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空が黒に沈まないように、数多の星がまたたいている。細かな宝石を散りばめた濃紺の帳の下で、人々はゆかいに声をはずませ、大人たちはソニュスの酒を、子どもたちはソニュスのジュースを飲みながら、祝いの料理を楽しんでいた。
料理を乗せたテーブルは、広場のあちらこちらに点在している。それらの間を、子どもたちが走りまわっても、誰も叱ったりはしない。月がすっかり高い位置に昇っているのに、ベッドへ入るようにとも、言わなかった。
豊穣の祭は、誰もが夜通し起きて楽しむ。今宵は子どもたちも、いつもは見られない星空をあおぎつつ、好きなだけ遊んでもいい日だった。
広場の中央にはかがり火が燃えている。それを囲う祭壇には、女神ヴィリアスに捧げるバ・ソニュスが、村でいちばん豪奢な器に盛られて、供えられていた。
バ・ソニュスと、退治した銀狼2頭を持ち帰ったカターナたちを、村中の人々が歓声を上げて迎えた。
カターナたちは、見事やりおおせた誇らしさと、祭がはじまるまでに戻ることのできた安堵、次々に投げられる賛辞に、体の奥をムズムズとさせながら、汚れを落とし、着替えをすませて、祭に参加していた。
カターナの祖母であり、この村では神官のようなこともしているランダが、うやうやしく祭壇にバ・ソニュスを奉じ、女神ヴィリアスへの感謝と、次の年の豊作の祈りを捧げる背後で、カターナたち5人は並んで、英雄を見るような人々の視線を受けた。面映くなりつつも、自分たちは確実に成長をしたのだと実感できる儀式だった。
アルテは「やりとげたのは彼等で、オレじゃない」と、並ぶことを拒んだ。カターナたちは不満だったが、やんわりとした態度の奥に、強固な拒絶があると気づいて、重ねて誘いはしなかった。
緑のドレスに身を包んだカターナは、腹がくちくなった人々が楽器を手に演奏をはじめ、歌い、踊る姿を横目に見ながら、アルテの姿を探した。
長身のアルテなら、すぐに見つかるだろうと思っていたのに、星明かりとかがり火だけでは、隅々までが照らされず、濃い影や暗がりが人の姿を見えづらくさせていた。
アルテにあらためて、礼を述べたい。
そう思いながら、カターナは広場を歩いた。
目の端に、リズの姿が見えた。赤いドレスに身を包んだリズを、若い男たちが囲んでいる。リズは高く結い上げた髪をゆらして、困った顔で首を振っていた。踊りに誘われているのだろう。その輪に、マヒワが入っていった。彼は紫の上着に、白っぽいパンツをはいていた。彼の後ろに、女の子が数人いる。マヒワがリズの手を取って、周囲になにごとかを言い、踊りの輪に入った。残された男女が顔を見合わせ、それぞれに相手を見つけて、踊りに加わる。
カターナはほほえんだ。
「カターナ」
呼ばれ、顔を向けるとディルがいた。隣にいた女の子に断りを入れて、小走りにやってくる。
「今日は本当に、おつかれさま」
「そっちこそ。おつかれさま、リーダー」
からかいを込めてカターナが言えば、ディルが照れた。
「その呼び方は、やめてくれないか。いまはもう、リーダーじゃないよ」
「わからないわよ。また、私たちでなにか、やりとげることになるかもしれないじゃない」
「そうなったら、そうなったときに、また改めてリーダーをするよ。僕でいいって、皆が言ってくれるのならね」
「ディルの他に、まとめ役ができそうな人は、いないと思うけど?」
「……例えば、マヒワとか」
カターナは、ちらりと踊りの輪に目を向けた。ディルも視線を投げる。マヒワにリードをされながら、リズがぎこちない笑みで踊っていた。
「さっき、リズが男の子に囲まれていたの。マヒワがそれを助けて、踊りに誘ったのよ」
「マヒワは、すごく冷静に周囲を見られるし、発言に重みがあるっていうか、説得力があるっていうか。……僕よりも、リーダーに向いている気がするな」
「でも、そのマヒワが、ディルをリーダーに推したんじゃない」
「そうだったっけ」
「そうよ。だからニルマが納得をして、そういうことに決まったのよ」
「……今朝のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じるなぁ」
しみじみとしたディルの声に、「そうね」とカターナも感慨にふける。
「夢を見ていたんじゃないかって思うわ」
「でも、証拠がそこにあるよ」
ディルが祭壇を示す。炎に照らされたバ・ソニュスが5房、間違いなく供えられている。
「僕たちが採ったものだ」
カターナはうなずいた。形容しがたいものが、体の芯からにじみ出てくる。これをどう表現すればいいのかと考え、形のないものを、無理に言葉で縛らなくてもいいのだと思い直した。
大好きな祖母ランダが、そのようなことを言っていた。形がないままのほうが、言葉にするよりも、よくわかる場合があると。
カターナは湧き上がってきたものを噛みしめ、瞳に乗せてディルを見た。カターナの青い瞳に、灰色のきらめきが散りばめられる。ディルは柔和に目を細め、深く静かにうなずいた。
「やりとげたんだ。僕たちは」
「無理だって、言われたのにね」
「誰もケガをせずに、戻ってこられた」
「皆のおかげよ」
「本当に、そうだよね。僕たち5人だから、できたんだ」
「……それも、アルテさんが稽古をつけてくれたからだわ」
しみじみとつぶやいたカターナは、目を伏せた。カターナの頬に、ディルの視線が触れる。
「ねえ、カターナ。僕たちもあっちで踊――」
「よう、カターナ。ディル」
大きな声に、ディルの言葉が遮られた。
「ああ、ニルマ」
ディルは苦い顔になった。
「どうした?」
「なんでもないよ」
「そうか」
ニルマは肩越しに振り向いて、片手を上げた。女の子がうれしそうに、短く黄色い悲鳴を上げる。
「人気者だね」
「自分だって、そうだろうが」
「僕は、そんな……」
ディルが謙遜ではなく、首を振る。
「ニルマほど、活躍をしたわけじゃないしね」
その発言に、カターナが目をまたたかせた。
「ディルがまとめてくれなければ、うまくいかなかった場面もあったでしょう? 立派に活躍しているわよ」
「なんたって、リーダーだからな」
ニヤリとして、ニルマがディルの肩に腕を乗せた。
「……リーダーって」
「本当のことだろう? リーダー。オレは、はっきり言って、おまえのことを見くびっていた」
「改めて言わなくても、態度に出てたわよ」
カターナが意地悪く言う。
「そうか? まあ、オレは正直だからな」
豪快に笑うニルマに、カターナもディルも好意的なあきれを浮かべた。
「けど、マヒワの言ったとおりだ。ディルがリーダーをやっていなかったら、うまいこと連携が取れなかったんじゃないかって思う。だから、おつかれさん」
「うわわっ」
乱暴に髪をかきまわされて、ディルはニルマから逃れようと身をよじった。わははとニルマが楽しそうに、ディルの肩をしっかりと掴む。
「これから、狩りの仕事もいっしょにするかもしれないからな。よろしくたのむぜ」
「え?」
「だって、そうだろう。オレたちは、銀狼を倒したんだぞ。だったら、狩りなんて簡単だろう。あの森には、銀狼よりも恐ろしい獣なんざ、いないんだからな」
「……そっか。そうよね。じゃあ、私もそうなるのかな」
「なるだろうぜ。銀狼の1匹はカターナの矢で、仕留めたんだからな」
「あれは、リズがいてくれたからできたことよ。もしもリズが影の鎧の魔法をかけてくれていなかったら、あんなに大胆なこと、できなかっただろうし。それに、矢を射たあと後も、銀狼は私を噛もうとしていたの。リズが炎の魔法をぶつけてくれなかったら、どうなっていたか、わからないわ」
「そんなことに、なっていたのかよ。オレは、もう1匹を気にしていたから、わかんなかったぜ。矢が飛んだのを見て、そっちは終わったって思ったからよ。リズの炎はダメ押しじゃなかったのか」
「皆、必死だったしね。私もあのときは、ニルマのほうが、どうなっているのか、気にする余裕、なかったわ」
「けど、その後すぐに、もう1匹を弓で殴ってたろ」
「このままずっと、にらみ合っていたら、夕方までに帰れなくなるかもしれないって、思ったの。それで矢を射ようとしたら、飛びかかられたのよ」
「もっかい、口の中に弓を突っ込んで、撃ってやればよかったんじゃないか」
「けっこう怖かったのよ、最初の。夢中だったからできたけど。それに……」
カターナは視線を足元に落とし、くやしそうに笑った。
「牙でガタガタにされちゃっていたから。次にやったら、噛み砕かれそうだったし」
「じゃあ、あの弓は壊れたのか」
カターナは唇を噛んで、目を伏せた。
「修理に出しているよ。……新しく作らなきゃいけないかもって、言われたけどね」
カターナの代わりに、ディルが答える。
「もっと頑丈な素材だったら、銀狼の牙にも耐えられたらしいわ」
「ふうん? まあでも、銀狼なんて、しょっちゅう出てくるわけじゃないしな。口ん中に弓を突っ込むなんて、もっと確立が低いだろうから、並の素材でも大丈夫だろ」
「そうだけど……。はじめて、自分にあった弓を手に入れたのに、それをこんなにはやく、ダメにしちゃうなんて。なんだか、くやしいじゃない」
「けど、そのおかげで目的が達成できただろ。道具に礼を言っておきゃあいいんじゃないか」
カターナは目を丸くして、ニルマを見た。ニルマが不思議そうな顔で、頬をかく。
「オレは、この体だろう? はじめて手にした剣も鎧も、あっという間に体にあわなくなっちまった。ようやっとあうものを手に入れたと思ったら、オレの動きや力に、ついてこられなかったものもある。そんなのにしがみついていたら、上を目指せないからな。自分がどのくらいやれるのかとか、そういうことを教えてもらったって思って、ありがとよって言えばいいだろう」
「ニルマは、いつもそんなふうに、道具に感謝をしているの?」
「なんか、ちょっと意外だな」
カターナとディルの感想に、ニルマが決まり悪そうに唇をゆがめた。
「親父が言っていたんだよ。教わったことを、ありがたがればいいってな」
「……それ、ちょっとわかるかもしれない」
ディルが自分の手のひらを見る。
「剣師になろうって決めて、いっぱい練習をして。でも、向いていないって。魔力があるから、そっちの道に進んだほうがいいって言われて。――剣を手放すときに、すごく悩んだんだ。魔導師になることは、迷わなかったのに。そうしたらダグィさんが、剣の練習をしたことは、これから魔法を覚えるときに、かならず役に立つ。無駄にならないと思って、感謝をして前に進めばいいって言ったんだ。ニルマの父さんと、すこし似てるね」
「大人は、だいたい似たようなことを言うもんだからな」
フンとニルマが鼻を鳴らす。
「ためらうということは、思い入れがあるからだ。その気持ちを抱えたまま、魔導師になれって言われたよ」
「どうして?」
「覚えたことを、無駄にしないためだって」
カターナはその意味を、すこし考えてみた。
「剣師の練習が、魔導師になるために使えるってこと?」
「まあ、そう……かな。ぜんぜん関係のないことのようでも、思いがけないところで、その経験が役に立つこともあるって。そう、言われた。だから、次に進むために、道具に感謝して、手放せばいいって」
「オレの親父の言ったことと、ちょっと違うがまあ、そういうことだ。カターナ」
カターナはふたりの顔を見比べた。どちらも、たかが道具と軽んじず、真剣になぐさめようとしてくれている。カターナの心が温かくふくらんだ。
「ありがとう、ふたりとも」
カターナの脳裏に、傷だらけの十字弓と、愛用してきた弓の姿が浮かぶ。
「そうするわ。もっともっと、立派な弓師になるために、別の道具を手にしなきゃいけないことが、これからきっとあるものね」
「そういうことだ。大事にするのもいいが、それに縛られて、先に進めなくなるのは、問題だからな」
うなずいたカターナに、ニルマが手のひらを出す。
「なあに?」
「踊るぞ」
「え」
「ニルマとリズも、踊ってんだろ? オレ等も行こうぜ」
先を越されたディルが、顔を硬くしてカターナの返事を待つ。カターナはニルマの手のひらを見つめ、顔を上げてニッコリとした。
「ごめんね、ニルマ」
「え」
「用事があるの」
「用事って?」
ホッとしたディルの質問に、「ちょっとね」と答えて、カターナはドレスの裾をひるがえし、かろやかに彼等から離れた。
アルテを探していると、言ってもさしつかえはなかった。しかしなぜか、それを秘密にしておきたい気持ちが、カターナの内側に座っている。自分でもよくわからないままに、カターナはふたりから離れ、アルテを探した。
「いた」
かがり火の灯りが届かない、広場のそばにある集会所の壁にもたれかかっていたアルテに、カターナは駆け寄った。
「アルテさん」
「なんだ。どうした」
「なんだとは、ごあいさつね。アルテさんを、探していたのよ」
「踊りの相手なら、別のヤツを誘ってくれ。――ディルなんかが、いいんじゃないか」
「どうしてそこで、ディルが出てくるの?」
「さあな」
ニヤリと片頬を持ち上げて、アルテはジョッキに口をつけた。自分も飲み物を持ってくればよかったと、カターナはテーブルに目を向ける。
「なにか、食べ物を持ってくるわ。なにが食べたい?」
「もう、じゅうぶんだ」
「そう」
カターナはアルテに並んで、壁に背を預けた。かがり火を中心に、人々が笑い、歌い、踊っている。目の前の光景なのに、遠く現実味のないものに見えるのは、なぜだろう。
カターナは、心地よいさみしさがあることを知った。かがり火の灯りが届く範囲とは、違う空間。その静けさがもたらす、孤独に似たものに包まれるここは、自分自身の輪郭が、ひどくクッキリと感じられる。
アルテもそんな気分を味わっていたのだろうかと、カターナは彼を見た。アルテはまっすぐに、どこかぼんやりとした目で、にぎわいをながめている。
「ずっと、ここにいたの?」
「ああ」
「どうして」
「オレは、よそ者だからな」
「豊穣の祭に参加したいから、宿を探していたんじゃないの? 言っていたでしょう。豊穣の祭まで、滞在できる宿がほしいって」
アルテは薄い笑みを浮かべて、祭壇に視線を向けたまま答えた。
「参加しているだろう。こうやって」
「ここは、なんだか部外者の気分になるわ」
「なら、カターナはあちらに戻ればいい。バ・ソニュスを採ってきた、祭の立役者だろう」
「私の力だけじゃないわ」
「だから、皆で集まって、称えてもらえばいい」
「ほめてもらいたくって、行ったわけじゃないわ。私は冒険がしたかったの。その目的として、バ・ソニュスの採取っていうのは、とても身近で大きなものだっただけよ」
「いきなり竜退治になんて、行けないからな」
「そうよ」
「だが、弓師として、本当の意味で認められたいという思いは、あったんじゃないか」
カターナは口をつぐんだ。アルテはチラリとカターナを見て、深い息を吐くと、だしぬけに言った。
「日が昇るころに、出立する」
「……え?」
カターナとアルテの視線がぶつかる。
「そう言っていただろう?」
「けど、そんなにはやく行くなんて……」
「別れの会でも、開くつもりでいたのか」
からかいの口調に、カターナはムッとした。
「せめて、きちんと皆に挨拶をしてほしいわ」
「もう済ませてある」
「えっ」
「知らないのは、君たち5人だけだ」
「私たちが着替えている間に、村の人たちに挨拶をしたのね」
「そうだ。銀狼の処理も終わったからな。いつでも出発可能だ」
「……どうして、私たちには挨拶をしてくれないの」
「とっくに、しているだろう」
「してないわ」
「祭が終わったらいなくなると、何度も言っていたと思うがな」
「それは、挨拶とは言わないわ」
「なら、カターナ」
アルテが肩で壁を蹴り、まっすぐカターナに向き合った。
「世話になった。短かったが貴重な体験もできたし、いい時間を過ごさせてもらった」
右手を差し出され、カターナはとまどった。
「どうした。挨拶をされたかったんだろう? ほら」
「……なんだか、永遠にお別れみたいな感じがして、イヤだわ」
「わがままだな」
「だって――」
カターナが拗ねると、握手のために差し出されたアルテの手は、カターナの頭に移動した。軽く叩かれ、気恥ずかしくなる。
「挨拶がないほうが、よかったか」
「わからないわ」
カターナは物憂げにつぶやき、空を見上げた。
「冒険は、星の数ほどある」
「ん?」
「ずっと前に泊まった人が、言っていたの。冒険がしたいって言ったら、星の数ほどあるから、イヤでもすることになるって」
「星の数ほど、か。――まあ、そうだな。生きていることがすでに冒険だと、カターナは前に言っていたな」
「ええ。おばあさまに、冒険は星の数ほどあるって本当か? って聞いたら、そう答えられたの。だから私、なんでも冒険だって、考えるようになったのよ」
でも、とカターナは腰を下ろした。立っていても座っていても、星との距離はすこしも変わらない。
「本当の冒険は、今日がはじめてだったわ」
アルテも、カターナの隣に座った。
「仲間との冒険っていうの? 自分ひとりの冒険じゃなくって、物語みたいな冒険。1日で終わっちゃった、短い冒険だったけど。でも、たしかに、紛れもなく本物の、誰が聞いたって冒険だとわかる、冒険だったわ」
カターナの声が興奮を帯びる。
「それで? はじめての冒険は、どうだった」
「最高よ。ものすごくドキドキしたし、ワクワクしたし……。いまでも奮えるくらい、すばらしかったわ」
アルテはほほえましく、目を細めた。
「でも、そう思えるのは、皆がいたからよ。私ひとりじゃ、たどり着くこともできなかったわ。――それに」
カターナは膝を抱えて、モジモジと言いよどんだ。
「それに?」
「……アルテさんがいなかったら、許可すらもされなかったと思うの」
カターナは下唇を噛んで、恥ずかしそうにアルテを見た。
「笑わないって、約束をしてくれる?」
「聞いてみないことには、わからないな」
「口先だけでもいいから、約束するって言って」
「……わかった。約束する」
安堵の息を吐いて、カターナはなつかしそうに目を細めた。
「私ね、不思議なものって、あると信じているの」
アルテの顔に疑問が浮かぶ。
「豊穣の祭をしていても、女神ヴィリアスを信じていない人も、いるのよ」
「ああ。まあ、そうだろうな。現実主義者、というのか。不可思議な現象を信用しない連中はいる」
「アルテさんは、どっち?」
「さあ、どうだろうな」
カターナは答えを探して、アルテの顔をじっと見つめた。アルテは静かに、言葉の続きを待っている。
「おばあさまの星読みは、現実的なものだって言っている人がいるわ。周期がどうのこうのって。――でも私は、星が語りかけてくるものだって信じてる」
「……それで? 君は、語りかけられたのか」
カターナは首を振った。
「私じゃなくて、おばあさまが聞いたのよ。私に、すばらしい出会いがやってくるって。その人はすばらしい贈り物をくれるわよって、おばあさまはおっしゃったわ」
「それがオレだと、言いたいのか」
「そう。だって私、おばあさまに、アルテさんのことねって聞いたら、おばあさまは笑ったもの」
「すばらしい贈り物か。そんなものを、提供した覚えはないがな」
「されたわ。アルテさんは、私のために十字弓を注文してくれたし、使い方も教えてくれた。皆でバ・ソニュスの採取に行けるように、頼んでくれたし、稽古もつけてくれたでしょう? そのおかげで、私は弓師としての自信と、すてきな仲間との冒険を手にすることができたんだもの。これ以上ないくらい、すばらしい贈り物だわ」
「そうか。それはよかった」
「……だからね、アルテさん」
カターナは照れながら立ち上がり、頭を下げた。
「ありがとう」
「礼を言われるようなことを、したつもりはないがな」
「つもりはなくても、してくれたのよ。さっき、言ったでしょう? アルテさんは、私の夢を叶えてくれたのよ」
「そうか」
「そうよ。それに、まだこれから。もっと先も目指せるって希望も、持たせてくれた。だから、お礼をいくら言っても、足りないくらいなの」
言い終わり、満足そうに座りなおしたカターナは、「言えてよかった」と空に向かってつぶやいた。
「そのために、オレを探していたのか」
「そうよ。だって、ちゃんと伝えないと、わからないでしょう? 私がどれくらい、感謝しているか」
カターナの空色の瞳に灰色の輝きが、いたずらっぽくまたたいている。アルテはしばらく考えてから、カターナと出会うきっかけとなった指輪を外し、手のひらに乗せた。
「カターナ。オレは、神秘的なものを信じるものも、信じないものも、否定するつもりはない。……どうでもいいと、思っている」
カターナはアルテの手の上にある、指輪に視線を落とした。アルテはそれをつまんで、祭の様子を透かし見る。
「だが、今回のことは、なんらかの見えない力が、働いた気がしている」
「どうして?」
アルテはほほえみ、カターナの手を取って指輪を乗せた。
「君にあげよう」
「えっ」
「オレはこの指輪に導かれて、君と出会ったんじゃないかと思っているんだ」
「どういうこと? この指輪、大切なものなんじゃないの」
「ああ、大切なものだ。だからこそ、君に渡す」
カターナの胸が熱く絞られ、震えた。
「それって、どういう――」
声が掠れる。アルテは秘密めいた笑みを浮かべて、立ち上がった。
「その指輪の石は、もともとはランダさんのものなんだ」
「おばあさまの?」
「そう。君の、おばあさまのものだった」
「どうしてそれを、アルテさんが持っているの」
カターナも立ち上がる。
「竜退治の話を、ランダさんから聞いていたんだろう」
「ええ。ちいさなころから、繰り返し聞いているわ」
「ランダさんと共に戦った、剣師の名前は、聞いたことがあるか」
カターナは首を振る。アルテが身をかがめて、カターナの耳に唇を寄せた。
「アナム。――アナム・シン。オレの祖父だ」
カターナが息を呑む。アルテはいたずらっぽく笑って、軽く手を振り、祭の輪の中へ入っていった。
呼び止める余裕もないほど、おどろいたカターナは、手の中の指輪をながめ、つぶやく。
「アルテさんのおじいさまが、おばあさまの初恋の人……」
カターナの頭の中で、竜退治の物語と祖母ランダの笑顔、アルテと自分の出会いから今日までの出来事が、浮かんではじける。
「――すごいわ」
感動にほほえみながら、指輪を握り胸に押し当てるカターナを、ディルが不安そうに、眉をひそめて見守っていた。
料理を乗せたテーブルは、広場のあちらこちらに点在している。それらの間を、子どもたちが走りまわっても、誰も叱ったりはしない。月がすっかり高い位置に昇っているのに、ベッドへ入るようにとも、言わなかった。
豊穣の祭は、誰もが夜通し起きて楽しむ。今宵は子どもたちも、いつもは見られない星空をあおぎつつ、好きなだけ遊んでもいい日だった。
広場の中央にはかがり火が燃えている。それを囲う祭壇には、女神ヴィリアスに捧げるバ・ソニュスが、村でいちばん豪奢な器に盛られて、供えられていた。
バ・ソニュスと、退治した銀狼2頭を持ち帰ったカターナたちを、村中の人々が歓声を上げて迎えた。
カターナたちは、見事やりおおせた誇らしさと、祭がはじまるまでに戻ることのできた安堵、次々に投げられる賛辞に、体の奥をムズムズとさせながら、汚れを落とし、着替えをすませて、祭に参加していた。
カターナの祖母であり、この村では神官のようなこともしているランダが、うやうやしく祭壇にバ・ソニュスを奉じ、女神ヴィリアスへの感謝と、次の年の豊作の祈りを捧げる背後で、カターナたち5人は並んで、英雄を見るような人々の視線を受けた。面映くなりつつも、自分たちは確実に成長をしたのだと実感できる儀式だった。
アルテは「やりとげたのは彼等で、オレじゃない」と、並ぶことを拒んだ。カターナたちは不満だったが、やんわりとした態度の奥に、強固な拒絶があると気づいて、重ねて誘いはしなかった。
緑のドレスに身を包んだカターナは、腹がくちくなった人々が楽器を手に演奏をはじめ、歌い、踊る姿を横目に見ながら、アルテの姿を探した。
長身のアルテなら、すぐに見つかるだろうと思っていたのに、星明かりとかがり火だけでは、隅々までが照らされず、濃い影や暗がりが人の姿を見えづらくさせていた。
アルテにあらためて、礼を述べたい。
そう思いながら、カターナは広場を歩いた。
目の端に、リズの姿が見えた。赤いドレスに身を包んだリズを、若い男たちが囲んでいる。リズは高く結い上げた髪をゆらして、困った顔で首を振っていた。踊りに誘われているのだろう。その輪に、マヒワが入っていった。彼は紫の上着に、白っぽいパンツをはいていた。彼の後ろに、女の子が数人いる。マヒワがリズの手を取って、周囲になにごとかを言い、踊りの輪に入った。残された男女が顔を見合わせ、それぞれに相手を見つけて、踊りに加わる。
カターナはほほえんだ。
「カターナ」
呼ばれ、顔を向けるとディルがいた。隣にいた女の子に断りを入れて、小走りにやってくる。
「今日は本当に、おつかれさま」
「そっちこそ。おつかれさま、リーダー」
からかいを込めてカターナが言えば、ディルが照れた。
「その呼び方は、やめてくれないか。いまはもう、リーダーじゃないよ」
「わからないわよ。また、私たちでなにか、やりとげることになるかもしれないじゃない」
「そうなったら、そうなったときに、また改めてリーダーをするよ。僕でいいって、皆が言ってくれるのならね」
「ディルの他に、まとめ役ができそうな人は、いないと思うけど?」
「……例えば、マヒワとか」
カターナは、ちらりと踊りの輪に目を向けた。ディルも視線を投げる。マヒワにリードをされながら、リズがぎこちない笑みで踊っていた。
「さっき、リズが男の子に囲まれていたの。マヒワがそれを助けて、踊りに誘ったのよ」
「マヒワは、すごく冷静に周囲を見られるし、発言に重みがあるっていうか、説得力があるっていうか。……僕よりも、リーダーに向いている気がするな」
「でも、そのマヒワが、ディルをリーダーに推したんじゃない」
「そうだったっけ」
「そうよ。だからニルマが納得をして、そういうことに決まったのよ」
「……今朝のことなのに、ずいぶん昔のことのように感じるなぁ」
しみじみとしたディルの声に、「そうね」とカターナも感慨にふける。
「夢を見ていたんじゃないかって思うわ」
「でも、証拠がそこにあるよ」
ディルが祭壇を示す。炎に照らされたバ・ソニュスが5房、間違いなく供えられている。
「僕たちが採ったものだ」
カターナはうなずいた。形容しがたいものが、体の芯からにじみ出てくる。これをどう表現すればいいのかと考え、形のないものを、無理に言葉で縛らなくてもいいのだと思い直した。
大好きな祖母ランダが、そのようなことを言っていた。形がないままのほうが、言葉にするよりも、よくわかる場合があると。
カターナは湧き上がってきたものを噛みしめ、瞳に乗せてディルを見た。カターナの青い瞳に、灰色のきらめきが散りばめられる。ディルは柔和に目を細め、深く静かにうなずいた。
「やりとげたんだ。僕たちは」
「無理だって、言われたのにね」
「誰もケガをせずに、戻ってこられた」
「皆のおかげよ」
「本当に、そうだよね。僕たち5人だから、できたんだ」
「……それも、アルテさんが稽古をつけてくれたからだわ」
しみじみとつぶやいたカターナは、目を伏せた。カターナの頬に、ディルの視線が触れる。
「ねえ、カターナ。僕たちもあっちで踊――」
「よう、カターナ。ディル」
大きな声に、ディルの言葉が遮られた。
「ああ、ニルマ」
ディルは苦い顔になった。
「どうした?」
「なんでもないよ」
「そうか」
ニルマは肩越しに振り向いて、片手を上げた。女の子がうれしそうに、短く黄色い悲鳴を上げる。
「人気者だね」
「自分だって、そうだろうが」
「僕は、そんな……」
ディルが謙遜ではなく、首を振る。
「ニルマほど、活躍をしたわけじゃないしね」
その発言に、カターナが目をまたたかせた。
「ディルがまとめてくれなければ、うまくいかなかった場面もあったでしょう? 立派に活躍しているわよ」
「なんたって、リーダーだからな」
ニヤリとして、ニルマがディルの肩に腕を乗せた。
「……リーダーって」
「本当のことだろう? リーダー。オレは、はっきり言って、おまえのことを見くびっていた」
「改めて言わなくても、態度に出てたわよ」
カターナが意地悪く言う。
「そうか? まあ、オレは正直だからな」
豪快に笑うニルマに、カターナもディルも好意的なあきれを浮かべた。
「けど、マヒワの言ったとおりだ。ディルがリーダーをやっていなかったら、うまいこと連携が取れなかったんじゃないかって思う。だから、おつかれさん」
「うわわっ」
乱暴に髪をかきまわされて、ディルはニルマから逃れようと身をよじった。わははとニルマが楽しそうに、ディルの肩をしっかりと掴む。
「これから、狩りの仕事もいっしょにするかもしれないからな。よろしくたのむぜ」
「え?」
「だって、そうだろう。オレたちは、銀狼を倒したんだぞ。だったら、狩りなんて簡単だろう。あの森には、銀狼よりも恐ろしい獣なんざ、いないんだからな」
「……そっか。そうよね。じゃあ、私もそうなるのかな」
「なるだろうぜ。銀狼の1匹はカターナの矢で、仕留めたんだからな」
「あれは、リズがいてくれたからできたことよ。もしもリズが影の鎧の魔法をかけてくれていなかったら、あんなに大胆なこと、できなかっただろうし。それに、矢を射たあと後も、銀狼は私を噛もうとしていたの。リズが炎の魔法をぶつけてくれなかったら、どうなっていたか、わからないわ」
「そんなことに、なっていたのかよ。オレは、もう1匹を気にしていたから、わかんなかったぜ。矢が飛んだのを見て、そっちは終わったって思ったからよ。リズの炎はダメ押しじゃなかったのか」
「皆、必死だったしね。私もあのときは、ニルマのほうが、どうなっているのか、気にする余裕、なかったわ」
「けど、その後すぐに、もう1匹を弓で殴ってたろ」
「このままずっと、にらみ合っていたら、夕方までに帰れなくなるかもしれないって、思ったの。それで矢を射ようとしたら、飛びかかられたのよ」
「もっかい、口の中に弓を突っ込んで、撃ってやればよかったんじゃないか」
「けっこう怖かったのよ、最初の。夢中だったからできたけど。それに……」
カターナは視線を足元に落とし、くやしそうに笑った。
「牙でガタガタにされちゃっていたから。次にやったら、噛み砕かれそうだったし」
「じゃあ、あの弓は壊れたのか」
カターナは唇を噛んで、目を伏せた。
「修理に出しているよ。……新しく作らなきゃいけないかもって、言われたけどね」
カターナの代わりに、ディルが答える。
「もっと頑丈な素材だったら、銀狼の牙にも耐えられたらしいわ」
「ふうん? まあでも、銀狼なんて、しょっちゅう出てくるわけじゃないしな。口ん中に弓を突っ込むなんて、もっと確立が低いだろうから、並の素材でも大丈夫だろ」
「そうだけど……。はじめて、自分にあった弓を手に入れたのに、それをこんなにはやく、ダメにしちゃうなんて。なんだか、くやしいじゃない」
「けど、そのおかげで目的が達成できただろ。道具に礼を言っておきゃあいいんじゃないか」
カターナは目を丸くして、ニルマを見た。ニルマが不思議そうな顔で、頬をかく。
「オレは、この体だろう? はじめて手にした剣も鎧も、あっという間に体にあわなくなっちまった。ようやっとあうものを手に入れたと思ったら、オレの動きや力に、ついてこられなかったものもある。そんなのにしがみついていたら、上を目指せないからな。自分がどのくらいやれるのかとか、そういうことを教えてもらったって思って、ありがとよって言えばいいだろう」
「ニルマは、いつもそんなふうに、道具に感謝をしているの?」
「なんか、ちょっと意外だな」
カターナとディルの感想に、ニルマが決まり悪そうに唇をゆがめた。
「親父が言っていたんだよ。教わったことを、ありがたがればいいってな」
「……それ、ちょっとわかるかもしれない」
ディルが自分の手のひらを見る。
「剣師になろうって決めて、いっぱい練習をして。でも、向いていないって。魔力があるから、そっちの道に進んだほうがいいって言われて。――剣を手放すときに、すごく悩んだんだ。魔導師になることは、迷わなかったのに。そうしたらダグィさんが、剣の練習をしたことは、これから魔法を覚えるときに、かならず役に立つ。無駄にならないと思って、感謝をして前に進めばいいって言ったんだ。ニルマの父さんと、すこし似てるね」
「大人は、だいたい似たようなことを言うもんだからな」
フンとニルマが鼻を鳴らす。
「ためらうということは、思い入れがあるからだ。その気持ちを抱えたまま、魔導師になれって言われたよ」
「どうして?」
「覚えたことを、無駄にしないためだって」
カターナはその意味を、すこし考えてみた。
「剣師の練習が、魔導師になるために使えるってこと?」
「まあ、そう……かな。ぜんぜん関係のないことのようでも、思いがけないところで、その経験が役に立つこともあるって。そう、言われた。だから、次に進むために、道具に感謝して、手放せばいいって」
「オレの親父の言ったことと、ちょっと違うがまあ、そういうことだ。カターナ」
カターナはふたりの顔を見比べた。どちらも、たかが道具と軽んじず、真剣になぐさめようとしてくれている。カターナの心が温かくふくらんだ。
「ありがとう、ふたりとも」
カターナの脳裏に、傷だらけの十字弓と、愛用してきた弓の姿が浮かぶ。
「そうするわ。もっともっと、立派な弓師になるために、別の道具を手にしなきゃいけないことが、これからきっとあるものね」
「そういうことだ。大事にするのもいいが、それに縛られて、先に進めなくなるのは、問題だからな」
うなずいたカターナに、ニルマが手のひらを出す。
「なあに?」
「踊るぞ」
「え」
「ニルマとリズも、踊ってんだろ? オレ等も行こうぜ」
先を越されたディルが、顔を硬くしてカターナの返事を待つ。カターナはニルマの手のひらを見つめ、顔を上げてニッコリとした。
「ごめんね、ニルマ」
「え」
「用事があるの」
「用事って?」
ホッとしたディルの質問に、「ちょっとね」と答えて、カターナはドレスの裾をひるがえし、かろやかに彼等から離れた。
アルテを探していると、言ってもさしつかえはなかった。しかしなぜか、それを秘密にしておきたい気持ちが、カターナの内側に座っている。自分でもよくわからないままに、カターナはふたりから離れ、アルテを探した。
「いた」
かがり火の灯りが届かない、広場のそばにある集会所の壁にもたれかかっていたアルテに、カターナは駆け寄った。
「アルテさん」
「なんだ。どうした」
「なんだとは、ごあいさつね。アルテさんを、探していたのよ」
「踊りの相手なら、別のヤツを誘ってくれ。――ディルなんかが、いいんじゃないか」
「どうしてそこで、ディルが出てくるの?」
「さあな」
ニヤリと片頬を持ち上げて、アルテはジョッキに口をつけた。自分も飲み物を持ってくればよかったと、カターナはテーブルに目を向ける。
「なにか、食べ物を持ってくるわ。なにが食べたい?」
「もう、じゅうぶんだ」
「そう」
カターナはアルテに並んで、壁に背を預けた。かがり火を中心に、人々が笑い、歌い、踊っている。目の前の光景なのに、遠く現実味のないものに見えるのは、なぜだろう。
カターナは、心地よいさみしさがあることを知った。かがり火の灯りが届く範囲とは、違う空間。その静けさがもたらす、孤独に似たものに包まれるここは、自分自身の輪郭が、ひどくクッキリと感じられる。
アルテもそんな気分を味わっていたのだろうかと、カターナは彼を見た。アルテはまっすぐに、どこかぼんやりとした目で、にぎわいをながめている。
「ずっと、ここにいたの?」
「ああ」
「どうして」
「オレは、よそ者だからな」
「豊穣の祭に参加したいから、宿を探していたんじゃないの? 言っていたでしょう。豊穣の祭まで、滞在できる宿がほしいって」
アルテは薄い笑みを浮かべて、祭壇に視線を向けたまま答えた。
「参加しているだろう。こうやって」
「ここは、なんだか部外者の気分になるわ」
「なら、カターナはあちらに戻ればいい。バ・ソニュスを採ってきた、祭の立役者だろう」
「私の力だけじゃないわ」
「だから、皆で集まって、称えてもらえばいい」
「ほめてもらいたくって、行ったわけじゃないわ。私は冒険がしたかったの。その目的として、バ・ソニュスの採取っていうのは、とても身近で大きなものだっただけよ」
「いきなり竜退治になんて、行けないからな」
「そうよ」
「だが、弓師として、本当の意味で認められたいという思いは、あったんじゃないか」
カターナは口をつぐんだ。アルテはチラリとカターナを見て、深い息を吐くと、だしぬけに言った。
「日が昇るころに、出立する」
「……え?」
カターナとアルテの視線がぶつかる。
「そう言っていただろう?」
「けど、そんなにはやく行くなんて……」
「別れの会でも、開くつもりでいたのか」
からかいの口調に、カターナはムッとした。
「せめて、きちんと皆に挨拶をしてほしいわ」
「もう済ませてある」
「えっ」
「知らないのは、君たち5人だけだ」
「私たちが着替えている間に、村の人たちに挨拶をしたのね」
「そうだ。銀狼の処理も終わったからな。いつでも出発可能だ」
「……どうして、私たちには挨拶をしてくれないの」
「とっくに、しているだろう」
「してないわ」
「祭が終わったらいなくなると、何度も言っていたと思うがな」
「それは、挨拶とは言わないわ」
「なら、カターナ」
アルテが肩で壁を蹴り、まっすぐカターナに向き合った。
「世話になった。短かったが貴重な体験もできたし、いい時間を過ごさせてもらった」
右手を差し出され、カターナはとまどった。
「どうした。挨拶をされたかったんだろう? ほら」
「……なんだか、永遠にお別れみたいな感じがして、イヤだわ」
「わがままだな」
「だって――」
カターナが拗ねると、握手のために差し出されたアルテの手は、カターナの頭に移動した。軽く叩かれ、気恥ずかしくなる。
「挨拶がないほうが、よかったか」
「わからないわ」
カターナは物憂げにつぶやき、空を見上げた。
「冒険は、星の数ほどある」
「ん?」
「ずっと前に泊まった人が、言っていたの。冒険がしたいって言ったら、星の数ほどあるから、イヤでもすることになるって」
「星の数ほど、か。――まあ、そうだな。生きていることがすでに冒険だと、カターナは前に言っていたな」
「ええ。おばあさまに、冒険は星の数ほどあるって本当か? って聞いたら、そう答えられたの。だから私、なんでも冒険だって、考えるようになったのよ」
でも、とカターナは腰を下ろした。立っていても座っていても、星との距離はすこしも変わらない。
「本当の冒険は、今日がはじめてだったわ」
アルテも、カターナの隣に座った。
「仲間との冒険っていうの? 自分ひとりの冒険じゃなくって、物語みたいな冒険。1日で終わっちゃった、短い冒険だったけど。でも、たしかに、紛れもなく本物の、誰が聞いたって冒険だとわかる、冒険だったわ」
カターナの声が興奮を帯びる。
「それで? はじめての冒険は、どうだった」
「最高よ。ものすごくドキドキしたし、ワクワクしたし……。いまでも奮えるくらい、すばらしかったわ」
アルテはほほえましく、目を細めた。
「でも、そう思えるのは、皆がいたからよ。私ひとりじゃ、たどり着くこともできなかったわ。――それに」
カターナは膝を抱えて、モジモジと言いよどんだ。
「それに?」
「……アルテさんがいなかったら、許可すらもされなかったと思うの」
カターナは下唇を噛んで、恥ずかしそうにアルテを見た。
「笑わないって、約束をしてくれる?」
「聞いてみないことには、わからないな」
「口先だけでもいいから、約束するって言って」
「……わかった。約束する」
安堵の息を吐いて、カターナはなつかしそうに目を細めた。
「私ね、不思議なものって、あると信じているの」
アルテの顔に疑問が浮かぶ。
「豊穣の祭をしていても、女神ヴィリアスを信じていない人も、いるのよ」
「ああ。まあ、そうだろうな。現実主義者、というのか。不可思議な現象を信用しない連中はいる」
「アルテさんは、どっち?」
「さあ、どうだろうな」
カターナは答えを探して、アルテの顔をじっと見つめた。アルテは静かに、言葉の続きを待っている。
「おばあさまの星読みは、現実的なものだって言っている人がいるわ。周期がどうのこうのって。――でも私は、星が語りかけてくるものだって信じてる」
「……それで? 君は、語りかけられたのか」
カターナは首を振った。
「私じゃなくて、おばあさまが聞いたのよ。私に、すばらしい出会いがやってくるって。その人はすばらしい贈り物をくれるわよって、おばあさまはおっしゃったわ」
「それがオレだと、言いたいのか」
「そう。だって私、おばあさまに、アルテさんのことねって聞いたら、おばあさまは笑ったもの」
「すばらしい贈り物か。そんなものを、提供した覚えはないがな」
「されたわ。アルテさんは、私のために十字弓を注文してくれたし、使い方も教えてくれた。皆でバ・ソニュスの採取に行けるように、頼んでくれたし、稽古もつけてくれたでしょう? そのおかげで、私は弓師としての自信と、すてきな仲間との冒険を手にすることができたんだもの。これ以上ないくらい、すばらしい贈り物だわ」
「そうか。それはよかった」
「……だからね、アルテさん」
カターナは照れながら立ち上がり、頭を下げた。
「ありがとう」
「礼を言われるようなことを、したつもりはないがな」
「つもりはなくても、してくれたのよ。さっき、言ったでしょう? アルテさんは、私の夢を叶えてくれたのよ」
「そうか」
「そうよ。それに、まだこれから。もっと先も目指せるって希望も、持たせてくれた。だから、お礼をいくら言っても、足りないくらいなの」
言い終わり、満足そうに座りなおしたカターナは、「言えてよかった」と空に向かってつぶやいた。
「そのために、オレを探していたのか」
「そうよ。だって、ちゃんと伝えないと、わからないでしょう? 私がどれくらい、感謝しているか」
カターナの空色の瞳に灰色の輝きが、いたずらっぽくまたたいている。アルテはしばらく考えてから、カターナと出会うきっかけとなった指輪を外し、手のひらに乗せた。
「カターナ。オレは、神秘的なものを信じるものも、信じないものも、否定するつもりはない。……どうでもいいと、思っている」
カターナはアルテの手の上にある、指輪に視線を落とした。アルテはそれをつまんで、祭の様子を透かし見る。
「だが、今回のことは、なんらかの見えない力が、働いた気がしている」
「どうして?」
アルテはほほえみ、カターナの手を取って指輪を乗せた。
「君にあげよう」
「えっ」
「オレはこの指輪に導かれて、君と出会ったんじゃないかと思っているんだ」
「どういうこと? この指輪、大切なものなんじゃないの」
「ああ、大切なものだ。だからこそ、君に渡す」
カターナの胸が熱く絞られ、震えた。
「それって、どういう――」
声が掠れる。アルテは秘密めいた笑みを浮かべて、立ち上がった。
「その指輪の石は、もともとはランダさんのものなんだ」
「おばあさまの?」
「そう。君の、おばあさまのものだった」
「どうしてそれを、アルテさんが持っているの」
カターナも立ち上がる。
「竜退治の話を、ランダさんから聞いていたんだろう」
「ええ。ちいさなころから、繰り返し聞いているわ」
「ランダさんと共に戦った、剣師の名前は、聞いたことがあるか」
カターナは首を振る。アルテが身をかがめて、カターナの耳に唇を寄せた。
「アナム。――アナム・シン。オレの祖父だ」
カターナが息を呑む。アルテはいたずらっぽく笑って、軽く手を振り、祭の輪の中へ入っていった。
呼び止める余裕もないほど、おどろいたカターナは、手の中の指輪をながめ、つぶやく。
「アルテさんのおじいさまが、おばあさまの初恋の人……」
カターナの頭の中で、竜退治の物語と祖母ランダの笑顔、アルテと自分の出会いから今日までの出来事が、浮かんではじける。
「――すごいわ」
感動にほほえみながら、指輪を握り胸に押し当てるカターナを、ディルが不安そうに、眉をひそめて見守っていた。
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