冤罪令嬢、タイムリープで犬猿の仲の幼馴染と恋に落ちる

ヅハ

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一章

剣技日和、心は曇り

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ー夜ー


月明かりが窓から差し込み、机に置かれた分厚い本の頁を淡く照らしていた。

セシルはその光を小さな灯りのように頼りながら、指先で文字を追う。

静まり返った部屋には紙の擦れる音だけが響き、時間さえも月の光に縫い止められたかのようだった


セシルが本を閉じた瞬間、扉が控えめにノックされた。  
こんな時間に?と首を傾げながら扉を開けると、そこにはフィリシアが立っていた。制服の襟元は少し乱れ、目元には疲れと迷いが滲んでいる。

「今夜、ここにいてもいい?」  

声は小さく、けれど確かだった。

セシルは驚きながらも、すぐに頷いた。

「もちろん。どうしたの?」

フィリシアは部屋の隅に腰を下ろし、少しの沈黙のあと、ぽつりぽつりと今日の出来事を語り始めた。  
ライナーとの会話、彼の態度、そして——黒呪法のこと。

セシルは息を呑んだ。

「黒呪法って……そんな、彼が?」

フィリシアは頷く。

「ライナーは…何か言いかけてた。それが何か分からないけど……」

セシルはそっとフィリシアの隣に座り、言葉を選びながら話し始めた。

「ライナーってね、昔、お母さんを亡くしてるの。まだ小さい頃に。」

フィリシアが目を見開く。

「……どうして知ってるの?」

セシルは少し照れたように笑った。

「前にこっそり、剣技学科の人たちの話を聞いちゃって。
葬式の時の彼の顔、見たことのない顔してたって……
誰も声をかけられなかったって。

そのことが、今回のことに関係するのかは分からないけど、彼なりの事情が合ったのかしらね」

部屋の灯りが、二人の間に静かに揺れていた。  
フィリシアはその光を見つめながら、ライナーの孤独を思った。  
あの冷たい瞳の奥に、どれだけの痛みが隠れていたのだろう。

セシルはそっとフィリシアの手に触れた。

「彼、不器用だけど……優しいよ。きっと、あなたにだけ見せてる顔がある。」

フィリシアは黙って頷いた。  
心の奥に、少しだけ温かいものが灯った気がした。

「…どうしてライナーが黒呪法のことを知ってるのか分からないけど、もし彼が私を思っての行動だったのなら…。」

フィリシアの鼓動が高くなる。
あの怒りの先には、その怒りを見せるぐらいに、もしかするとフィリシアを巻き込みたくないという思いから来ているのかもしれない…。

「ありがとうセシル…気休めだけど、少し楽になったかもしれない」

「うん。良かった」

セシルはニコッと笑う。彼女の優しさにはいつも驚かされる。


セシルの部屋の灯りは、今はベッド脇の小さなランプだけ。  
柔らかな光が、白いシーツと二人の髪を優しく照らしていた。

フィリシアはセシルの隣に横になり、天井を見つめていた。  
心の中には、今日の出来事がまだ渦を巻いている。

「……私、何も気づけなかった」

その言葉は、ぽつりと夜の静けさに溶けた。

セシルは少しだけ顔を向けて、優しく微笑んだ。

「あら、仕方ないわよ。人の痛みって、見えないものだもの。  
でも、気づこうとすることが大事なんじゃない?」

フィリシアは目を伏せたまま、静かに頷いた。

セシルは、少しだけ声の調子を変えて言った。

「そうだ、明日はせっかくの休日だし、気分転換に街へお散歩でもしない?  
市場も賑わってるし、甘いものでも食べましょ。ね?」

フィリシアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「……ええ。行きたいわ」

セシルは満足げに「よかった」と言って、そっと布団を整えた。

二人の間には、言葉にしなくても伝わる安心感があった。  
フィリシアは目を閉じながら、セシルの存在に包まれていくような気がした。

「おやすみ、フィリシア」

「……おやすみ、セシル」

外では風が静かに木々を揺らしていた。  
その音を聞きながら、フィリシアは少しずつ眠りに落ちていった。

明日、街で何かが変わるかもしれない。  
そんな予感が、夢の手前でふわりと胸に灯った。

---

朝の光が、寮の窓を柔らかく照らしていた。  
フィリシアとセシルは並んで馬車に乗り、街へ向かっていた。

馬車の中は、窓から差し込む陽射しと、揺れるリボンの影。  
セシルは嬉しそうに窓の外を指さしていた。

「見て、あの通り!今日は露店も出てるみたい!」

フィリシアは、昨日の重たい気持ちが少しずつほどけていくのを感じていた。  
セシルの隣にいるだけで、空気が軽くなる。

馬車が止まり、二人は石畳の広場へ降り立った。  
街はすでに賑わいの中。人々の笑い声、楽器の音、焼き菓子の香りが風に乗って漂ってくる。

「まずは宝石店よ!」  

セシルが手を引くようにして、煌びやかな店へと入っていく。

店内には、光を受けて輝く宝石がずらりと並んでいた。  
フィリシアは、淡い青の石に目を奪われる。

「これ、フィリシアに似合いそう」  

セシルが指差したのは、月光石のペンダント。  
フィリシアは少し照れながら、「そうかな……」と笑った。


宝石店を出たあと、二人は通り沿いの露店を覗いていた。  
セシルが手に取ったのは、妙にキラキラした髪飾り。

「これ、どう?フィリシアにつけたら、王宮の舞踏会でも目立ちそう!」

「……それ、目立つっていうか、頭に小型の太陽乗せてるみたいなんだけど」

「えっ、じゃあ夜道でも安心ってことじゃん!安全第一!」

フィリシアは吹き出した。  
セシルは真顔で言っているのがまた面白い。

次に立ち寄ったのは、ちょっと怪しげな雑貨屋。  
店主が「恋が叶う香水」と書かれた瓶を差し出してきた。

「これ、どうする?試してみる?」  

セシルがニヤニヤしながら言う。

「……いや、私が使ったら、瓶が爆発するかもしれない」

「それはそれで伝説になるよ!“恋の爆発魔法”って呼ばれるかも!」

「やめて、そんな物騒な称号いらない……」

二人は笑いながら店を後にした。

服屋では、セシルが次々と服を持ってきてはフィリシアに勧める。

「これ!絶対似合う!あとこれも!あ、こっちも!」

「ちょっと待って、私マネキンじゃないから!」

「えー、でもフィリシアって、何着ても“着こなし力”高いんだもん。  
 むしろ服の方がフィリシアに合わせて変形してるまである」

「それ、もう魔法じゃん……」

試着室の中でフィリシアは、笑いながらも少しだけ頬を赤らめていた。  
セシルの言葉は、いつも冗談混じりだけど、どこか優しくて嬉しい。

カフェでは、焼き菓子を分け合いながら、セシルが突然言った。

「ねえ、フィリシア。今日って、なんか“普通”でいいね」

「普通?」

「うん。事件も魔法もない。ただの街歩き。こういうの、すごく好き」

フィリシアは、焼き菓子の甘さとセシルの言葉に、心がじんわりと温まるのを感じた。

「……うん。私も、すごく好き」



午後の陽射しが広場を照らし、噴水の水音が心地よく響いていた。  
フィリシアとセシルは、露店で買った焼き菓子を分け合いながら、のんびりと歩いていた。

その時だった。

「あなたが……フィリシア・フォン・リュミエールさん?」

澄んだ声が、背後から響いた。

振り返ると、そこには金髪碧眼の少女が立っていた。  
平民の服を着ているのに、どこか気品が漂っている。  
年齢は二人より少し下に見えるが、瞳の奥には不思議な深さがあった。

フィリシアは思わず立ち止まり、目を見開いた。

「……え?」

少女は、フィリシアをじっと見つめて微笑んだ。

「本当に、お人形さんみたい。髪も瞳も、完璧」

セシルがすっとフィリシアの前に出る。  
その動きは自然で、護るような気配があった。

「あなた、誰かしら?」

少女はセシルに視線を移し、また微笑んだ。

「あなたは……セシル・グレイシアさんね。  
 二人とも、とっても美しいから、これをあげるわ」

そう言って、少女は小さな箱を差し出した。  
中には、繊細な細工が施された指輪が二つ。  
ひとつは淡い青の石、もうひとつは深い紅。

フィリシアとセシルは、顔を見合わせた。

「え……これ、どういう……?」

「私たち、あなたに何かされた覚えはないけど」

少女はふふっと笑った。  
その笑みは、まるで何かを知っている者のそれだった。

「また会えるわ。きっと」

そう言い残すと、少女は人混みの中へと消えていった。  
まるで風に溶けるように、姿が見えなくなった。

フィリシアは、手の中の指輪を見つめた。  
その石は、陽の光を受けて、静かに輝いていた。

セシルが小さく呟く。

「……なんだったの、今の?」

フィリシアは答えられなかった。  
ただ、胸の奥に、何かが始まったような予感があった。

---


休日の訓練場。  
剣技学科の男子たちが自主練習に励む中、ひときわ目立つ存在がいた。

ライナー・レオンハルト。  
将来、王太子ルシアンに仕える予定の青年であり、剣技学科でも群を抜く実力者。

戦闘着の袖をまくり、練習用の剣を肩に担いだ姿は、まるで戦場帰りの兵士のよう。  
その目は鋭く、口元は不機嫌そうに歪んでいた。

「次、誰だ。早くしろ」

一人の男子が恐る恐る前に出る。  
試合開始の合図と同時に、ライナーの剣が風を切った。

「うぐっ——!」

一撃。  
男子は見事に吹っ飛び、砂埃を巻き上げて地面に転がった。

周囲がざわつく。

「え、今の見えた?」
「いや、俺まだ瞬きしてたんだけど」

ライナーはため息をつき、剣を肩に戻した。

「面倒くせぇから、全員まとめてかかってこいよ」

「えっ」「ええっ」「ええええっ!?」

怯えながらも、男子たちは覚悟を決めて一斉に突っ込んだ。  
剣の音、足音、叫び声——すべてが一瞬でかき消される。

ライナーの剣捌きは、まるで舞のようだった。  
一人、また一人と地面に転がり、最終的に8人が同時に倒れていた。

「……ちっ。やっぱまとめて来ても雑魚は雑魚か」

その様子を、少し離れた木陰から見ていたルシアンは、  
水筒を片手に、のんびりと近づいてきた。

「ライナー、なんか今日は機嫌悪いけど、大丈夫?」

その笑顔は、ライナーのイライラの熱とは違った、温かそうなほんわかとした暑さの笑顔。

ライナーは剣を地面に突き刺しながら、イラついた声で返す。

「……そんなこと全然ありませんよ」

ライナーは顔をビキビキと鳴らしていった。

「うん、そうだよね。だってさっきの“まとめてかかってこい”って、すごく優しさに満ちてたもんね」

「それ、絶対皮肉っすよね」

「ううん、褒めてる。みんなに協力して自分を倒すチャンスを与えるって、教育者の鏡だと思うなぁ」

「そんなつもりで言ったわけじゃないっすよ」


「はい、冷たい水。怒りは水で流すって、昔の剣士が言ってたよ。たぶん」

ライナーはちらりとルシアンを見て、少しだけ眉を動かす。

「……ありがとうございます、殿下」

それだけ言うと、水筒を受け取り、キャップを開けて——

ゴクゴクゴクゴクゴクッ。

まるで砂漠を越えてきた兵士のように、ライナーは一気に水を飲み干す勢いで喉を鳴らした。  
途中で一度も息を止めず、ただ黙々と飲み続ける。

ルシアンはその様子を、ニコニコと見守っていた。  
まるで「よしよし、いっぱい飲んでえらいね」と言いたげな、王太子らしからぬ優しい笑顔。

ライナーがようやく飲み終え、水筒を下ろすと、ルシアンは軽く首を傾けた。

「……スッキリした?」

ライナーは口元をぬぐいながら、少しだけ目を伏せる。

「……まあ、ちょっとだけ」

それきり、ライナーは黙った。  
水筒を静かにルシアンに返し、剣を拾い上げる。

ルシアンは何も言わず、ただニコニコと微笑んでいた。  
その笑顔は、言葉よりもずっと穏やかで、ライナーの背中をそっと包むようだった。


しばしの沈黙。



「フィリシアと何かあった?」

不意打ちの一言に、ライナーの肩がビクッと跳ねた。

「……っ、いや、別に」

声がほんの少し裏返る。  
目線は逸らし、剣の柄をやたらと見つめる。

ルシアンは笑顔のまま、首を傾ける。

「えー、さすがに分かるけどな。顔に書いてあるもん」

ライナーは一瞬固まり、ゆっくりと顔を伏せる。

「……怖いっすよ」

その声は小さく、敗北感に満ちていた。

ルシアンはくすくすと笑いながら、空を見上げる。

「いつも喧嘩してる二人に、さらに悪いことなんて起きたら——」

そして、真顔で言った。

「学園が沈むよ」

ライナーは思わず振り返る。

「……沈むって、物理的にですか?」

「うん。校舎がガラガラって崩れて、地面にズドンって。  
 で、学園長が“両家に一生かけて慰謝料払ってもらわないと”って泣くよ」

「……殿下、想像力が暴走してます」



ルシアンはまたニコニコと笑った。

「でも、ライナーが“別に”って言うときって、だいたい“めっちゃ気にしてる”って意味だから。  
 フィリシアのこと、ちゃんと考えてるんだね」

ライナーは何も言わず、剣を肩に担いだ。  
その背中は、さっきより少しだけ重たい。


風が吹き抜ける。  
その音に混じって、ふと——

フィリシアの声が、脳裏に蘇った。

 「………ライナー?………」

あの時。  
青い空の下の図書館の近く。

肩を震わせ、目を見開いて。  
まるで、何かに怯えるように。

いや——何かじゃない。  
俺に、だ。


ライナーはその場で立ち尽くしていた。  

けれど、フィリシアは一歩、後ずさった。

その瞳に映っていたのは——恐怖。

ライナーは拳を握った。  
木陰の中で、誰にも見られない場所で。

「……なんで、あんな顔……」

怒っていたかもしれない。  
責めてしまったかもしれない。  
ただ、聞きたかっただけなのに。

フィリシアの怯えた顔が、何度も脳裏に浮かぶ。

あの時の空気。  
あの時の沈黙。  
あの時の、自分の声のトーン。

「……俺、何か……間違えたか?」

風がまた吹いた。  
木々の葉が揺れ、光がちらちらと差し込む。

ライナーは目を閉じた。  
その瞼の裏に、フィリシアの震える肩と、怯えた瞳が焼き付いていた。

「喧嘩なんて日常茶飯事なのに。早く仲直りしなよ」

ルシアンの声が、すぐ背後から届いた。

穏やかで、何気ない。  
けれど、ライナーの心臓はキュッと締め付けられた。



あの顔を見たら、もう——

ライナーは立ち上がった。  
剣を握りしめ、訓練場へと戻る。

倒れていた男子たちは、まだ地面に座り込んでいた。

その前に立ち、ライナーは叫んだ。

「お前ら立て!特別に一日中、俺が鍛えてやる!」

その声は、怒りでも、命令でもない。  
ただ、胸の奥に溜まった苦しみを吐き出すような、荒々しい叫びだった。

男子たちはビクッとしながらも、慌てて立ち上がる。

「えっ、一日中!?」「さっき8人まとめてやられたばっかなんだけど!?」

「文句言うな!動け!剣構えろ!今度は一人ずつ相手してやる!」

ルシアンは少し離れた場所で、またニコニコと見守っていた。

「ライナーって、ほんと分かりやすいなぁ」

その笑顔は、何も言わずにライナーの背中を支えていた。

ライナーは剣を構えながら、心の中で呟いた。

「……仲直り、か。そんな簡単にいくなら、苦労しねぇよ」

そして、目の前の男子たちに向けて、再び踏み込んだ。



<報告>
これにて一章は終わりになります!
次回からは2章に入るので、お楽しみに!
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