明治あやかしとりかえ子奇譚

シェリンカ

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弐 とりかえ子

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 二人が向かった先は、大通り沿いに建つ真新しい建物だった。
 白い木製の扉の隣に大きなガラス窓があり、甘味かんみらしいものの絵を描いた看板がかかげられている。

(あいすくりん?)

 描かれていたのは、朔が聞いたことのないものだったが、光流と天晴に続いて店へ入り、納得した。

 天井の高い瀟洒しょうしゃな洋館の店内には、磨きこまれた濃い色の床板の上に、丸いテーブルがいくつか並んでいる。
 それぞれに二、三人の客が椅子に腰かけているのだが、そのほとんどが、朔が天晴に貸してもらったようなドレスを着ている若い女性だ。

 おそらくここは、身分の高い若い女性が好んで通うような店なのだろう。
 そういう場所で提供されている食べ物を、ついこの間まで貧しい生活を送っていた朔が知るはずはない。

「うっ……」

 先頭をきって店内へ入った光流が、若い令嬢たちの視線を一身に浴びて、固まったように動かなくなった。

「ほら、だから言っただろう」

 天晴はため息を吐きながら、光流の肩を掴んで後ろに下がらせ、代わりにそっと朔を前へ押し出す。

「何名様ですか?」

 白シャツに黒い上下の洋服姿の男性に尋ねられ、朔はどきどきと胸の音を大きくしながら答えた。

「三人です」

 こういった場に慣れていないことを見破られはしないかと、緊張を大きくする。

 幸い店の男は何も疑問に思わなかったようで、「こちらへどうぞ」と先導して歩き始めた。後に続き、朔と天晴と光流も店の奥へ移動する。
 各所に配置されている家具も、凝った形のランプも、どれも西洋風の趣味の良いもので、朔は物珍しくてついきょろきょろとしてしまいたいのを、必死に我慢している。

 三人が席へ案内される間も、通り過ぎたテーブルの女性客たちが、何かを囁きあいながらチラチラとこちらを見ているので、光流はどうにも居心地が悪いらしい。苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 対して天晴は、特に気にしたふうもなく、いつものように笑っている。

「ほら、やっぱり朔ちゃんに来てもらってよかっただろう」
「うるさい、黙れ」

 席に着いても、光流の不機嫌さは治らなかった。

「ご注文は何になさいますか?」

 尋ねられても、朔は何と答えていいのかわからない。
 困ったように助けを求める前に、天晴がさっと答えてくれる。

「あいすくりんを三つ」
「三つ!?」

 大きすぎる光流の声に、店内のそこかしこからくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。
 それが耳に入っていないはずはないだろうに、天晴はわざと問答を続ける。

「え? きみ食べないの?」
「た、食べるが……」

 光流の正直な答えに、また忍び笑いの声が増えた。

「だったら別に問題ないじゃないか……そもそも、こんな場所で大きな声を出すなんて……作法がまるでなってないよ?」
「――――!」

 天晴に諫められ、光流はまた大きな声で反論しようとしたのか、一瞬口を開きかけたが、途中でそれをやめた。

「そうそう。やればできるじゃないか」

 にやにやと笑う天晴を睨みながら、光流はこれまでとは声の大きさを変える。

「何をしに来たと思ってるんだ……遊びじゃないんだぞ」
「もちろんさ、でも、ごうっては郷に従えと言うでしょ?」

 二人のやり取りを黙って聞いていた朔に、天晴がふいに視線を向ける。

「ところで……朔ちゃん、どう? 何か『いやな感じ』がする?」
「……えっ?」

 どうして天晴が、あの『いやな感じ』のことを知っているのかと、朔は驚いたが、そう珍しい感覚ではないのかもしれない。

「俺は感じないぞ。この中だとは思ったが、店に入った途端、気配が消えた」
「うん。俺も……」

 少なくとも天晴と光流は、まるで当たり前のように、その現象について語り合っている。

「私も……おもての通りにいた時は感じましたが、今は感じません」

 朔がありのままに答えると、天晴はぱちりと手を打った。

「よし、わかった」

 おもむろにふところから紙のたばを取り出すと、それを頭上に放り投げる。薄っぺらな紙にしか見えなかったのに、それらは意志を持っているかのように四方しほうへ散らばり、正確に部屋の四隅よすみへ向かって飛んでいく。

「おい、勝手に始めるな! こんなところで刀は抜けない!」

 光流の叫びに、天晴は口角こうかくを上げてにやりと笑った。

「星を集められない昼間の光流になんて、初めから期待してないよ」
「なんだと!」
「いいから……日がまだ高いうちは、俺に任せておいて」

 ぱあんと大きな音を響かせて、天晴が両手を打ち鳴らした瞬間、風も吹いていないのに彼の金色の髪が肩から巻き上がった。
 と同時に、建物内の空気が変わったような気配があった。

 窓から射しこむわずかな光と、ランプの仄暗ほのぐらあかりだけで、どちらかといえば薄暗かった建物内が、すみまで見渡せるほどに明るい。
 それは朔が、まぶしさに思わず目を細めてしまうほどの明るさで、白色と黒色が逆転してしまったかのような光景が目の前に広がっている。

(これは、いったい……?)

 何が起こっているのかわからないながらも、現実から目を逸らさずに、必死に目を開け続ける視界の隅に、黒く蠢くものを捉えた。

「あっ……!」

 長い髪をひるがえして、朔がそちらへ体ごと向き直るのに先んじ、天晴はもう駆け出している。
 流れるような金色の髪と、色鮮やかな打掛うちかけ羽織はおった背中越しに、一人の若い女性の隣で、黒いものがうごめいている光景が朔にも見える。
 女性はとても苦しそうで、黒い霧のようなものに今にも全身を包まれてしまいそうだ。

(助けなくちゃ!)

「混沌の時代、同じ骨片から生まれて分かたれし魂の片割れよ……」

 朔が母に教えられた文言を唱えながら、手の指を組もうとすると、なぜか光流に止められた。

「よせ! 詳しいことは知らないが……おそらくそれは月照院のわざだろう? だったら今使っても無駄だ。月の加護かごがなければ意味がない!」

 体当たりで動きを止められた上に、身動きできないように抱きすくめられ、朔は驚きの思いで彼を振り返る。

「え?」

 その表情を見て、光流がたじろいだ。

「まさか……何も知らないで使っていたのか?」

 それから眼差しをきりっと鋭くし、遠くなっていく天晴の背中へと向ける。

「あいつ……最小限の説明もしないで連れてきたな!」

 光流が怒りに任せて朔を開放し、天晴の後を追おうとした時に、向かおうとした先でまばゆ閃光せんこうが走った。
 目を開けていられないほどの光の中心に、天晴が立っていることだけが朔にもおぼろげに見え、黒い霧がその光に押し負ける形でかき消される。

 いったい何が起こったのか、あまりの眩しさでほぼ見えなかったが、それが次第に和らいで建物の中の光量が元に戻るころには、いやな感じはまったくなくなっていた。

直己なおみ! 直己!」

 悲鳴じみた叫びに耳を打たれ、朔は慌てて店の奥を振り返る。
見れば、先ほど黒い霧に迫られて苦しそうにしていた女性が、小さな男の子を抱きかかえて泣いている。

 男の子はとても白い顔色をしており、朔は心配で、弾かれたようにそちらへ向かった。
 今度は光流も、引き留めはしなかった。

 たどり着いて見てみると、男の子はよく寝ているだけのようで、すうすうと規則正しい寝息をたてている。
 女性は取り乱しているものの、良家りょうけ子女しじょの分別で、男である一番近くにいた天晴にみずから助けを求めることは躊躇ためらっていたようで、朔を見ると、せきを切ったように話しかけてきた。

「ああ、あなた! 私、いったいどうしたらいいのでしょう……弟にせがまれて、最近うわさのあいすくりんをいただきに来たのですけれど、時間がかかってぐずりだしてしまって……困ったわ、ここで暴れられたらどうしようと思っていたら、急に寝てしまって……最近、こんなふうにぐっすり眠っている姿を見たことがなかったものだから、とても嬉しいのですけれど……どうして……? 大丈夫でしょうか?」

 話すうちに感情が高ぶりきったのか、女性はぽろぽろと涙をこぼしだした。
 弟が急に寝てしまったことよりも、それ以前に、よほど心に抱えていた何かがあったのだとさっし、朔は彼女に近づき、そっとその背をな」でた。

「大丈夫です。弟君おとうとぎみは、あなたの腕の中で安心して、ぐっすり眠っています。心配することも、不安に思うこともありません。大丈夫です」

 天晴から借りた白い手巾ハンカチで、女性の涙をぬぐってあげながら、朔は彼女を落ち着かせるように静かに語りかける。

 しばらく嗚咽おえつしていた女性は、朔がずっと背を撫でていることで気持ちが安定したらしく、取り乱してしまったことに恥ずかしそうに頬を染めながら、問いかけてきた。

「ありがとうございます。おかげで気持ちが落ち着きました……あの……私、綾小路薫乃と申します……」

(どうしよう……)

 ここにきて朔は、自分がとてもこまった状態におちいっていることに気がついた。
 朔は本来、月照院家の離れから出てはいけない状態で、まだ祖母から、『月照院櫻子』と名乗る許可を得ていない。

 天晴の妹ならば構わないかと、美晴には名乗ったが、それ以外の人物には極力接触を持たないほうがいい。
 それなのに、薫乃と名乗った女性がむせび泣く姿がしのびなくて、つい背を撫でてしまった。
 それは同じように弟を持つ姉として、共感するものが大きかったからに違いない。

(困ったな……)

 迷う気持ちはあったが、ここで名乗らないほうがよほど怪しまれると結論付けた。

「私は、月照院櫻子と申します」
「まあ、月照院家の……」

 薫乃が月照院を知っているふうなので、朔の後悔の気持ちはますます大きくなる。

「後日、改めてお宅へ、お礼にうかがいます」
「いえ! 私は何もしておりませんので、どうぞお気遣きづかいなく……」

 真剣に辞退しているのに、生粋のお嬢さまらしい薫乃には、まったく通じない。
つつしみ深く、遠慮をしていると思われてる。

「必ずお伺いいたしますわね」

 笑顔で念を押され、朔もひきつった笑いを浮かべながら頷くしかなかった。
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