なりたいものと、できることー弓師になりたいミックス・エルフー

水戸けい

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 室内がまだ濃い藍色に沈んでいるころ、カターナは目を覚ました。

 伸びをしてベッドから出ると、窓を開いて空を見上げた。

 空は生まれたての、紫がかった薄青をしている。

「いい天気になりそう」

 昇りはじめた朝日のオレンジに目を細め、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだカターナは、手早く着替えを済ませた。ドアを開けると、1階からいい香りが漂ってくる。おいしそうな匂いに導かれて階段を下りると、焼きたてのパンとスープがカターナを迎えた。

「おはよう、おかあさま。おとうさま」

「おはよう、カターナ」

「おはよう」

 カターナは戸棚から皿を取り出し、席に着いてテーブルの真ん中にあるカゴから、パンをふた切れ取り分けた。

「おばあさまは?」

「昨夜、星を見るために遅くまで起きていたからね。まだ眠っているだろう」

 パンにチーズをはさんで、かぶりつきながら父のルーエイが答える。

「もうすぐ豊穣の祭だものね。おばあさまは星から、いつがいいと告げられたのかしら」

「さあ、いつだろうなぁ。すくなくとも、10日のうちにはおこなうだろう」

「今年は、バ・ソニュスを誰が取りに行くの?」

「そうだなぁ。ニルマやマヒワが志願をすれば、許可が出るかもしれないな」

「去年は銀狼が出て、近くまで行ったけど採れなかったのよね」

「そうだ。今年も銀狼が出るかもしれないが、ニルマやマヒワなら、行けるかもしれない」

「それと、リズもね」

 母のズィーラがお茶を片手に、席に着いた。

「あの子は立派な魔導師になったわ。まだまだ、覚えることはたくさんあるでしょうけど、あの3人が組んで挑むのなら、大丈夫じゃないかしら」

 おや、とルーエイが眉を上げる。

「どうして、そんなことを知っているんだ」

「村の女たちは、おしゃべりなのよ。自分の子どものこととなると、特にね」

 ズィーラが楽しそうに、カターナに向けてウインクをした。茶目っ気のある母の仕草に、カターナの胸がくすぐられる。

「じゃあ、おかあさまも私のこと、お話しているの?」

「もちろんよ、カターナ。あなたは本当に美しくなったって、誰もがほめてくれるから、おかあさまは鼻が高いわ」

「美しくなんて」

 カターナがはにかむと、ルーエイはほこらしげな笑みを浮かべた。

「いや。すっかり娘らしくなったよ、カターナ。ついこの間まで、オレの後ろをついてまわっていた子が、もう立派に村の仕事をこなしているんだからな」

「おとうさま」

 カターナは照れくささに、肩をすくめた。

「それじゃあ、もっと自慢の娘になれるように、弓の練習をしてこなくっちゃ」

「今日は、ディルがダグィさんのところで、勉強をする日だったわね。彼がいないと、さみしいわね」

「おかあさま。私はべつに、ディルがいなくても、さみしくなんてないわ」

「あら、そう?」

「生まれた日がおなじで、家が隣だからセットにされちゃうだけで、私は私で、ディルはディルだもの」

「うーん、そうねぇ。カターナもほかにお友達がいるし、ディルだってそうでしょうし。……でも、あの女の子みたいにかわいらしかったディルが、すっかり男の子っぽくなっていて、おかあさまはビックリしたわ」

「ほとんど毎日、姿を見ているのに?」

「ええ、そうよ。しょっちゅう姿を見ているから、気づくのが遅くなるのね。昨日、おすそ分けに行ったとき、ディルがドアを開けてくれたんだけど、こんなに背が高かったかしらって、おどろいたわ」

「ディルは回復や風の魔法が、得意だそうだな」

 ルーエイに問われ、カターナはうなずいた。

「だから、羊の番をしているのよ」

「あれだけの羊を、ひとりで動かせるというのは、なかなか難しいぞ。風を繊細にあやつらなければ、ならないからな」

「昨日、狼を追い払ったときに私がケガをしなかったのは、ディルのおかげなの。足元に風で足場を作ってくれたのよ。それで私は高く飛んで、狼の牙から逃げられたの」

 自分のことのように、ほこらしくなってカターナは胸をそらした。

「そうか。ディルはいい魔導師になったな。今度、狩りの仕事に出してみても、いいかもしれない」

「えっ」

 カターナは目を丸くした。

「おとうさま。ディルを狩りに連れていくの?」

「いますぐではないよ。ディルの魔法がどの程度か、この目で確認してからだ」

「私も行きたい」

「カターナも?」

「私だって、立派に戦えるわ。だって、狼を追い払えるんですもの。狩りでも役に立つはずよ」

「それは、どうだろうなぁ」

 ルーエイの苦い笑みに、カターナは唇をとがらせた。

「ごちそうさま」

「あら。もう、いいの」

 勢いよく立ち上がったカターナに、ズィーラが声をかける。ルーエイは娘の気分を害したかと、カターナの顔を横目で見た。

「弓の練習をしてくるわ。森の入り口あたりなら、問題ないでしょう? 湖のほとりに行くつもり」

「無理はしないでね」

「危ないと思ったら、木の上に逃げるわ。木登りが得意なの、知っているでしょう」

 明るい笑みを両親に向けて、お昼までには帰ると言いながら、カターナは部屋に戻った。

「おとうさまは、私の弓が不安だから、狩りにさそってくれないんだわ」

 長い金髪を、さっと三つ編みにしたカターナは、腰のベルトに短剣をたばさみ、革の胸当てをつけると、矢筒を背負って弓を掴んだ。

「おばあさまの若いころに、そっくりなんだもの。きっと私も、弓をうまく扱えるはずよ」

 カターナは村の大人たちから、祖母ランダが、いかにすばらしい弓師であり、魔導師であったかを、昔語りに聞かされていた。

「私だって、飛んでいる鳥を射抜くぐらい、できるようになれるんだから」

 革の脛当てをつけて手袋をはめたカターナは、忘れ物がないかを確認し、気合を入れて家を飛び出した。

「あら。おはよう、カターナ」

 玄関を出ると、ディルの母親に声をかけられた。

「おはよう、おばさま。いまから湖に行くんだけど、用事はない?」

「大丈夫よ、ありがとう。気をつけていってらっしゃい。――ああ、そうそう。後でシードケーキを焼いて、持っていくわ。お茶の時間には、戻ってくるでしょう?」

「ありがとう、おばさま。私、おばさまのシードケーキ、大好きよ」

 手を振って別れたカターナは、村の活動がはじまる気配と、生まれたての陽光を楽しみながら、森に入った。

 目覚めた草木の放つあくびのように、霧が湧き上がっている。朝日を含み反射する白い闇のまぶしさに、目を細めつつカターナが湖を目指していると、右手にうずくまる人影が見えた。

 こんなはやくに誰だろうと、疑問をうかべて近寄ったカターナは、それが同年代の魔導師、リズ・メイラとわかって声をかけた。

「おはよう、リズ」

「ひゃあっ」

 いきなり声をかけられたリズが、短い悲鳴を上げて飛び上がるように振り返る。

「ああっ。ごめん」

 カターナもおどろきながら、謝罪した。

「ああ……、カターナ」

 ホッと息をこぼしつつ、リズがほほえみを浮かべる。クセのある漆黒の髪を左右に束ね、胸に手を当てている彼女は、霧と光の照明の中で、きよらかな聖女のように見えた。ウサギのように赤い瞳とバラ色に染まった彼女の頬に、カターナは同性ながら、ドキドキした。

「とても、攻撃魔法が得意だなんて、思えないわ」

 ぽろりとこぼれたカターナの心の声に、リズがキョトンとする。

「ディルと反対だったら、ピッタリなのに」

「そ、そんなこと……、ない」

 はずかしそうにリズはうつむき、胸の前で指を組んだ。

「ディルは、とってもやさしいし……。だから、回復魔法とか、援護魔法が得意なの、すごく……、合っていると思う」

 身を縮めて目じりを赤くするリズに、カターナは頬に人差し指を当てて、うーんとうなった。

「攻撃魔法が得意なディルって、そう言われれば、ちょっと変かも」

 コクコクと首を動かしたリズは、消え入りそうな声で「だから、ディルは風とか水の魔法なんだと思う」とつぶやいた。

「でも、それならリズだって、そっちのほうが似合うじゃない。こんなにかわいくて、おとなしいんだから」

 さらりと言ったカターナに、リズは瞳がこぼれおちそうなほど、目を開いた。変なことでも言ったかなと、カターナは首をかしげる。

「か、かわいいなんて……。そんなの、ぜんぜん、ない」

「どうして? かわいいよ。このクルクルした髪だって、ふわふわでかわいいし。目も猫みたいな形で、かわいいし。物語に出てくる聖女みたいに、おしとやかだし」

 カターナがリズの髪に手を伸ばすと、リズは真っ赤になった。

「すごく女の子らしいっていうか、守ってあげたくなるっていうか。……お世話をしたくなる? なにか、手伝ってあげたくなる? うーん。なんていうか、とにかく、そんな感じで、すっごくかわいい」

「あ、ああ……。そんな、……もう、言わないで」

 両手で顔をおおってしまったリズに、かわいいなぁと思いつつ、カターナは口をつぐんで足元に視線を落とした。野草の入っている、手提げカゴが置いてある。

「野草を摘みにきたの?」

 両手で顔を隠したまま、リズはうなずいた。

「朝露がついているときに、摘んだほうがいいもの……、あるから」

「へえ。薬の材料?」

「うん。傷薬……。また、狩りに呼ばれるかもしれないから。大きな獣が出たら、ケガする人が、出るかもしれないし」

「そっか。リズは狩りに出たんだもんね。――いいなぁ。私、弓師なのに狩りの仕事を、割り振られないの。いっつもディルとふたりで、羊の番よ」

「私は、そっちのほうが、うらやましいな」

「そう?」

 顔から手を離したリズが、胸元の赤い石を握る。彼女は杖ではなく、ネックレスを魔法の道具にしていた。

「カターナは、どうして森にきたの?」

「弓の練習よ」

 言いながら矢筒を叩いたカターナは、きまり悪そうな笑みを浮かべた。

「バ・ソニュスを採りに行きたいって、志願をするつもりなんだけど、いまのままじゃ、ダメって言われちゃうもの」

「カターナは森の奥に行きたいの?」

「ええ。おばあさまは、私くらいの年には、帝都の剣師と竜に挑んだのよ。銀狼が出るくらいで、ひるんでなんていられないわ。私、おばあさまに負けないくらいの、冒険をしたいの。そのはじまりとして、バ・ソニュスを採りに行きたいのよ」

「……すごい」

「すごくなんてないわ。実際は、狩りにすら連れて行ってもらえないんだもの」

 唇をとがらせて肩をすくめたカターナは、リズに手を握られた。

「そんなことない。そうやって、おおきな目標を持って、目の前の問題から解決していこうってするの、すごいと思う。……私、言われたことしか、しないから」

 さみしげなものを口辺にただよわせるリズの手を、カターナは握り返した。

「それだって、すごいじゃない。私、言われたことも、できなかったりするのよ。狼を追い払うのだって、ディルがいなければケガをしていたところだったし。狼が大きな口を開けて、私の顔をめがけて飛んできたとき、ディルが風の魔法を使ってくれなかったら、かじられていたもの」

 リズがおそろしさに息を飲む。カターナは安堵させるために、笑みを広げた。

「だから、リズはすごいのよ」

「カターナ。薬ができたら、もらってね。羊の番だって、とても危険な仕事だわ」

 青ざめたリズに、大丈夫よとカターナは、ほがらかな声を出す。

「私はとっても、身体能力が高いんですって。ニルマに闘師になったほうがいいって、言われたもの」

「闘師だなんて……。カターナがケガをしたら、大変よ。ニルマはひどいわ。カターナは弓師として、村で認められているのに。闘師なんて、危険よ。それこそ、狼にかじられてしまうわ」

「心配してくれて、ありがとう。でもね、リズ。私はニルマの言いなりになるつもりなんて、すこしもないの。だから、弓の練習をするのよ」

「ああ、カターナ」

 リズは安堵の息に、カターナの名をのせた。

「がんばってね、カターナ。私、カターナが大好きよ。弓師になるって決めて、まっすぐにがんばっている、カターナが好き」

「ありがとう、リズ。私もリズが大好きよ。そうやって、自分のことのように、私を心配してくれる、やさしいところが本当に好き。――そうだ。ねえ、リズ。なにか他に、森で採取するものはない? 弓の練習に、目的があると助かるんだけど」

「弓の目的になるような、もの?」

「そう。高い所の木の実とか、動物とか。魔導師が使うものよ」

「それなら、トカゲを獲ってきてもらえると、うれしいかな。……毒抜きとか、いろんな薬の材料になるの」

「トカゲね。わかったわ。まかせといて」

「あの、でも……、無理はしないでね。いなかったら、べつにいいから」

「うん、わかってる。それじゃあ、リズ。気をつけてね」

「カターナこそ。気をつけて」

 リズと別れたカターナは、「トカゲかぁ」とつぶやきながら湖をめざした。


 鋭い音を立てながら中空を走った矢は、狙いよりもやはり左にそれていった。

「ああ、もう」

 カターナはいらだたしげに文句を言うと、狙われているというのに微動だにしない、トカゲをにらみつけた。

「すこしは身の危険を感じて、逃げるかなにかしてよね」

 矢筒は空になっている。カターナはやれやれと息を吐いて、見当違いの場所に飛んで行った矢を、拾いに向かった。

「左にそれはするけど、おなじ方向には飛んでいるのよね。となると、もうすこし狙いを右にすれば、トカゲに当たるかしら」

 拾った矢を点検し、もとの場所に戻れば、トカゲは変わらずそこにいた。

「私の練習相手に、なってくれるつもりなのね」

 ようし、と気合を入れて、カターナは矢をつがえた。トカゲよりも右に狙いを定めて、矢を放つ。鋭い音を立てて飛んだ矢は、トカゲの止まっている木の脇をすりぬけて行った。

「さっきより、いい感じ!」

 うれしくなって、カターナは次の矢をつがえ、さらに右に狙いを定めて、矢を放った。ヒョウッと音を立てた矢は、さきほどよりはトカゲに近づいたが、奥へと飛んで消えてしまった。

「次こそは」

 さらに右を狙ったカターナの矢は、木の幹に刺さった。

「やった! ようし」

 今後こそトカゲを射抜くぞ、と気合を入れたカターナの視界から、トカゲは慌てて身を隠す。

「ああっ。もうちょっと待っててよ」

 文句を言いながら急いで放った矢は、見当違いのところへ飛んで行った。

「もうちょっとだったのに。……でも、ちょっとは手応え、あったかも」

 いままでも、左に飛んで行くクセを直そうと、いろいろ試してきた。今日のように、標的よりも右に狙いを定めることもしてきたが、なかなかうまくいかなかった。

「今日はなんだか調子がいいわ。どのくらい右に狙いをずらせばいいか、掴めそう」

 はやく次のトカゲを見つけて、獲物からどのくらい右にずらせばいいのかを、覚えなければ。

 カターナはウキウキしながら、射た矢を拾いに向かった。
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