風はいつも君色に染まる

シェリンカ

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第七章 紅色の夕風

97:還る場所3

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 二人で歩いた土手の道にも、問題の国道にも、紅君の姿はなかった。
 柔らかな春の陽射しが次第に傾き、西の空へと沈みかけ、タイムリミットが近いことを私に教えている。

 母と暮らしたアパートにも、紅君も通っていた小学校にも、足を運んでみたが収穫はない。限界を越えて歩き回ると、本当に足が痛くて歩くことも困難になるのだと、身を以って初めて知った。 

(やっぱり……この街じゃなかったんだ……)

 そもそもどうしてここだと思ったのか。
 その根拠でさえ今は、危うい。 

(目を覚まして……それでまだ紅君に記憶があったなら……今度こそは私のことも思い出してくれそうな気がした……) 

 だからこの街へ来た。
 二人の思い出が詰まったこの街を巡りながら、欠けた記憶を確かなものにし、それから私のところへ帰って来てくれるような気がした。 

(だから、先回りして追いかけてくるなんて……やっぱりこんなの……私の勝手な思いこみだ)
 
 落胆してその場にしゃがみこんだら、そこから一歩も動けなくなった。
 気力だけを頼りに動かし続けた足は、とうに限界を超えている。
 紅君に会いたい、もうすぐきっと会えるはずだと、信じる気持ちがなくなってしまったら、もう動くはずもない。 

(やっぱり会えない……もう会えないかもしれない……!) 

 私の想像もつかないような理由で、紅君が動きだしてしまったのなら、いったい何を信じて待てばいいのだろう。
 もう一度会おうと、私は約束を交わしたわけでもないし、彼が私を覚えているのかさえわからない。 

「紅君!」 

 うな垂れた私の頬を伝った涙が、ポツリと地面に黒い染みを作った瞬間――風が吹いた。
 伸ばしっぱなしの私の長い髪を巻き上げるように、夕焼けに染まった空に向かって一直線に風が駆け上がったので、つられて顔を上げた。 

 涙で滲んだ視界の中で、小さな何かが、私に向かってヒラリヒラリと降りてくる。
 今は夕陽に染まって赤く見えるその小さな『何か』が、淡いピンク色の花びらだと見て取り、私の目から涙が零れ落ちた。
 いくつもいくつも零れ落ちた。 

「さくら……」

 あの遠い春の日。
 紅君と二人で見た景色のように、空から降ってくる花びらを、そっと両手で受ける。
 握り潰してしまわないように、大切に受け止める。

 気がつけばいつの間にか、私は桜の大木のすぐ近くにいた。
 どこをどう歩いて辿り着いたのかさえ、記憶にない。
 大きな桜の木の傍に、しゃがみこんでいた。

 瞬間、背後で声がした。 




「いつも見てたんだ……気がつくとその子のことばっかり見てた。あまり目立つ子じゃなかったし、男の子と話すタイプでもなかったから、なかなか話すタイミングが見つからなくて……そうこうしているうちに、その子がある日、パッタリと学校に来なくなった……」 

 聞き違えようのないその声に、ふり返ろうと思うのにできない。
 一気に駆け上ってきた震えるような驚きに、大きくしゃくりあげて咽び泣いているような状態では、とてもふり向けない。 

「……義理の父親に殴られて、大怪我をしたって聞いた……事実、数日後に学校に出てきたその子は松葉杖で……顔にもいっぱい怪我してた……」

 必死に嗚咽を堪えていると息を吸うことさえ難しい。
 頭も胸も、たった一つの思いで満たされているのに、それを口に出すことができない。
 ただぽろぽろと涙を零し、彼の言葉を背中で聞き続けるしかない。 

「なんで守ってやれなかったんだろうって、いっぱいいっぱい後悔した。恥ずかしいとか、みんなにからかわれるかもとか、そんなちっぽけな思い……あの子が傷つくことに比べたら、なんでもなかったのに!」 

 背中からふわっと私の肩を包むように回された両手が、座りこんだままの私の体を抱きしめた。
 先ほどまでよりずっと近く、私の頭のすぐうしろで、優しい声が聞こえる。

「守りたいって思った。他の誰からも、何からも、俺が絶対守るんだって自分に誓った。それなのに、その思いさえ忘れて……一番大切な君のことを忘れて……!」

 力をこめて自分を抱きしめる腕に、私は恐る恐る指先で触れた。
 確かに感触があっても、背中で彼の体温を感じても、夢じゃないかと疑う気持ちがどうしても拭えない。
 もう六年間も、何度も何度もくり返し見てきた、優しくて残酷な夢の続きなのではないかと思える。
 だが――。 

「ゴメン、ちい……それでも好きだよ……誰よりもやっぱり……君が好きだよ」
 
 私の頭に自分の頭を押しつけるようにして、一番近い場所で彼が囁いた言葉だけは、嘘にしたくない。
 夢でも幻でもいい。
 彼が私を思い出してくれたのがたとえ今この一瞬だけでも、私にとっては一番大切な宝物として、ずっとずっと心の中にしまっておきたい。 

「紅君――!」

 叫ぶように名前を呼んだ私を、彼はかき抱くようにもう一度強く背後から抱きしめた。
 もう決して放さないという意思表示のように、自分は確かにここに居るということを私に知らしめるかのように――。

(この腕を信じる……抱きしめる強さを信じる……たとえ運命が、もう一度彼から私の記憶を奪っても、私だけは決して忘れない!)
 
 その思いをこめ、私は萎えていた足に力を入れて体を捻り、自分から彼の腕に飛びこんだ。

「紅君!」 

 夢でも幻でもなく確かに夕焼けの中に、大好きな人は存在していた。

「ちい」 

 呼ばれるままに上げた私の顔に、紅君の顔が近づいてくる。

「ただいま」 

 囁かれた言葉に、私も「おかえり」と返したら、そのまま唇で唇を塞がれる。 

(ああ、紅君だ……本物の紅君に……もう一度会えた……!) 

 溢れる涙は、やはり止まらなかった。
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