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第三章 煌めきの王子と王宮勤め
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暗い夜道を歩きながら、エミリアはこの数日間におこったさまざまな出来事を思い返し、切ないため息を何度も吐く。
「もうお城に行くこともないんだよねえ……」
それなのにアウレディオは、「ああ」とか「そうだな」という生返事しかしてくれず、一緒に思い出をふり返ってくれない。
数回それをくり返した末に、エミリアはとうとう口を噤んだ。
(もういい。明日仕事場に行ってから、フィオナと話そう……フィオナだって自分の観点からしか話をしてくれないけど、きっとディオよりはまだマシだわ)
こっそり心の中だけで誓ったつもりだったのに、ふいにアウレディオが立ち止まるので、エミリアは慌てる。
「え、何? 私、何も言ってないよ?」
坂の途中で置いてきぼりにした形になってしまったアウレディオを、エミリアは急いでふり返った。
アウレディオは黙ったまま、左手に見えてきた自分の邸の庭園をじっと見つめている。
月明かりの中、咲き誇る薔薇に囲まれて、そこに佇んでいたのはエミリアの母だった。
「あ……お母さん!」
呼びかけると手を振って答えてくれるから、エミリアは大きく手をふり返す。
けれどもさっきから立ち止まったままのアウレディオは、まるでその場所に根が生えてしまったかのように微動だにしない。
(ディオ……)
そのどこか悲しげな様子に、エミリアは意図的に意識の外へ追いやっていた大切なことを思い出した。
(そうだった……上手くミカエルを捜し出さないと、このままお母さんと一緒には暮らせないんだった……)
軽く首を傾げて笑いながら、嬉しそうに二人を待っている母。
少女のように儚げで美しく、優しいあの人を失いたくなくて、アウレディオもエミリアを手伝ってくれていたのに――。
「ディオ……ごめん」
そっと呟いた。
アウレディオは小さく首を振って、エミリアの顔を真っ直ぐに見つめる。
そんな彼にそれ以上何と声をかけていいのかわからなかった。
(お城に行けたことですっかり舞い上がって、自分のやらなきゃいけないことをあんまり意識してなかった。こんなんじゃお母さんの娘失格だね……それにひきかえディオは、いつだってお母さんのために動いてたんだもの……)
考えれば考えるほど、自分はなんと自分勝手な人間なのだろうと思ってしまう。
(ゴメンね。お母さん。ゴメンね)
心の中でくり返すエミリアに母は天使の笑顔で呼びかける。
「お帰り。エミリア」
いつまでもこの笑顔に迎えられたいと思う。
それがエミリアの願い。
「お帰り。アウレディオも」
穏やかに笑い返すアウレディオも、抱えている思いはきっと同じはず。
(でももうミカエルを捜そうにも手がかりがない……私がその人を好きになるはずだっていうんなら、ランドルフ様もフェルナンド様も違った今、まったくの八方塞がり……)
絶望的な状況に落ちこむしかないエミリアの顔を、母が、
「どうしたの?」
とのぞきこむ。
「なんでもないよ」
笑ってごまかそうとしても、母にはきっと通用しない。
黙ったままエミリアの頭を撫でると、母はアウレディオに一通の手紙をさし出した。
「はいアウレディオ。お手紙届いてたわよ。配達の人がまちがえてうちに届けちゃったのね。ごめんなさいね」
「別にリリーナのせいじゃないだろ」
さし出された何の変哲もない白い封筒を、アウレディオは宛名が自分の名前になっていることを確認して裏返した。
裏に差出人の名前がなかったのでそのまま封を切る。
白い便箋に目を落としたアウレディオの顔は、見る見るうちに表情が変わっていった。
「ねえ誰から?」
尋ねるエミリアには答えをくれない。
けれどエミリアの顔と手紙とを何度も何度も見比べて、何かを必死に考えている。
それだけはわかる。
「私の知ってる人?」
しつこく食い下がるエミリアをまったく無視して、アウレディオは母へ向き直った。
「なあリリーナ。俺たちが捜してる相手にエミリアが恋するって話は、絶対に本当なのか?」
「本当よ」
間髪入れずに返ってくる母の声に迷いはない。
アウレディオはなぜか大きなため息を吐くと、肩を竦めてみせた。
エミリアにはまったく意味がわからないというのに、母はそうでもないらしい。
アウレディオの不可解な行動に、動じもせず彼を見つめている。
「じゃあ、背中に星型の痣があるっていうのも?」
「うん。本当……」
母の大きな宝石のような瞳が、何かの色に揺れた。
ふうっともう一度大きなため息を吐くと、アウレディオは何かを吹っ切るかのように首を振った。
「そうか、わかった」
そうしておいて、唐突にエミリアに問いかける。
「お前……まだ他にも好きな奴がいるか?」
「は?」
一瞬呆けてしまったエミリアに、アウレディオは少し苛立たしげに眉をひそめる。
「だから……ランドルフ様とフェルナンド王子の他にも、まだ好きな奴がいるのかって聞いてるんだよ」
エミリアは母のニコニコ顔を横目に見ながら、焦ってアウレディオに詰め寄った。
「な、な、何てこと言うのよ!」
(知らない人が聞いたら、私ってどんなに恋多き女なのかって思うでしょ!)
これ以上余計なことを言われたらたまらないので、アウレディオが三度訊ねる前に急いで答える。
「いないわよ。いるわけないでしょ!」
「そうか。だったらやっぱりそういうことか……」
どうやら一人で勝手に何かを納得したらしいが、エミリアが訊いても答えてくれない。
「何が?」
「これでいいってことだよ」
手に持った白い封筒を、ヒラヒラと顔の前で振ってみせるだけ。
(だから何がいいのよ? 全然意味がわからない!)
納得がいかないエミリアの肩をポンと叩いて、アウレディオは自分の家に向かって歩き始めた。
「ちょちょっと、ディオ!」
エミリアの声にはふり返りもしないで、背中を向けたまま手を振って行ってしまう。
「明日になればわかる」
(いいえ、全然わかるとは思えないんですけど!)
納まらない気持ちを抱えたまま、エミリアは「まあまあ」と宥めてくれる母と共に家へ帰った。
キラキラと降るような星が、やけに印象的な静かな夜だった。
「もうお城に行くこともないんだよねえ……」
それなのにアウレディオは、「ああ」とか「そうだな」という生返事しかしてくれず、一緒に思い出をふり返ってくれない。
数回それをくり返した末に、エミリアはとうとう口を噤んだ。
(もういい。明日仕事場に行ってから、フィオナと話そう……フィオナだって自分の観点からしか話をしてくれないけど、きっとディオよりはまだマシだわ)
こっそり心の中だけで誓ったつもりだったのに、ふいにアウレディオが立ち止まるので、エミリアは慌てる。
「え、何? 私、何も言ってないよ?」
坂の途中で置いてきぼりにした形になってしまったアウレディオを、エミリアは急いでふり返った。
アウレディオは黙ったまま、左手に見えてきた自分の邸の庭園をじっと見つめている。
月明かりの中、咲き誇る薔薇に囲まれて、そこに佇んでいたのはエミリアの母だった。
「あ……お母さん!」
呼びかけると手を振って答えてくれるから、エミリアは大きく手をふり返す。
けれどもさっきから立ち止まったままのアウレディオは、まるでその場所に根が生えてしまったかのように微動だにしない。
(ディオ……)
そのどこか悲しげな様子に、エミリアは意図的に意識の外へ追いやっていた大切なことを思い出した。
(そうだった……上手くミカエルを捜し出さないと、このままお母さんと一緒には暮らせないんだった……)
軽く首を傾げて笑いながら、嬉しそうに二人を待っている母。
少女のように儚げで美しく、優しいあの人を失いたくなくて、アウレディオもエミリアを手伝ってくれていたのに――。
「ディオ……ごめん」
そっと呟いた。
アウレディオは小さく首を振って、エミリアの顔を真っ直ぐに見つめる。
そんな彼にそれ以上何と声をかけていいのかわからなかった。
(お城に行けたことですっかり舞い上がって、自分のやらなきゃいけないことをあんまり意識してなかった。こんなんじゃお母さんの娘失格だね……それにひきかえディオは、いつだってお母さんのために動いてたんだもの……)
考えれば考えるほど、自分はなんと自分勝手な人間なのだろうと思ってしまう。
(ゴメンね。お母さん。ゴメンね)
心の中でくり返すエミリアに母は天使の笑顔で呼びかける。
「お帰り。エミリア」
いつまでもこの笑顔に迎えられたいと思う。
それがエミリアの願い。
「お帰り。アウレディオも」
穏やかに笑い返すアウレディオも、抱えている思いはきっと同じはず。
(でももうミカエルを捜そうにも手がかりがない……私がその人を好きになるはずだっていうんなら、ランドルフ様もフェルナンド様も違った今、まったくの八方塞がり……)
絶望的な状況に落ちこむしかないエミリアの顔を、母が、
「どうしたの?」
とのぞきこむ。
「なんでもないよ」
笑ってごまかそうとしても、母にはきっと通用しない。
黙ったままエミリアの頭を撫でると、母はアウレディオに一通の手紙をさし出した。
「はいアウレディオ。お手紙届いてたわよ。配達の人がまちがえてうちに届けちゃったのね。ごめんなさいね」
「別にリリーナのせいじゃないだろ」
さし出された何の変哲もない白い封筒を、アウレディオは宛名が自分の名前になっていることを確認して裏返した。
裏に差出人の名前がなかったのでそのまま封を切る。
白い便箋に目を落としたアウレディオの顔は、見る見るうちに表情が変わっていった。
「ねえ誰から?」
尋ねるエミリアには答えをくれない。
けれどエミリアの顔と手紙とを何度も何度も見比べて、何かを必死に考えている。
それだけはわかる。
「私の知ってる人?」
しつこく食い下がるエミリアをまったく無視して、アウレディオは母へ向き直った。
「なあリリーナ。俺たちが捜してる相手にエミリアが恋するって話は、絶対に本当なのか?」
「本当よ」
間髪入れずに返ってくる母の声に迷いはない。
アウレディオはなぜか大きなため息を吐くと、肩を竦めてみせた。
エミリアにはまったく意味がわからないというのに、母はそうでもないらしい。
アウレディオの不可解な行動に、動じもせず彼を見つめている。
「じゃあ、背中に星型の痣があるっていうのも?」
「うん。本当……」
母の大きな宝石のような瞳が、何かの色に揺れた。
ふうっともう一度大きなため息を吐くと、アウレディオは何かを吹っ切るかのように首を振った。
「そうか、わかった」
そうしておいて、唐突にエミリアに問いかける。
「お前……まだ他にも好きな奴がいるか?」
「は?」
一瞬呆けてしまったエミリアに、アウレディオは少し苛立たしげに眉をひそめる。
「だから……ランドルフ様とフェルナンド王子の他にも、まだ好きな奴がいるのかって聞いてるんだよ」
エミリアは母のニコニコ顔を横目に見ながら、焦ってアウレディオに詰め寄った。
「な、な、何てこと言うのよ!」
(知らない人が聞いたら、私ってどんなに恋多き女なのかって思うでしょ!)
これ以上余計なことを言われたらたまらないので、アウレディオが三度訊ねる前に急いで答える。
「いないわよ。いるわけないでしょ!」
「そうか。だったらやっぱりそういうことか……」
どうやら一人で勝手に何かを納得したらしいが、エミリアが訊いても答えてくれない。
「何が?」
「これでいいってことだよ」
手に持った白い封筒を、ヒラヒラと顔の前で振ってみせるだけ。
(だから何がいいのよ? 全然意味がわからない!)
納得がいかないエミリアの肩をポンと叩いて、アウレディオは自分の家に向かって歩き始めた。
「ちょちょっと、ディオ!」
エミリアの声にはふり返りもしないで、背中を向けたまま手を振って行ってしまう。
「明日になればわかる」
(いいえ、全然わかるとは思えないんですけど!)
納まらない気持ちを抱えたまま、エミリアは「まあまあ」と宥めてくれる母と共に家へ帰った。
キラキラと降るような星が、やけに印象的な静かな夜だった。
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