われても末に もの想う身は

水戸けい

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 すわり心地など大変悪うございましょうが――謙遜けんそんかなにかだと思ったが、真にすわり心地が悪く、動くたびにガタゴトとうるさく響く車輪の音に耳をふさぎたくなる。いったいいつから手入れをしていないのかと文句を言いたくなるくらいのものでも、民はすばらしく高貴な乗り物として扱うということを、御所の外に出、公家たちの屋敷を抜けている間に知った。物見から薄汚れた人々の姿を眺める。

 布切れのような着物の男たち。

 髪をとかすこともなく無造作に散らしている浅黒い女たち。

 素足で棒を振り回しながら走り去る子どもたち。

 すべてが牛車の姿を見ると慌てて端により、頭を下げる。通り過ぎた後は、何事もなかったかのように大声で話し、笑い、走り回る。――これが、下賤げせんのものと言われている者たちの姿か。

 話に聞いていたものとは、ずいぶんと違っている。貧しく、食うに困り、屋根のない場所で眠っているはずの者たちから発せられるものに圧倒される。この躍動的なものは何だ、と物見に張り付くようにして外を眺めながら、旭は彼らの姿に、街の様子に見入った。

「ここが、くだんの男の屋敷にございます」

 牛車が止まり、声をかけられた。垣根の奥には、旭が見知っている植物とは違う生き物としか思われない草々が獰猛どうもうさをもって存在している。その先にある屋敷に人が入ることがかなうのだろうかと、いぶかるほどに。

「お会いになられますか」

「会えるのか」

 驚きがそのまま声に出た。しばしお待ちを、という声とともに牛飼いが屋敷に向かう。門をくぐった男が帰ってくるまで尻を落ちつけていられずに、旭は狭い車箱の中をそわそわと動く。しばらくして

「中へ参れます」

 遠慮がちな声がかかった。

「行こう」

 旭の一言で牛が外され、降りる準備がなされる。従者に手をひかれて降り立つと、今まで感じたことのないにおいが旭を包んだ。

「こちらへ」

 案内されるままに門をくぐる。外から見た庭は驚くほどの様相であったが、屋敷は狭いながらも手入れは行き届いているらしい。そのことに胸をなでおろしながら案内されるままに進むと、あの庭が見える場所に通された。

「ここで、しばしお待ちください」

 丸座を勧められ、腰を下ろす。周囲を見回すが何時も自分や姫宮が坐しているような畳がありそうな気配はない。どの院とも違うしつらえに、木曾義直は武家のものではないかという話を思い出す。――なるほど武家の屋敷というものは、こういうものであるのか。

 物珍しく見まわす眼は、庭を避けて屋敷の中ばかりに向けられる。しばらくすると足音が近づき、大きな声で話しかけられた。

「貴殿が、拙者に会いたいと申されておる御仁か」

 響きのある声にとっさに返すことができず、ただ見つめていると傍にどかりと腰を下ろされた。

「帝に対する事で、咎めに来られたか。それとも、帝の前に突き出すために、来られたか」

 委縮も何もない男の態度に、戸惑う。まっすぐに見つめられ、旭はうら若い娘のように気恥ずかしさを感じて几帳を求め尻を浮かせた。

「どこに、逃げようと」

 腕をつかまれ、引かれた力が存外に強く、そのまま男の膝へ倒れこむ。

「これは、まるで女人のような」

 呆れも何もない、ただ目の前のことを思い、口にしただけという男の声には腹に含むものなどないと、告げていた。

「ぶっ、無礼な」

 それだけを口にするのがやっとの旭は、めまいに見舞われていた。何もかもが、予想の範疇を超えている。会えば聞こうと思っていたことが、彼の態度にすべて霧散していた。ただ、男の腕の中に倒れたまま身動きできず、惑う。――どうしたというのだ。これは、どういうことだ。このような扱いを受けるなぞ。

「そのように、しおらしくされていては、あらぬことを考えてしまいますな」

 旭を抱きなおし、座りよくさせて間近で笑む男の顔を見やる。このような顔を向けられたことなど、一度もない。てらいもなく、ただ、旭を見ている。ただ、旭だけを。

「あらぬこと」

 うわごとのように繰り返すと、笑みの質を変えた男が耳元に唇を寄せた。

「無垢な花を手折たおりたい、と――」

 ぞくりと背骨に何かが走り、体中が雷に打たれたように硬直した。忍び笑いをもらす男は、耳朶を唇ではさみながら言う。

「どこのどなたかは存じませぬが、この義直の情けを受け止めていただけませぬか」

 ああ、と旭は胸中で声を上げた。この男は、目の前の旭をただひとりの人としてだけ見ている。顔を合わせただけの、まだ会話らしい会話も交わしていない自分と情を交わそうとしている。

「我が誰かを、知らぬのに」

「誰かなど知らぬほうが良いような気がしておる。もっとも、そちらは俺のうわさを耳にして来たようだが」

 男の口調が、粗野なものに変わった。帯を解かれ、手を差し入れられる。

「っ――」

「抵抗をするなら、今のうちだ」

 ひそやかな声に楽しげな色を見て、旭は頬が熱くなるのを感じた。このまま身をゆだねてはいけないという理性と、どうなってしまうのかが知りたいという好奇心とがせめぎあい、旭の動きを封じている。

「承諾されたと、見なすぞ」

 義直の手が旭の下肢をつかみ、唇が塞がれる。ぞく、と再び背骨に何かが走り、旭は義直の肩をつかんだ。

「口を、開けろ」

 惚としつつ促されるままに開くと、舌を差し入れられた。からめとられ、吸われ、深く繋がろうと角度を変えられる。息苦しさに鼻から息をもらしながら、やわやわといじくられる下肢が熱く痛み始めたことに戸惑いつつ、義直が導くままに身をゆだねる。――男の技の巧みであること以上に、旭を旭としてしか見ていないと感じたことが、男に従う理由となった。

「愛らしいな――すぐに、このようにして」

 顎に吸いつかれながらささやかれ、羞恥に体が火照る。

「恐がらなくていい」

 あやすように首元に口づけられ、心地よさに目を細めた。

「は、ぁ――」

 とろけるような息が漏れる。それをとらえるように唇を重ねられ、旭の腕は彼の首にまわされた。それが合図であるかように義直の手淫の速度が速まる。

「はっ、ぁ、ぁ、ぁあ、ぁ」

 義直にすがり、襲い来る波になぶられる耳に、空気と液体が混じりあう音が届く。それが自分のこぼしたものと義直の指が奏でているのだと意識した瞬間

「あぁあああ――――」

 旭ははじけ、大きく身を震わせ叫んだ。

「はっ、ぁ、ぁあ、あ」

 最後の一滴まで搾り取るように摺られて弛緩した旭を受け止める相手の瞳の優しさに、妙な安らぎを覚える。何か、大切な何かが自分の中にあったような気がしながら、ゆっくりと落ちてゆく意識の中を旭は探った。――このように柔らかなものが、いつだったか、遠い昔にあったような気がする――いつだったか――――そう――――――たしかに――――――――
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