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16 昔語り
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クロが向かっているのは、本尊が祀られた仏堂の奥にある講堂の、更に奥にある建物のようだった。
大きな樹木に囲まれて、ほぼそれに埋もれるような形で、ひっそりと建っているお堂は扉が閉じられている。
クロが手にした鍵でそれを開けたので、おそらく先ほどの住職から鍵を借りたのだろう。
閉じられていたお堂の中には、そこに置かれているものの匂いがこもっており、花とお香のいい香りがした。
花器に活けられた見事な枝ぶりの花は、匂いに反して茶色く萎れてしまっていたのに、クロが手に取ると、見る見る生気を取り戻す。
(すごい……)
どうやら桜の花だったようだ。
クロが満開になった花を花器へ戻し、堂内の埃を軽く払い、手を合わせて頭を垂れるうしろから、私もお堂の中をのぞいてみる。
祀られていたのは思っていたよりもずいぶん小さな仏像だった。
金箔などは貼られておらず、素朴な木彫りで、誰かの手作りだろうか、優しい顔の女性に見える。
クロに倣って手を合わせてから、いつまでもその体勢から動かない大きな背中に、私はそっと言葉をかけた。
「優しいお顔の仏さまですね」
「そうか……」
クロがほっとしたように息を吐いたのがわかった。
ようやくお堂の前から移動し、脇に生えている大きな木の下に立って、その表皮を撫でながら、私には背を向ける。
「昔、馬鹿な男がいた」
いきなりそう切り出されたので、少し面食らいながらも、私は頷いた。
「はい」
「それなりに長く生きているあやかしの男だったが、ある時人間の女に恋をして、女のことが頭から離れなくなった。幸か不幸か女も男を好いてくれて、二人は永遠の愛を誓った」
突然始まった昔話が、とても幸せな結末を迎えそうにはなく、私は少し緊張しながら、相槌を打つ。
「はい……」
「だけど幸せは、長くは続かなかった……」
やはりという思いで、私はクロの次の言葉を待った。
少し間を置いてからクロはまた語りだす。
声が若干低くなったように聞こえた。
「女は病にかかり、男はなんとかそれを治そうと努力したが、何をやっても効かなかった。女は次第に弱り、最終的には亡くなった。男は自分の力不足を悔いて、いつまでも女のことを忘れられなかった……ずっと……」
そこで昔語りは終わったらしく、またクロの声音が変わる。
「どれほど想っていても、どれほど想われていても、いつかは終わりの時が来る。それは人間同士でも同じだろうが、あやかしと人間だと、あやかしにとっては呆気ないほどすぐに終わってしまう。それから先も長い時間を、生きていかなければならないのに……だから俺は……」
クロは、あやかしと人間が深く関わることを良しとしていない自分の気持ちの根拠を、私に伝えようとしてくれたのだろう。
河太郎さんの恋がとても叶いそうになくて、落ちこんだ私を慰める意味もあったのかもしれない。
口を噤んで私をふり返ったクロの表情は、とても悲しそうなものだった。
それが見る見るうちに、驚きの顔に変わっていく――。
「瑞穂……お前……?」
珍しくうろたえた様子で、クロに呼びかけられて初めて気がついた。
私はいつの間にか、涙をぽろぽろ零して泣いていた。
「え? ……あれ?」
自分でもまったく自覚がなかった。
クロの話を聞いて、やるせない気持ちになったのは確かだが、まさかこんなに涙が湧いてくるとは思ってもいなかった。
「あれ? ……あれ?」
拭っても拭っても零れる涙に、すっかり困惑している私を、クロが懐かしいものを見るような目で見つめる。
それは私を見ているのに、見ていないような、不思議な眼差し――。
「お前が泣くことか?」
いつもの呆れたような言葉が、優しい声音で発せられて、胸がぎゅっと痛くなった。
それはどういう痛みなのか、どうして涙が止まらないのかが理解できなくて、私は困って訴える。
「だって……」
クロは私との間の距離を詰めて、大きな手を私の頭の上にそっと乗せた。
「ありがとう」
とても優しい口調で言って、軽く頭を撫でてから、お堂の前へ帰り、扉を閉めて鍵をかける。
私はその一連の動作を、身動きもせずにただじっと見ていたが、クロが頭を下げてお堂の前を立ち去る前に、「また来る」と小さな声で呟いたので、なんとなく察した。
(そうか……今の話は、クロ本人の話だ……)
だとすると、彼が長く祈りを捧げていた、あの優しい顔の木彫りの仏像は、彼が昔愛した女性に所以するものだろうか。
(たぶん……きっと、そう……)
来た時と同じように、静かにお堂を去っていく背中について歩きながら、また新しく湧いてきた涙で、木々の濃い緑が印象的な光景は、ぼやけて見えなくなった。
大きな樹木に囲まれて、ほぼそれに埋もれるような形で、ひっそりと建っているお堂は扉が閉じられている。
クロが手にした鍵でそれを開けたので、おそらく先ほどの住職から鍵を借りたのだろう。
閉じられていたお堂の中には、そこに置かれているものの匂いがこもっており、花とお香のいい香りがした。
花器に活けられた見事な枝ぶりの花は、匂いに反して茶色く萎れてしまっていたのに、クロが手に取ると、見る見る生気を取り戻す。
(すごい……)
どうやら桜の花だったようだ。
クロが満開になった花を花器へ戻し、堂内の埃を軽く払い、手を合わせて頭を垂れるうしろから、私もお堂の中をのぞいてみる。
祀られていたのは思っていたよりもずいぶん小さな仏像だった。
金箔などは貼られておらず、素朴な木彫りで、誰かの手作りだろうか、優しい顔の女性に見える。
クロに倣って手を合わせてから、いつまでもその体勢から動かない大きな背中に、私はそっと言葉をかけた。
「優しいお顔の仏さまですね」
「そうか……」
クロがほっとしたように息を吐いたのがわかった。
ようやくお堂の前から移動し、脇に生えている大きな木の下に立って、その表皮を撫でながら、私には背を向ける。
「昔、馬鹿な男がいた」
いきなりそう切り出されたので、少し面食らいながらも、私は頷いた。
「はい」
「それなりに長く生きているあやかしの男だったが、ある時人間の女に恋をして、女のことが頭から離れなくなった。幸か不幸か女も男を好いてくれて、二人は永遠の愛を誓った」
突然始まった昔話が、とても幸せな結末を迎えそうにはなく、私は少し緊張しながら、相槌を打つ。
「はい……」
「だけど幸せは、長くは続かなかった……」
やはりという思いで、私はクロの次の言葉を待った。
少し間を置いてからクロはまた語りだす。
声が若干低くなったように聞こえた。
「女は病にかかり、男はなんとかそれを治そうと努力したが、何をやっても効かなかった。女は次第に弱り、最終的には亡くなった。男は自分の力不足を悔いて、いつまでも女のことを忘れられなかった……ずっと……」
そこで昔語りは終わったらしく、またクロの声音が変わる。
「どれほど想っていても、どれほど想われていても、いつかは終わりの時が来る。それは人間同士でも同じだろうが、あやかしと人間だと、あやかしにとっては呆気ないほどすぐに終わってしまう。それから先も長い時間を、生きていかなければならないのに……だから俺は……」
クロは、あやかしと人間が深く関わることを良しとしていない自分の気持ちの根拠を、私に伝えようとしてくれたのだろう。
河太郎さんの恋がとても叶いそうになくて、落ちこんだ私を慰める意味もあったのかもしれない。
口を噤んで私をふり返ったクロの表情は、とても悲しそうなものだった。
それが見る見るうちに、驚きの顔に変わっていく――。
「瑞穂……お前……?」
珍しくうろたえた様子で、クロに呼びかけられて初めて気がついた。
私はいつの間にか、涙をぽろぽろ零して泣いていた。
「え? ……あれ?」
自分でもまったく自覚がなかった。
クロの話を聞いて、やるせない気持ちになったのは確かだが、まさかこんなに涙が湧いてくるとは思ってもいなかった。
「あれ? ……あれ?」
拭っても拭っても零れる涙に、すっかり困惑している私を、クロが懐かしいものを見るような目で見つめる。
それは私を見ているのに、見ていないような、不思議な眼差し――。
「お前が泣くことか?」
いつもの呆れたような言葉が、優しい声音で発せられて、胸がぎゅっと痛くなった。
それはどういう痛みなのか、どうして涙が止まらないのかが理解できなくて、私は困って訴える。
「だって……」
クロは私との間の距離を詰めて、大きな手を私の頭の上にそっと乗せた。
「ありがとう」
とても優しい口調で言って、軽く頭を撫でてから、お堂の前へ帰り、扉を閉めて鍵をかける。
私はその一連の動作を、身動きもせずにただじっと見ていたが、クロが頭を下げてお堂の前を立ち去る前に、「また来る」と小さな声で呟いたので、なんとなく察した。
(そうか……今の話は、クロ本人の話だ……)
だとすると、彼が長く祈りを捧げていた、あの優しい顔の木彫りの仏像は、彼が昔愛した女性に所以するものだろうか。
(たぶん……きっと、そう……)
来た時と同じように、静かにお堂を去っていく背中について歩きながら、また新しく湧いてきた涙で、木々の濃い緑が印象的な光景は、ぼやけて見えなくなった。
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