なりたいものと、できることー弓師になりたいミックス・エルフー

水戸けい

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「ただいま」

 カターナが元気よくドアを開けると、そこには誰もいなかった。

「あら、カターナ。はやかったわね」

 家の裏から声が聞こえて、カターナはそちらに顔を出した。

「お客様を見つけたの。旅の剣師よ」

「あら、あらあら」

 裏庭で洗濯物を干していた、カターナの母ズィーラは、長身のアルテを見上げると、なつかしい人を受け入れるような顔をした。

「よかったわぁ、お昼ご飯を用意する前で。それだけ体が大きければ、たくさん食べるわよね。作りがいがあるわ。――カターナ。おとうさまが集会所にいるから、お客様がいらしたって伝えてきてちょうだい」

「はーい」

 返事をしながら、カターナは不安そうにアルテを見た。

「大丈夫よ、カターナ。はじめに彼を見つけたのは、あなたでしょう。おかあさまは、お茶をお出ししたら、ご飯の仕度をはじめるわ。――旅の剣師さんは、カターナが戻ってくるまで、ひとりでお茶を飲んでいただくことになるけれど、かまいません?」

「もちろんです。カターナはいちばんに、オレの話を聞きたがっていますから」

「そうよ。それがこの村の決まりですからね。お名前を教えてもらいたいわ」

「アルテです。アルテ・シク。見てのとおりの魔人で、剣師をしています」
「そう、アルテ。私はカターナの母で、ズィーラと言うの。お疲れでしょう。お茶を淹れるわ。あなたがくつろいでいる間に、お風呂の用意をするわね。旅の汚れを落とし終えるころに、お昼ご飯ができあがるわよ」

「ああ。それは、ありがたい」

 どうやらふたりが、自分の望みを砕くことはなさそうだと、カターナは胸をなでおろした。

「それじゃあ、おとうさまのところへ行ってくるわね」

 手を振って、カターナは玄関の横に弓や矢筒を置くと、村の集会所へ向かった。

 集会所には、カターナの父の他に、今日は休みの男たちが集まっている。

「おとうさま」

「おお、カターナ。どうしたんだ。弓の練習は、もういいのか」

 話し合いをしている場に、そっとカターナが顔を出して声をかけると、ルーエイは娘の来訪に顔をほころばせて、手招いた。座の誰もが、カターナを招く顔をしている。むずかしく、重要な話をしていたわけではなさそうだと、カターナは父の傍に寄った。

「森で、すてきなものを見つけたの。そうしたらおかあさまが、おとうさまに伝えてきなさいって」

「ほう」

 カターナは座の人々を見回してから、得意な顔になった。

「旅人を見つけたのよ」

 ほこらしげにカターナが言うと、明るい声があちこちで上がった。

「前に行商人が来たのは、どのくらい前だったかな」

「旅人はそれよりも前だから、本当に久しぶりだ」

 それらの声を聞きながら、カターナはますます胸をそらした。

「それで、その旅人はどうしているのかな。カターナは、旅の話を聞かせてもらったのか」

「まだよ、おとうさま。いまごろは、おかあさまにお茶を淹れてもらって、のんびりとしているはずよ」

「おかあさまは、はりきっているだろうな」

「カターナ。その旅人は、たくさん食べそうなのか」

「ええ、リシュトのおじさま。ニルマくらい背の高い剣師だから、たくさん食べると思うわ」

「それなら、もてなしのために羊を1頭、つぶすとしようか」

「いや。今日は見つけたカターナが、旅人を独占していい決まりだ。羊をつぶしてもてなすのは、明日にしよう」

「明日の日暮れから、歓迎の宴をしなければならないな」

 ワイワイと座が盛り上がる中、ルーエイが立ち上がる。

「それじゃあ、オレは旅人の寝床なんかを用意しなきゃならないから、失礼するよ」

「おう。旅人さんに、よろしく言っておいてくれ。村中で歓迎するってな」

 浮かれた声を聞きながら、カターナは父と共に集会所を出た。

「ねえ、おとうさま」

「うん?」

「アルテさんを、屋根裏の部屋に泊めてほしいの」

「そのほうが、すぐに話を聞きに行けるからだろう」

 えへへ、とカターナは肩をすくめる。

「だって、おばあさまとおなじくらい、すばらしい冒険の話を持っていそうなんだもの」

「そんなに立派な剣師なのか」

「胸当てに鉄の板がついていたの。身長だって、うんと高いし、大きな指輪も持っていたわ」

「大きな指輪?」

「緑色の、これくらい大きな石がついている指輪。それを鳥が持っていってしまって、アルテさんが取り戻そうとしているときに、出会ったの」

「そうか」

 そんな話をしているうちに、家についた。

「おとうさまを、連れてきたわ」

「おかえり、カターナ。旅人さんはいま、お風呂に入っているわ。おとうさまの着替えを、貸してさしあげて」

「背の高い人らしいが、寸足らずにならないかが心配だな」

「ああ、そうねぇ。誰かから借りてきたほうが、いいかしら」

「それがいい。――カターナ。おとうさまは、旅人さんの着替えを借りてくる。おまえは屋根裏の掃除をしておいてくれ」

「屋根裏部屋でいいのね、おとうさま」

 カターナは手のひらを打ち合わせて、よろこんだ。

「もちろんだ、カターナ。そのかわり、ひとりで準備をするんだぞ」

「大丈夫よ。掃除をして、シーツをかければいいだけでしょう」

 カターナはウキウキしながら、屋根裏部屋に急いだ。ドアを開けると、ほこりっぽい空気がよどんでいる。窓を開けると、隣の家の庭先で、ディルの母ミィリが掃除をしているのが目に入った。

「おばさま」

 窓から身を乗り出して、カターナが腕を大きく振り回すと、気づいたミィリが手を振り返す。

「もう練習を終えて、帰ってきたの? カターナ」

「旅人を見つけたの! これから屋根裏部屋を掃除するのよ」

「あらまっ! これから、おもてなしをするわけね。大変、大変。シードケーキを急いで焼くわ。昼食のデザートに間に合うようにね」

「ありがとう、おばさま」

 顔をひっこめたカターナは、室内を見回した。引き出しのついた低く広いベッドの上に、干し草をしきつめてシーツをかけるまえに、降り積もった埃を取り除かなければならない。

「よしっ」

 腕まくりをし、階段を下りる。

「掃除の前に、玄関に置きっぱなしの道具を、お部屋に持っていらっしゃい」

「はーい」

 カターナはいそいで弓と矢筒を部屋に運ぶと、身に着けていた胸当てや短剣などをすべて外して、適当に机の上に置いた。もとの場所に戻すのは後でいいと、部屋を飛び出し台所の井戸へ走ると、手桶に水をいっぱい入れて、屋根裏へ運ぶ。

「ふうっ。こういうとき、もっと背が高くて力持ちだったらって思うわ。そうしたら、モップもいっしょに持ってこられるのに」

 楽しげにぼやきつつ、カターナはまた台所に入り、裏口の隅にまとめて置いてある掃除用具を手にして、階段を駆け上がった。

「さあ、やるわよ!」

 口元を清潔な布でおおうと、はたきをかけて埃を落とし、雑巾をかける。最後にモップで床をみがけば、部屋の空気は透き通った。

「よしっ」

 満足げにうなずくと、運んだのとは逆の順でに道具を片づける。

「ずいぶんと楽しそうね、カターナ」

「おばあさま。ごめんなさい、うるさかった?」

「いいえ。はずんだ足音が音楽のようで、こちらまでウキウキしてきたわ」

 祖母ランダの瞳が、ゆかいそうにきらめく。カターナの心は、羽根でくすぐられたようになった。

「旅の剣師を見つけたの。それで、屋根裏を掃除しているのよ」

「そうだったのね。どうりで家の空気が、とってもはずんでいるんだわ。今日のお昼は、きっとごちそうになるでしょうね」

「おかあさま、すごくはりきっているわ。おとうさまは、お風呂に入っているアルテさんの着替えを、どこかに借りに行っているの。アルテさんは、とても背が高いから、おとうさまの服じゃ、裾が足りないだろうって」

「まあ、そうなの。旅の疲れを、流していただいているところなのね。いいことだわ。……ああ、カターナ」

「なあに、おばあさま」

「その方の話を、しっかりと聞いておきなさい。そして、あなたの話も聞いていただくの」

「もちろん、そうするわ。でも、どうして?」

「おばあさまは昨夜、星を見ていたのよ」

「それで朝食のときに、おばあさまがいらっしゃらないんだって聞いたわ」

 ランダはちいさくうなずいて、カターナの頬をなでた。

「星が言っていたの。すばらしい出会いがやってくるって」

「それが、アルテさんなのね」

 ランダはやわらかく、目じりのシワを深めた。

「その人はあなたに、すばらしい贈り物をくれるわよ」

「すばらしい贈り物」

 くり返したカターナは、ランダから聞く物語とおなじくらい、素敵な冒険の話だと解釈した。

「楽しみだわ」

 ニッコリとしたカターナに、ランダはうなずく。

「お部屋の準備の邪魔を、してしまったわね」

「あとはベッドの準備をすれば終わりなの。お風呂に入っているから、そんなに急がなくても大丈夫よ」

 言いながら、カターナは身をひるがえして納屋に向かった。棚に並んでいる麻袋に干し草をたっぷりと詰め込んで、屋根裏へ運ぶ。それをくり返していると、さっぱりと汚れを落としたアルテが顔を出した。

「手伝おう」

「お客様なんだから、のんびりしていて」

「自分の寝床なんだ。手伝わせてくれ」

 言いながら、アルテはてきぱきと麻袋に干し草を詰めていく。まあいいかと、カターナは手伝ってもらうことにした。

「どのくらい、麻袋を用意すればいい」

「あと7個、運ぶ予定なの」

「わかった」

 アルテは慣れた様子で干し草を詰め終えると、縄を使って3つずつ麻袋をしばり、肩にかけた。

「これでいいな」

「重くないの?」

「このくらいで根をあげていては、剣師になどなれないさ」

 それもそうかと、カターナは納得した。

「この他に、運ぶものはあるのか」

「ベッドにかけるシーツがいるわ」

「それもついでに、持って行こう」

 アルテがさっさと納屋を出て行ってしまったので、カターナは慌てて追いかけた。

「あら。寝床の準備を、自分でしてくださるの?」

 麻袋をかつぐアルテに、ズィーラが声をかける。

「泊めていただけるだけでもありがたいのに、こうして風呂や着替え、ベッドまで用意をしていただいているのですから。このくらいは、当然のことです」

「おかあさま。シーツもいっしょに運んでしまいたいの」

 追いついたカターナが言うと、ズィーラは奥に引っ込んで、清潔なシーツを手に戻ってきた。

「なにか欲しいものがあったら、遠慮なく言ってちょうだい」

「感謝します」

 アルテが受け取るのを見ながら、カターナは「こっちよ」と彼を呼んだ。

「2階は私の部屋と物置なの。屋根裏は、お客様用にいつも空けているのよ」

「リズは納屋に泊めるよう言っていたが、かまわないのか?」

「いいのよ。納屋は広いけど、家からすこし離れているから、食事の時間よって呼ぶときに、ちょっとめんどうくさいもの」

「屋根裏なら、話が聞きたくなったら、すぐに来られるしな」

「そうよ」

 階段の途中で、カターナはくるりと振り向いた。数段上にいるはずなのに、アルテと目の高さがおなじことに、面食らう。

「どうした?」

「ううん」

 あらためて彼の背の高さを認識しながら、カターナは首を振った。

「おなじ屋根の下にいたら、急に雨が降ったとしても、気にせずに話を聞いていられるわ」

「ぬかるみに足を入れなくて済むからな」

「そうよ。それに、雨音といっしょに、お話を聞くのは、とてもすてきな時間だわ」

 カターナは前を向き、階段を上りながら息を深く吸い込んだ。干し草の香りが鼻孔に満ちる。こういう香りに包まれて話を聞くのもいいけれど、雨でふくらんだ土や草の香り、雨音に包まれながら、見知らぬ世界に想いをはせるのもすばらしい。

 アルテはどんな話を持っているのだろうと、カターナは期待に胸をふくらませた。

「ここがアルテさんの部屋よ」

 ベッドの上にクッション代わりの麻袋を乗せたカターナは、アルテの麻袋の縄をともに解いた。

「すっきりとしているんだな」

「アルテさんがお風呂に入っている間に、掃除をしたの」

「それは、ありがとう」

「どういたしまして。ああ、ベッドの下に引き出しがあるわ。イスとかテーブルが欲しいなら、おとうさまに言えば物置から運んでもらえるから、遠慮なく言って」

「至れり尽くせりすぎて、おそろしいくらいだ」

「この村では、これが普通よ」

「オレの感覚では、これほどのもてなしには、2レク50ローほどの支払いが必要になる」

「2レク50ロー?!」

 カターナは、高い声を上げた。

「そんなにあったら、牛が1頭と麦をひと袋、買えてしまうわ」

「この村では、そのくらいの価値なんだろうが、よそでは違う」

 カターナはぼうぜんと、ベッドメイキングをするアルトをながめた。

「そんなに、お金持ちなのね」

「旅をするには、金がかかる。それに、その程度は金持ちじゃない」

「私、80グェーよりたくさん、お金を持ったことがないの」

 カターナはしゅんとして首を振った。1ローは100グェーで、それだけあれば行商人から、安価な髪飾りがひとつ買える。そして1レクは100ローで、一般的な短剣が買える金額だ。

「この村では、買い物をする必要がないんだろう。なにもかも、村で完結してしまうんじゃないか? だから物価がとても安い。よそでは、その金額では牛は買えない」

 カターナは首を縦に動かした。

「村中で、できる仕事を分担して、交代でしているわ。そうじゃないのは、道具師や細工師だけよ。そういう人たちは行商人に商品を売ったり、村のために道具を作ったり直したりしているの」

「その報酬は、食料?」

 カターナが軽くアゴを引くと、なるほどとアルテがうなずいた。

「基本は物々交換で成り立っているということか」

「お金はあまり必要じゃないの。他の村まで買い物に出かけることもあるけど、1年に1度あるかないかだわ。だから、宿代よりも旅の話がなによりも、うれしいのよ」

「そういう村は、ここの他にいくつか通ってきたが、ここほど手厚くもてなされたことはなかったな。せいぜい、馬小屋の隅に干し草の寝床を作ってもらえた程度だ」

「そうなの?」

「そう。ここは、親切すぎて怖くなる」

「ふうん」

 わかったような、わからないような返事をしたカターナは、ずいぶんと差があるのだなと意識に刻んだ。

「アルテさんの荷物も、運ばなくっちゃね」

「ああ、そうだ。武器も防具も、風呂場の入り口に置いてきてしまった」

「もしもこの村が、本当は怖い村だったら大変よ」

「いまごろオレの荷物は、どこかに隠されているだろうな。そしてオレを始末してから、皆で分ける」

「そうよ」

「だが、オレは素手でも負ける気がしない」

「親切なもてなしで油断をさせておいて、料理に毒を入れておけばいいんだわ」

「なるほど。おそろしいな」

「ふふ」

 カターナははずむ足取りで階段を下りた。アルテがそれに続く。1階に着いたところで、祖母のランダと出会った。

「ああ、おばあさま」

「カターナ、そちらが旅人さんね」

 ランダに柔和な目を向けられたアルテが、胸に手を当てて軽く頭を下げる。

「アルテ・シクと申します。カターナには森の中でも世話になりました。これから、豊穣の祭まで、こちらの厄介になる予定でいます」

「アルテ・シク。……そう、アルテと呼んで、さしつかえないかしら」

「もちろん」

「私はランダ・トイよ。アルテは、どちらからいらしたの?」

「西、とだけお答えいたしましょう」

「西。そう、西でしょうね」

 ふたりのやりとりに、カターナは首をかしげた。

「知り合いなの?」

「まさか」

「初対面に決まっているだろう」

 おだやかなふたりの笑みに、なにか腑に落ちないものがある。それを追求しようと、口を開きかけたカターナに、ランダが言った。

「これから、ふたりでお出かけなの?」

「いいえ、おばあさま。アルテさんの荷物を、上に運ばなきゃいけないから、降りてきたの」

「あら、そう。それじゃあ、取っていらっしゃい。おばあさまは食事の時間まで、部屋で薬の調合をしておくわ。剣師なら、いろいろな薬を旅立つ前に、手に入れておきたいでしょうから」

「それは、ありがたい。ですが、かまわないのですか」

「もちろんよ。そのかわり、いろいろとお話を聞かせてくださるわね」

「望まれるままに」

「私のかわいい孫を、よろしくね」

 約束を交わして、ランダは自室へ戻った。カターナは妙な顔をして、その背を見送りアルテを見る。
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