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春の章
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自転車のカゴに買い物袋を入れた篤宏は、それを押して歩く。それに並んでカヨと真珠は歩いていた。
「あっちゃんは男前でしょう? 東京にもこんな男前滅多にいないよねえ?」
「カヨさん、モデルさんに何言ってるんだい。だいたい、これテレビだよ、テレビ。僕より格好いい芸能人がたくさんいるよ」
いや、そうそういてたまるか、と真珠は心中で呟いた。真珠の胸中を読んだかのように、カヨが真珠の顔を覗き込んでくる。
「そんなことないよねえ、モデルさんもそう思うでしょ?」
「……そう思います」
「氷坂真珠くん、だよ。さっき名前教えたじゃないか。モデルさんって呼び方は……」
「ひさか、ましろ? あらまあ、今時の格好いい名前ねえ。芸名なの?」
「いや、これは本名そのままで。氷に坂でひさか、真珠と書いて『ましろ』と読みます」
「クールで格好いい名前だよね。本名だったんだ? てっきり芸名だと思ってたよ」
元から一度で正しく読まれたことが無い名前だ。篤宏とカヨの誤解にはただ頷くしかない。
「氷坂さん、氷坂さんね。川向こうの神社は氷川さんよ、あれに似てるわね」
どうにも、年配者に名字で呼ばれることがむずがゆい。
母がモデルをしていたから、真珠もこの業界に入った。だからこそ、普段は名前の方が呼ばれ慣れている。
モデルの氷坂といえば、母を連想する人の方が多いのだから。
「名前の方で、真珠でいいです」
「はいはい、真珠くんね。怖い顔してるから取っつきにくいかと思ったけど、真珠くんアレね。言葉が足りない昭和の男みたいだわ。ちょっと若い頃の健さんみたい」
健さんと言われても誰を指しているのか真珠にはわからなかったが、彼女の言葉から察するに間違いなく褒め言葉だろう。
ありがとうございますと言うのも妙に気恥ずかしくて、真珠は軽く頭を下げた。そんなふたりを見て篤宏は声を出して笑っている。
そうして五分ほどのんびりと歩いただけで、真珠達は目的のカヨの家に着いた。
その家は例によって赤い屋根の一軒家だった。お邪魔しますと言って上がり込むと、篤宏は勝手知ったる人の家といった顔で、階段下の物置から脚立を出してきた。
「カヨさん、LED届いた?」
「届いてるよ。はい、この箱」
カヨから通販サイトの箱を渡され、真珠はそれを開けた。中には蛍光灯タイプのLEDが何セットか入っている。脚立を立てた篤宏は、一段だけ上がると真珠に声を掛けた。
「悪いけど、脚立押さえてもらっていいかな」
「わかった」
篤宏ほど背が高くても、さすがに蛍光灯の交換には脚立が要るらしい。篤宏の言葉に従って真珠は脚立を押さえた。
古びた和室には、似つかわしいレトロなペンダントシェードが下がっている。中の蛍光灯は一部が黒ずんでいて、そういえば子供の頃は蛍光灯が切れるときにはこうなっていたな、と思い出す。
蛍光灯の箱を開け、それを篤宏に手渡したとき以外はずっと脚立を押さえ、真珠は篤宏の慣れた手つきを眺めていた。
「これって凄く長持ちするんでしょ。じゃあオラが生きてる間はもう取り替えなくていいねえ」
「10年くらいだよ。カヨさんまだまだ長生きするんだから、次また交換するときには僕を呼んでよ。ちゃんと手伝いに来るからさ」
「あっちゃんは頼りになるねえ。遠くにいる子供よりよっぽど頼りになるよ」
カヨの言葉で、真珠が篤宏に感じていた違和感がすっと消えていった。なるほど、篤宏は老人では面倒なこういった細々とした手伝いを気安く請け負うのだろう。そしてコミュニティに自ら溶け込んでいったのかもしれない。計算ずくかもしれないが、出会って間もない真珠が見ても、篤宏の人柄は人との交わりを厭うようには見えなかった。
「あっちゃんは男前でしょう? 東京にもこんな男前滅多にいないよねえ?」
「カヨさん、モデルさんに何言ってるんだい。だいたい、これテレビだよ、テレビ。僕より格好いい芸能人がたくさんいるよ」
いや、そうそういてたまるか、と真珠は心中で呟いた。真珠の胸中を読んだかのように、カヨが真珠の顔を覗き込んでくる。
「そんなことないよねえ、モデルさんもそう思うでしょ?」
「……そう思います」
「氷坂真珠くん、だよ。さっき名前教えたじゃないか。モデルさんって呼び方は……」
「ひさか、ましろ? あらまあ、今時の格好いい名前ねえ。芸名なの?」
「いや、これは本名そのままで。氷に坂でひさか、真珠と書いて『ましろ』と読みます」
「クールで格好いい名前だよね。本名だったんだ? てっきり芸名だと思ってたよ」
元から一度で正しく読まれたことが無い名前だ。篤宏とカヨの誤解にはただ頷くしかない。
「氷坂さん、氷坂さんね。川向こうの神社は氷川さんよ、あれに似てるわね」
どうにも、年配者に名字で呼ばれることがむずがゆい。
母がモデルをしていたから、真珠もこの業界に入った。だからこそ、普段は名前の方が呼ばれ慣れている。
モデルの氷坂といえば、母を連想する人の方が多いのだから。
「名前の方で、真珠でいいです」
「はいはい、真珠くんね。怖い顔してるから取っつきにくいかと思ったけど、真珠くんアレね。言葉が足りない昭和の男みたいだわ。ちょっと若い頃の健さんみたい」
健さんと言われても誰を指しているのか真珠にはわからなかったが、彼女の言葉から察するに間違いなく褒め言葉だろう。
ありがとうございますと言うのも妙に気恥ずかしくて、真珠は軽く頭を下げた。そんなふたりを見て篤宏は声を出して笑っている。
そうして五分ほどのんびりと歩いただけで、真珠達は目的のカヨの家に着いた。
その家は例によって赤い屋根の一軒家だった。お邪魔しますと言って上がり込むと、篤宏は勝手知ったる人の家といった顔で、階段下の物置から脚立を出してきた。
「カヨさん、LED届いた?」
「届いてるよ。はい、この箱」
カヨから通販サイトの箱を渡され、真珠はそれを開けた。中には蛍光灯タイプのLEDが何セットか入っている。脚立を立てた篤宏は、一段だけ上がると真珠に声を掛けた。
「悪いけど、脚立押さえてもらっていいかな」
「わかった」
篤宏ほど背が高くても、さすがに蛍光灯の交換には脚立が要るらしい。篤宏の言葉に従って真珠は脚立を押さえた。
古びた和室には、似つかわしいレトロなペンダントシェードが下がっている。中の蛍光灯は一部が黒ずんでいて、そういえば子供の頃は蛍光灯が切れるときにはこうなっていたな、と思い出す。
蛍光灯の箱を開け、それを篤宏に手渡したとき以外はずっと脚立を押さえ、真珠は篤宏の慣れた手つきを眺めていた。
「これって凄く長持ちするんでしょ。じゃあオラが生きてる間はもう取り替えなくていいねえ」
「10年くらいだよ。カヨさんまだまだ長生きするんだから、次また交換するときには僕を呼んでよ。ちゃんと手伝いに来るからさ」
「あっちゃんは頼りになるねえ。遠くにいる子供よりよっぽど頼りになるよ」
カヨの言葉で、真珠が篤宏に感じていた違和感がすっと消えていった。なるほど、篤宏は老人では面倒なこういった細々とした手伝いを気安く請け負うのだろう。そしてコミュニティに自ら溶け込んでいったのかもしれない。計算ずくかもしれないが、出会って間もない真珠が見ても、篤宏の人柄は人との交わりを厭うようには見えなかった。
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