冤罪令嬢、タイムリープで犬猿の仲の幼馴染と恋に落ちる

ヅハ

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一章

…ライナー?

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昼下がりの陽射しが、カーテン越しに柔らかく差し込んでいた。  
フィリシアは机に頬杖をつきながら、昨日のフレジェの味を思い返していた。

苺の甘酸っぱさ、ふわふわのムースリーヌ、サクサクのダコワーズ。  
口の中に広がる記憶の味わいに、思わず微笑みがこぼれる。

(……また食べたいな。次はルシアンと一緒に)

そんなことを考えていた時だった。

「あっ」

小さく声が漏れる。  
机の端に置かれた杖が、視界の端に映った瞬間、記憶がよみがえった。

(杖の検査……忘れてた!)

高等部に進学した時、母から贈られたこの杖。  
元魔法使いだった母が、特別に選んでくれたもの。  
見た目は持ち手が太く、先に向かって細くなる茶色の木製。  
黄色い魔法石がところどころに埋め込まれていて、少し重みがある。

(マクセル先生に見てもらうって、前々に決めたのに……)

フィリシアは慌てて立ち上がり、杖を手に取った。  
持った感触に異常はない。けれど、検査はしてもらわなければならない。

(先生、今なら研究室にいるはず)

──

マクセル研究室の扉をノックすると、すぐに優しい声が返ってきた。

「どうぞ、お入りください」

フィリシアが扉を開けると、マクセル先生は書類を整えていたところだった。  
銀縁の眼鏡をかけた穏やかな顔が、フィリシアを見るとすぐに微笑む。

「フィリシアさん。どうされましたか?」

「先生……杖の検査をお願いしたくて。前にお願いしようと思ってたのに、すっかり忘れてて……」

フィリシアは杖を差し出す。  
マクセル先生は丁寧に受け取り、机の上にそっと置いた。

「承知しました。少々お時間をいただきますが、よろしいですか?」

「はい。お願いします」

先生は杖に手をかざし、静かに魔力を流し込んでいく。  
部屋の空気が、少しだけ張り詰めた。

フィリシアは椅子に腰掛けながら、先生の横顔を見つめた。  
その仕草はいつも通り穏やかで、丁寧で、信頼できるものだった。

(先生の手に渡ったなら、きっと大丈夫)

けれど、杖の周囲に浮かび上がった魔法陣が、ほんの一瞬、揺らいだように見えた。

(……今の、何?)

フィリシアの胸に、小さな疑問が灯る。


---


「黒呪法……」

フィリシアの声は、かすれていた。  
その言葉が口からこぼれた瞬間、空気が冷たくなった気がした。

マクセル先生は、杖をそっと机に置いた。  
その仕草は、まるで危険物を扱うように慎重だった。

「……断定はできません。ただ、杖に流れる魔力の構造に、通常とは異なる“歪み”が見受けられます。  
それが黒呪法によるものかどうかは、今の段階では判断しかねますが……可能性は否定できません」

フィリシアは息を呑んだ。 

「先生……つまり……やはりこの学園に黒呪法を使える人物が…?」

声が震えていた。  
フィリシアは、杖を見つめながら、記憶を探った。  
もしかしたら、自分の知らない間にこの杖に何か起こってたのかもしれない…。

マクセル先生は、少しだけ間を置いてから、静かに言葉を継いだ。

「フィリシアさん。あなたが意図的に黒呪法を用いたとは、私は考えておりません。  
先程も先述した通り、黒呪法を使える人物は世界で見ても極めて稀です。…しかし万が一、この学園にいるとするなら……学園内を調べなければならない。  」

先生は一度視線を落とし、言葉を選ぶように沈黙した。  
そして、ためらいながらも、口を開いた。

「……黒呪法について教えるのは気乗りしませんが、念のため、黒呪法について少しだけご説明しておきましょう。  この国では、黒呪法の使用・取得は厳しく禁じられております。  

もし所持や行使が確認された場合、たとえ未成年であっても、重い刑罰が科される可能性があります」

フィリシアは息を呑んだ。  
その言葉の重さが、胸にずしりとのしかかった。

「黒呪法は、世界魔導禁制法典という、世界的に禁  止された術式を記す法典に載っているほど驚異的なものです。

過去にも、黒呪法を用いた事件がいくつも記録されています。  
いずれも、深刻な被害をもたらしたものばかりです。  
……ですから、万が一にも関与が疑われる場合は、慎重に対処する必要があるのです」

先生の声は、静かだった。  
けれど、その奥には、警戒と不安が滲んでいた。

「この杖は、しばらく私の方でお預かりいたします。  
解析には多少時間を要しますが、できる限り急ぎますので。  
もし何か思い出されたことがあれば、些細なことでも構いません。すぐに私にお知らせください」

先生は眉間にシワを寄せて語りかけるように言う。フィリシアは、こくりと頷いた。  
胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。

その時、あの時の記憶が頭に浮かび上がった。

突然杖から出て……そしてルシアンへと散った
闇の魔力。

(もうすでにこの杖は誰かに手を付けられていた…?)

そう思った瞬間、喉の奥が詰まりそうになった。  
けれど、落ち着かなくては。 
今は、真実を知ることが先だった。

マクセル先生は、少しだけ表情を和らげて言った。

「図書館にも、黒呪法に関する記述が残されている可能性があります。  

あまり多くはありませんが、古い文献の中に、参考になるものがあるかもしれません。  

ご自身でも、調べてみてください。何か手がかりが見つかるかもしれません」

フィリシアは、静かに頷いた。  
その瞳には、恐れと決意が混ざっていた。

---



マクセル先生の言われた通り、あの後すぐフィリシアは図書館に行き、黒呪法に関する本を探そうとしていた。
図書館の自動扉が静かに開き、フィリシアは一歩、足を踏み入れた。  
ひんやりとした空気が肌を撫で、外の喧騒がすっと遠ざかっていく。

高い天井と整然と並ぶ書架が、静寂の中に知識の重みを漂わせていた。

(黒呪法……)

マクセル先生の言葉が、まだ胸の奥に残っていた。  
“黒呪法の痕跡”“過去の事件”“重い刑罰”——  
その一つひとつが、フィリシアの心に冷たい影を落としていた。

(何か、手がかりがあるはず)

彼女は魔法理論の棚を一つずつ見て回った。  
古びた革表紙の本、魔法陣の図解、呪文の語源辞典。  
その中に、ひときわ古く、埃をかぶった一冊が目に留まった。

『黒呪法の基礎と禁忌』

指先が背表紙に触れた瞬間、空気が少しだけ重くなった気がした。  
フィリシアはそっと本を引き抜き、近くの閲覧席へ向かおうとした。

その時——

「っ……!」

角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。  
本が手から滑り落ち、床に鈍い音を立てて転がる。

「……あ、ごめんなさ——」


フィリシアが顔を上げると、そこにいたのはライナーだった。  

「お前かよ…」

彼は眉をひそめ、少し呆れたような声でそう言った。  
制服の袖をまくり、無造作に髪をかき上げながら、じっとこちらを見ている。

(ライナー!?何で図書館に!?)

フィリシアはすぐに本を拾い上げ、腕に抱え直した。  
視線を逸らしながら、距離を取るように一歩下がる。

(いつもは図書館なんて来ないのに……なんで…… こんな時に…!)

彼の存在は、いつも騒がしくて、気が散ってしまう。  
しかも、今読もうとしていたのは“黒呪法”の本。  
知られたくなかった。触れられたくなかった。



「……私は、もう行くから」

フィリシアは足早に自動扉の前まで歩いた。  
扉が静かに反応し、開きかけたその瞬間——

「おい、待てよ!」

ライナーの声が、背中越しに届いた。

フィリシアは立ち止まり、振り返る。  
その動きで、腕に抱えた本の表紙が、はっきりとライナーの視界に入った。

『黒呪法の基礎と禁忌』

風が、廊下の窓から差し込む光を揺らした。  
ライナーの目が、フィリシアの腕に抱えられた本へと吸い寄せられる。

「それ、何だよ」

彼の声は低く、鋭かった。

「なにって……本よ」

フィリシアは視線を逸らしながら答えた。  
足元の石床が、急に冷たく感じられる。

「黒呪法って……どういうことだよ?」

ライナーが一歩近づく。  
その足音が、廊下の静寂に響いた。

「なっ……何でもないわよ!」

フィリシアは本を抱きしめるように腕を強めた。  
心臓の鼓動が、耳の奥で鳴っている。

「何でもないならそんな気味の悪い本借りないだろ」

「だから何でもないってば!」

声が少し上ずった。  
フィリシアはライナーの視線から逃れるように、図書館を飛び出した。

──

外の空気は、昼の陽射しに照らされていたが、どこか冷たかった。  
人通りのない中庭。石壁に囲まれ、風の音だけが微かに響いている。

「待て!」

ライナーの声が再び背中を追う。  
足音が近づき、フィリシアの腕を掴んだ。

「教えろよ!」

「何でもないって言ってるでしょ!しつこいのよ!」

フィリシアは振り向きざまに、ライナーの胸を押した。  
その衝撃に、ライナーはよろめき、一瞬バランスを崩す。

石畳の上で足を踏み直した彼が、フィリシアをきっと睨んだ。

その形相に、フィリシアの身体が震えた。  
風が髪を揺らし、彼女の瞳が大きく見開かれる。

ライナーは再びフィリシアの手を掴む。  
その手は強く、容赦がなかった。

「何すんだよ!」

「離してよ!」

フィリシアは力いっぱいライナーを突き飛ばす。  
彼はまたバランスを崩し、足元が揺らぐ。

だが次の瞬間、ライナーはフィリシアの両腕を掴み、  
そのまま石壁へと押し当てた。

「隠してんじゃねぇよ!言えつってんだろ!」

怒鳴り声が、静かな中庭に響いた。  
フィリシアの背中に冷たい石の感触が走り、腕にライナーの力が食い込む。

彼の顔がすぐ目の前に迫る。  
怒りに燃えた瞳。  
けれど、その奥にあるのは——焦り。  
何かを失うことへの、切実な恐れ。

フィリシアは動けなかった。  
その大きな瞳で、ライナーを見上げる。  
恐怖が、瞳の奥に広がっていた。



フィリシアの背中を石壁に押しつけたまま、ライナーは怒りに満ちた瞳で彼女を見下ろしていた。  
その瞳は、問い詰めるように、責めるように、彼女の奥を探っていた。

だが——

フィリシアが震える唇で、かすかに言った。

「……ライナー……?」

その声は、怯えと戸惑いに満ちていた。  
まるで、目の前の彼が“知らない人”に見えたかのように。

ライナーは、はっとした。

その一言が、彼の怒りを切り裂いた。  
フィリシアの瞳に映る自分が、恐怖の対象になっていることに気づいた瞬間——  
胸の奥が、キュッと締め付けられた。

彼女の瞳は、涙をこらえるように揺れていた。  
その視線が、ライナーの心を貫いた。

「……っ」

ライナーは、何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。  
手を離す。  
フィリシアの腕から力が抜け、彼女は壁からそっと身体を離した。

ライナーは一歩、後退りする。  
その顔には、怒りではなく——後悔と混乱が浮かんでいた。

風が、二人の間を通り抜ける。  
中庭の静けさが、急に重く感じられた。

フィリシアは、まだ怯えたまま、彼を見つめていた。  
ライナーはその視線から逃れるように、目を伏せる。

そして、何も言わずに背を向けた。

足音は重く、ゆっくりと遠ざかっていく。  
石畳の上を歩くその背中は、どこか小さく見えた。

フィリシアは、その場に立ち尽くしたまま、  
胸の奥で何かが崩れ落ちる音を聞いた気がした。


「何なのよ…あいつ…」

落ちた本を拾い、フィリシアは自分の髪先を掴む。

「何で知ってるのよ…」

フィリシアはそう言って空を見上げる。
青く晴れたその空は、今の空気感を知らないくらいに地面を照らしていた。



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