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室内がまだ濃い藍色に沈んでいるころ、カターナは目を覚ました。
伸びをしてベッドから出ると、窓を開いて空を見上げた。
空は生まれたての、紫がかった薄青をしている。
「いい天気になりそう」
昇りはじめた朝日のオレンジに目を細め、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだカターナは、手早く着替えを済ませた。ドアを開けると、1階からいい香りが漂ってくる。おいしそうな匂いに導かれて階段を下りると、焼きたてのパンとスープがカターナを迎えた。
「おはよう、おかあさま。おとうさま」
「おはよう、カターナ」
「おはよう」
カターナは戸棚から皿を取り出し、席に着いてテーブルの真ん中にあるカゴから、パンをふた切れ取り分けた。
「おばあさまは?」
「昨夜、星を見るために遅くまで起きていたからね。まだ眠っているだろう」
パンにチーズをはさんで、かぶりつきながら父のルーエイが答える。
「もうすぐ豊穣の祭だものね。おばあさまは星から、いつがいいと告げられたのかしら」
「さあ、いつだろうなぁ。すくなくとも、10日のうちにはおこなうだろう」
「今年は、バ・ソニュスを誰が取りに行くの?」
「そうだなぁ。ニルマやマヒワが志願をすれば、許可が出るかもしれないな」
「去年は銀狼が出て、近くまで行ったけど採れなかったのよね」
「そうだ。今年も銀狼が出るかもしれないが、ニルマやマヒワなら、行けるかもしれない」
「それと、リズもね」
母のズィーラがお茶を片手に、席に着いた。
「あの子は立派な魔導師になったわ。まだまだ、覚えることはたくさんあるでしょうけど、あの3人が組んで挑むのなら、大丈夫じゃないかしら」
おや、とルーエイが眉を上げる。
「どうして、そんなことを知っているんだ」
「村の女たちは、おしゃべりなのよ。自分の子どものこととなると、特にね」
ズィーラが楽しそうに、カターナに向けてウインクをした。茶目っ気のある母の仕草に、カターナの胸がくすぐられる。
「じゃあ、おかあさまも私のこと、お話しているの?」
「もちろんよ、カターナ。あなたは本当に美しくなったって、誰もがほめてくれるから、おかあさまは鼻が高いわ」
「美しくなんて」
カターナがはにかむと、ルーエイはほこらしげな笑みを浮かべた。
「いや。すっかり娘らしくなったよ、カターナ。ついこの間まで、オレの後ろをついてまわっていた子が、もう立派に村の仕事をこなしているんだからな」
「おとうさま」
カターナは照れくささに、肩をすくめた。
「それじゃあ、もっと自慢の娘になれるように、弓の練習をしてこなくっちゃ」
「今日は、ディルがダグィさんのところで、勉強をする日だったわね。彼がいないと、さみしいわね」
「おかあさま。私はべつに、ディルがいなくても、さみしくなんてないわ」
「あら、そう?」
「生まれた日がおなじで、家が隣だからセットにされちゃうだけで、私は私で、ディルはディルだもの」
「うーん、そうねぇ。カターナもほかにお友達がいるし、ディルだってそうでしょうし。……でも、あの女の子みたいにかわいらしかったディルが、すっかり男の子っぽくなっていて、おかあさまはビックリしたわ」
「ほとんど毎日、姿を見ているのに?」
「ええ、そうよ。しょっちゅう姿を見ているから、気づくのが遅くなるのね。昨日、おすそ分けに行ったとき、ディルがドアを開けてくれたんだけど、こんなに背が高かったかしらって、おどろいたわ」
「ディルは回復や風の魔法が、得意だそうだな」
ルーエイに問われ、カターナはうなずいた。
「だから、羊の番をしているのよ」
「あれだけの羊を、ひとりで動かせるというのは、なかなか難しいぞ。風を繊細にあやつらなければ、ならないからな」
「昨日、狼を追い払ったときに私がケガをしなかったのは、ディルのおかげなの。足元に風で足場を作ってくれたのよ。それで私は高く飛んで、狼の牙から逃げられたの」
自分のことのように、ほこらしくなってカターナは胸をそらした。
「そうか。ディルはいい魔導師になったな。今度、狩りの仕事に出してみても、いいかもしれない」
「えっ」
カターナは目を丸くした。
「おとうさま。ディルを狩りに連れていくの?」
「いますぐではないよ。ディルの魔法がどの程度か、この目で確認してからだ」
「私も行きたい」
「カターナも?」
「私だって、立派に戦えるわ。だって、狼を追い払えるんですもの。狩りでも役に立つはずよ」
「それは、どうだろうなぁ」
ルーエイの苦い笑みに、カターナは唇をとがらせた。
「ごちそうさま」
「あら。もう、いいの」
勢いよく立ち上がったカターナに、ズィーラが声をかける。ルーエイは娘の気分を害したかと、カターナの顔を横目で見た。
「弓の練習をしてくるわ。森の入り口あたりなら、問題ないでしょう? 湖のほとりに行くつもり」
「無理はしないでね」
「危ないと思ったら、木の上に逃げるわ。木登りが得意なの、知っているでしょう」
明るい笑みを両親に向けて、お昼までには帰ると言いながら、カターナは部屋に戻った。
「おとうさまは、私の弓が不安だから、狩りにさそってくれないんだわ」
長い金髪を、さっと三つ編みにしたカターナは、腰のベルトに短剣をたばさみ、革の胸当てをつけると、矢筒を背負って弓を掴んだ。
「おばあさまの若いころに、そっくりなんだもの。きっと私も、弓をうまく扱えるはずよ」
カターナは村の大人たちから、祖母ランダが、いかにすばらしい弓師であり、魔導師であったかを、昔語りに聞かされていた。
「私だって、飛んでいる鳥を射抜くぐらい、できるようになれるんだから」
革の脛当てをつけて手袋をはめたカターナは、忘れ物がないかを確認し、気合を入れて家を飛び出した。
「あら。おはよう、カターナ」
玄関を出ると、ディルの母親に声をかけられた。
「おはよう、おばさま。いまから湖に行くんだけど、用事はない?」
「大丈夫よ、ありがとう。気をつけていってらっしゃい。――ああ、そうそう。後でシードケーキを焼いて、持っていくわ。お茶の時間には、戻ってくるでしょう?」
「ありがとう、おばさま。私、おばさまのシードケーキ、大好きよ」
手を振って別れたカターナは、村の活動がはじまる気配と、生まれたての陽光を楽しみながら、森に入った。
目覚めた草木の放つあくびのように、霧が湧き上がっている。朝日を含み反射する白い闇のまぶしさに、目を細めつつカターナが湖を目指していると、右手にうずくまる人影が見えた。
こんなはやくに誰だろうと、疑問をうかべて近寄ったカターナは、それが同年代の魔導師、リズ・メイラとわかって声をかけた。
「おはよう、リズ」
「ひゃあっ」
いきなり声をかけられたリズが、短い悲鳴を上げて飛び上がるように振り返る。
「ああっ。ごめん」
カターナもおどろきながら、謝罪した。
「ああ……、カターナ」
ホッと息をこぼしつつ、リズがほほえみを浮かべる。クセのある漆黒の髪を左右に束ね、胸に手を当てている彼女は、霧と光の照明の中で、きよらかな聖女のように見えた。ウサギのように赤い瞳とバラ色に染まった彼女の頬に、カターナは同性ながら、ドキドキした。
「とても、攻撃魔法が得意だなんて、思えないわ」
ぽろりとこぼれたカターナの心の声に、リズがキョトンとする。
「ディルと反対だったら、ピッタリなのに」
「そ、そんなこと……、ない」
はずかしそうにリズはうつむき、胸の前で指を組んだ。
「ディルは、とってもやさしいし……。だから、回復魔法とか、援護魔法が得意なの、すごく……、合っていると思う」
身を縮めて目じりを赤くするリズに、カターナは頬に人差し指を当てて、うーんとうなった。
「攻撃魔法が得意なディルって、そう言われれば、ちょっと変かも」
コクコクと首を動かしたリズは、消え入りそうな声で「だから、ディルは風とか水の魔法なんだと思う」とつぶやいた。
「でも、それならリズだって、そっちのほうが似合うじゃない。こんなにかわいくて、おとなしいんだから」
さらりと言ったカターナに、リズは瞳がこぼれおちそうなほど、目を開いた。変なことでも言ったかなと、カターナは首をかしげる。
「か、かわいいなんて……。そんなの、ぜんぜん、ない」
「どうして? かわいいよ。このクルクルした髪だって、ふわふわでかわいいし。目も猫みたいな形で、かわいいし。物語に出てくる聖女みたいに、おしとやかだし」
カターナがリズの髪に手を伸ばすと、リズは真っ赤になった。
「すごく女の子らしいっていうか、守ってあげたくなるっていうか。……お世話をしたくなる? なにか、手伝ってあげたくなる? うーん。なんていうか、とにかく、そんな感じで、すっごくかわいい」
「あ、ああ……。そんな、……もう、言わないで」
両手で顔をおおってしまったリズに、かわいいなぁと思いつつ、カターナは口をつぐんで足元に視線を落とした。野草の入っている、手提げカゴが置いてある。
「野草を摘みにきたの?」
両手で顔を隠したまま、リズはうなずいた。
「朝露がついているときに、摘んだほうがいいもの……、あるから」
「へえ。薬の材料?」
「うん。傷薬……。また、狩りに呼ばれるかもしれないから。大きな獣が出たら、ケガする人が、出るかもしれないし」
「そっか。リズは狩りに出たんだもんね。――いいなぁ。私、弓師なのに狩りの仕事を、割り振られないの。いっつもディルとふたりで、羊の番よ」
「私は、そっちのほうが、うらやましいな」
「そう?」
顔から手を離したリズが、胸元の赤い石を握る。彼女は杖ではなく、ネックレスを魔法の道具にしていた。
「カターナは、どうして森にきたの?」
「弓の練習よ」
言いながら矢筒を叩いたカターナは、きまり悪そうな笑みを浮かべた。
「バ・ソニュスを採りに行きたいって、志願をするつもりなんだけど、いまのままじゃ、ダメって言われちゃうもの」
「カターナは森の奥に行きたいの?」
「ええ。おばあさまは、私くらいの年には、帝都の剣師と竜に挑んだのよ。銀狼が出るくらいで、ひるんでなんていられないわ。私、おばあさまに負けないくらいの、冒険をしたいの。そのはじまりとして、バ・ソニュスを採りに行きたいのよ」
「……すごい」
「すごくなんてないわ。実際は、狩りにすら連れて行ってもらえないんだもの」
唇をとがらせて肩をすくめたカターナは、リズに手を握られた。
「そんなことない。そうやって、おおきな目標を持って、目の前の問題から解決していこうってするの、すごいと思う。……私、言われたことしか、しないから」
さみしげなものを口辺にただよわせるリズの手を、カターナは握り返した。
「それだって、すごいじゃない。私、言われたことも、できなかったりするのよ。狼を追い払うのだって、ディルがいなければケガをしていたところだったし。狼が大きな口を開けて、私の顔をめがけて飛んできたとき、ディルが風の魔法を使ってくれなかったら、かじられていたもの」
リズがおそろしさに息を飲む。カターナは安堵させるために、笑みを広げた。
「だから、リズはすごいのよ」
「カターナ。薬ができたら、もらってね。羊の番だって、とても危険な仕事だわ」
青ざめたリズに、大丈夫よとカターナは、ほがらかな声を出す。
「私はとっても、身体能力が高いんですって。ニルマに闘師になったほうがいいって、言われたもの」
「闘師だなんて……。カターナがケガをしたら、大変よ。ニルマはひどいわ。カターナは弓師として、村で認められているのに。闘師なんて、危険よ。それこそ、狼にかじられてしまうわ」
「心配してくれて、ありがとう。でもね、リズ。私はニルマの言いなりになるつもりなんて、すこしもないの。だから、弓の練習をするのよ」
「ああ、カターナ」
リズは安堵の息に、カターナの名をのせた。
「がんばってね、カターナ。私、カターナが大好きよ。弓師になるって決めて、まっすぐにがんばっている、カターナが好き」
「ありがとう、リズ。私もリズが大好きよ。そうやって、自分のことのように、私を心配してくれる、やさしいところが本当に好き。――そうだ。ねえ、リズ。なにか他に、森で採取するものはない? 弓の練習に、目的があると助かるんだけど」
「弓の目的になるような、もの?」
「そう。高い所の木の実とか、動物とか。魔導師が使うものよ」
「それなら、トカゲを獲ってきてもらえると、うれしいかな。……毒抜きとか、いろんな薬の材料になるの」
「トカゲね。わかったわ。まかせといて」
「あの、でも……、無理はしないでね。いなかったら、べつにいいから」
「うん、わかってる。それじゃあ、リズ。気をつけてね」
「カターナこそ。気をつけて」
リズと別れたカターナは、「トカゲかぁ」とつぶやきながら湖をめざした。
鋭い音を立てながら中空を走った矢は、狙いよりもやはり左にそれていった。
「ああ、もう」
カターナはいらだたしげに文句を言うと、狙われているというのに微動だにしない、トカゲをにらみつけた。
「すこしは身の危険を感じて、逃げるかなにかしてよね」
矢筒は空になっている。カターナはやれやれと息を吐いて、見当違いの場所に飛んで行った矢を、拾いに向かった。
「左にそれはするけど、おなじ方向には飛んでいるのよね。となると、もうすこし狙いを右にすれば、トカゲに当たるかしら」
拾った矢を点検し、もとの場所に戻れば、トカゲは変わらずそこにいた。
「私の練習相手に、なってくれるつもりなのね」
ようし、と気合を入れて、カターナは矢をつがえた。トカゲよりも右に狙いを定めて、矢を放つ。鋭い音を立てて飛んだ矢は、トカゲの止まっている木の脇をすりぬけて行った。
「さっきより、いい感じ!」
うれしくなって、カターナは次の矢をつがえ、さらに右に狙いを定めて、矢を放った。ヒョウッと音を立てた矢は、さきほどよりはトカゲに近づいたが、奥へと飛んで消えてしまった。
「次こそは」
さらに右を狙ったカターナの矢は、木の幹に刺さった。
「やった! ようし」
今後こそトカゲを射抜くぞ、と気合を入れたカターナの視界から、トカゲは慌てて身を隠す。
「ああっ。もうちょっと待っててよ」
文句を言いながら急いで放った矢は、見当違いのところへ飛んで行った。
「もうちょっとだったのに。……でも、ちょっとは手応え、あったかも」
いままでも、左に飛んで行くクセを直そうと、いろいろ試してきた。今日のように、標的よりも右に狙いを定めることもしてきたが、なかなかうまくいかなかった。
「今日はなんだか調子がいいわ。どのくらい右に狙いをずらせばいいか、掴めそう」
はやく次のトカゲを見つけて、獲物からどのくらい右にずらせばいいのかを、覚えなければ。
カターナはウキウキしながら、射た矢を拾いに向かった。
伸びをしてベッドから出ると、窓を開いて空を見上げた。
空は生まれたての、紫がかった薄青をしている。
「いい天気になりそう」
昇りはじめた朝日のオレンジに目を細め、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだカターナは、手早く着替えを済ませた。ドアを開けると、1階からいい香りが漂ってくる。おいしそうな匂いに導かれて階段を下りると、焼きたてのパンとスープがカターナを迎えた。
「おはよう、おかあさま。おとうさま」
「おはよう、カターナ」
「おはよう」
カターナは戸棚から皿を取り出し、席に着いてテーブルの真ん中にあるカゴから、パンをふた切れ取り分けた。
「おばあさまは?」
「昨夜、星を見るために遅くまで起きていたからね。まだ眠っているだろう」
パンにチーズをはさんで、かぶりつきながら父のルーエイが答える。
「もうすぐ豊穣の祭だものね。おばあさまは星から、いつがいいと告げられたのかしら」
「さあ、いつだろうなぁ。すくなくとも、10日のうちにはおこなうだろう」
「今年は、バ・ソニュスを誰が取りに行くの?」
「そうだなぁ。ニルマやマヒワが志願をすれば、許可が出るかもしれないな」
「去年は銀狼が出て、近くまで行ったけど採れなかったのよね」
「そうだ。今年も銀狼が出るかもしれないが、ニルマやマヒワなら、行けるかもしれない」
「それと、リズもね」
母のズィーラがお茶を片手に、席に着いた。
「あの子は立派な魔導師になったわ。まだまだ、覚えることはたくさんあるでしょうけど、あの3人が組んで挑むのなら、大丈夫じゃないかしら」
おや、とルーエイが眉を上げる。
「どうして、そんなことを知っているんだ」
「村の女たちは、おしゃべりなのよ。自分の子どものこととなると、特にね」
ズィーラが楽しそうに、カターナに向けてウインクをした。茶目っ気のある母の仕草に、カターナの胸がくすぐられる。
「じゃあ、おかあさまも私のこと、お話しているの?」
「もちろんよ、カターナ。あなたは本当に美しくなったって、誰もがほめてくれるから、おかあさまは鼻が高いわ」
「美しくなんて」
カターナがはにかむと、ルーエイはほこらしげな笑みを浮かべた。
「いや。すっかり娘らしくなったよ、カターナ。ついこの間まで、オレの後ろをついてまわっていた子が、もう立派に村の仕事をこなしているんだからな」
「おとうさま」
カターナは照れくささに、肩をすくめた。
「それじゃあ、もっと自慢の娘になれるように、弓の練習をしてこなくっちゃ」
「今日は、ディルがダグィさんのところで、勉強をする日だったわね。彼がいないと、さみしいわね」
「おかあさま。私はべつに、ディルがいなくても、さみしくなんてないわ」
「あら、そう?」
「生まれた日がおなじで、家が隣だからセットにされちゃうだけで、私は私で、ディルはディルだもの」
「うーん、そうねぇ。カターナもほかにお友達がいるし、ディルだってそうでしょうし。……でも、あの女の子みたいにかわいらしかったディルが、すっかり男の子っぽくなっていて、おかあさまはビックリしたわ」
「ほとんど毎日、姿を見ているのに?」
「ええ、そうよ。しょっちゅう姿を見ているから、気づくのが遅くなるのね。昨日、おすそ分けに行ったとき、ディルがドアを開けてくれたんだけど、こんなに背が高かったかしらって、おどろいたわ」
「ディルは回復や風の魔法が、得意だそうだな」
ルーエイに問われ、カターナはうなずいた。
「だから、羊の番をしているのよ」
「あれだけの羊を、ひとりで動かせるというのは、なかなか難しいぞ。風を繊細にあやつらなければ、ならないからな」
「昨日、狼を追い払ったときに私がケガをしなかったのは、ディルのおかげなの。足元に風で足場を作ってくれたのよ。それで私は高く飛んで、狼の牙から逃げられたの」
自分のことのように、ほこらしくなってカターナは胸をそらした。
「そうか。ディルはいい魔導師になったな。今度、狩りの仕事に出してみても、いいかもしれない」
「えっ」
カターナは目を丸くした。
「おとうさま。ディルを狩りに連れていくの?」
「いますぐではないよ。ディルの魔法がどの程度か、この目で確認してからだ」
「私も行きたい」
「カターナも?」
「私だって、立派に戦えるわ。だって、狼を追い払えるんですもの。狩りでも役に立つはずよ」
「それは、どうだろうなぁ」
ルーエイの苦い笑みに、カターナは唇をとがらせた。
「ごちそうさま」
「あら。もう、いいの」
勢いよく立ち上がったカターナに、ズィーラが声をかける。ルーエイは娘の気分を害したかと、カターナの顔を横目で見た。
「弓の練習をしてくるわ。森の入り口あたりなら、問題ないでしょう? 湖のほとりに行くつもり」
「無理はしないでね」
「危ないと思ったら、木の上に逃げるわ。木登りが得意なの、知っているでしょう」
明るい笑みを両親に向けて、お昼までには帰ると言いながら、カターナは部屋に戻った。
「おとうさまは、私の弓が不安だから、狩りにさそってくれないんだわ」
長い金髪を、さっと三つ編みにしたカターナは、腰のベルトに短剣をたばさみ、革の胸当てをつけると、矢筒を背負って弓を掴んだ。
「おばあさまの若いころに、そっくりなんだもの。きっと私も、弓をうまく扱えるはずよ」
カターナは村の大人たちから、祖母ランダが、いかにすばらしい弓師であり、魔導師であったかを、昔語りに聞かされていた。
「私だって、飛んでいる鳥を射抜くぐらい、できるようになれるんだから」
革の脛当てをつけて手袋をはめたカターナは、忘れ物がないかを確認し、気合を入れて家を飛び出した。
「あら。おはよう、カターナ」
玄関を出ると、ディルの母親に声をかけられた。
「おはよう、おばさま。いまから湖に行くんだけど、用事はない?」
「大丈夫よ、ありがとう。気をつけていってらっしゃい。――ああ、そうそう。後でシードケーキを焼いて、持っていくわ。お茶の時間には、戻ってくるでしょう?」
「ありがとう、おばさま。私、おばさまのシードケーキ、大好きよ」
手を振って別れたカターナは、村の活動がはじまる気配と、生まれたての陽光を楽しみながら、森に入った。
目覚めた草木の放つあくびのように、霧が湧き上がっている。朝日を含み反射する白い闇のまぶしさに、目を細めつつカターナが湖を目指していると、右手にうずくまる人影が見えた。
こんなはやくに誰だろうと、疑問をうかべて近寄ったカターナは、それが同年代の魔導師、リズ・メイラとわかって声をかけた。
「おはよう、リズ」
「ひゃあっ」
いきなり声をかけられたリズが、短い悲鳴を上げて飛び上がるように振り返る。
「ああっ。ごめん」
カターナもおどろきながら、謝罪した。
「ああ……、カターナ」
ホッと息をこぼしつつ、リズがほほえみを浮かべる。クセのある漆黒の髪を左右に束ね、胸に手を当てている彼女は、霧と光の照明の中で、きよらかな聖女のように見えた。ウサギのように赤い瞳とバラ色に染まった彼女の頬に、カターナは同性ながら、ドキドキした。
「とても、攻撃魔法が得意だなんて、思えないわ」
ぽろりとこぼれたカターナの心の声に、リズがキョトンとする。
「ディルと反対だったら、ピッタリなのに」
「そ、そんなこと……、ない」
はずかしそうにリズはうつむき、胸の前で指を組んだ。
「ディルは、とってもやさしいし……。だから、回復魔法とか、援護魔法が得意なの、すごく……、合っていると思う」
身を縮めて目じりを赤くするリズに、カターナは頬に人差し指を当てて、うーんとうなった。
「攻撃魔法が得意なディルって、そう言われれば、ちょっと変かも」
コクコクと首を動かしたリズは、消え入りそうな声で「だから、ディルは風とか水の魔法なんだと思う」とつぶやいた。
「でも、それならリズだって、そっちのほうが似合うじゃない。こんなにかわいくて、おとなしいんだから」
さらりと言ったカターナに、リズは瞳がこぼれおちそうなほど、目を開いた。変なことでも言ったかなと、カターナは首をかしげる。
「か、かわいいなんて……。そんなの、ぜんぜん、ない」
「どうして? かわいいよ。このクルクルした髪だって、ふわふわでかわいいし。目も猫みたいな形で、かわいいし。物語に出てくる聖女みたいに、おしとやかだし」
カターナがリズの髪に手を伸ばすと、リズは真っ赤になった。
「すごく女の子らしいっていうか、守ってあげたくなるっていうか。……お世話をしたくなる? なにか、手伝ってあげたくなる? うーん。なんていうか、とにかく、そんな感じで、すっごくかわいい」
「あ、ああ……。そんな、……もう、言わないで」
両手で顔をおおってしまったリズに、かわいいなぁと思いつつ、カターナは口をつぐんで足元に視線を落とした。野草の入っている、手提げカゴが置いてある。
「野草を摘みにきたの?」
両手で顔を隠したまま、リズはうなずいた。
「朝露がついているときに、摘んだほうがいいもの……、あるから」
「へえ。薬の材料?」
「うん。傷薬……。また、狩りに呼ばれるかもしれないから。大きな獣が出たら、ケガする人が、出るかもしれないし」
「そっか。リズは狩りに出たんだもんね。――いいなぁ。私、弓師なのに狩りの仕事を、割り振られないの。いっつもディルとふたりで、羊の番よ」
「私は、そっちのほうが、うらやましいな」
「そう?」
顔から手を離したリズが、胸元の赤い石を握る。彼女は杖ではなく、ネックレスを魔法の道具にしていた。
「カターナは、どうして森にきたの?」
「弓の練習よ」
言いながら矢筒を叩いたカターナは、きまり悪そうな笑みを浮かべた。
「バ・ソニュスを採りに行きたいって、志願をするつもりなんだけど、いまのままじゃ、ダメって言われちゃうもの」
「カターナは森の奥に行きたいの?」
「ええ。おばあさまは、私くらいの年には、帝都の剣師と竜に挑んだのよ。銀狼が出るくらいで、ひるんでなんていられないわ。私、おばあさまに負けないくらいの、冒険をしたいの。そのはじまりとして、バ・ソニュスを採りに行きたいのよ」
「……すごい」
「すごくなんてないわ。実際は、狩りにすら連れて行ってもらえないんだもの」
唇をとがらせて肩をすくめたカターナは、リズに手を握られた。
「そんなことない。そうやって、おおきな目標を持って、目の前の問題から解決していこうってするの、すごいと思う。……私、言われたことしか、しないから」
さみしげなものを口辺にただよわせるリズの手を、カターナは握り返した。
「それだって、すごいじゃない。私、言われたことも、できなかったりするのよ。狼を追い払うのだって、ディルがいなければケガをしていたところだったし。狼が大きな口を開けて、私の顔をめがけて飛んできたとき、ディルが風の魔法を使ってくれなかったら、かじられていたもの」
リズがおそろしさに息を飲む。カターナは安堵させるために、笑みを広げた。
「だから、リズはすごいのよ」
「カターナ。薬ができたら、もらってね。羊の番だって、とても危険な仕事だわ」
青ざめたリズに、大丈夫よとカターナは、ほがらかな声を出す。
「私はとっても、身体能力が高いんですって。ニルマに闘師になったほうがいいって、言われたもの」
「闘師だなんて……。カターナがケガをしたら、大変よ。ニルマはひどいわ。カターナは弓師として、村で認められているのに。闘師なんて、危険よ。それこそ、狼にかじられてしまうわ」
「心配してくれて、ありがとう。でもね、リズ。私はニルマの言いなりになるつもりなんて、すこしもないの。だから、弓の練習をするのよ」
「ああ、カターナ」
リズは安堵の息に、カターナの名をのせた。
「がんばってね、カターナ。私、カターナが大好きよ。弓師になるって決めて、まっすぐにがんばっている、カターナが好き」
「ありがとう、リズ。私もリズが大好きよ。そうやって、自分のことのように、私を心配してくれる、やさしいところが本当に好き。――そうだ。ねえ、リズ。なにか他に、森で採取するものはない? 弓の練習に、目的があると助かるんだけど」
「弓の目的になるような、もの?」
「そう。高い所の木の実とか、動物とか。魔導師が使うものよ」
「それなら、トカゲを獲ってきてもらえると、うれしいかな。……毒抜きとか、いろんな薬の材料になるの」
「トカゲね。わかったわ。まかせといて」
「あの、でも……、無理はしないでね。いなかったら、べつにいいから」
「うん、わかってる。それじゃあ、リズ。気をつけてね」
「カターナこそ。気をつけて」
リズと別れたカターナは、「トカゲかぁ」とつぶやきながら湖をめざした。
鋭い音を立てながら中空を走った矢は、狙いよりもやはり左にそれていった。
「ああ、もう」
カターナはいらだたしげに文句を言うと、狙われているというのに微動だにしない、トカゲをにらみつけた。
「すこしは身の危険を感じて、逃げるかなにかしてよね」
矢筒は空になっている。カターナはやれやれと息を吐いて、見当違いの場所に飛んで行った矢を、拾いに向かった。
「左にそれはするけど、おなじ方向には飛んでいるのよね。となると、もうすこし狙いを右にすれば、トカゲに当たるかしら」
拾った矢を点検し、もとの場所に戻れば、トカゲは変わらずそこにいた。
「私の練習相手に、なってくれるつもりなのね」
ようし、と気合を入れて、カターナは矢をつがえた。トカゲよりも右に狙いを定めて、矢を放つ。鋭い音を立てて飛んだ矢は、トカゲの止まっている木の脇をすりぬけて行った。
「さっきより、いい感じ!」
うれしくなって、カターナは次の矢をつがえ、さらに右に狙いを定めて、矢を放った。ヒョウッと音を立てた矢は、さきほどよりはトカゲに近づいたが、奥へと飛んで消えてしまった。
「次こそは」
さらに右を狙ったカターナの矢は、木の幹に刺さった。
「やった! ようし」
今後こそトカゲを射抜くぞ、と気合を入れたカターナの視界から、トカゲは慌てて身を隠す。
「ああっ。もうちょっと待っててよ」
文句を言いながら急いで放った矢は、見当違いのところへ飛んで行った。
「もうちょっとだったのに。……でも、ちょっとは手応え、あったかも」
いままでも、左に飛んで行くクセを直そうと、いろいろ試してきた。今日のように、標的よりも右に狙いを定めることもしてきたが、なかなかうまくいかなかった。
「今日はなんだか調子がいいわ。どのくらい右に狙いをずらせばいいか、掴めそう」
はやく次のトカゲを見つけて、獲物からどのくらい右にずらせばいいのかを、覚えなければ。
カターナはウキウキしながら、射た矢を拾いに向かった。
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