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16 昔語り
①
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人通りの少ない狭い路地へ入ると、クロは大きな木の陰へ入った。
古い家屋のブロック塀を越えて、枝が道路にはみ出すほど大きな木で、垂れ下がった枝葉の下へ入ってしまうと、クロの姿はほぼ見えなくなる。
「……クロさん?」
不安に思って呼びかけてみたが、出てきた彼の姿を見て驚いてしまった。
真夜中の配達につきあった日に見た、黒い布で口元を覆って全身黒装束の、背中に黒い翼が生えたあやかしの姿になっている。
「えっ……」
それまで空は、雲一つない晴天だったのに、クロが木の陰へ入ってから、ぶ厚い雲が太陽を隠してしまった。
クロが姿を変えて木の下から出てきて、辺りはいっそう暗くなったように感じる。
まだ真昼なのに、急に陽が翳ったからか、気温まで下がったようだった。
半袖姿の私は、思わず自分を抱きしめる。
(寒っ……)
クロは私に手をさし伸べて、短く命じる。
「来い」
手の甲まで黒い装束で覆われたその手を、本当に取っていいのか迷うほどの低い声だったが、これはクロなのだからと私は必死で自分に言い聞かせた。
(大丈夫……不安になることはない……)
クロは私の手を掴むと、近くへ引き寄せた。
腕に抱きしめられて、私の足は地面から浮く。
「…………!」
そうなることはわかっていたのに、あまりの密着具合と突然の上昇に驚いて、けたたましく鳴り始めた心臓の音がクロにも聞こえてしまいそうなほど大きい。
「怖いのなら目でも瞑ってろ」
そう告げると、クロはどこかへ向かって移動を始めた。
高さのほうは、河太郎さんの想い人の里穂さんが住んでいる五階建てのマンションを遥か足の下に見るほど高いが、速さはそうでもない。
だから私は必死にクロにしがみつきながら、飛ぶように過ぎていく足もとの景色を眺めていたのだが、ふと気になった。
「あの……これってもし誰かに見られたら、騒ぎになりません?」
クロが呆れたとばかりにため息を吐いた。
「もちろん、姿は見えなくしてある。人間には見えない」
そう説明されて、私はほっとする気持ちよりも、少し残念な思いのほうが大きかった。
「そうなんだ……」
「なんで残念そうなんだ」
咎めるように訊かれても、どうしてそういう感情になったのか、自分でもよくわからない。
「なんでだろう……」
私の返事にクロはまたため息を吐いて、腰のあたりに回していた手に力を込めた。
「少し上がるそ」
私が返事をする前にもう上昇を始めていて、私はクロの胸にしがみつく。
「ひぇえええええ」
「せめてもう少し女らしい悲鳴を上げろ」
(とっさにそんなことできるわけないでしょ!)
クロは、怒りの反論を私に言葉にさせないためにわざとやっているのではないかと疑うほど高度を上げ、一つの山を越えてから、山際へ向かって降下を始めた。
見る見るうちに山の緑が足の下へ近づき、その中の少し拓けた場所の、大きな瓦葺の屋根の建物の近くに、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら降り立つ。
私の足が地面に着くとすぐに抱きしめていた腕を解かれたので、私は足に力が入らず、よろめいてその場に座りこんでしまった。
「うっ……」
「そのまま少し休んでろ」
そう言い残してクロはどこかへ行ってしまい、帰ってきた時には、家を出た時のようなスーツ姿だった。
「え? 上着……車に置いてきましたよね?」
思わず問いかけた私に、クロは少しバツの悪い顔をして、しっかりと着こんだ自分の黒い上着を見回す。
「そうだったな……まあ、気にするな」
「しますよ!」
叫び返すと、小さなペットボトルの水を放ってよこされた。
「いいから、それでも飲め」
「…………ありがとう」
確かに喉は乾いていたので、ありがたくそれで潤してから私は立ち上がる。
人の気配のない、静かな場所だった。
神社の社殿にも似た古い木造建築が点々と建っており、それらの間に植栽された生垣も、見上げるほどに大きな木も、綺麗に剪定されて手入れが行き届いている。
地面も箒の跡がわかるように掃き清められており、そこに足跡を付けてしまうのが申し訳ないほどだったが、クロは迷うことなく革靴で歩いていく。
「どこへ行くんですか?」
私の質問には答えず、一番大きな建物をまわりこんで、正面へと向かっているようだった。
慌ててそのあとを追い、右方に大きな鐘が吊るされた鐘楼があり、正面の建物の奥に仏像らしきものが見えたので、どうやら寺院のようだと私は判断する。
(お寺か……)
意外な気持ちで見つめる大きな背中は、一礼して門を潜り、鐘楼前の建物へ向かうので、私もそれに倣う。
建物の中から法衣の人物が出てきて、クロと挨拶を交わしているが、お互いによく見知った間柄のように感じた。
(よく来るのかな……)
あやかしとお寺とは、不思議な組み合わせだと思いながら見ている私を、住職と話が終わったらしいクロが呼ぶ。
「瑞穂」
正面にある大きな仏堂の前まで行って手を合わせ、中には入らず、クロは鐘楼の奥から、建物群を抜けていった。
私は何をどうしていいのかわからず、彼がやることをそのまま真似しながら、全てにおいて説明が少なすぎることにだんだん不満が募る。
(シロくんのフォローがないと、クロのやろうとしていることも考えてることも、全然わかんない……!)
私のことを一度もふり返らずに、歩き続ける背中を小走りで追った。
古い家屋のブロック塀を越えて、枝が道路にはみ出すほど大きな木で、垂れ下がった枝葉の下へ入ってしまうと、クロの姿はほぼ見えなくなる。
「……クロさん?」
不安に思って呼びかけてみたが、出てきた彼の姿を見て驚いてしまった。
真夜中の配達につきあった日に見た、黒い布で口元を覆って全身黒装束の、背中に黒い翼が生えたあやかしの姿になっている。
「えっ……」
それまで空は、雲一つない晴天だったのに、クロが木の陰へ入ってから、ぶ厚い雲が太陽を隠してしまった。
クロが姿を変えて木の下から出てきて、辺りはいっそう暗くなったように感じる。
まだ真昼なのに、急に陽が翳ったからか、気温まで下がったようだった。
半袖姿の私は、思わず自分を抱きしめる。
(寒っ……)
クロは私に手をさし伸べて、短く命じる。
「来い」
手の甲まで黒い装束で覆われたその手を、本当に取っていいのか迷うほどの低い声だったが、これはクロなのだからと私は必死で自分に言い聞かせた。
(大丈夫……不安になることはない……)
クロは私の手を掴むと、近くへ引き寄せた。
腕に抱きしめられて、私の足は地面から浮く。
「…………!」
そうなることはわかっていたのに、あまりの密着具合と突然の上昇に驚いて、けたたましく鳴り始めた心臓の音がクロにも聞こえてしまいそうなほど大きい。
「怖いのなら目でも瞑ってろ」
そう告げると、クロはどこかへ向かって移動を始めた。
高さのほうは、河太郎さんの想い人の里穂さんが住んでいる五階建てのマンションを遥か足の下に見るほど高いが、速さはそうでもない。
だから私は必死にクロにしがみつきながら、飛ぶように過ぎていく足もとの景色を眺めていたのだが、ふと気になった。
「あの……これってもし誰かに見られたら、騒ぎになりません?」
クロが呆れたとばかりにため息を吐いた。
「もちろん、姿は見えなくしてある。人間には見えない」
そう説明されて、私はほっとする気持ちよりも、少し残念な思いのほうが大きかった。
「そうなんだ……」
「なんで残念そうなんだ」
咎めるように訊かれても、どうしてそういう感情になったのか、自分でもよくわからない。
「なんでだろう……」
私の返事にクロはまたため息を吐いて、腰のあたりに回していた手に力を込めた。
「少し上がるそ」
私が返事をする前にもう上昇を始めていて、私はクロの胸にしがみつく。
「ひぇえええええ」
「せめてもう少し女らしい悲鳴を上げろ」
(とっさにそんなことできるわけないでしょ!)
クロは、怒りの反論を私に言葉にさせないためにわざとやっているのではないかと疑うほど高度を上げ、一つの山を越えてから、山際へ向かって降下を始めた。
見る見るうちに山の緑が足の下へ近づき、その中の少し拓けた場所の、大きな瓦葺の屋根の建物の近くに、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら降り立つ。
私の足が地面に着くとすぐに抱きしめていた腕を解かれたので、私は足に力が入らず、よろめいてその場に座りこんでしまった。
「うっ……」
「そのまま少し休んでろ」
そう言い残してクロはどこかへ行ってしまい、帰ってきた時には、家を出た時のようなスーツ姿だった。
「え? 上着……車に置いてきましたよね?」
思わず問いかけた私に、クロは少しバツの悪い顔をして、しっかりと着こんだ自分の黒い上着を見回す。
「そうだったな……まあ、気にするな」
「しますよ!」
叫び返すと、小さなペットボトルの水を放ってよこされた。
「いいから、それでも飲め」
「…………ありがとう」
確かに喉は乾いていたので、ありがたくそれで潤してから私は立ち上がる。
人の気配のない、静かな場所だった。
神社の社殿にも似た古い木造建築が点々と建っており、それらの間に植栽された生垣も、見上げるほどに大きな木も、綺麗に剪定されて手入れが行き届いている。
地面も箒の跡がわかるように掃き清められており、そこに足跡を付けてしまうのが申し訳ないほどだったが、クロは迷うことなく革靴で歩いていく。
「どこへ行くんですか?」
私の質問には答えず、一番大きな建物をまわりこんで、正面へと向かっているようだった。
慌ててそのあとを追い、右方に大きな鐘が吊るされた鐘楼があり、正面の建物の奥に仏像らしきものが見えたので、どうやら寺院のようだと私は判断する。
(お寺か……)
意外な気持ちで見つめる大きな背中は、一礼して門を潜り、鐘楼前の建物へ向かうので、私もそれに倣う。
建物の中から法衣の人物が出てきて、クロと挨拶を交わしているが、お互いによく見知った間柄のように感じた。
(よく来るのかな……)
あやかしとお寺とは、不思議な組み合わせだと思いながら見ている私を、住職と話が終わったらしいクロが呼ぶ。
「瑞穂」
正面にある大きな仏堂の前まで行って手を合わせ、中には入らず、クロは鐘楼の奥から、建物群を抜けていった。
私は何をどうしていいのかわからず、彼がやることをそのまま真似しながら、全てにおいて説明が少なすぎることにだんだん不満が募る。
(シロくんのフォローがないと、クロのやろうとしていることも考えてることも、全然わかんない……!)
私のことを一度もふり返らずに、歩き続ける背中を小走りで追った。
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