明治あやかしとりかえ子奇譚

シェリンカ

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『月のない夜、星の光だけでは心許こころもとないほど闇が濃いなら……山の端から朝陽あさひがのぞくまで、決して家から出てはいけない』
 ――というのは、半年前に亡くなった母が、生前に何度もくり返していた言葉だった。

(寒い……)

 古い襤褸ぼろにくるまってむしろの上で寝ていたはずのさくは、いつの間にかそこからはみ出てしまった肌寒さで、夢の世界からうつつへひき戻された。
 薄っぺらな木の壁越しに感じる家の外の空気は、キンと冷えていて静かだ。
 おそらく夜明けまでにはまだほど遠い時刻だろう。破れた障子しょうじから見える空は黒い。

(…………)

 朔は、母の戒めめいた言葉を思い返し、もう一度筵の下へ潜りこもうとしたが、すぐ隣で猫のように体を丸めてちぢこまっている双子の弟の姿を見、思いとどまった。

(まあ……いいか)

 弟に襤褸布をかけ直し、自分はその隣に寄り添う。

 くうくうと寝息をたてている弟ののぞむは、髪の長さ以外は、朔とまったく同じ容姿をしている。
 男女の双子で、年が明けたらもう十五になるというのに、ここまでそっくりなのはおかしな話だと、近くに住む末吉やお梅などは首を傾げるが、朔自身は嬉しく思っていた。

 望の顔を見れば、自分が一人きりではないことをすぐに確認できる。
 話をして、顔を見あわせて笑い、励ましあいながら山を登れば、生業なりわいにしている山草採りも、辛さよりも楽しさが勝る仕事だと感じられた。
 女手一つで育ててくれた母を半年前に亡くし、他に身寄りもなく、この世に二人きりの家族になってしまったが、かけがえのない存在が隣にいるということが、確かに、お互いの支えになっている。

 望は生まれつき病弱で、常に、いくつまで生きられるかわからないと言われてきた。
 それでも朔と共に、ここまで大きくなった。
 生前の母がそうしていたように、望の体調を何よりも優先するというのが、朔にとっての生きる指標だ。

(夜が明けたら、あったかいかゆを作ってあげるね)

 背中からひしひしと感じる冷たい空気を意識の外へ追いやり、最愛の弟に寄り添ってそっとまぶたを閉じた時、異変を感じた。

(――――!)

 嫌な感じがする。
 その感覚は、他に言い換えようもなく、ただひたすらによくない感じがするのだ。

 こういう時は、いったん閉じた瞼を絶対にもう一度開いてはいけないとも、朔は母から言い含められていた。

(どうしよう……!)

 母がいる頃は決まって、こんな時、母も朔と共に何かを感じ取っており、いつも朔の手を取って落ち着かせてくれた。

『大丈夫……大丈夫よ、朔』

 その手の温もりと、穏やかながらも頼りがいのある声を聞けば、朔は瞼を閉じたままでも安心していられた。
 けれど――。

(母さまはもういない……)

 温かな指が触れることはない手をぎゅっと握り拳の形に変え、朔は唇を噛んだ。

(大丈夫……大丈夫だ……)

 声には出さず心の中だけで、母がよく唱えていた文言を真似する。

(混沌の時代、同じ骨片かけらから生まれて分かたれし魂の片割れよ……あるべき場所へ還れ。こちらへ来てはならぬ。此処ここ生者せいじゃの生きる世界。の神のべる世。闇の世界で生きるべき隠者いんじゃは、常夜とこよへ帰れ)

 言葉にあわせて指を様々な型に組み替え、最後の願いと共に額へ指先をつけ、こめる気持ちを強くする。

『言葉は言霊ことだま

 ――母の教えのとおり、雑念を排して言葉に念をこめると、肌にまとわりつくようだった嫌な感じが、ふっと消失したような気がした。

(消えた?)

 母のように『それ』を退けることができたのだろうかと、胸を撫で下ろす思いで朔が瞼を開きかけた時、家の入り口のほうから最奥へ向かい、すさまじい風が吹いた。
 せて棒きれのように軽い朔の体は、簡単にその風に巻き上げられる。

「うわあ――――っ!」

 古い木製の家屋がくずれ落ちる轟音ごうおんが、背後へ飛び去るように遠くなる。朔はその中からさらわれ、家から少し離れた場所で地面へ叩きつけられた。

「つ――っ!」

 とても瞼を閉じたままではいられず、うっすらと開いた双眸そうぼうにまず映ったのは、バラバラに崩れた家を形作っていた木材の山と、その上でうごめく黒い霧のようなかたまりだった。

「な、に……?」

 いったい何が起こったのか。今目の前にあるものは、果たして何なのか。
 思考を開始する前に、朔にとって最も大切なたった一つの面影が脳裏をぎる。

「望っ!」

 必死に地面を蹴り、変わり果てた我が家へ駆け寄ろうとした瞬間――何者かに腕をつかまれた。

(えっ?)

 長い髪をひるがえして背後をふり返った朔がまず目にしたのは、黒い夜空を斜めに横切る大きな星だった。

流星ながれぼし……)

 亡き母は、星の位置や動きでこれからで起こる出来事を予想するという、不思議なわざを持っていた。
 それは持って生まれた能力ではなく、多くの学びによって得た知識なのだと語ってくれたが、共に過ごす時間を突然断たれたため、朔はその知識の全てを伝授してもらうことはかなわなかった。
 しかし教えてもらえたことは、深く心に刻んでいる。

(星が流れるのは、物事が動く時! ……しかもあれだけ大きな星なら、それはとても重要な岐路きろだ……)

 家の残骸ざんがいがある位置と、遠くにかすかに見える山の位置から、星の流れた方角を予想し、それがよい変化であるということまでは朔にも読めた。
 そこまでに要した時間は一瞬――。

 次の瞬間には、朔の大きな瞳は、自分の腕を掴んだ背後の人物を視認しにんしていた。

(誰?)

 見たことのない人物だった。
 上背うわぜいのある若い男で、長い髪を頭の高い位置で結っている。眼光鋭く、厳しい表情の美丈夫で、袖の短い着物にはかまという和装の出で立ちだ。
 腰に長い刀をいているところまで確認した時、男の大きな手がすらりとそれを抜いた。

「え……」

 まるで吸い寄せられるかのように、男の背後で瞬く星の光が、鈍く輝く刀の刀身へと集まっていく。黒い空を流れ落ちる大小幾つもの星々が、次々と――。

(綺麗……)

 朔がほうけたようにその輝きに見入ったすきに、掴まれていた腕を、まるで後方へ投げ捨てるかのように放された。

「きゃあっ!」

 咄嗟とっさのことにも地面に突っ伏さず、朔はすかさず受け身を取り、その反動で地面を蹴った。
 歩き去ろうとしている男の背中を、すぐに追う。

「待って!」

 男が何をしようとしているのか、本能で理解した。
 今尚、流れる星の光を集め続けているあの不思議な刀で、おそらく、壊れた家の上に蠢く闇を切るのだろう。
 そういうことが可能なのかなど、知らない。
 ただ、そう、だとわかり、朔は男を止めようと必死に追いすがった。

「待って! 待ってください! あそこにはまだ弟が……!」

 家の中を凄まじい風が吹き抜けた時、朔はそれに攫われて外へと投げ出されたが、望はおそらく家の中に取り残された。
 そうなのだと、感覚でわかる。

 瓦礫がれきの下敷きになっているとは思いたくないが、周囲に彼らしき姿はないので、信じたくはないが、そうなのだろう。
 だとすれば、ただでさえ安否が心配な望に、これ以上危害が及ぶかもしれない行為は、絶対に見過ごせない。

「やめてください!」

 力の限りに掴んだ男の着物のたもとは、あっさりとふり払われた。

「下がっていろ」

 高い位置からにらんでくる鋭い目と、すごみのある声には思わずひるんでしまいそうだったが、朔は自分をふるい立たせた。

(望……!)

 たった一人の、かけがえのない弟のためなら、朔はどんなことでもできる。やってみせる。

 山で猪を罠へ追いこむ時にやるように、体勢を低くして精一杯早く駆け、男に先んじて家の残骸へと駆け寄った。
 それを背にかばうように男と向きあって立ち、大きく手を左右に広げる。

「邪魔だ、どけ!」

 怒気をはらんだ男の声にも、目の前へ突きつけられる切っ先にも怯むことなく、朔はそっと瞼を閉じ、素早くきびすを返した。

「やめろ! それに近づくな!」

 男が必死に制止しようとしているのも道理で、朔がこれから向かおうとしている先には、あの闇の塊が蠢いている。
 それは十分に承知している。

(大丈夫……大丈夫だ……)

 目を開けていればこれまで見たこともない恐ろしい現象でも、いったん目を閉じてしまえば、朔が幼い頃から何度も感じてきた、あの嫌な感じと同じものだ。

『大丈夫……大丈夫よ、朔』

 そう勇気づけてくれながら、母が何度も退しりぞけてくれたものだ。
 朔自身も、ほんのつい先ほど、その気配を遠ざけることに成功した。

(出来る……私にも出来る……)

 母に教えてもらった型に、次々と指を組み替えながら、心に刻まれた文言を言葉にする。

「混沌の時代、同じ骨片から生まれて分かたれし魂の片割れよ……あるべき場所へ還れ……」

「お前……!」

 背後から男の驚いたような声が聞こえるが、それに気を取られてはいけない。言葉にどれだけの念を込められるかが、祈りの成否を決めると、朔はこれまでの経験から知っている。中途半端に念じた時は、いくらやってもそれを退けることなど出来なかった。

「こちらへ来てはならぬ。此処は生者の生きる世。陽の神の統べる世界。闇の世界で生きるべき隠者は、常夜へ帰れ」

 最後の言葉まで力を込めて念じきり、額に押しあてた指を前方へ向け直す。
 すると、息が詰まるほどに重苦しく感じていた嫌な空気が、ふっと周囲から消え失せた。

 その間、朔は目を閉じたままなので、あの闇の塊がどうなったのか、確認しようもない。
 しかし、瞼を閉じていてもはっきりと感じられる温かな光を、前方から感じた。

「望!」

 その光が、最愛の弟を示すことを朔は知っている。
 あの、嫌な感じを退けている時、母も朔が光として瞼に映ると言っていた。
 その母から指の組み方や文言を一緒に倣った望も、朔のことをそう感じると語った。
 自分のことは自分ではわからないが、朔にとっての光は、唯一無二――望だ。

「望!」

 瞼を開き、涙ながらに家の残骸へ駆け寄ると、柱と屋根の隙間から、自分と同じ顔が這い出てきた。

「朔……!」

 朔と同じようにこちらへ手を差し伸べて、必死に自分の名前を呼ぶ双子の片割れを、無我夢中で瓦礫の下からひっぱり出し、両腕でしっかりと抱きしめて、共に地面に座りこんだ。

「よかった……望……よかった」

 自分と同じようにやせ細った体に縋り、泣き崩れてしまっているのは朔のほうだ。
 望はそんな朔をなだめるように、優しい笑顔で、嗚咽おえつに震える背をぽんぽんと叩いてくれる。

「大丈夫……大丈夫だよ、朔」

 母と同じ言葉を、望の優しい声が紡ぐと、自分がどれほどほっとするかを朔は深く自覚している。
 何より大切な存在を、失わずに済んだことに安堵し、溢れ出した涙が止まらない。

「あれ? ひょっとして俺たち……余計なお世話だったんじゃないの?」

 先ほどの男とはまた違う声が、場違いに明るくその場に響かなければ、朔は望を抱きしめたまま、まだ涙に暮れていたかもしれなかった。

「えっ?」

 しかし、ふいに聞こえた声に飛び上がりそうなほど驚いて――それでも、望を自分の背に庇うことは忘れず――声の聞こえた方を、咄嗟にふり返る。

 刀を手にした男と並ぶようにして、そこにはもう一人の男が立っていた。
 背格好は刀の男と同じくらいで、こちらも和装。しかし、着こなしはまったく異なる。着流きながしの上に華やかな色あいの打掛うちかけを羽織った、いかにも洒落しゃれものといった雰囲気の男だ。

 目鼻立ちの整った美しい顔をしているが、それより更に目をくのは、肩より少し長いくらいに切りそろえられた髪。
 これほど明るい色の髪をした者を、朔はこれまで見たことがない。

(まるで、陽の光のような……)

 そう思いかけた時、遠くの山の稜線りょうせんnから、ちょうど朝陽あさひが顔をのぞかせた。
 さっと射しこんだ光に照らされ、着流しの男の髪は、黄金色にきらめく。
 異質とも感じるその輝きに、朔は不安を覚えた。

「あなたたちは、いったい……」

 何があっても望を守らなければと、朔は必死で背に庇うが、望もまた同じように考えているのか、朔を抱きしめる腕に力を込める。
 
 どんな返答があっても即座に対応できるようにと、固唾かたずんで男たちの動向を見つめる双子を無視し、着流しの男は刀の男の肩を叩いた。

光流こうりゅうさあ……だからいつも言ってるじゃない、勝手に先走るなって」
「な……!」

 刀の男は目をいて、手にしていた刀の切っ先を、着流しの男の鼻先へ突きつけた。

「お前が俺より先に、とりあえず……とか言って、家ごと吹き飛ばしたんだろう! 天晴てんせい!」
「そうだっけ?」

 とぼけた返答をしながら、薄く笑って切っ先を交わした着流しの男が、金色の髪をさらりと揺らし、首をかしげた。
 笑顔であるのに、笑っているようには感じられない瞳が、真っ直ぐに朔と望を見つめる。

「しかし……まさかじゅつが使えるとは思わなかったなぁ……しかも、うちの流派とは全然違う系譜けいふみたいだ……」

 ふところから出したおうぎを広げ、口元を隠した男の顔は、もう笑顔には見えない。
 朔と望のお互いを掴む手が、更に力を増す。

「よせ、恐がらせてどうする」

 刀の男が着流しの男の肩を掴み、排除するように押し退けて、朔と望の前に立った。

「俺たちはある人物に頼まれて、お前たちを捜しに来た。家を壊してしまったことは謝る。すまなかった……火急かきゅうの事態だと感じたので、この馬鹿が勝手にやった」
「ちょっと光流?」

 不満そうな声を上げた着流しの男と、頭を下げた刀の男を、朔は代わる代わる見つめる。

「ある人物……?」

「ああ」

 頭を上げた刀の男は、着物の袂から小さな包みを取り出した。
 布に包まれていたのは印籠いんろうで、大きく欠けた月のもんが描かれている。

「あっ!」

 朔は急いで、いつも首からげている守り袋を胸もとからひっぱり出した。
 同時に望も同じことをしている。
 それらはり切れた小さなものだったが、母の手作りで、印籠に描かれているのと同じ紋が、糸でい取られていた。

 守り袋と印籠を見比べる双子に、刀の男が語りかける。

「お前たちの父親は名家――月照院げっしょういんの出で、月照院家はずっとその行方ゆくえを捜していた。ようやく見つけたと思ったら、すでに亡くなっており、その遺児いじが身寄りなく生活しているようなので、ぜひひき取りたいと、俺たちがむかえにつかわされた」

「月照院……」

 初めて聞く名に、朔は首を傾げたが、望は何かを考えこむような顔をしている。

「望?」

 望は朔の呼びかけにはこたえず、刀の男へ真摯しんし眼差まなざしを向けた。

「それは、二人そろってですか?」

「それは……」

 望の問いかけは、どうやら答え難いものだったようで、刀の男が言葉をにごす。
 それ以上は答えをもらえないと判断したのか、望の顔つきが変わった。

「二人揃ってでないのなら……」

 決意を秘めたような望の言葉は、最後まで続けることが出来なかった。

「もちろん、二人揃ってだよ」

 扇で口もとを隠したまま、あっさりと言い放った着流しの男を、刀の男がふり返ってにらみつける。

「おい、天晴! 勝手なことを!」

 怒鳴り声をものともせず、着流しの男は言葉を重ねた。

「二人揃ってだ。俺が保証する」

(…………)

 笑顔であるのに笑っていないように見える男の言うことなど、どこまで信用できるものかと朔は反発心はんぱつしんを大きくしたが、どうやら望の判断は違っていたようだ。
 それまで朔を抱きしめていた腕を解き、代わりに手を繋いで、男たちへ向かって深々と頭を下げる。

「では、よろしくお願いいたします」
「望!?」

 朔は驚いて望の顔をのぞきこんだが、その表情を見れば、反対の言葉はもう出てこなかった。

 望は体が弱くて力仕事は苦手だが、そのぶん頭がいい。母が残した書物は全て覚えてしまっているし、新しいことも土が水を吸うようにどんどん覚える。
 その上、かんがいい。望が大丈夫だと判断して、うまくいかなかったことなどこれまで一つもない。朔はこの世の誰よりも望を信頼している。

(望が決めたのなら……)

 朔も彼にならい、男たちへ向かって頭を下げた。

「お願いします」

 渋々しぶしぶといったふうの朔の態度が面白かったのか、着流しの男が声に出して笑いながら、歩き始める。

「あはは、これは面白いことになりそうだ」

 地面に座りこんだままの双子に、行くぞとばかりにあごで進行方向を示し、刀をさやおさめてから、刀の男も着流しの男の後を追う。

「やっかいなこと、のまちがいだろ」

 並んで歩く男たちはそれから声をひそめ、二言、三言会話を交わした。

「どちらかが、あれ、なのか?」
「いや、俺にはどちらも人の子に見える。光流は?」
「俺もだ。じゃあ、あれ、はどこへ?」
「さあ……」

 顔を見あわせた二人は、うしろをついてくる双子をふり返った。
 同じように古びた着物を着た、同じ顔の双子。
 薄汚れているが、みがけばかなりの器量良きりょうよしであることは、目鼻立ちの可愛らしさからわかる。
 それは、これから彼らが飛びこんでいく世界でも、すぐに噂の的になることは間違いないほどに――。

「どう? あれ、を退けた不思議な術も含め……やっぱり、面白いことになりそうだろ?」
「…………そうだな」

 深々とため息を吐いた刀の男と、その隣を踊るように軽やかな足取りで歩く着流しの男を、朔は望としっかり手を繋ぎながら追いかけた。

 ――それは、朝陽に煌めく金色の髪と、星の光を集めた刀の輝きが、記憶の底にしっかりと刻まれた、新しい出発の朝の出来事だった。

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