らの耳に入らなかったのか」

わからぬ、とひとりが首をかしげ、他の者たちもふうむと唸った。すぐにそれが猜疑さいぎの声に変わる。

「この中で、それを隠しておったというお方は、よもやございますまいな」

「あちらこちらの者が絆されるほどの美貌なれば、そのような方がいてもおかしくはありますまい」

「もしくは、すべてが偽りの話であるか」

 ちらりとひとりが森繁を見ると、他の者たちも彼に目を向けた。

「な、なにを根拠にそのようなことを」

「男の話も、根拠がないままにこの場の話に上ったよな」

「うわさとは、得てしてそのようなものでございましょう」

「もう、良い」

 このまま眺めていても、男の話は進まぬとみて旭は声を上げた。そのまま腰も上げ、ゆるゆると去っていく。今まで彼が途中で辞することなどありえず、宮中では帝がずいぶんと男に執心しているという声がすぐさま広まり、誰もかれもが身を入れて木曾義直を追い求め始めた。


 辞した旭が庭を眺めている所に、祖父の来訪が告げられた。気のない様子で通せと言うと、祖父は下座に就くなり苦い顔を隠そうともせず口を開いた。

「何をそのように気にされておるのかはわかりませぬが、つまらぬ戯言ざれごとなど捨て置けばよろしいではありませぬか」

「うわさは、人心を惑わし時に動かす。――そうお教え下さったのは、どなたでしたか」

 公家の社会では、うわさが最大の武器になる。旭の前でそう言ってはばからなかった祖父は、さらに苦味を増した顔で旭を見つめた。

「祖父としてならば、初めて自ら興味を示し、欲しがっているものを与えたいと思いまするが……帝にお仕えしている身としては、お止めさしあげたいですな」

 心中につもった埃を払うように息を吐き出し、その下から現れた感情のままに、旭は彼に背を向けた。

「どこに、行かれます」

「上皇様のもとへ、だ」

「おなじことを、言われるだけかと」

 それには返答をせず、旭は父の住まう院へ向かう。本来ならば、伺いを立ててから足を向けるべきところだが、そのようなことをしていては自分の中でつまびらかになりかけているものに、再び布がかぶさるような気がした。

「こ、これは」

「ああ、お、おまちください」

 父の過ごす離れへ足を踏み入れると、あわてた女房たちにとめられた。それを振り切り進むと、すすり泣くような高い声が響いてきた。そこで、足を止める。

「今、上皇様はお取り込み中でございます」

「どうぞ、お改めください」

 すがるように言ってくる女たちを一瞥し、旭はそのまま奥に入った。

「上皇様」

 はっとして、父の下にいる者があわてて顔を隠す。斉彬はゆったりと旭を振り向き、恥じることも慌てることも呆れることも、邪魔をされた不快すらも示さずに身を起こした。それによって、組み敷かれていたものの四肢があらわになる。なめらかな、女よりもずっと凹凸の少ない――下肢には自分と同じものがついている少年の肢体が身じろぎ、そばにあった着物で隠された。

「ずいぶんと、急な来訪だな」

「欲しいものが、ございます」

 面白そうに、斉彬の眉が持ち上がった。

「くだんの、男か」

 頷くと、父はいとおしそうに身を縮こませている少年を抱き、膝に乗せた。

「男は、良い――子を産めぬ分、思惑が少ない。むろん、よき官位を求めるという欲はあろうが、それだけだ。互いに互いの思惑だけで向き合える」

「そういう、つもりでは」

 父の手が少年をまさぐり始め、旭は目線を落とした。

「早く子を作り、退位し、上皇になることだ」

 くぐもった少年の声が、だんだんと強く高くなっていく。

「子を作り、血をつなぐためではないものは、面白いぞ」

 切なげに、少年がいた。旭の目が上がる。斉彬にすがりつき、言葉にならぬ訴えをし続け身もだえる少年の姿が、それを高ぶらせる父の姿が何事にもおおわれないむき出しの“個”に思え、旭は口惜しさと羨望を感じた。

「私はそのために、おまえを帝に据えた」

 父の声は旭に向かっているのに、意識は少年に向いている。口を吸い、髪をかきあげ、見つめあい、肌を重ねる。

「その男の言うように、帝とは哀れなものかもしれぬな」

 父の父――帝であったほうの祖父は、好きに権力を振りかざし、公家たちを手のひらで踊らせることが楽しかったという。そのために父は帝になっても飾りのように扱われ、公家を躍らせるための駒とされた。――子を成すためだけに姫のもとへ通え。どの姫でもいいわけではない。こちらの言う姫に、通え。

 そう言われた斉彬は旭の母のもとへ通い、子を成した。旭が帝になったのは、祖父が亡くなった後、朝廷での権力が絶大であったものが公家のほうの祖父、藤原博雅だったからだ。欲しいものがあるときは、使えるものを使って手に入れるのが世の常。それがたとえ、肉親であったとしても。

 そう告げながらも少年と戯れる父の姿は、書きかけの文にわずかな墨を落としてしまった程度のことを話しているように見える。旭の耳にも、その程度のことのように響いた。

「欲しければ使えるものを用意すればよい、と」

「そうだ――使えるものを用意し、存分に活用すればいい」

 ああ、と少年の体がのけぞり震える。父帝の眉間にしわがより、互いが同じ速度で揺らめき始めた。

「そのために、この父を消そうとも思うなら――好きにせよ……っ、ふ」

 旭に向けられていた意識もすべて少年に注がれる。全身をからめ、ぶつけあうふたりの姿が、どれほど手を伸ばしても届かない月のように思え、そう思った自分を嫌悪しながら振り払うようにきびすを返す。まっすぐに自室に向かいかけた足をとめ、中庭に目を向けた。御所で何があっても変わることのない庭――幼い頃、誰かに抱きあげられた時に耳元に響いた声が蘇った。

(目に映るすべても、目に映らぬすべても、思いのまま)

 悪寒が走るほどに柔らかい声は、誰が、誰に向けたものだったのだろうか。

「思いのまま、か」

 公家たちはみな、帝というものはそうであると言う。姿を見たことのないものたちも、そのように思っていると。唯一の具現化した神である帝は、何もかもが思いのままだと。

 旭も、そのように思っていた。望む前にすべてが目の前にあるのだから。訴える前に何もかもが整っているのだから。寒さに震えることも、暑さに倒れることも、空腹に悩まされることもない。衣食住のすべてが手に入れることは困難だという者たちが、洛外にはあふれているという。そのような者たちにまみれて過ごしているであろう無位無官のものが、我を哀れと言う真意が知りたい。何をもってそう口にしたのかを、知りたい。

 ふと、旭の眼に庭先に控えている男が映った。衣装からして、警護の者だろう。旭と言葉を交わすどころか、姿を見ることもかなわないくらいの、彼の前でうわさ話に興じている者たちからすれば、取るに足らない存在――いくらでも、代わりのいる生き物。

「そこな者」

 声をかけると、顔を伏せたまま体を折り、渡殿のそばに寄って膝を折った。

「車を、用意せよ。誰に見とがめられることもないような、みすぼらしく、つまらぬものを」

「は――しかし」

「すぐに、用意せよ」

 男は、明らかにうろたえている。

「我が誰か、わからぬか」

 この渡殿は上皇のもとへ向かえる者のみが、通る。が、彼は旭の声には聞き覚えがないために、従うべきかどうか判断しかねているらしい。体を少し深く沈め、身を固くしている。

「帝を哀れと言った男の話を、知っているか」

「存じております」

「それを探るよう、密命をたまわった。そのための車ぞ」

「なれば、拙宅にある牛車を。すわり心地など大変悪うございましょうが、こちらに通われるような方が乗られるとは、誰にも思われませぬ。某は役があるゆえ同道できかねまするが、我が郎党で腕の立つものをひとり、お付けいたしまする」

「すぐに、出立する」

「は」

 去ろうとする者に、ふと思いつき一言添えた。

「粗末な着物も、合わせて、な」

 心得ておりますと返答をしたのは、隠密の外出を助けなれているからだろうか。あちらこちらに通う場所がある公達は、身分を隠して出かける場合もあると聞く。もし、そういうことに長けている者であったなら、そのような男にたまたま声をかけることができたのだとしたら、自分はあの男に会うことは必然なのではないか。――そう、あの男は我と会わねばならぬのだ。我が我たらしめんがために。

 ふと浮かんだ言葉に驚き、かみしめる。なるほどそうなのかもしれないと頷き、命じた男が戻ってくるのを待った。
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