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第四話 アヴェロス祭と戦争
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その日、カルタでは家畜の屠殺が行われていた。
「うぇっぷ」
そして、ミンの隣では吐き気を抑えているアドがいる。
「大丈夫?」
アドが屠殺をぜひ見てみたいということで連れてきたが、どうやら限界のようだ。
「戻ろうか」
ミンの提案にアドは渋い顔で頷き、カルタに戻った。
ベッドに横になっているアドに説明するミン。
「冬は餌を調達できないから、増えすぎた分の家畜は殺してしまうの。私たちだって大切に育てた家畜を殺すには思うこともあるし、だからアヴェロス祭には供養の意味も含まれているの」
アヴェロス祭を数日後に控え、その準備も大詰めになっている。
「それにしても、アドの住んでいたところでは肉は食べないの?」
呻き声を上げながらアドは答える。
「自分、住んでた所、家畜、飼う、仕事、ある」
「家畜を飼う専門の仕事があるってこと?」
「そう。仕事、いろいろ、分担」
「へぇ、なんだか面白そう。変わった仕事とかあるの?」
「知り合い、匂い、嗅ぐ、仕事」
「あはは、何それ!」
あまりの変わりっぷりにミンが声を上げて笑う。
「匂い、気にする人、多い。匂い、嗅いで、臭い人、ケアする」
「なるほど……必要かどうかは置いといて、すごく面白いね」
しかし、ミンはそこであることに気づく。
(ということはアドも匂いを気にするってことかな。私は気にしたことないけど、もし臭いって思われてたら……なんか人として終わってる気がする)
ミンは恐る恐る聞いてみる。
「あ、あの」
「何?」
「もしかして、私って……臭ったりする?」
その質問にアドは目を丸くする。
「ミン、気にするの?」
「い、いや気にしたことはないけどもしそう思われてたら、ほら……ね?」
納得したようなしてないような顔のアドだったが、質問には答えてくれるようだ。スンスンと鼻を鳴らしている。
「大丈夫」
「……本当に?」
「うん」
「……じゃあなんでこっちを見ないの?」
「気のせい」
問い詰めようとしたが、彼は寝たふりを決め込んでいびきをかき始めた。
(……臭かったのかな。今度メナリに手入れの方法色々聞いてみようかしら……)
アドは匂いと関係ないところで正面を見られなくなったのだが、ミンがそれに気づくことはなかった。
◇ ◇ ◇
最近、ミンの様子がおかしい……気がする。
ポケーッとしていることや少し暗い表情をすることがあるのだ。アドにとって彼女のイメージは笑顔だ。
何でも平均以上にこなし、周囲からの信頼も厚い。西方諸国の脅威が迫っているからかと考えたが、それだけが原因ではない気がする。
「何か、あった……?」
「どうしたんだい?」
思わず口に出ていたようだ。気づけば、側にイクシャがいた。
アドはごまかそうとした。
「何も、ない」
しかし、イクシャは見逃してはくれなかった。
「嘘だね。君は……そうだな、ミンのことを考えている」
飄々として捉えどころのない印象が強いイクシャだが、時々鋭いところを見せる。お手上げだという風にアドは白状する。
「ミン、おかしい」
「……ふむ。良い機会だ、話してあげよう」
イクシャはそう言うと隣に腰掛けるよう促した。
「アドは、ミンの目の色を不思議に思ったことはないかい?」
ミンの青い目。それは最初に彼女と出会ったときに疑問に思った。アドは頷くと、イクシャは話を続けた。
「先祖返りじゃないかという話だが、まあこれはどうでもいいさ。問題なのは青いということだから」
アドは訳が分からないというような顔をする。
「君はこの大陸にいながら、この大陸のことを何も知らないんだね」
(しまった!)
詮索されることを恐れてアドが身構える。が、イクシャはそれには触れなかった。
「いいさ、誰にだって秘密はある」
アドはほっと胸をなで下ろしたが、続くイクシャの言葉ではっとする。
「この大陸で青い目といったら、それはそのまま西方諸国の人々のことを意味する」
西方諸国、これから敵になるであろう人々と同じ目。それが何を意味するかは想像すれば容易に分かる。
「ミンは幼い頃、奇異の目で見られた。だからだろうね、彼女は人と衝突することを避けるようになった。いつも笑顔で、なるべく余計な深入りもしない。そういう道を選んだんだ」
アドはようやく、時々感じていたミンへの違和感の正体に気づいた。深入りをしないということは、逆に言えば自分をさらけ出さないということだ。確かに、無駄な争いは避けられるだろう。しかし、それでは本当の意味で相手を理解することはできないし、彼女を理解する者もいない。
そして、もう一つの事実に気がつく。自分も異なる目をしているではないか。それでも自分が受け入れられたのは、きっと彼女の歩んできた道のおかげだ。
「だけど、西方諸国と戦争に突入したらどうなるんだろうね。僕は人の心を信じたいけど、人と人の関係など簡単に壊れてしまうということもまた知っている」
イクシャの憂いが痛いほど心に刺さった。でも、捉えどころのないイクシャもミンと同じではないのか、とアドは考える。
「イクシャは?」
気づけば口から出ていた質問に、イクシャは笑う。
「君はなかなかに面白いね! 僕の思った通りだ! だけど、僕は君やミンより長く生きている。それが答えだよ」
イクシャは最後に立ち上がって尻の土を払いながらこう言った。
「君とはいい友達になれそうだ」
イクシャを見送ったアドは首を横に振って雑念を追い出した。
(情に流されてはだめだ)
彼女たちを襲うさらに大きな悲劇は変えられないのだから。
◇ ◇ ◇
アヴェロス祭当日、朝からカルタの人々は大忙しだった。準備は午前に行われ、基本的に行事自体は午後から行われる。
西方諸国のこともあり、内心気の晴れない者も多かったが、それを無理やりにでも忘れようと準備に没頭した。
昼の休憩を経たあと、ミンはアールの大会を見学するために、競技場へと足を運んだ。
父親を応援しようとラザックを探していると、競技者の列で思いがけない者を見つけた。
「アド?」
「あら、あなた知らなかったの? てっきり知っていると思ったのだけれど」
いつの間にかメナリがそばに来ていた。
「うん、全然知らなかった。そんなこと言ってなかったし」
ミンは何だか、弟が姉離れをする瞬間を見たようでちょっと悲しい。
「挑戦する分にはタダだしいいんじゃないかしら。まあ、でもイクシャやラザックさんには敵わないでしょうけどね」
元も子もない言い方をするメナリ。
見ると、どうやら先頭はアドのようだ。初参加だから当たり前だろう。
「大丈夫かな。失敗して落ち込んだりしなければいいけど」
「大丈夫よ、失敗しても笑いはとれるから」
そわそわするミンと、辛辣なメナリ。二人が最後の的付近に陣取ると、すぐに競技が始まった。
アドがオリーの腹を蹴ると、オリーが駆け出す。それと同時にアドはアールを構えた。
一つ目の的が近づき、第一射を放つ。しかし、矢は大きく外れ、明後日の方向へ飛んでいく。観客は大笑いだ。
「アド……」
ミンは心配そうに見つめた。
が、メナリは意外そうな声を上げた。
「思ったより肝が据わってるじゃない」
よくよく見てみると、アドは全く落ち込む様子はなく、次の的に向かっている。
アドが二つ目の的に向かって矢を放つと、なんと矢は的の端を掠めていった。
「おおっ!?」
最初に笑った観客たちは驚きの声を上げた。馬に乗りながら矢を的に当てるのはかなり難しい。大会中一つや二つ外す者も少なくないのだ。
そして、三つ目。アドが引き絞った矢は的に描かれた複数の円の一番外側に突き刺さった。
「おお!」
いつの間にか観客たちは熱が入っていた。
残すは最後の的のみ。皆、固唾をのんで見守る。
アドが矢を引き絞り、的を見据えた。その表情は真剣で、賑やかしに参加したのではないという思いが伝わってきた。
ついにミンたちの目の前で矢は放たれ、飛んでいく。
ドスッ。
矢が的に突き刺さる音がした。その瞬間だけ、全ての音が止んだように感じられた。
しかし、一瞬ののちに、その静寂はたくさんの声で掻き消された。
「うおおおおおおおおお」
「やりやがったぞ、あのボウズ!」
「すげえな!」
大歓声だった。矢は的の中心を射抜いたのだ。
アドの思わぬ活躍で皆が沸き立つ中、メナリも素直に感心していた。
「やるわね、あの子」
だが、先ほどからミンの声が聞こえない。不審に思って、メナリが見ると、ミンは目を見開いたまま固まっていた。
「ミン? ……おーい、ミン」
「……あ、ごめん。びっくりしちゃって」
やっと我に返ったミンは返事をしながらもその目はアドの姿を見つめていた。
その後、イクシャと優勝候補のラザックが三本の矢をそれぞれ的の中心に当て、さらに会場を沸かせた。結果はあと一つの的の得点で僅かに上回ったラザックの優勝。さすがの強さを見せつけた。
ミンは祝いの言葉を述べに競技を終えたラザックの元へと駆けつけた。
「父さんおめでとう!」
「ああ、ありがとう」
同じく競技を終えたイクシャも近寄った。
「ラザックさん、おめでとうございます。やはり、ラザックさんには敵いませんね」
「いいや、今年は危なかった。来年はイクシャが優勝しているだろうね」
「御冗談を」
「冗談じゃないさ。でもこうやって強敵が現れたのは嬉しいよ」
「そう言っていただけると光栄です」
「あの……」
そこでようやくミンの後ろでモジモジしていたメナリがイクシャに声をかけた。
「ああ、メナリ。こんにちは」
「ええ、こんにちは。……惜しかったわね。でも……その……かっこよかったわ」
「ありがとう。メナリもこのあとの踊り頑張ってね」
「……うん」
そんなやりとりをミンは微笑んで見つめていた。
「じゃあ、父さん。衣装の準備があるから行くわね」
「頑張っておいで」
「うん!」
ミンとメナリは着替えのため、仮設のテントへと向かった。
「どう?おかしくない?」
メナリが自分の衣装を確かめながら聞く。
「大丈夫だよ。すごく似合ってる」
ミンがそう言い、ウイカとレリカが親指を立てる。
踊りの衣装は普段の服装と違い、鮮やかな色彩を放っている。それぞれ、ミンは青、メナリは赤、ウイカは黄色、レリカは白をメインの色にした懸衣を着ている。いつもはその下にズボンを履いているが、今はスカートだ。頭には皆、同じように赤いハンカの花を刺している。
「……ミン綺麗」
ウイカが声をかけると、ミンはニコニコと笑った。
「ありがとう! ウイカもレリカも似合ってるよ!」
ウイカとレリカは照れくさそうにする。
と、そこで外から呼ぶ声がした。
「おーい、入っていいか?」
アドの声だった。
「どうぞー」
メナリが返事をすると、テントの布が開かれた。
◇ ◇ ◇
「あら、アドじゃない。どうしたの?」
テントに入ると出迎えたのはメナリだった。衣装は踊り用に着飾っており、化粧もしているせいかいつもより綺麗に見える。
(原住民でも着飾れば少しはマシになるんだな)
かなり失礼なことを思ったアドだったが、それより今は頼まれ事を完遂しなければならない。
「太鼓が、ここにあるって」
「ああ、そういうことね。てっきり私たちの美しい晴れ着姿を覗きに来たんだと思ったわ」
(そんな訳あるか。原住民の冗談はきつい)
「あそこにあるから持って行きなさい」
「分かった。ありがとう」
酷いことを考えつつも礼儀を忘れないあたり、アドという少年の性格が見えてくる。
すたすたと奥へ入っていくアド。そして太鼓を持ち上げようとしたとき、横から手が差し延べられた。
「重いでしょ? 私も持つよ」
「ありが――」
お礼を言おうと横を向いたとき、アドの心臓が跳ね上がった。
(ミ、ン?)
青を基調とした鮮やかな衣装に、普段のズボンとは異なるスカート。そして、スッと塗られた赤い口紅。
ミンという年下の少女はこんな風だったかと思い出そうとするが、心臓の鼓動を抑えようとするのに必死でよく分からない。
「アド?」
ミンが首を傾げた時に流れた髪がまたアドの心臓を跳ねさせる。
目をそらしてなんとか冷静さを取り戻し、返事をするアド。
「一人で、持っていける」
「そう? 気をつけてね」
そのまま急いでテントを出ていこうとすると、出口付近でニヤニヤ笑うメナリと目が合った。
無性に腹が立ったので、捨て台詞を吐いておいた。
(原住民、余計なこと言ったらその芋臭い顔をザルで洗ってやるぞ)
もちろん心の中で。
◇ ◇ ◇
弦楽器のリメスクが音を奏で始めた。同時に始まる少女たちの踊り。その動きは繊細で、穏やかな夏の日々を表している。踊り手たちは皆、厳かに舞う。
太鼓の音が大きくなると、踊り手たちの動きも変化した。四人で円を描くようにダイナミックに移動しながら、ジャンプや激しいステップを織り交ぜていく。厳しい冬の吹雪を表しているのだ。メナリやミンは何度か踊っているということもあってさすがだが、ウイカとレリカもそれについていく。
曲調がさらに変化し、今度は打って変わって優雅な動作になる。雄大な自然と遊牧民の調和を見事に表現していた。
そして、踊りが終わると観客から大きな拍手が湧いた。
「失敗した……」
日も落ちて宴が始まる中、一人膝を抱えて座り込んでいる者がいた。
「ミン、いつまでそうやってるのよ!失敗って言ったってほとんど見えないところじゃない」
「うう……」
メナリが元気づけるが、一生懸命練習してきたせいもあって中々立ち直れない。と、そこへアドがやってきた。
「ミン、かっこよかった。元気出して」
既に化粧も落とし、服も普段の格好になっていたため、アドは容易に近づけた。
「アド……本当に良い子だねぇ」
なぜか慰めた方が頭を撫でられていた。そして、冷静になったところであることを思い出したミン。
「あ、そういえばメナリ」
「何かしら」
「イクシャ――」
「聞かないで」
「こくは――」
「聞かないで」
凄みのある笑顔で同じことを二度言うメナリ。
「よしよし」
ミンが今度はメナリの頭を撫でてやったところで、早くも酔っ払いと化したオヤジたちから声がかかった。
「おーい、そんなところで何やってんだー。ボウズも今日の主役も早くこっちこーい。若いんだからたくさん飯食えーモイの肉もあるぞー」
それを聞いたメナリがヤケクソで宴に混ざりに行く。
「言ったわねー! おじさんたちの分無くなっても知らないわよー!」
「おーやれやれー」
その様子に苦笑しながらミンがアドに言う。
「私たちも混ざろっか」
宴は盛り上がり、そして、夜は更けていく。
だが、戦いの匂いはすぐそこまで迫っていた。
大陸中央部のワンドルクにはいくつもの山脈がある。特に北中部には大陸で最も大きなメレイェ山が鎮座している。ワンドルクの冬は厳しいが、この山々が北風を遮ってくれる。そのため、遊牧民は冬の間山の麓で暮らす。
アヴェロス祭も終わり、ミンたちの部族もメレイェ山の麓へ向かう準備をしていた。そんなとき、ミンはオリーに乗った人物が慌てて長のカルタに入っていくのを見た。
「誰だろう?」
ミンの疑問にはメナリが答えた。
「あれは近くの部族の人ね。一回だけ見たことある」
「そうなんだ」
「かなり慌てていたわね。悪い知らせじゃなければいいけど」
「うん」
メナリの憂慮は杞憂には終わらなかった。隣人が持ってきた情報はすぐに皆に知れ渡った。「西の部族がバラダーン連邦国の襲撃を受けた」と。
ワンドルクに国家という枠組みは存在しない。そのため、宣戦布告などはなく、突然のことだったそうだ。
どうやら、バラダーンは冬を越さずにワンドルクの西部を掌握するつもりのようだ。思いがけず性急な侵攻に、カルタの人々の恐怖は一気に高まった。
さっそく、部族内の会議が行われ、西部への武力支援が決定した。国家ではない分、横の繋がりは大事にする。それがワンドルクの人々の性質だった。遠征するのは十五名の男たち。ミンたちの部族は百名余りで、大きな方だが、それでも多い。それほど、バラダーンが驚異だということだ。
遊牧民の長所は機動力だ。次の日には出兵の準備が整っていた。
「父さん……」
「大丈夫だ、ミン。草原の民が戦いに負けたことはない」
「でも……!」
「今日は珍しく弱気じゃないか。いつもの笑顔はどうしたんだい?」
それは違う、とミンは思う。カルタの人々は横の繋がりを大事にするが、ミンにとっては自分のいるこの場所が大事なのだ。それは、彼女の生き方が深く影響している。自身が異質であることもあり、周りから孤立しないように、不和を生まないようにと常に笑顔で明るく振る舞ってきた。もちろん、うるさくなり過ぎないように。ある意味で完璧主義者であるため、父親が戦争に向かうという大きなイレギュラーを前にして心が大きく揺らいだのだ。
「父さんはミンの笑顔が大好きなんだ。悲しい顔はしないでおくれ」
「…………」
ミンの様子を見てラザックは少し考え込むと、思いついたように言った。
「アヴェロス祭の約束を覚えているかい?」
「……約束?」
「お願いの話だよ」
そうだった、とミンは思い出した。
「今そのお願いを聞いてもらってもいいかい?」
「……うん」
「これから私たちがいない間、みんなを笑顔で励ましてほしい」
「……………………分かった」
「それと、私を笑顔で送ってくれるかい?」
「……それじゃ二つだよ」
「ははは、一つだよ。だってこれはミンへのお願いじゃなくて私の願いだからね」
「父さんはずるい…………でも、分かった」
ミンは一度目を閉じて、微笑んだ。
「じゃあ、私の願いは父さんが無事に帰ってくること!」
「ああ、きっと」
ラザックはミンの頭をなでた。
「そうだ、アドもミンと仲良くするんだよ。ミンが弱気になったら助けてやるんだ」
「はい」
「ルーアも元気で」
「気をつけて」
ラザックに手を振って見送るミンたち。他の皆もそれぞれの家族を見送る。メナリなどは父親とイクシャの両方に手を振っていた。
◇ ◇ ◇
ミンの姿が見えなくなったので外に出て見ると、彼女は遠くを見てボーッとしていた。ラザックを見送ったあと、彼との約束通り、彼女はいつも笑顔で皆を勇気づけた。だから、そんな彼女はここ最近見ていなかった。
(何かが見えるわけじゃないのに)
雪が舞い散る中立っているミンの足は、既にだいぶ埋もれていた。吐く息は白く、寒さで鼻の頭が少しだけ赤くなっている。アドはその姿を見て何となく綺麗だと思った。
「風邪、引く」
そう声をかけても、ミンは振り返らなかった。しばらく、隣で佇んでいると、彼女は前方を指さした。
(……?)
しかし、そこには何も見えない。
「この先でさ、父さんは戦ってるのかな」
「ミン……」
「怪我してないかな」
「…………」
「ちゃんと、ご飯食べてるかな」
「…………」
「風邪、引いてないかな」
「……ミン」
「父さん、生きてるかな」
「ミン」
アドはミンの手を握った。
「外は寒いよ。中に入ろう」
アドにはそれくらいしかかけられる言葉がなかったが、ミンはアドの方を向いて微笑んだ。
「うん」
その微笑みを見て、アドは胸が苦しくなった。
◇ ◇ ◇
「うぇっぷ」
そして、ミンの隣では吐き気を抑えているアドがいる。
「大丈夫?」
アドが屠殺をぜひ見てみたいということで連れてきたが、どうやら限界のようだ。
「戻ろうか」
ミンの提案にアドは渋い顔で頷き、カルタに戻った。
ベッドに横になっているアドに説明するミン。
「冬は餌を調達できないから、増えすぎた分の家畜は殺してしまうの。私たちだって大切に育てた家畜を殺すには思うこともあるし、だからアヴェロス祭には供養の意味も含まれているの」
アヴェロス祭を数日後に控え、その準備も大詰めになっている。
「それにしても、アドの住んでいたところでは肉は食べないの?」
呻き声を上げながらアドは答える。
「自分、住んでた所、家畜、飼う、仕事、ある」
「家畜を飼う専門の仕事があるってこと?」
「そう。仕事、いろいろ、分担」
「へぇ、なんだか面白そう。変わった仕事とかあるの?」
「知り合い、匂い、嗅ぐ、仕事」
「あはは、何それ!」
あまりの変わりっぷりにミンが声を上げて笑う。
「匂い、気にする人、多い。匂い、嗅いで、臭い人、ケアする」
「なるほど……必要かどうかは置いといて、すごく面白いね」
しかし、ミンはそこであることに気づく。
(ということはアドも匂いを気にするってことかな。私は気にしたことないけど、もし臭いって思われてたら……なんか人として終わってる気がする)
ミンは恐る恐る聞いてみる。
「あ、あの」
「何?」
「もしかして、私って……臭ったりする?」
その質問にアドは目を丸くする。
「ミン、気にするの?」
「い、いや気にしたことはないけどもしそう思われてたら、ほら……ね?」
納得したようなしてないような顔のアドだったが、質問には答えてくれるようだ。スンスンと鼻を鳴らしている。
「大丈夫」
「……本当に?」
「うん」
「……じゃあなんでこっちを見ないの?」
「気のせい」
問い詰めようとしたが、彼は寝たふりを決め込んでいびきをかき始めた。
(……臭かったのかな。今度メナリに手入れの方法色々聞いてみようかしら……)
アドは匂いと関係ないところで正面を見られなくなったのだが、ミンがそれに気づくことはなかった。
◇ ◇ ◇
最近、ミンの様子がおかしい……気がする。
ポケーッとしていることや少し暗い表情をすることがあるのだ。アドにとって彼女のイメージは笑顔だ。
何でも平均以上にこなし、周囲からの信頼も厚い。西方諸国の脅威が迫っているからかと考えたが、それだけが原因ではない気がする。
「何か、あった……?」
「どうしたんだい?」
思わず口に出ていたようだ。気づけば、側にイクシャがいた。
アドはごまかそうとした。
「何も、ない」
しかし、イクシャは見逃してはくれなかった。
「嘘だね。君は……そうだな、ミンのことを考えている」
飄々として捉えどころのない印象が強いイクシャだが、時々鋭いところを見せる。お手上げだという風にアドは白状する。
「ミン、おかしい」
「……ふむ。良い機会だ、話してあげよう」
イクシャはそう言うと隣に腰掛けるよう促した。
「アドは、ミンの目の色を不思議に思ったことはないかい?」
ミンの青い目。それは最初に彼女と出会ったときに疑問に思った。アドは頷くと、イクシャは話を続けた。
「先祖返りじゃないかという話だが、まあこれはどうでもいいさ。問題なのは青いということだから」
アドは訳が分からないというような顔をする。
「君はこの大陸にいながら、この大陸のことを何も知らないんだね」
(しまった!)
詮索されることを恐れてアドが身構える。が、イクシャはそれには触れなかった。
「いいさ、誰にだって秘密はある」
アドはほっと胸をなで下ろしたが、続くイクシャの言葉ではっとする。
「この大陸で青い目といったら、それはそのまま西方諸国の人々のことを意味する」
西方諸国、これから敵になるであろう人々と同じ目。それが何を意味するかは想像すれば容易に分かる。
「ミンは幼い頃、奇異の目で見られた。だからだろうね、彼女は人と衝突することを避けるようになった。いつも笑顔で、なるべく余計な深入りもしない。そういう道を選んだんだ」
アドはようやく、時々感じていたミンへの違和感の正体に気づいた。深入りをしないということは、逆に言えば自分をさらけ出さないということだ。確かに、無駄な争いは避けられるだろう。しかし、それでは本当の意味で相手を理解することはできないし、彼女を理解する者もいない。
そして、もう一つの事実に気がつく。自分も異なる目をしているではないか。それでも自分が受け入れられたのは、きっと彼女の歩んできた道のおかげだ。
「だけど、西方諸国と戦争に突入したらどうなるんだろうね。僕は人の心を信じたいけど、人と人の関係など簡単に壊れてしまうということもまた知っている」
イクシャの憂いが痛いほど心に刺さった。でも、捉えどころのないイクシャもミンと同じではないのか、とアドは考える。
「イクシャは?」
気づけば口から出ていた質問に、イクシャは笑う。
「君はなかなかに面白いね! 僕の思った通りだ! だけど、僕は君やミンより長く生きている。それが答えだよ」
イクシャは最後に立ち上がって尻の土を払いながらこう言った。
「君とはいい友達になれそうだ」
イクシャを見送ったアドは首を横に振って雑念を追い出した。
(情に流されてはだめだ)
彼女たちを襲うさらに大きな悲劇は変えられないのだから。
◇ ◇ ◇
アヴェロス祭当日、朝からカルタの人々は大忙しだった。準備は午前に行われ、基本的に行事自体は午後から行われる。
西方諸国のこともあり、内心気の晴れない者も多かったが、それを無理やりにでも忘れようと準備に没頭した。
昼の休憩を経たあと、ミンはアールの大会を見学するために、競技場へと足を運んだ。
父親を応援しようとラザックを探していると、競技者の列で思いがけない者を見つけた。
「アド?」
「あら、あなた知らなかったの? てっきり知っていると思ったのだけれど」
いつの間にかメナリがそばに来ていた。
「うん、全然知らなかった。そんなこと言ってなかったし」
ミンは何だか、弟が姉離れをする瞬間を見たようでちょっと悲しい。
「挑戦する分にはタダだしいいんじゃないかしら。まあ、でもイクシャやラザックさんには敵わないでしょうけどね」
元も子もない言い方をするメナリ。
見ると、どうやら先頭はアドのようだ。初参加だから当たり前だろう。
「大丈夫かな。失敗して落ち込んだりしなければいいけど」
「大丈夫よ、失敗しても笑いはとれるから」
そわそわするミンと、辛辣なメナリ。二人が最後の的付近に陣取ると、すぐに競技が始まった。
アドがオリーの腹を蹴ると、オリーが駆け出す。それと同時にアドはアールを構えた。
一つ目の的が近づき、第一射を放つ。しかし、矢は大きく外れ、明後日の方向へ飛んでいく。観客は大笑いだ。
「アド……」
ミンは心配そうに見つめた。
が、メナリは意外そうな声を上げた。
「思ったより肝が据わってるじゃない」
よくよく見てみると、アドは全く落ち込む様子はなく、次の的に向かっている。
アドが二つ目の的に向かって矢を放つと、なんと矢は的の端を掠めていった。
「おおっ!?」
最初に笑った観客たちは驚きの声を上げた。馬に乗りながら矢を的に当てるのはかなり難しい。大会中一つや二つ外す者も少なくないのだ。
そして、三つ目。アドが引き絞った矢は的に描かれた複数の円の一番外側に突き刺さった。
「おお!」
いつの間にか観客たちは熱が入っていた。
残すは最後の的のみ。皆、固唾をのんで見守る。
アドが矢を引き絞り、的を見据えた。その表情は真剣で、賑やかしに参加したのではないという思いが伝わってきた。
ついにミンたちの目の前で矢は放たれ、飛んでいく。
ドスッ。
矢が的に突き刺さる音がした。その瞬間だけ、全ての音が止んだように感じられた。
しかし、一瞬ののちに、その静寂はたくさんの声で掻き消された。
「うおおおおおおおおお」
「やりやがったぞ、あのボウズ!」
「すげえな!」
大歓声だった。矢は的の中心を射抜いたのだ。
アドの思わぬ活躍で皆が沸き立つ中、メナリも素直に感心していた。
「やるわね、あの子」
だが、先ほどからミンの声が聞こえない。不審に思って、メナリが見ると、ミンは目を見開いたまま固まっていた。
「ミン? ……おーい、ミン」
「……あ、ごめん。びっくりしちゃって」
やっと我に返ったミンは返事をしながらもその目はアドの姿を見つめていた。
その後、イクシャと優勝候補のラザックが三本の矢をそれぞれ的の中心に当て、さらに会場を沸かせた。結果はあと一つの的の得点で僅かに上回ったラザックの優勝。さすがの強さを見せつけた。
ミンは祝いの言葉を述べに競技を終えたラザックの元へと駆けつけた。
「父さんおめでとう!」
「ああ、ありがとう」
同じく競技を終えたイクシャも近寄った。
「ラザックさん、おめでとうございます。やはり、ラザックさんには敵いませんね」
「いいや、今年は危なかった。来年はイクシャが優勝しているだろうね」
「御冗談を」
「冗談じゃないさ。でもこうやって強敵が現れたのは嬉しいよ」
「そう言っていただけると光栄です」
「あの……」
そこでようやくミンの後ろでモジモジしていたメナリがイクシャに声をかけた。
「ああ、メナリ。こんにちは」
「ええ、こんにちは。……惜しかったわね。でも……その……かっこよかったわ」
「ありがとう。メナリもこのあとの踊り頑張ってね」
「……うん」
そんなやりとりをミンは微笑んで見つめていた。
「じゃあ、父さん。衣装の準備があるから行くわね」
「頑張っておいで」
「うん!」
ミンとメナリは着替えのため、仮設のテントへと向かった。
「どう?おかしくない?」
メナリが自分の衣装を確かめながら聞く。
「大丈夫だよ。すごく似合ってる」
ミンがそう言い、ウイカとレリカが親指を立てる。
踊りの衣装は普段の服装と違い、鮮やかな色彩を放っている。それぞれ、ミンは青、メナリは赤、ウイカは黄色、レリカは白をメインの色にした懸衣を着ている。いつもはその下にズボンを履いているが、今はスカートだ。頭には皆、同じように赤いハンカの花を刺している。
「……ミン綺麗」
ウイカが声をかけると、ミンはニコニコと笑った。
「ありがとう! ウイカもレリカも似合ってるよ!」
ウイカとレリカは照れくさそうにする。
と、そこで外から呼ぶ声がした。
「おーい、入っていいか?」
アドの声だった。
「どうぞー」
メナリが返事をすると、テントの布が開かれた。
◇ ◇ ◇
「あら、アドじゃない。どうしたの?」
テントに入ると出迎えたのはメナリだった。衣装は踊り用に着飾っており、化粧もしているせいかいつもより綺麗に見える。
(原住民でも着飾れば少しはマシになるんだな)
かなり失礼なことを思ったアドだったが、それより今は頼まれ事を完遂しなければならない。
「太鼓が、ここにあるって」
「ああ、そういうことね。てっきり私たちの美しい晴れ着姿を覗きに来たんだと思ったわ」
(そんな訳あるか。原住民の冗談はきつい)
「あそこにあるから持って行きなさい」
「分かった。ありがとう」
酷いことを考えつつも礼儀を忘れないあたり、アドという少年の性格が見えてくる。
すたすたと奥へ入っていくアド。そして太鼓を持ち上げようとしたとき、横から手が差し延べられた。
「重いでしょ? 私も持つよ」
「ありが――」
お礼を言おうと横を向いたとき、アドの心臓が跳ね上がった。
(ミ、ン?)
青を基調とした鮮やかな衣装に、普段のズボンとは異なるスカート。そして、スッと塗られた赤い口紅。
ミンという年下の少女はこんな風だったかと思い出そうとするが、心臓の鼓動を抑えようとするのに必死でよく分からない。
「アド?」
ミンが首を傾げた時に流れた髪がまたアドの心臓を跳ねさせる。
目をそらしてなんとか冷静さを取り戻し、返事をするアド。
「一人で、持っていける」
「そう? 気をつけてね」
そのまま急いでテントを出ていこうとすると、出口付近でニヤニヤ笑うメナリと目が合った。
無性に腹が立ったので、捨て台詞を吐いておいた。
(原住民、余計なこと言ったらその芋臭い顔をザルで洗ってやるぞ)
もちろん心の中で。
◇ ◇ ◇
弦楽器のリメスクが音を奏で始めた。同時に始まる少女たちの踊り。その動きは繊細で、穏やかな夏の日々を表している。踊り手たちは皆、厳かに舞う。
太鼓の音が大きくなると、踊り手たちの動きも変化した。四人で円を描くようにダイナミックに移動しながら、ジャンプや激しいステップを織り交ぜていく。厳しい冬の吹雪を表しているのだ。メナリやミンは何度か踊っているということもあってさすがだが、ウイカとレリカもそれについていく。
曲調がさらに変化し、今度は打って変わって優雅な動作になる。雄大な自然と遊牧民の調和を見事に表現していた。
そして、踊りが終わると観客から大きな拍手が湧いた。
「失敗した……」
日も落ちて宴が始まる中、一人膝を抱えて座り込んでいる者がいた。
「ミン、いつまでそうやってるのよ!失敗って言ったってほとんど見えないところじゃない」
「うう……」
メナリが元気づけるが、一生懸命練習してきたせいもあって中々立ち直れない。と、そこへアドがやってきた。
「ミン、かっこよかった。元気出して」
既に化粧も落とし、服も普段の格好になっていたため、アドは容易に近づけた。
「アド……本当に良い子だねぇ」
なぜか慰めた方が頭を撫でられていた。そして、冷静になったところであることを思い出したミン。
「あ、そういえばメナリ」
「何かしら」
「イクシャ――」
「聞かないで」
「こくは――」
「聞かないで」
凄みのある笑顔で同じことを二度言うメナリ。
「よしよし」
ミンが今度はメナリの頭を撫でてやったところで、早くも酔っ払いと化したオヤジたちから声がかかった。
「おーい、そんなところで何やってんだー。ボウズも今日の主役も早くこっちこーい。若いんだからたくさん飯食えーモイの肉もあるぞー」
それを聞いたメナリがヤケクソで宴に混ざりに行く。
「言ったわねー! おじさんたちの分無くなっても知らないわよー!」
「おーやれやれー」
その様子に苦笑しながらミンがアドに言う。
「私たちも混ざろっか」
宴は盛り上がり、そして、夜は更けていく。
だが、戦いの匂いはすぐそこまで迫っていた。
大陸中央部のワンドルクにはいくつもの山脈がある。特に北中部には大陸で最も大きなメレイェ山が鎮座している。ワンドルクの冬は厳しいが、この山々が北風を遮ってくれる。そのため、遊牧民は冬の間山の麓で暮らす。
アヴェロス祭も終わり、ミンたちの部族もメレイェ山の麓へ向かう準備をしていた。そんなとき、ミンはオリーに乗った人物が慌てて長のカルタに入っていくのを見た。
「誰だろう?」
ミンの疑問にはメナリが答えた。
「あれは近くの部族の人ね。一回だけ見たことある」
「そうなんだ」
「かなり慌てていたわね。悪い知らせじゃなければいいけど」
「うん」
メナリの憂慮は杞憂には終わらなかった。隣人が持ってきた情報はすぐに皆に知れ渡った。「西の部族がバラダーン連邦国の襲撃を受けた」と。
ワンドルクに国家という枠組みは存在しない。そのため、宣戦布告などはなく、突然のことだったそうだ。
どうやら、バラダーンは冬を越さずにワンドルクの西部を掌握するつもりのようだ。思いがけず性急な侵攻に、カルタの人々の恐怖は一気に高まった。
さっそく、部族内の会議が行われ、西部への武力支援が決定した。国家ではない分、横の繋がりは大事にする。それがワンドルクの人々の性質だった。遠征するのは十五名の男たち。ミンたちの部族は百名余りで、大きな方だが、それでも多い。それほど、バラダーンが驚異だということだ。
遊牧民の長所は機動力だ。次の日には出兵の準備が整っていた。
「父さん……」
「大丈夫だ、ミン。草原の民が戦いに負けたことはない」
「でも……!」
「今日は珍しく弱気じゃないか。いつもの笑顔はどうしたんだい?」
それは違う、とミンは思う。カルタの人々は横の繋がりを大事にするが、ミンにとっては自分のいるこの場所が大事なのだ。それは、彼女の生き方が深く影響している。自身が異質であることもあり、周りから孤立しないように、不和を生まないようにと常に笑顔で明るく振る舞ってきた。もちろん、うるさくなり過ぎないように。ある意味で完璧主義者であるため、父親が戦争に向かうという大きなイレギュラーを前にして心が大きく揺らいだのだ。
「父さんはミンの笑顔が大好きなんだ。悲しい顔はしないでおくれ」
「…………」
ミンの様子を見てラザックは少し考え込むと、思いついたように言った。
「アヴェロス祭の約束を覚えているかい?」
「……約束?」
「お願いの話だよ」
そうだった、とミンは思い出した。
「今そのお願いを聞いてもらってもいいかい?」
「……うん」
「これから私たちがいない間、みんなを笑顔で励ましてほしい」
「……………………分かった」
「それと、私を笑顔で送ってくれるかい?」
「……それじゃ二つだよ」
「ははは、一つだよ。だってこれはミンへのお願いじゃなくて私の願いだからね」
「父さんはずるい…………でも、分かった」
ミンは一度目を閉じて、微笑んだ。
「じゃあ、私の願いは父さんが無事に帰ってくること!」
「ああ、きっと」
ラザックはミンの頭をなでた。
「そうだ、アドもミンと仲良くするんだよ。ミンが弱気になったら助けてやるんだ」
「はい」
「ルーアも元気で」
「気をつけて」
ラザックに手を振って見送るミンたち。他の皆もそれぞれの家族を見送る。メナリなどは父親とイクシャの両方に手を振っていた。
◇ ◇ ◇
ミンの姿が見えなくなったので外に出て見ると、彼女は遠くを見てボーッとしていた。ラザックを見送ったあと、彼との約束通り、彼女はいつも笑顔で皆を勇気づけた。だから、そんな彼女はここ最近見ていなかった。
(何かが見えるわけじゃないのに)
雪が舞い散る中立っているミンの足は、既にだいぶ埋もれていた。吐く息は白く、寒さで鼻の頭が少しだけ赤くなっている。アドはその姿を見て何となく綺麗だと思った。
「風邪、引く」
そう声をかけても、ミンは振り返らなかった。しばらく、隣で佇んでいると、彼女は前方を指さした。
(……?)
しかし、そこには何も見えない。
「この先でさ、父さんは戦ってるのかな」
「ミン……」
「怪我してないかな」
「…………」
「ちゃんと、ご飯食べてるかな」
「…………」
「風邪、引いてないかな」
「……ミン」
「父さん、生きてるかな」
「ミン」
アドはミンの手を握った。
「外は寒いよ。中に入ろう」
アドにはそれくらいしかかけられる言葉がなかったが、ミンはアドの方を向いて微笑んだ。
「うん」
その微笑みを見て、アドは胸が苦しくなった。
◇ ◇ ◇
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