簒奪帝は前帝の妹姫を狂愛する

黒崎

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復讐を抱く

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   かつてこの国には神獣たる麒麟がいたとされる。
 麒麟は皇帝に超常の力を与えた。
 皇帝はその力を持って国を統一し、麒麟は国の象徴となった。
 麒麟は天の使い、或いは神そのものを示す"天"と呼ばれるようになった。
 小国から大国となり、より多くの争いが増えた。血を血で洗う、混沌の時代が続いた。
 麒麟は穢れを嫌う。
 人の醜さを、おぞましさを、あまりに多くの穢れを見てしまったからか、
 麒麟が姿を見せることは減り、やがて人の時代になる頃には完全にその姿を消してしまっていた。
 神獣たる麒麟が歴史から姿を消して、幾星霜。
 
 神代の時代は終わりを告げ、人の時代が訪れてから数百年。
 この国の皇帝は麒麟の血を引くという伝説があった。
 其れが事実だという証拠は無かったが、歴代の皇帝達はその伝説に則り、
 自らを天の遣いたる麒麟に準え、天子と呼称した。
 
 そんな天子たる今代の皇帝は、今や地下牢に幽閉され、その命の灯火を絶えさせようとしていた。
 
 一目見てわかる悪辣な環境。とても貴人を囚える場とは思えぬ程であり、異様な悪臭が立ちこめ、あちこちに小動物の死骸が転がっている。
 空気も淀み、長く居れば肺を悪くすることは確実だろう。
 その牢の囚人は、拷問でも受けたのか、四肢の至る所に大小様々な傷があり、うっすらと血も滲んでいる。
 囚人――この世で最も尊ばれる、天子たる皇帝の姿とは思えぬ程惨めであった。
 例え宮中の者が見ても、薄汚れた賎民としか思えないだろう。
 
 かつて絹の様だと讃えられた美しい銀の髪は色褪せ、この世のものでは無いと謳われた美貌は面影も無く、宝石の様に輝いていた両の瞳は失われ、左の瞳のみを残している。
 
 美しかった右の瞳は、苛烈な拷問の末、あの男がぽつりと呟いた言葉で奪われた。
「――その瞳。僕が取ってしまえば、あの目には私しか映らなくなるだろうね」
「せめてもの慈悲だ――片方だけにしてあげよう」
 そう言って、気紛れに奪われた。

 囚人は弱り果てていた。身も心も、何もかも。いっそこのまま朽ちても良いと考えてしまうほどに。
 あの男への怒りも、憎しみも、飲み込めるものではなかったが、それ以上にこの悪辣な環境が自身を弱らせていた。
 
 ただ一つ、自身をこの世に留めていたのは、唯一無二の妹姫の存在。

 国も臣達も捨ててしまえば、後の心残りは、家族たる妹のみ。

 ふと、もの音が聞こえた。
 何事かと耳を澄ませば、何やら足音が聞こえる。

 はて。誰だろうか――あの男が、また虐めに来たか。よく飽きもしないなと嘲笑を浮かべながら、その来訪を出迎える。

 ――予想を裏切り、その相手は愛しの妹姫であった。
 
 己と同じく銀髪に、皇族の証たる紅の瞳は輝き、今だ幼さの残る美貌を曇らせながらも、妹は凛として歩いてくる。
「――何故、来た……林杏」
 囚人は驚いた。囚われの身の己と違って、憎し敵に綿に包まれるように大事にされていた筈の妹が、何故ここにいるのだと。

 その後ろに侍るのは――簒奪者であり新皇帝を名乗る憎し相手――袁。
 微笑む男の表情が、憎い。
 こいつが手引きしたのかと悟り――、その姿を目にしながら、何も出来ない現状に歯ぎしりを唸らせる。
 
 気付けば格子の前で妹姫が膝をついていた。思わずやめよ、と声に出そうとする。
「兄様。――お身体に、それ程の傷が……」
 格子越しに妹が手を伸ばし、痩せた己の頬に触れる。
「私が――私が兄様の命だけはと望んだからでしょうか」
 違う、と叫ぼうとするが、妹の指が押し留める。
「いえ。兄様は、私の助命を嘆願したのでしょう」
 ふっと儚く微笑む妹の表情は、厭に大人びていて――、
 この娘は、身を売るつもりなのだと。
「ならば、私もまた、兄様の助命を望んだだけ――」

「幸い、袁様はその条件を受けてくださいました。……私が兄様の代わりに、なると言えば――あの方は叶えくれるとそう仰って」
 
 あの方はお優しいから、とそう妹姫が言う。
 
 ああ。なんということか――呆ける思考とは裏腹に、視界の端に映るあの男は笑っていた。いや、嗤っていたと言うべきか。
 己が出した助命も、最初から意味は無かった――いや、むしろ出させることでこの茶番は為っていたのか。
 己が妹を助けようと見越した上で――この惨めな姿を目にさせる。
 優しい妹は心を痛め、代わろうとするだろう。
 互いが互いの身を案じた末を、奴は笑って見ていたのか――。
 悪魔。化け物。人ならず。
 あらゆる罵詈雑言を尽くしても、あの男の本性は語れないだろう。
 男が笑っている。
 愉悦の色を含んだ瞳が、己を見据える。唇が動く。
 ――さて。どうでしょう。
 
 全てがこの男の遊びなのだと理解させられ――心が、燃え上がった。
 怒りが沸いた。憎悪が吹き出た。
 
 囚人は誓う。
 必ず奴を追い詰めると。
 生きてきたことを後悔させ、命を絶ってやる。
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