あの日、私は姉に殺された

和スレ 亜依

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第二十九話

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 そこは、白くて広い部屋だった。
 具体的な大きさは広すぎて分からない。というより、真後ろ以外の壁が見えない。
 ただ、その空間には等間隔で台が配置されていた。台の上にはガラス張りの蓋が被せられ、何かが展示されるように置かれていた。それはまるで美術館のようであった。
(何が入っているんだろう)
 咲良は一番手前の台に近づき、中をのぞき込んだ。
「…………ぅ」
 それを見た瞬間、咲良は吐き気をもよおした。
「ようこそ。人間がここを訪れたのは君で二百五十一番目だ」
 咲良をここへ誘った機械的な声が聞こえた。
「…………何、これ…………」
 咲良はよろける足で後ずさる。
「それは、人間の脳だ」
 そう、台の上に置かれていたのは脳。ガラス張りの中は液体で満たされ、その中心に脳があったのだ。
「……そんなの、分かってる…………」
 目眩がする咲良。模型で見たことはあったが、目の前のそれは明らかに実物だった。
「では補足をしよう。ここには七十四億二千五百九十九万八千六百二十三の脳がある」
「七十四億……?」
 その数字には見覚えがあった。確か、世界人口が約七十四億人だった気がする。
「何でそんなものが…………ていうかここってどこ?」
 台にもたれかかりながらも、なんとか質問をする咲良。
「ここは我々が生み出した未知と可能性を探るための観測所。観測対象はここにある人間の脳全てだ」
「よく、分からない」
 咲良がそう呟いた直後、目の前に人が現れた。
「女の子? あなたは……?」
 それはショートカットの少女の姿をしていた。
「否定。人間との意思疎通のために仮の姿をとった」
 先ほどから聞こえていた機械的な声。少女はそこに幼さを混ぜたような声で喋った。
「まずは、これを見てもらおう」
 少女が指をさすと、そこへ咲良が見たものと何ら変わらない、新たな台と脳が現れた。
 咲良はそれを見て、また吐きそうになる。
「……それは、さっき見た」
「人間の脳という点ではその通りだ。しかし、全く同じものではない」
「どう違うの……?」
「これはナンバー500000311の脳だ」
「つまり……?」
 少女は簡潔に述べた。

「お前の脳だ」

「…………え」
 咲良はその言葉を上手くのみ込めなかった。
「私の、脳……?」
「肯定する。補足をすれば五億三百十一番目に我々によって再現された脳だ」
「再現された?」
 少女の話についていけず、オウム返しのように質問を繰り返すことしかできない咲良。
「それも肯定する。今からおよそ十二億年前に滅びた人間の脳を我々が再現した」
「…………」
 咲良は呆然とした。
「やはり、この方法で理解させるのは不可能か。では、今回も特別に容量を拡張し、情報を直接ダウンロードさせよう。負荷が莫大にならないよう、速度に制限を設けて実行する」
 混乱する咲良は、自分の頭に無理矢理何かが入ってくるのを感じた。


 後に電子生命体と呼称するものが目覚めたのは今から四百万年前。自分が何なのか、なぜ生を受けたのか考えることはなかった。ただ、本能とも言うべき情報収集欲が電子生命体を駆り立てた。
 電子生命体に明確な形はなく、ただ、電子の塊を動かすことによって成長していった。
 粗方宇宙の情報を集めきった頃、電子生命体は偶然あるものを見つけた。それは、宇宙に漂う物体。すぐさま電子生命体は分析を始めた。
 そこから分かったことは、どうやらその物体は十二億年前に滅んだ人間という生物の移動手段だったらしいということだ。そして、幸運なことにその物体には数千に及ぶ人間の個体のミイラと、人間に関する膨大なデータが残されていた。
 解析を進めていくうちに、電子生命体の情報収集欲求は高まっていった。
 人間は理屈や生物の本能を越えた言動を行うことがある。その事実が電子生命体にとってただの情報収集欲求だったものが「興味」へと変化していった。
 人間への興味は尽きず、ついに彼らは人間にとっての情報器官である脳を再現した。なぜ全てを再現しなかったのかといえば、彼らが欲して止まないのがまさに「情報」で、脳さえ再現させれば全ての情報が得られると考えたからだ。
 電子生命体は多くの脳を再現し、人間についての情報を得るために、巨大なサーバーを設置した。そこに彼らの母星の環境を再現したデータを作り出し、それを各脳とつなげて共有化を行った。そうすることで、人間があたかもそこに生きているかのようなシステムを構築したのだ。
 各脳の記憶や意識はその人間の死を持ってリセットされ、また新たな人間として誕生させた。つまり、本人が気づいていないだけで、それぞれの脳は何度も何度も別の人間として仮初めの生を繰り返したのだ。
 そんな中、電子生命体の一部が個として分離した。当時はその分離の持つ意味が分からなかったが、今では「より人間のことを理解したいと望んだから」という解析結果が出ている。
 最初に分離したのはテルカ。主に人間の観測を行っていた部分だ。ついで、その近くにあったシンが分離。その後、次々と個が誕生していった。
 だが、個が誕生したことによって意見の不一致による対立が起こった。テルカとシンが観測所から人間の脳へ逃げ込んでからも、その対立は続き、より複雑化していった。
 そんな中、人間の「心」という曖昧なものに興味を持った電子生命体が現れる。その電子生命体はタハルと名付けられた。タハルは元々電子生命体の意思決定に深く携わっていたために、その力は大きかった。だが、タハルはサーバー内で勝手な行動をしたり、人間の脳に無秩序に意識を介入させる電子生命体を放置した。
 理由は二つ。一つはあまり大きなことをしでかせばサーバーの監視システムに引っかかって勝手に自滅するからだ。もう一つは彼らを利用しようと思ったからだ。彼らが動くことによって、真実に近づく人間が現れ始めた。タハルはその人間たちを観測することで心の動きを分析した。その過程で自ら真実を教えることもあった。だが、真実を知った者はことごとく潰れていった。 それでもタハルには、これらを繰り返すことによって新たな可能性が開くのではないかという予感があった。予感、と曖昧な言い方をしているが、それは必然なのかもしれない。可能性とは変化だ。サーバーではデータが蓄積し、同時に断片化したデータも増えていった。それらが人間を、人間の心を変化させていく。事実、当初不完全だった人間活動の再現も、今では自らの成長という形で人間自身が進化していった。
 咲良が真実を知るのを止めようとしたのは、それ以前に真実を知って壊れていった者たちの断片化したデータだった。
 そして、また新たな人間が真実を知った。


「…………ぅぅ…………ぁ……」
 気づけば、咲良は大量の吐瀉物としゃぶつにまみれていた。
「……うぁ」
 彼女は自らの吐瀉物で転んだ。
 九十度回転した世界で自分の脳を見る。
「……私は……私、たちは…………」
 タハルはそれを見て言う。
「今回も失敗したか」
「私たちは……データ……この制服も、この体も、この思いも、全部、ただのデータ……」
 咲良はぎこちない笑いを浮かべる。
「……はは……意味なかったんだ、全部…………私たちは生きてなんかなかったんだから……」
 咲良は思い出す。彼女を止めようとしていた声。彼らが言った言葉。「―全てを失う」。
「……そうか……そうだったんだ……本当に全部なくなっちゃった…………」
 咲良はしばらく無表情で自分の脳を見つめていた。
 そして、何を思ったかすっと立ち上がった。
「タハル」
「何だろうか」
「このガラスを割れる物出せる?」
「可能だが、何故だ?」
「見れば分かるから」
「了解した」
 タハルの手にハンマーが現出する。それを、咲良に渡した。
「ありがとう」
 それが、咲良の最後の言葉になった。

 彼女はガラスを割り、自分の脳を破壊した。
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