冤罪令嬢、タイムリープで犬猿の仲の幼馴染と恋に落ちる

ヅハ

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一章

魔法より深い忠誠

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翌朝。

フィリシアは玄関前に立ち、制服の裾をそっと整えた。馬車の車輪が石畳に止まる音が、出発の時を告げていた。

「本当に、もう行くのね……」  

母ルイーゼがそっと近づき、フィリシアの髪を撫でる。

「うん。学園に戻らなきゃ」  

フィリシアは笑顔を作ったが、胸の奥では不安が渦巻いていた。事件の記憶──それが、彼女の心を静かに締めつけていた。

ルイーゼはフィリシアの頬に手を添え、じっと目を見つめた。  

「あなた、無理して笑ってるでしょう?……母親にはわかるのよ」  

その言葉に、フィリシアは一瞬、目を伏せた。

「……何だかちょっと不安なの……」

「ええ、あなたはいつもそうだった。小さい頃、夜に雷が鳴っても、ガブリエルたちを守るために布団から出て行った子だったわ」  

ルイーゼの声は、誇らしさと切なさが混じっていた。

「でもね、フィリシア。守ることばかり考えないで。あなた自身が傷ついたら、誰があなたを守るの?」  

「……お母様が、守ってくれる?」  

「もちろんよ。遠くにいても、ずっとあなたの味方。だから、辛い時は思い出して。あなたには帰る場所があるって」

フィリシアは、母の胸に顔を埋めた。ルイーゼはそっと抱きしめた。

「……ありがとう。行ってくるね」  

「ええ。行ってらっしゃい、私の誇りの娘」

父ターキッシュは何も言わず、ただフィリシアの頭に手を置いた。無骨なその手は、言葉よりも多くを語っていた。  

「……気をつけて行け」  

短く、それだけを言って、彼は背を向けた。

「お姉様、またすぐ帰ってきてね!」  

「次は一緒にピクニックしましょうね!」  

従弟と従妹たちが駆け寄ってきて、フィリシアの腰にしがみついた。彼女はしゃがみ込み、ぎゅっと彼らを抱きしめる。

「うん、すぐ戻るよ。……約束する」  

その言葉に、子どもたちは満面の笑みを浮かべた。けれどフィリシアは、心の中でそっと呟いた。  

(戻れるかな……ちゃんと、全部終わらせられるかな)

馬車の扉が開き、御者が静かに頭を下げる。母の優しい微笑み、父の背中、従弟従妹たちの小さな手。

「行ってきます」  

そう言って、フィリシアは馬車に乗り込んだ。扉が閉まり、車輪が動き出す。屋敷が遠ざかるにつれ、胸の奥にぽっかりと空いた穴が広がっていく。



---

馬車は静かに走り出し、屋敷の門が遠ざかっていく。  
フィリシアは窓辺に頬杖をつきながら、揺れる景色をぼんやりと眺めていた。  

(……あの時、何が起きたの?)

 王太子の処刑。  

 そして、自分の杖から放たれた“あの魔力”──

(確かに、あれは私の杖だった。間違いなく、私のもの)

 けれど、あの魔力は自分の意思ではなかった。  
 気づいた時には、杖が勝手に反応し、王太子の方へ魔力が走った。

(じゃあ……あれは、私の魔法じゃない?)

 フィリシアは眉をひそめた。  

(杖に、魔力が仕込まれていた?)

 魔法具に“魔力の痕跡”を残すことは可能だ。  
 特定の魔法を封じ込める技術もある。  
 もし誰かが、フィリシアの杖に闇の魔力を仕込んでいたとしたら──

(犯人は、私の杖に触れられる人物)

 学園内で、フィリシアの私物に自由に触れられる者。  
 魔法学科の生徒か、教師か。  
 

(……魔法学科の誰か?それとも、先生?)

 疑念が胸の奥に広がっていく。  
 信じていた人たちの顔が、次々に思い浮かぶ。  
 セシル、ルシアン、ライナー──いや、彼らがやるとは思えない。

(でも、誰かが……私の杖に、何かを仕込んだ)

 その瞬間、馬車が小さく揺れ、窓の外に見慣れた尖塔が見えてきた。

(……もう着いたの?)

 思考に沈んでいたせいか、時間の感覚が曖昧だった。  
 学園の門が近づいてくる。  


(まずは、杖を調べる。魔力の痕跡が残っているかどうか。そこから始めよう)

 馬車が止まり、扉が開く。  
 フィリシアは、決意を胸に、学園の石畳へと足を踏み出した。

---


学園の門をくぐると、春の陽光が石畳に反射してまぶしかった。  
フィリシアは馬車を降り、正門の前で深呼吸する。

(まずは、杖の魔力痕跡を調べる。それから──)

「フィリシア、来てくれ」

 玄関ホールの奥から、教師が声をかけた。  
 年配の男性教師は、眼鏡越しにフィリシアを見据えていた。

「監督生長として、今日の書類整理を頼みたい。剣技学科のライナーと一緒にやってくれ」

「……彼と?」

 フィリシアの声がわずかに低くなる。  
 教師は有無を言わせぬ口調で書類を手渡すと、足早に去っていった。

──そして、数十分後。  
事務室の窓からは、午後の光が斜めに差し込んでいた。  
棚には古い記録簿が並び、紙の匂いとインクの香りが混ざり合っている。  
フィリシアとライナーは、机を挟んで山積みの書類と格闘していた。

 静かな紙の音だけが響く中、ライナーがぽつりと呟いた。

「……お前さ、一昨日から変わったよな」

 フィリシアは手を止めて、ライナーの方を見る。  
 彼は目も合わせず、書類をめくりながら続けた。

「全然喋らねぇし、声も震えてる時がある」

 その言葉に、フィリシアは少し驚いた。  
 彼女の指先が、紙の端で止まる。

(……そんなふうに思ってたんだ)

「まだ病み上がりだからよ」

「だったら早く治癒魔法使うなりして治せよ」

「今回は結構重いのよ……」

「嘘つけ。いつものお前ならその馬鹿力で治してるだろ」

 フィリシアはため息をつき、窓の外に目をやった。  
 風に揺れる木々の影が、床に揺れている。

「そんな簡単には……」

「魔法学科のくせにそんなこともできねぇのかよ」

 その一言に、フィリシアの眉が跳ね上がる。  
 彼女はゆっくりと顔を上げ、ライナーを睨みつけた。

「何ですって?魔法すら使えない人に言われたくないわ!」

「そりゃ、俺は剣技学科だから使えるわけないだろ」

「じゃあ何も言わないで!」

 空気が一気に張り詰める。  
 事務室の静けさが、逆に怒気を際立たせる。

 ライナーは少し黙った後、皮肉っぽく笑った。

「お前、全然元気そうだな。余計な心配だったか」

 その言葉に、フィリシアの怒りが爆発する。

「あなたって、いつもそうやって人を見下すような発言をするわよね! だから私がこんなに体調が悪くなるのも仕方ないわよ!あなたと話してると頭が痛くなる!」

「人のせいにすんなよ。俺だってお前と話してるとおかしくなりそうだ」

「あら、私はあなたと違ってそんな乱暴な言葉遣いはしないけれど?」

「お嬢様ぶるなよ。本当はただいつもイライラしてるだけのおてんば姫のくせに」

 フィリシアのこめかみがピクッと跳ねた。  
 彼女は椅子を蹴るように立ち上がる。

「……あら、なに?そんなに私とやり合いたいの?」

 ゴゴゴゴゴ……  
 空気が震えるほどの怒気が、フィリシアの周囲に立ち込める。

「……ああ、上等だ。表出るか?」

 ライナーも剣に手をかけ、ゴゴゴゴゴ……と怒りのオーラを放つ。

 二人は同時に立ち上がり、杖と剣を構え──

次の瞬間だった。

コンコンッ

「おーい二人とも、入るよー」

 ルシアンの明るい声が、事務室の外から響いた。

 ピタッ。

 二人はその場で静止した。  
 杖を構えたフィリシア、剣を抜きかけたライナー。  
 互いに目を合わせ、無言のままゆっくりと武器を下ろす。

 扉が開き、ルシアンが顔を覗かせる。  
 彼の手には、焼き菓子の包みが乗ったトレイ。

「……あれ?なんか空気、重くない?」

 二人は無言で笑顔を作った。  
 ぎこちなく、引きつった笑顔を。

「えっと……差し入れ持ってきたんだけど、タイミング悪かった?」

(……この業務、地獄だわ)  
(……この業務、地獄だな)

 心の声が、ぴったり重なった。

---


事務室の空気は、さっきまでの怒気が嘘のように静まっていた。  
ルシアンが持ってきた焼き菓子の香りが、紙とインクの匂いに混ざって甘く漂っている。

フィリシアは一口かじると、目を見開いた。

「……おいしい~!」

 口の中に広がるバターの香りと、ほんのりとした柑橘の風味。  
 彼女は思わず笑顔になり、ルシアンに向き直る。

「ありがとうございます、ルシアン様。とっても美味しいです!」

 ルシアンは照れくさそうに笑いながら、トレイを机に置いた。

「よかった。あまり食べることないお菓子だったから、少し心配だったんだけどね」

 隣で黙っていたライナーの皿は、まだ手つかずのまま。  
 それに気づいたルシアンが、軽く声をかける。

「ライナーも食べなよ。」

「……俺、甘いもの苦手なんで大丈夫っす」

 ライナーは視線を逸らしながら、ぼそりと答えた。

「せっかくルシアン様が持ってきてくださったのだから、食べなさいよ!」

 フィリシアが眉をひそめて言うと、ライナーは小さく舌打ちした。

「……うるせ」

「はあ!?何その態度!」

 また空気がピリつき始めた瞬間──  
 ルシアンが、ライナーの口元に焼き菓子をすっと差し出した。

「はいはい、喧嘩しない。これは甘さ控えめのやつ。騎士団仕様だよ」

 ライナーは一瞬、目を見開いたが、無言でそれを受け取ると、口に運んだ。  
 もぐもぐと噛みしめるその姿を、フィリシアはじっと見つめていた。

「どう?美味しい?」

「……美味いっす」

 その答えに、ルシアンは満足げに微笑んだ。

 フィリシアは、二人のやり取りを見ながら、ふと考え始める。

(そういえば──二人は、私とセシルのように幼い頃から一緒だったよね)

 けれど、セシルと自分のような“親友”ではない。  
 ライナーは、ルシアンに“仕える者”として接していた。

(彼は将来、国王に仕える近衛騎士団に入る。  
 ルシアン様を守る立場になる人──だから、友人というより、主君として敬愛しているのよね)

 その関係性が、言葉の端々に滲んでいる。  
 ライナーの無骨な態度も、ルシアンへの忠誠心が根底にある。

(だから──あの時)

 フィリシアの胸に、事件の記憶がよぎる。  
 自分の杖から放たれた闇の魔力が、高速でルシアンの方へ向かった瞬間。

(ライナーは、守るという思いで、傷を負いながらも全て斬った)

 あの一撃。  
 闇の魔力を斬って、あの傷で済ませられる者など、普通はいない。

(……彼は、命を懸けていた)

 フィリシアは、焼き菓子をもう一口かじりながら、静かに目を伏せた。  
 その甘さが、ほんの少しだけ、胸のざわめきを和らげてくれた気がした。

---



フィリシアは、学院の図書館の奥にある魔法理論書の棚に立っていた。  
古びた革表紙の書物を一冊ずつめくりながら、彼女の指先は震えていた。

(私の杖が──勝手に魔力を放った。あの時、私は呪文を唱えていない)

 それは、魔法使いにとってありえない現象だった。  
 杖は、持ち主にのみ忠誠を誓う。  
 他者が呪文を唱えても、反応しないのが常識。

 けれど、あの闇の魔力は確かに自分の杖から放たれた。  
 それを確かめるため、フィリシアは“杖の忠誠”に関する文献を探していた。

 一冊の分厚い魔法理論書に、彼女は目を留めた。

 「杖は、持ち主に一生の忠誠を誓う。  
  他者が呪文を唱えても、魔力は発動しない。  
 ただし、例外が存在する──」

 フィリシアは息を呑み、ページをめくる。

  「例外①:杖の持ち主より、圧倒的に強い魔力を持つ者が握った場合、  
 杖は忠誠を捨て、その者に従うことがある」

(圧倒的な魔力……そんな人物が、私の杖に触れた?)

「例外②:強力な催眠魔法を用い、杖に“持ち主である”と錯覚させることで、  
一時的に操ることが可能。ただし、この魔法を使える者は極めて稀である」

(催眠魔法……そんな高度な術を使える人が、学院に?)

 「例外③:呪文を唱えずとも、強力な魔力を杖に込めることで、  
  杖が暴走し、魔力を放つことがある。  
  この現象は、魔力の不安定な者に稀に見られる」

(暴走……でも、私はその時、魔力を込めた覚えはない)

 フィリシアは本を閉じ、静かに立ち上がった。  
 

(この件は、私ひとりでは判断できない)

 彼女は図書館を後にし、魔法学科棟の最上階へと足を向けた。  
 そこには、グラフィス学園魔法学科の主任──元・王国魔導師長、マクセル先生がいる。

 魔法理論の第一人者であり、王国の魔法制度を築いた人物。  
 フィリシアは、彼女の知識と洞察にすがるしかないと感じていた。

(マクセル先生なら……何か知っているかもしれない)

 彼女の足取りは、焦りと決意に満ちていた。  
 杖の裏切りが意味するもの──それは、魔法使いとしての根幹を揺るがす事態だった。

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