遊牧少女は世界に挑戦する

和スレ 亜依

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第五話 旅立ち

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 情報が届いたのは、雪解けが始まり、所々に土の色が見えてきた頃だった。
「イクシャ!」
 既に何人かが外に集まっていた中、噂を聞きつけたメナリが駆け寄った。
 しかし、イクシャの額には布が巻かれ、右腕も同じく布で吊られていた。滲み出た血が固まったのか、色は茶色く変色している。
「大変! すぐに手当てをしなきゃっ」
 メナリが医者のレングを呼びに行こうとしたが、イクシャが呼び止めた。
「大丈夫、これはだいぶ前のものだから」
 その声はいつもより少し弱々しかった。
「それより、この人たちを受け入れてくれないか」
 イクシャの後ろには多くの人々がいた。五十名弱といったところか。
「この人たちは?」
「避難民だ。今はまだこの程度だが、後続がいる」
 彼らは皆疲弊しきった顔をしていた。
「ねえあんた! 他のみんなはどうしたんだい? 私の夫は?」
 三十代後半くらいの女性がイクシャに声をかけた。
「…………」
 その問いに、イクシャは無言だった。
「おい、何で黙っているんだいっ。夫はどこなんだい!?」
 イクシャは揺さぶられて、ようやく口を開いた。
「他の人の行方は分かりません」
 彼はそう述べたあと、淡々と状況を説明した。
「私たちが到着したときには、すでに激しい戦闘が行われていました。戦況は芳しくありませんでした。敵の数は多く、毒矢を仕込んだ大量のボウガンが馬を襲いました。陣形も周囲の索敵を重要視したもので、我々の特徴をよく分析し、何年も前から準備してきたのでしょう。友軍は散り散りになって応戦するのがやっとでした。仲間ともはぐれ、唯一、一緒にいたラザックさんは私に言いました。『できるだけ多くの者を避難させてやってくれ』と。私はその言葉に従い、こうして恥を忍んで戻ってきました」
 イクシャの胸を掴んでいた女性がへなへなと地面にくずおれる。
「どうして……どうしてこんな……草原の民は戦いに負けたことなんてないのに……」
 少し離れたところで見守っていたミンは、女性に近づいてその体を支えてやる。
「大丈夫。おばさんの旦那さんはきっと生きているはずだから」
 元気づけようと笑顔でそう声をかけた。
 しかし、女性がミンに向けたものは絶望の表情だった。
「何で、笑っているんだい……?」
 ミンはその言葉にすごく嫌なものを感じた。
「あんたはいつもそうだね……ヘラヘラヘラヘラ、ヘラヘラヘラヘラ……私を馬鹿にしているのかい……?」
 声はわなわなと震えている。
「そんなつもりは……」
 ミンの表情が陰る。
(ああ、これは……)
「そういえばあんた」
(それは……あの頃と……)
「その目……」
 ミンを見る女性の瞳は、ミンが幼い頃に受けていた、異物を見るような視線と同じだった。
(それ以上は……だめだよ、おばさん……)
「西のやつらと同じ……そうか、そうだったんだ……」
 女性の表情が一変する。
「この裏切り者っ!!」
 目は、鬼のように吊り上がっていた。
 女性はそのままミンの髪を引っ張って叫ぶ。
「人殺しっ……人殺しっ……人殺しっ!!」
 ミンの顔が苦痛に歪む。
 状況を静観していたメナリとイクシャが、女性を止めようと羽交い締めにした。
「おばさん、ミンはそんな子じゃないよ! それはみんなが知ってるはず!」
 しかし、女性は手足をばたつかせ、ののしることをやめなかった。
「……るさい……うるさいうるさい! その青い目は、西方人の証だよ! こいつが情報を流したんだっ……だから、だから夫は犠牲にっ」
 そこで離れた場所にいた避難民たちが騒ぎに気づき始めた。
「何だって? 西方人がいるのか?」
「情報を流したって言ってたぞ?」
「あの子じゃないか? 青い目をしている」
「確かにあれは西方人の目だ!」
 メナリとイクシャは必死で場を沈めようとする。
「違うんです! この子は――」
「みなさん、落ち着いてくださ――」
 しかし、疑念は憤怒ふんぬに変わっていく。
「今すぐ捕まえろ! あいつらのせいで息子はっ」
「そうだ、捕まえて罪を償わせろ!」
「殺せ! じゃないと俺はこいつらと一緒にはやっていけない!」
 こうなったらもう、誰にも止めることはできない。イクシャが苦い表情を浮かべたときだった。
 避難民の罵声ばせいを掻き消すように、一際ひときわ大きな声が響き渡った。
「黙りなさい!」
 それは、ルーアだった。避難民たちは突然の大声に彼女を凝視した。
「この子は私の子だよ! 父親はラザックだ! あんたらも聞いたことくらいあるだろ! けして裏切り者なんかじゃない!」
 避難民たちが小声で言葉を交わし合う。
「ラザック?」
「ラザックってあのアールで右に出る者はいないっていうあのラザックか?」
「でも、そんなことあるのか? 父親も母親も草原の民なんだぞ?」
 だが、ルーアの反論もむなしく、収まりかけた怒りが再燃していく。
「そうだ、騙されちゃいけない! どう言い訳したってあの目は西方人のものだ!」
 それでも、ルーアはもう一度言い放つ。
「黙れって言ったのが聞こえなかったのかい!? いいから今日は引きな! ここは私らのカルタだ。文句があるやつは西へ戻るんだ!」
 そのあまりの剣幕に、避難民たちは怖じ気づいた。彼らは捨て台詞を吐きながらも、すごすごと引いていく。
 そしてそれを見送ったルーアは、アドに声をかけた。
「アド、悪いけどミンを家に連れて行ってくれるかい? 私はこれから長たちと話があるから」
 アドは頷くと、悲しい笑顔を浮かべてうつむくミンを連れて行った。

「すみません、僕が彼らを連れてきたせいで」
 長のカルタでイクシャが陳謝する。
「やめな。それはイクシャのせいじゃない。そもそもあんたは私の夫の言葉を守ったんだろ? だけど、恩をあだで返すやつらは受け入れられない」
 長はルーアの言葉に頷くも、白い髭を撫でつけながら厳しい表情をした。
「しかし、今は『受け入れられない』で済むが、これからもっと多くの避難民が押し寄せたとき、数はこちらが劣る。家族を失った恨みが消えることはない。逆にこちらが排除されてしまうだろう」
 長の言葉をイクシャが引き継ぐ。
「状況はもっと逼迫ひっぱくしています。もう少ししたら、このカルタも引き上げて、もっと東へ移動せねばならないかもしれません」
 煮え切らない面々に、ルーアが叱咤しったする。
「そんなら、敢えてやつらと同じ行動をする必要はないじゃないか。さっさと東へ移動しちまえばいいんだよ」
 そこで、他の出席者から冷静な声が上がる。
「話はそんなに簡単じゃないだろう。このカルタにだって彼女に疑念を抱いているやつも少なからずいるんだ。いずれ同じ問題が生じる」
 ルーアは発言者を睨みつける。
「あんたもその一人って訳かい?」
「そうじゃない、俺は可能性の話をしているだけだ」
「じゃあ、あんたはどうすればいいって思ってるんだい!?」
「それを今話し合っているんだろう」
 けっきょく、話し合いは紛糾し、解決策を見いだすことはできなかった。

 そしてその日、アドは何度もミンに話しかけたが、彼女は昼間に見せた悲しい笑顔のまま、何も語ることはなかった。

     ☆ ☆ ☆

 この気持ちは何年ぶりだろう。
 正確にはあの頃とは少し違うけれど。
 あの頃は、そんな目を向けられることがただ悲しくて、恐ろしくて、何とかしようと必死だった。
 その結果、自分は笑うというすべを身につけた。
 決して怒らず、泣かず、受け入れて、関係を築いてきた。
 自分の住むこの場所だけを守っていこうと。
 生きるために。
 でも、今は違う。
 あの頃は子供だったから許してもらえていた部分もあるだろう。
 だけど、今は色々なことを知って、成長した。
 その分だけ、周りは甘えさせてはくれない。
 笑ったって無邪気な子供とは違う。
 裏切る力だって、ある。
 だから、誰も信じてくれない。
 ああ、私って何だったんだろう。
 必死に生きて、必死に笑って、残ったものは何もない。
 どこで、間違ったんだろう。
 きっと最初からだ。
 この目を持って生まれてしまったから。
 どこか、遠くへ行きたいなぁ。
 誰も私を知らない、見た目を気にしない。
 そんな国へ。
 父さん、母さん、メナリやイクシャ、アドと別れるのは寂しい。
 私を信じてくれる数少ない人たちは、きっとこれからも私のそばにいてくれるはず。
 だけど、だからこそ、みんな辛い思いをする。
 胸の奥が痛い。
 ああ、そうか。
 あのとき。
 流星が流れたあのときに感じた痛みは、きっとこれだったんだ。
 変わっていく痛み。
 過ごした日々を、捨てなければならない痛み。
 それが分かると、悲しいはずなのに笑えてきた。
 築いてきたものは、何の意味もなかった。
 そうだ、捨ててしまえばいいんだ。
 築いて、捨てて。
 築いて、捨てて。
 それを繰り返せばいいんだ。
 そうすれば、いつかこの痛みにも慣れる。

 生きて、いける。

     ☆ ☆ ☆


 翌日、ミンは相棒のユクの世話をしていた。ユクは小さい頃から、ミンと共に過ごしてきた。だからか、ミンの心情の変化に気づいたのかもしれない。心配そうに顔をこすりつけてくる。
「あはは、大丈夫だよ」
 ミンは笑った。
「でも、これからよろしくね。きっと、長い旅になるから」
 ミンが話しかけると、ユクはいなないた。まるで、「任せとけ」とでも言っているようだった。
「ミン!」
 そこへ、突然声がかかった。
「大変よ! ルーアさんが――」
 それは必死の形相をしたメナリだった。
 嫌な、予感がした。

「母さん!」
 カルタに戻ると、母親がベッドに横になっていた。医者のレングも一緒だ。
「母さん、大丈夫!?」
 ミンの剣幕に反して、ルーアはのそりと顔を向ける。
「ああ、ミン。どうしたんだい、そんなに慌てて」
「何だいじゃないでしょ! ケガは大丈夫なの!?」
「ケガも何も、傷なんて一つも負っちゃいないよ。誰だい? 変な噂流してるのは」
 ミンはそれを聞いてメナリとレングを交互に見た。メナリはばつが悪そうに顔を背け、レングは状態を説明した。
「ただの貧血だよ」
 ルーアは恥ずかしそうに笑う。
「ミンのことを悪く言うやつらがいたもんでさ。一言言ってやったんだよ」
「一言ってレベルじゃないだろう。やつら縮み上がっていたって話じゃないか。それで自分も貧血で倒れてしまうなんて元も子もないだろう。あんたは昔から変わっちゃいないな」
 レングの説教に、微妙な顔をするルーア。
「昔のことは忘れた」
 どうやら、メナリの早とちりらしい。
「もう、母さんたら……」
 ホッと胸をなで下ろしたミンだったが、胸の中の決意はさらに強くなった。
(もう、母さんにこんなことはさせない)

 翌早朝、まだ日が昇る前。
 ミンはユクに乗ってカルタを出た。もちろん、誰にも言っていない。おそらく、今生の別れになるかもしれない。だから、余計な雑念はない方がいい。一人で生きていくのに、感傷など不要だ。
 当てはないが、とりあえず目指すは東。
 ユクの飲み水を確保するためにも、雪解けでできた川沿いに進む。
(ごめんね、ユク。あなただけは巻き込んじゃった)
 そんなことを思うミンとは裏腹に、当の本人(馬)は楽しそうだ。
「ふふ、あなたがいてくれて良かった。私にはもう、何もないから」
 ミンが寂しげに笑った。
「――それは心外だな。僕たちは家族にも等しい存在だと思っていたのに」
 ミンは驚いた。
「ユク、あなたいつからしゃべれるようになったの?」
「ミン、こっち」
 その声を聞いて、すでに勘違いで割と本気で驚いていたミンが、さらに目を見開いた。すぐそばの岩陰から、よく知る顔が三人分現れたのだ。
「アド……イクシャ……それにウイカまで! みんなどうしたの?」
 イクシャは笑う。
「ずいぶん遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
 ミンは訳が分からないという表情で呆然としている。
 おどけるイクシャとは反対にアドは怒っているようだ。
「ミン、『勝手に行くな』っていつも言うのに、自分は何も言わない」
 それを聞いて俯くミン。
「まあ、いいじゃないか。これから旅を共にする仲間なんだから、気にしても始まらないよ」
「……どういうこと?」
「どういうことも何も、言葉の通りだよ。僕とアドとウイカは君と一緒に旅をする」
 ミンは慌てた。
「な、何で!? イクシャはみんなを避難させなきゃいけないし、 アドは……母さんを守ってくれないの!?」
 三人は顔を見合わせた。
「僕の役目はもう終わってるよ。避難民は誘導したし、これから先は彼らがどうするか決めることだ。この腕じゃあ、戦うこともできないしね。だけど……さすがにミンでも自分勝手が過ぎやしないかい?」
「ミン、自分が出ていって、他人に押しつけるの、おかしい」
「そ、それは……私がいたら母さんは……」
「これ、渡してこいって」
「え?」
 見ると、それはアヴェロス祭のときに着ていた伝統衣装だった。
「何で、これを?」
「ルーア、『必要になるときがくるはず』って」
「ちょっとまって! 何で母さんが知ってるの? 私が出てくる前ってことでしょ!?」
「ルーア、言ってたよ。『あの子はたぶんここを出ていくだろう』って。『でも、その方があの子にとって幸せなのかもしれない』って。『あの子を守ってやってくれないか』って」
 ミンは動揺した。
「で、でも、それじゃあ母さんが……!」
「大丈夫。メナリが守るって、約束してくれた。伝言、『私はここで生きる。ここを守るから、安心しなさい。あんたの我が儘に付き合ってあげる。でも、イクシャはいつか返してもらうから』って」
 イクシャは苦笑し、ミンは瞳を揺らした。
「……メナリ」
 そして、ミンはウイカの方を見る。
「ウイカは? おじさんとおばさんに言ってきたの?」
 ウイカは首を横に振る。
「言ってきてないの!? お願いだから、すぐに戻って! みんな心配してるよ!」
 ミンはウイカの行動を意外に思った。内気な彼女がそんな大胆なことをするだろうかと。
「ミン、それは勝手だよ。ミンは、何も言わずに出てきた。私も同じことをしただけ。でも、レリカには言ってきた。あの子は現実主義者だから、ついてこないと思って。だから、お父さんとお母さんのことはお願いしてきた」
 ミンはこんなに饒舌じょうぜつにしゃべるウイカを初めて見た気がする。
「私は、ミンに憧れてた。何でも上手くこなして、皆を助けて。ミンみたいになりたいって思った」
 小さくても、しっかりとした声だった。
「ミンも勝手だけど、みんなはもっと勝手。あんなに頑張ってたミンに酷いこと言って。許せなかった。だから、私は好きな方についていくことにした。憧れてる、大好きなミンの方に」
 もう、限界だった。泣くまいと、笑っていようと決めた幼い頃の自分。前は、いつ泣いたのかも思い出せない。
 気づけば、大量の涙が、次から次へと溢れ出していた。
「みんな熱いなあ。僕はただ旅ができればそれでいいんだけどね」
 イクシャがおどけるが、ミンの涙は止まらない。まるで、何年も溜め込んだ涙を一度に流しているかのようだった。
 その場にいた三人はそんなミンを囲み、抱きしめた。
 イクシャは言う。

「若人四人、何のしがらみもなく、楽しく可笑しく旅をしようじゃないか」


 旅立ちから一週間が過ぎていた。ミンとウイカはポルラン、アドとイクシャはオリーに乗って旅を続けている。
「一人で旅をするのが好きだったけど、こうして仲間と旅をするのも悪くないなあ。話し相手には事欠かないからね」
「イクシャおじいちゃんみたい」
 イクシャの発言を楽しそうに笑うミン。
「おいおい、ミンに言われたくないな。君だってこの前まで、うっかり冬を超してしまった牧草くらいには年不相応だったよ」
「ハハハ、何それ」
 その様子を少し離れて見ていたウイカがボソッと言った。
「二人共、すごく仲が良い」
「そう? 普通、だと思う」
 隣を行くアドがきょとんとして言うと、ウイカはため息をついた。
「はぁ……アドは鈍い」
「どういう、意味?」
「イクシャはミンのことが好き。くっつくのも時間の問題だと思う」
 アドは衝撃を受けた。
「イクシャが? 歳が離れすぎてる、と思う」
「甘い。ミンは、今はともかく大人びてた。精神年齢的には近い」
「……」
 だからと言って、アドにとって何か不利益があるかと言えばそうではない。勢いでついてきてしまったが、いずれこの者たちとも別れる日が来るのだ。
「阻止する」
「え?」
 急に鋭い目つきになったウイカに疑問をもつアド。
 ウイカは前を見据えて言った。
「イクシャには負けない」
 アドは混乱する。
(イクシャはミンのことが好きで、ウイカはイクシャに負けたくなくて……あれ?)
 思考の沼におちいりそうになったアドを、ウイカが引っ張っていく。危うく落馬しそうになりながらついていくと、ウイカは前の二人の間に無理やり入った。
「食料がそろそろ足りない」
「ん? そうだね。そろそろ補給しなくちゃいけないか。確かもう少し行ったところにきょを構えている人たちがいたはずだ。そこで厄介やっかいになろうか」
 基本的に遊牧民は旅人には心が広い。行商人とは交易をするが、そうでなくても食料などは分けてくれる。
「ああ、そうだ。カルタに近づいたらミンはこれをかぶっておくといい」
 それはフード付きの外套がいとうだった。
「僕としては本意ではないけれど、ミンの悲しい顔は見たくないからね」
 ミンは小さく頷いた。
「……うん」


 丸一日後に、四人はカルタに辿り着いた。
「すみません、旅の者ですけど、食料を分けてもらえないでしょうか」
 イクシャが近くにいた気の良さそうな男性に声をかけると、予想通り快諾を得た。
「おお、大変だったね。たくさん持って行くといい。それと、疲れているだろう。今晩くらい泊まっていったらどうだい?」
「それはありがたいですが……どうする?」
 イクシャは他の三人に問う。
「疲れた」
 ウイカが返事をすると、アドとミンも頷いた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 中に入ると、その広さはミンの家と比べると相当大きかった。ベッドも五つあった。
「あの、ここには何人お邪魔してもよろしいのですか」
 イクシャが家主の男性に声をかける。四〇代くらいの気のよさそうな人物だった。歩き方が少しおかしいのは足に障碍しょうがいを抱えているのだと想像がつく。
「ああ、全員ここで構わないよ」
「では、床に寝床を作らせてもらいますね」
「いやいや、ベッドで寝てくれ」
「それではご家族の方に申し訳ありません」
 男性は首を横に振った。
「家族は……今はいないんだ」
「……それは失礼なことをお聞きしました」
「いいんだ。別に隠すことでもないから言うが、私には子供が四人いたんだ」
 男性は少し寂しそうな顔で話す。
「妻はすでに亡くしていたから私と子供たちの五人暮らしだったんだ。長男が二六歳、次男が二五歳、三男が二二歳、長女が一九歳だ。でも、その子供たちも夏の終わりに始まった戦争で旅立ってしまったよ」
 皆、苦い顔をしたが、ミンの表情はフードに隠れてよく見えない。
「……娘さんも?」
 イクシャが尋ねると、男性は苦笑した。
「息子たちに似て男勝りの性格をしていてね。止めたんだが無駄だったよ。私も行ければ良かったんだが、この通り足が悪くてね」
 アドは思う。戦争以外でも悲劇は生まれる。戦争の悲劇を特別だとは考えない。でも、だからこそ、親しい者との別れはいつも変わらず悲しい。
「私はまだどこかで生きていると信じている……ああ、みんなそんな顔をしないでくれ。私は今日、君たちと会えて嬉しいんだ。子供たちが戻ってきたみたいでね。だから、ゆっくりしていってくれ。大したご馳走もつくれないけれど」
「ああ、じゃあ私が手伝――」
 イクシャが申し出ようとしたが、袖をミンが引っ張って彼の言葉を遮った。
「……私が、手伝います」
 男性は眉を上げた。
「おお、それはありがたい。……それにしても、君はフードずっと被っているけど、どうしたんだい?」
 ビクッとしたミンをおもんばかったイクシャが代わりにその質問に答えた。
「彼女は内向的なので人前で顔を見せたくないんですよ」
「そうか、それは悪いことを聞いた」
 ミンは首を横に振った。
「じゃあ、手伝ってくれるかね?」
「……はい」
 皆、ミンを心配したが、彼女がやると言っているのだから好きにさせることにした。
 ミンが調理場に立つと、男性が話しかける。
「いや、悪いね。疲れているだろう」
「……いいえ」
「でも助かるよ。娘はこういうことはからっきしだったからね」
「……」
 男性は芋の皮をきながら昔話をする。
「昔からお転婆てんばで、すり傷は日常茶飯事だったし、いつか大けがをするんじゃないかとひやひやしていたよ」
「……」
 ミンは調理場にあった野草でスープを作りながら彼の話を聞いていた。
「親は心配していたが、あの子はやりたいことは何でも挑戦していた。友達がいじめられているときに、いじめた男の子たちを負かしてきたこともあった」
 ミンのフードの下には複雑な感情があることをアドたちは知っていた。けっしてミンが悪い訳ではない。だが、彼らには何もすることができなかった。
「嫁にもらってくれる人がいないんじゃないだろうかと思ったが、嫁に行く前に行ってしまったな。無事に帰ってきたら、土下座でもしてめとってくれる人を探してやろうかと本気で考えてるよ」
 男性は見えていなかったが、ミンの手の甲にポタポタと雫が落ちているのにアドは気づいていた。
「おお、料理が上手なんだね、君は。さぞかし、親御さんは鼻が高いだろう」
「……そんなこと、ないです。娘さんの方が立派です。きっとお父さんを守りたくて旅立ったんだと思います。すごいと、思います。私にはできません」
 男性はにこやかに笑う。
「そうかい、そう言ってもらえると私も嬉しいよ」
 アドは目を閉じた。
(この星の人たちも、生きている)

 夕食を終えたミンとアドは馬の世話をするために外へ出た。
「今日もありがとうね」
 ミンは順番に水をやり、アドは干し草を与える。
 ユクが水を飲んでいるのを見ていると、突然ミンのフードが外された。
「アド?」
 外したのはアドだった。
「星、綺麗」
 空を見上げると、星々がきらめいていた。
「本当だね。リボスとアラモスもはっきり見える」
 リボスとアラモス。二つの不揃いな星。
「リボスとアラモスはね、双子星って言われてるんだけど、知ってた?」
 アドは首を横に振る。
「でもね、大昔は一つの星だったって吟遊詩人が言ってた」
 アドは頷いて肯定した。
「それはアドも知ってたんだ」
 夜の静寂のせいか、時間の流れが遅く感じる。
「割れる前は、どんな形をしてたのかなぁ」
 二人は地面に腰掛ける。
「どんどん大きくなっているって言うし、他の星ともちょっと違う。不思議だよねぇ」
 ミンの言葉にアドの表情が少し曇る。しかし、明かりの少ない今、ミンはそれに気づかない。
「――リボスとアラモス、近くにある」
「アド?」
「近くにあるから、大きく見える。他の星は、ほとんど、ずっと遠くにある」
 ミンは静かに語り始めたアドを横目で見たが、返事がないのでそのまま大人しく聞いていることにした。
「リボスとアラモス、太陽の光、反射して、輝いてるけど、他の星、自分で燃えて、光ってる」
 ミンは目を閉じた。アドの語る物語・・はにわかには信じられないことだが、彼を通して聞くと、不思議と本当のことなのかもしれないと思ってしまう。
「太陽も、自分で燃えてる」
 目の奥の光のない世界で、ミンはいつか感じた痛みと共に、星のまたたきを見た。
「この星、小さい。世界は、もっと広い」
 ミンはゆっくりと目を開く。
「アド、本当は色んなことを知ってるんだね」
「……」
「もっと色んなこと、知りたいな」
 アドは遠くの星を見つめながら小さく返事をした。

「また、いつか」


 次の日、ミンたちは世話になった男性のカルタの前で、別れの挨拶をしていた。
「それでは、私たちはこれで。とても良くしてくださってありがとうございます」
「ああ、こちらも楽しかった。気をつけてな」
「ええ」
 四人は男性に向かって会釈をする。
「また、良かったらいつでも立ち寄ってくれ」
「……ありがとうございます」
 最後にミンが深々と頭を下げた。

 男性は、小さくなっていく若者たちを見えなくなるまで見送った。
「さようなら、私の子供たち」
 二度目の見送り。
 今度は希望に満ちあふれた旅立ちだった。
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