一泊、泊めてください

加藤伊織

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春の章

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 ぱっと見ただけでは部屋数まではわからないが、明らかにかつては一家族が住んでいたのだろうという大きさだし、あり得ないほど広い庭もある。その庭の大部分は畑になっていて、それを世話するのにどのくらいの手間が掛かるのかも真珠にはわからなかった。

「……凄い。古いけど立派な家だな」
「僕ひとりにはもったいないくらい大きい家だろう?」

 真珠が率直に家を褒めると、篤宏の表情はぱっと明るくなった。しかし、そわそわと家の周りを見渡しながら呟いた真珠の一言に、さすがの篤宏も驚かされたようだ。

「まさか、あんたが言ってた古くて不便を掛けるって、ガスも電気も通ってないとか、キッチンが竈とか……」
「さすがにそれはないよ! ガスと電気の通ってない家の光熱費ってなんだい? プロパンだけどちゃんとガス使ってるし、ほら、そこの電信柱から電線入ってるだろう? 部分的にはリフォームも入ってるからね。全部が全部100年前のものじゃないから」

 実態を知らないが故の真珠の飛んだ発想によほど驚いたのか、篤宏は慌てた様子で言い募る。
 真珠が少しきょとんとした顔で振り返ると、お互いの驚いた顔が見合わせられた。
一瞬の空白の後に、ふたりは揃って笑い出していた。

 引き戸の玄関が重い音を立てて開き、背の高い篤宏は少し頭を傾けてそこをくぐる。招き入れられた玄関は土間になっていて、その先には艶のある深い色をした板間が続いていた。

 もしかしたら建てられた当初はそこも土間で、竃があったのかもしれない。今はそこは少し古いながらもガスコンロが据え付けられた、小綺麗なキッチンだった。

「お邪魔します」
「どうぞ。荷物はそっちに置いて。買ってきたものを片付けちゃうから、ちょっと休んでて」

 襖が開け放されて部屋同士が続いている家の中は、外から見るよりも遙かに広々として見えた。ダークカラーで統一された家具や家電は柔らかな色の壁や畳と対照的で、アクセントになっている。
 広いせいで物は少なく見えてすっきりしていた。

「凄い柱だ」

 居間にある柱は建築に詳しくない真珠でも、一目でこれが大黒柱という物だとわかるほどだ。他の見えている柱よりも格段に太く、木目が美しかった。

「この大黒柱は五寸柱なんだ。他の柱は四寸。僕もここで初めて見たくらい立派だよ。柱も太いけど、この家は梁も太くて頑丈にできてるんだって。人が住まなくなると家は駄目になってしまう物だけど、古くても骨組みがきちんとしていたから、この家は他の空き家ほど傷んでなかったみたいだ。それでも板間なんかは酷くざらざらだったけどね」
「本当に広いな。何部屋くらいあるんだ?」
「和室が4部屋と、お風呂とトイレとキッチンだね。一番奥の部屋はちょっと離れてるから、書斎にしてるんだ。格好いいだろう?」
「ああ、格好いいな」

 書斎が格好いいという感覚は真珠にはあまり無いので、適当な相槌を打った。篤宏はすぐそれに気付いたらしく、冷蔵庫を閉めると呆れた声を投げかけてくる。

「あれっ、その真珠くんの言い方は、別になんとも思ってないね?」
「さっきから気になっていたんだが、俺も呼び捨てでいい」
「うーん、呼び捨てってされるのはいいけど、するのは苦手なんだよね。そうだなあ……じゃあ、ちょっと寄って、シロくん」

 思いもよらない篤宏の呼び方に、真珠は思いっきり顔をしかめてみせた。シロくんとはまた、まるで犬か猫のような呼ばれ方ではないか。

「そんな呼び方をされたことはない」

 不本意だと言外に含めて篤宏に強い視線を送ると、牛乳瓶を持った青年は何故かとても嬉しそうに満面の笑顔を向けてきた。

「そうなんだ! じゃあ僕が初めてだね!」
「なんだそれは。そんなことで喜ぶのか、あんたは」
「ああ、嬉しいね。さて、シロくん、少し手伝ってもらおうかな」

 うきうきと腕まくりをする篤宏は楽しげで、真珠が抗議しても全く聞き入れてくれそうにはない。
 真珠は諦めてひとつため息を吐くと、立ちあがって篤宏の立つキッチンへと向かった。
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