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14 神車のお札
④
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日はまだ暮れていない。
それどころか出張所横の空き地で車に乗ってから、ほとんど時間が過ぎてもいないだろう。
山と山の間に、まだ太陽の光の名残りがある。
このぶんならもしかすると、まだ深夜とは呼ばなくてもいい時間に、山の上出張所まで帰ることができるかもしれない。
「よし、豆太くん、行ってみよう!」
「うんっ!」
豆太くんは大喜びでスロープを駆け上がり、玄関の前に立ったが、呼び鈴を押してみても誰も出てこなかった。
「おかしいな……じいちゃん、出かけてるのかな?」
田中さんの軽トラは、そこに停めてある。
「ごめんくださーい」
声をかけてみても、敷地内から返事は聞こえない。
日が暮れかけてからどこかへ行くということも考えにくいが、畑へでも行っているのだろうか。
掃き出し窓が開けっぱなしになっている縁側へ、ふと目を向けると、カーテンの陰に足のようなものが見えた。
「え……」
慌てて駆け寄ると、田中さんが床に仰向けに倒れている。
「田中さん!」
「じいちゃん!」
靴を脱ぐのももどかしい思いで、豆太くんと先を争って縁側から家の中へ入ると、倒れている田中さんに必死に呼びかけた。
「田中さん! 田中のお爺ちゃん!」
「じいちゃん!」
幸い意識はあるようで、田中さんはゆっくりと目を開けると、豆太くんを見てとても優しい顔になる。
「おんや、わしゃ夢でも見ちょるんか……家に豆太がおる」
「じいちゃん俺だよ! 本物だよ!」
「それとも、あの世からお迎えが来ちょるんかな……はは」
かすかに笑いながら、田中さんの胸は激しく上下している。
呼吸音に喘鳴が混じる。
熱も出ているようだと額に手を当てた豆太くんが、「そうだ!」と麦わら帽子の下から葉っぱをとり出した。
豆太くんがいつも頭の上に載せている大きな葉だ。
「熱を下げる物になれ!」
豆太くんが両手の指を複雑に組んで、小声で唱えると、葉っぱはポンッと煙に包まれて、それが消えたあとには、氷の入った氷嚢に変わっている。
「じいちゃん、これ!」
豆太くんがそれを額に載せると、田中さんは嬉しそうに笑った。
「いいのか、豆太、秘密の力をわしの前で使って……」
「じいちゃん、本当はわかってたんだろ、おいらが人間じゃないって」
「はあて、なんのことかのう……耳が遠いからよく聞こえんわ……」
氷嚢で少し気分がよくなったらしい田中さんが、豆太くんと問答をしているうちに、私は急いで119番に電話をした。
しかし救急車が来るのは街中からなので、田中さんの家までは急いでも二時間かかるという。
「そんな!」
焦る私に、田中さんは豆太くんに膝枕をしてもらいながら、弱々しく手を上げた。
「不便なところじゃけんのう……いいよ、瑞穂ちゃん。豆太が来てくれたからすぐ元気になる」
まさかそんなわけはないと思いながら、私は考える。
(私の車に乗せて街まで運んだほうが、早いかもしれない……)
そう提案しようと口を開きかけた時、豆太くんがきりっと顔を上げた。
「姉ちゃん、ごめん。姉ちゃんの車でじいちゃんを病院まで運べないかな? 車まではおいらがおぶって行くから……」
小さな子どもだとばかり思っていた豆太くんが、田中さんのためにしっかりとした顔になり、私は胸が熱くなった。
「うん、そうだね……そうしよう! 私も手伝う!」
「なんの……ちょっと熱が高くて、咳がひどいだけじゃ……病院なんぞ行かんでも……」
「ダメ!」
豆太くんの叫びは鋭かった。
「じいちゃんいつも言ってたじゃないか! ばあちゃんは具合が悪くなっても、大丈夫だからって病院に行かなくて、だから間に合わなかったんだって……おいら……そんなの絶対に嫌だよ!」
田中さんが寝た格好のまま、ぐるっと首を巡らした。
部屋の奥には大きな仏壇があり、たくさんのお供えものの中に、笑顔の女性の写真が飾られている。
「そう……じゃの……」
こちらへ向き直った田中さんの目は涙に濡れており、豆太くんと私に支えられてゆっくりと体を起こす。
「あの時は豆太が来てくれて、おかげで命拾いしたんだって……あとで何度も語らんといかんよな」
「そうだよ!」
二人で田中さんを支えながら、車までなんとか歩いてもらった。
毛布を持ってきていたおかげで、後部座席が簡易ベッドのようになり、私は田中さんに寝てもらって、改めて運転席に座る。
(ここへ来た時みたいに、病院へも一瞬で行けたらいいのに……)
私が心の中で思ったことを、豆太くんが言葉にした。
「姉ちゃん……来た時みたいにすぐ着ける? おいらが目を閉じている間に、もう着く?」
不安と期待が入り混じった表情に、私は安心させるように笑いかけるしかなかった。
「もちろんだよ! さあ、行くよ!」
「うんっ!」
今度こそはっきりと、ハンドルの下あたりのダッシュボードが光った。
(あれ? そこって……)
ごく最近、私はそこをのぞきこんで何かをした気がする。
(確か……)
考える間にも光が大きく強くなり、目を開けておられず、固く瞑る。
その時、脳裏に閃いた。
(あ……みやちゃんからもらったお札だ……)
『本当に助けが欲しい時、瑞穂ちゃんが本気で願ったら、きっと助けてくださるよ』
千代さんの言葉も、心に蘇る。
(もしも本当に私の願いを叶えてくださるのなら、御橋神社の神様、どうか、どうか……一刻も早く、田中さんを病院に運ばせてください!)
心の中で柏手を打って、実際の手はハンドルをしっかりと握りしめた。
しばらくして瞼の裏の眩しさが和ぐのを待って、そろそろと目を開いた時、見えたのが煌々と明かりの点いた大きな病院らしき建物で、全身から力が抜けてほっとする。
「やった! やっぱりすぐに着いた! どう? じいちゃん。瑞穂姉ちゃんの車はすごいだろー!」
興奮冷めやらぬといったふうの豆太くんに、田中さんが返事をする。
「そうじゃな。すごいな」
それから私だけに聞こえるような小さな声で、お礼を言われた。
「ありがとう、瑞穂ちゃん……豆太を連れてきてくれて……」
「…………はい」
自分の選択はまちがっていなかったんだと思えて、こみ上げてきそうになる涙をこらえるのに、私は必死だった。
それどころか出張所横の空き地で車に乗ってから、ほとんど時間が過ぎてもいないだろう。
山と山の間に、まだ太陽の光の名残りがある。
このぶんならもしかすると、まだ深夜とは呼ばなくてもいい時間に、山の上出張所まで帰ることができるかもしれない。
「よし、豆太くん、行ってみよう!」
「うんっ!」
豆太くんは大喜びでスロープを駆け上がり、玄関の前に立ったが、呼び鈴を押してみても誰も出てこなかった。
「おかしいな……じいちゃん、出かけてるのかな?」
田中さんの軽トラは、そこに停めてある。
「ごめんくださーい」
声をかけてみても、敷地内から返事は聞こえない。
日が暮れかけてからどこかへ行くということも考えにくいが、畑へでも行っているのだろうか。
掃き出し窓が開けっぱなしになっている縁側へ、ふと目を向けると、カーテンの陰に足のようなものが見えた。
「え……」
慌てて駆け寄ると、田中さんが床に仰向けに倒れている。
「田中さん!」
「じいちゃん!」
靴を脱ぐのももどかしい思いで、豆太くんと先を争って縁側から家の中へ入ると、倒れている田中さんに必死に呼びかけた。
「田中さん! 田中のお爺ちゃん!」
「じいちゃん!」
幸い意識はあるようで、田中さんはゆっくりと目を開けると、豆太くんを見てとても優しい顔になる。
「おんや、わしゃ夢でも見ちょるんか……家に豆太がおる」
「じいちゃん俺だよ! 本物だよ!」
「それとも、あの世からお迎えが来ちょるんかな……はは」
かすかに笑いながら、田中さんの胸は激しく上下している。
呼吸音に喘鳴が混じる。
熱も出ているようだと額に手を当てた豆太くんが、「そうだ!」と麦わら帽子の下から葉っぱをとり出した。
豆太くんがいつも頭の上に載せている大きな葉だ。
「熱を下げる物になれ!」
豆太くんが両手の指を複雑に組んで、小声で唱えると、葉っぱはポンッと煙に包まれて、それが消えたあとには、氷の入った氷嚢に変わっている。
「じいちゃん、これ!」
豆太くんがそれを額に載せると、田中さんは嬉しそうに笑った。
「いいのか、豆太、秘密の力をわしの前で使って……」
「じいちゃん、本当はわかってたんだろ、おいらが人間じゃないって」
「はあて、なんのことかのう……耳が遠いからよく聞こえんわ……」
氷嚢で少し気分がよくなったらしい田中さんが、豆太くんと問答をしているうちに、私は急いで119番に電話をした。
しかし救急車が来るのは街中からなので、田中さんの家までは急いでも二時間かかるという。
「そんな!」
焦る私に、田中さんは豆太くんに膝枕をしてもらいながら、弱々しく手を上げた。
「不便なところじゃけんのう……いいよ、瑞穂ちゃん。豆太が来てくれたからすぐ元気になる」
まさかそんなわけはないと思いながら、私は考える。
(私の車に乗せて街まで運んだほうが、早いかもしれない……)
そう提案しようと口を開きかけた時、豆太くんがきりっと顔を上げた。
「姉ちゃん、ごめん。姉ちゃんの車でじいちゃんを病院まで運べないかな? 車まではおいらがおぶって行くから……」
小さな子どもだとばかり思っていた豆太くんが、田中さんのためにしっかりとした顔になり、私は胸が熱くなった。
「うん、そうだね……そうしよう! 私も手伝う!」
「なんの……ちょっと熱が高くて、咳がひどいだけじゃ……病院なんぞ行かんでも……」
「ダメ!」
豆太くんの叫びは鋭かった。
「じいちゃんいつも言ってたじゃないか! ばあちゃんは具合が悪くなっても、大丈夫だからって病院に行かなくて、だから間に合わなかったんだって……おいら……そんなの絶対に嫌だよ!」
田中さんが寝た格好のまま、ぐるっと首を巡らした。
部屋の奥には大きな仏壇があり、たくさんのお供えものの中に、笑顔の女性の写真が飾られている。
「そう……じゃの……」
こちらへ向き直った田中さんの目は涙に濡れており、豆太くんと私に支えられてゆっくりと体を起こす。
「あの時は豆太が来てくれて、おかげで命拾いしたんだって……あとで何度も語らんといかんよな」
「そうだよ!」
二人で田中さんを支えながら、車までなんとか歩いてもらった。
毛布を持ってきていたおかげで、後部座席が簡易ベッドのようになり、私は田中さんに寝てもらって、改めて運転席に座る。
(ここへ来た時みたいに、病院へも一瞬で行けたらいいのに……)
私が心の中で思ったことを、豆太くんが言葉にした。
「姉ちゃん……来た時みたいにすぐ着ける? おいらが目を閉じている間に、もう着く?」
不安と期待が入り混じった表情に、私は安心させるように笑いかけるしかなかった。
「もちろんだよ! さあ、行くよ!」
「うんっ!」
今度こそはっきりと、ハンドルの下あたりのダッシュボードが光った。
(あれ? そこって……)
ごく最近、私はそこをのぞきこんで何かをした気がする。
(確か……)
考える間にも光が大きく強くなり、目を開けておられず、固く瞑る。
その時、脳裏に閃いた。
(あ……みやちゃんからもらったお札だ……)
『本当に助けが欲しい時、瑞穂ちゃんが本気で願ったら、きっと助けてくださるよ』
千代さんの言葉も、心に蘇る。
(もしも本当に私の願いを叶えてくださるのなら、御橋神社の神様、どうか、どうか……一刻も早く、田中さんを病院に運ばせてください!)
心の中で柏手を打って、実際の手はハンドルをしっかりと握りしめた。
しばらくして瞼の裏の眩しさが和ぐのを待って、そろそろと目を開いた時、見えたのが煌々と明かりの点いた大きな病院らしき建物で、全身から力が抜けてほっとする。
「やった! やっぱりすぐに着いた! どう? じいちゃん。瑞穂姉ちゃんの車はすごいだろー!」
興奮冷めやらぬといったふうの豆太くんに、田中さんが返事をする。
「そうじゃな。すごいな」
それから私だけに聞こえるような小さな声で、お礼を言われた。
「ありがとう、瑞穂ちゃん……豆太を連れてきてくれて……」
「…………はい」
自分の選択はまちがっていなかったんだと思えて、こみ上げてきそうになる涙をこらえるのに、私は必死だった。
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