絵を描くキカイ

和スレ 亜依

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第3話

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 二月。
 学校の中では、ある冊子が出回っていた。そこにはとある小説が書かれていた。内容はコミカルで皮肉に満ちており、これがまたとても面白い。表紙や挿絵には何とも言えない哀愁漂う人物絵が描かれていることも追い風となり、密かな話題になっていた。
 続編が出た頃には、既に多くの生徒の知るところとなっていたのだが、小説に出てくる登場人物が妙に生々しい。内容的には大体次のような感じだ。性格の悪い三人の人間が側仕えの動く人形に色々な無理難題を押しつけるのだが、三人は頭が悪く、毎回人形のいいように弄ばれてしまう。しかも、三人は人形にだまされていることに気づかない。その三人の人間というのが見る者が見ればとあるクラスのとある人物だちにそっくりなのだ。
 その等の本人たちは近頃周囲から妙な視線を感じたり、クスクスと笑われたりすることでようやくその事実に気づいた。
 その本人たちが顔を真っ赤にして美術室に乗り込んできたのは三月に入ってからだった。
「ちょっと、どういうことよ!」
 声を発したのは三人の中心的な立ち位置にいる増田ひかり。長髪に長身でモデルのような体型をしているが、その顔は憤怒に歪んでいる。
「どういうこと、とは?」
 理恵がピクピクと顔を引きつらせながらも、笑顔で対処する。もちろん、抗議の内容は理解している。
「この冊子よ冊子!」
 ひかりの手に握られていたのは件の小説が書かれた冊子。
「この冊子がどうかしたの?」
「どうかしたって美術部発行って書いてあるじゃない!」
「美術部が発行したから当然だと思うけれど」
(やっぱり、条件を引き受けたのは早計だったかな……)
 微妙に後悔しながらも、のらりくらりとひかりの攻撃をかわしていく理恵。
「これ、書いたの美術部の誰かでしょ!? 出しなさいよ!」
「それじゃあペンネームで書いてる意味がないじゃない」
「ふざけないで! 内容もそうだけどこの絵! どう見ても私たちじゃない!」
「似ているだけじゃないの? 冊子にも『これはフィクションであり、実際の人物とは関係ありません』って書いてあるでしょ」
「ああ! もうらちがあかない!」
 ついに頭に湯気が出そうなほど怒った彼女は捨て台詞を吐いて取り巻き二人と共に美術室を後にした。
「ご苦労様」
 奥から声をかける加奈に、理恵は盛大にため息をついた。
「疲れた……何、あの容姿がいいだけの野生動物みたいな生き物は……」
「面白い表現だね」
 そう言ってケラケラと笑う加奈に、ひょっこり現れた心花が複雑な顔をした。
「ちょっとやり過ぎちゃったかな……」
「そんなことないよ、まだまだこれからだから」
「それは同意かもしれない。あんな性格悪そうなのにいじめられてたって……相当嫌なことされたでしょ?」
「まぁ、うん」
「ここまで、荷担しちゃったんだし、最後まで付き合うよ。というか片井さんがノリノリで絵を描いてたの私見てるからね」
「見られてたか……」
「それ、可愛くないから……可愛いけど」
 てへっ、と自分の頭を軽く叩いてみせた小花に、理恵はどっちなんだと言いたくなる感想をもらす。
「いや、普通に可愛いでしょ」
 最後にまた加奈が真顔で爆弾を落とした。



 加奈と小花、それに巻き込まれた理恵に苦境が訪れたのはひかりの来訪からすぐだった。
「これを書いたのは誰ですか!?」
 そうキツい口調で言ったのは木村数子。
 キツい性格でキッツいオバサンと知られている英語教師である。女性の英語教師というのはなぜかキツい性格をしているのだが、彼女は別格である。もちろん、名誉のために言っておくが普通の英語教師もいる。
「それは、言えません。ペンネームで書いておりますので」
 ひかりの時よりさらに顔を引きつらせている理恵。部活動中の一年生は恐れおののき、顧問の若い女性教師は人形と化している。
「かばうというのですか?」
 美術室の影では小花が震え上がっていた。
「やばいよ、どうしよう……! ラスボス来ちゃったよ!」
 対して加奈は冷静だ。
「うん、まぁ来ると思ってたよ」
 キッツいオバサンと理恵の攻防は続く。
「かばうというか、個人情報ですので」
「こうして、罪が明るみに出ているのに個人情報も何もありません! それでもかばうのなら、連帯責任です。美術部として発行している以上、部長としての責任もあります」
(部長として責任があるんだったら、顧問にも責任があるでしょうに……)
 理恵はそう思ったが先ほどから固まっている顧問が哀れで口に出すのはやめておいた。
「責任はありますが、内容がフィクションである以上、問題ではないと思います」
「分かりました。そこまでかばうのでしたら生徒指導部の先生方に謹慎処分を提案してもらいます」
 言い放つ数子に、加奈はため息をついた。
「行くよ」
「……うん」
 これ以上、理恵だけに責任を押しつけることはできない。
 加奈と小花は数子の前に出た。
「やったのは私たちです。処分は受けますし、生徒指導部の先生の調査も受けます」
「やっと出てきましたか。分かりました。では、あとは生徒指導部の先生に引き継ぎます」
 大人しく従う素振りをした加奈だったが、小花は彼女の顔を見て『また、何か企んでるんだろうな』と思っていた。
 事実、加奈は既にさりげなく調査を生徒指導部の教員に引き継がせていた。


「お前らか……。山下はともかく、斉藤と片井まで荷担してるとは思わなかったよ」
 生徒指導部長で体育教師の佐藤。その筋肉に見合わず、普段は大らかな性格をしている。もちろん、やらかした生徒への指導となれば厳しくなるのだが。
 俯く小花と理恵。だが、明らかに空気を読まない者がいた。
「先生」
 加奈は知っていた。実は根の部分ではやはり彼が押しに弱いことを。
「何だ?」
「この冊子はフィクションです。いくら似ているからと言って本人の名前など特定できる情報を出していない時点で罪にはなりません」
「確かにそうだが、道徳上学校では指導しなきゃならん」
「何度も言いますが、これはフィクションで、特定の人物を揶揄したものではありません。指導と言っても何を指導するんですか? それよりも、私は先生に聞きたいことがあります」
「何だ?」
 そこで、加奈は核爆弾を投下した。
「先生ってキッツいオバサンのこと嫌いですよね?」
「ぶほへっ」
 咳き込む佐藤。
「な、何を言っ―」
「嫌いですよね?」
 確定事項のように言う加奈に、佐藤は目をキョロキョロさせる。
「今回の件も本当は裁くほどのことじゃないと思いつつ、木村先生が言うから仕方なく調査してるんですよね?」
 佐藤は周囲を確認し、加奈に顔を近づけて小声で話す。
「……何で分かるんだ?」
「分かるも何もあんなに性格がキツい人を好きな人なんていないと思いますけど」
「……確かに」
 納得していいのか、とツッコミを入れたくなる小花と理恵だったが、この場は加奈に任せると決めたため、口を出すことはしない。
「ということで取引きがあります」
「……何だ?」
「キッツいオバサンが主役の小説も書きますので許してください」
「よし、乗った!」
 妙に嬉しそうに返事をする佐藤に、小花は教師にも色々あるんだなと察した。
「それと」
「どうした?」
「今日の片井さんのポニーテール、可愛いですよね」
「ああ、可愛い!」
 小花はふわっとした少し茶の入った髪を、今日は後ろで一つに結んでいた。しかし、そんなことはどうでもよく、どさくさに紛れて何を言わすんだと小花はジト目になった。この頃からだった。加奈が「小花教」を広め始めたのは。本人にとっては恥ずかしくてたまらないのだが。



「―ということで、今回の件は特定の生徒を揶揄していると言い切るのには無理があり、生徒指導部では不問にすべきとなりました」
 朝の打ち合わせで佐藤が述べると、数子が挙手をした。
「木村先生どうぞ」
 副校長が指名すると、数子が立ち上がる。
「その判断は信じられません。今回の件はどう考えても特定の生徒を指しています。これを放置したら風紀が乱れます。他の先生方もそう思うでしょう?」
 睨みを効かすように周囲を眺めると、他の教師たちは萎縮する。
「他にご意見のある先生はいらっしゃいますか?」
「わ、私からも一言」
 気弱そうな男性教員が手を挙げる。
「どうぞ」
「き、木村先生のおっしゃることも分かるのですが、この件で指導した場合、保護者の方は納得しないと思います。説明も、できないと思います……問題になるんじゃないかと……ひっ!」
 数子が睨んだために彼の発言は尻切れになった。
「お二人とも、ご意見ありがとうございます。では、他の先生方のご意見もお聞きしたいので今回、この件に関して生徒指導部の提案に賛成の方は挙手をお願いします」
 副校長の求めに応じ手を挙げる職員たち。
「多数、ですね。ということで木村先生、大変恐縮なのですが、ご理解いただけますか?」
 数子が不承不承で頷く。
 普段なら、数子の意見がだいたい通るのだが、今回は違った。なぜか。それはほとんどの教員がグルだったからだ。実は副校長が生徒指導部の提案に賛成の者の挙手を求めたのも意図的である。この件に賛成すれば数子が主人公の風刺小説を加奈が書いてくれるらしいという情報が出回っていたのだ。つまり、キツい性格の人は嫌われるということだ。
 しばらくして、件の小説冊子が教員たちの間に出回ることになり、職員室では密かなブームとなった。加奈とすれ違った教師が「小説面白かったよ」とボソッと感想をもらすこともあったくらいだ。教師もストレスがたまっていたのだろう。加奈はそこを上手く突いたのだ。
 因みに冊子の表紙こそ本人にバレないよう当たり障りのないものだが、挿絵にはきっちり哀愁漂う本人の風刺絵が入っている。ここから、小花もノリノリで参加していたことが分かる。
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