一泊、泊めてください

加藤伊織

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春の章

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 今度は篤宏が驚きの声を上げる番だった。僅かにじり、と後退している。それを見て自分もさっき似たような反応をしたことを思い出しつつ、慌てて真珠は説明した。

「待て、言っておくが、俺には別に男と一緒に寝る趣味はない。布団の譲り合いをしても、きっとこのまま言い分が平行線だ。だから」
「ああ、なるほど。男同士というところに目を瞑って、ふたりとも寒くないように一緒に寝ると言うわけか。――シロくん、結構面白いなあ」

 篤宏の表情が和んで、真珠は内心胸をなで下ろした。布団をめくって見せると、篤宏が真珠の隣にそっと入ってきた。

「それじゃあ、お邪魔します」
「俺こそ、お邪魔してます」

 冗談めかした言葉を交わすと、顔を見合わせてふたりは小さく笑った。
 いざ横になると、なぜかお互い見つめ合うような姿勢になっている。至近距離で真珠と篤宏は互いに怪訝な顔をした。

「……なんでこっちを向いているんだ」
「横向きじゃないとはみ出るし、僕は普段左を向いて寝るのが癖なんだよ。君こそ、この距離気まずくない?」
「俺も右を下にして寝ないと落ち着かないんだ。位置を変えるか?」
「困ったね、僕は人の右側じゃないと寝られないんだよ……」

 はあ、と篤宏の吐いたため息が真珠の鼻先をくすぐる。むずむずする気持ちを抱えながらもこのまま寝るしかないと腹をくくって、仕方なく真珠はぎゅっと目を閉じた。
 密着している体から温もりが伝わってくる。微かに肌に触れる篤宏のネルのパジャマの柔らかな感触が心地よい。

「温かいね」

 同じことを思ったらしい篤宏の囁きがすぐ耳元で聞こえた。

「そうだな」
「君、睫毛長いね」
「俺の顔を見てるな。ライトを消して、寝ろ」
「本当に間近で見ると、君の顔が綺麗だなあと思ってさ。こんな機会もうないだろうし」
「やめろ、そういう言葉を人の耳元で囁くな。恥ずかしい」

 ますますきつく目を閉じると、くすりと笑われる気配がした。古めかしいペンダントシェードから垂らされた紐を篤宏が引くかちかちという音がして、途端に閉じた瞼の裏でも周囲が暗くなったのがわかる。

「おやすみ」
「……おやすみ」

 すぐそばからおやすみなんて言われたのはいつ以来だろうか。少し背中がはみ出ているが、それ以上に温かで、何故か妙に居心地がいい。
 暗闇の中で聞こえるのはふたりの規則的な呼吸だけだ。そのうち、真珠はあっけなく眠りに落ちていた。

 目を覚まして最初に感じたのは、頬に触れる柔らかな布の感触だった。誰かに、抱きしめられている。その胸に顔を埋めて眠っていたようだ。

「んっ!?」

 驚きすぎて真珠は固まった。頭の下にあるのは硬い腕で、自分が顔を埋めていた胸も明らかに男のものなのだ。
 恐慌状態に陥りかけたが、寝る間際の記憶が蘇ってきて、一緒に寝ているのが篤宏だと気付いた。
 俺を抱きしめて寝るな、悪趣味だな。そう心の中で悪態を吐きながら、篤宏の腕から抜け出そうと体を動かす。すると、寝ぼけたのか意外に逞しい腕にますますきつく抱きしめられた。はっきりいって、少し苦しい。

「おい、起きろ、起きてくれ」

 自由になる腕で篤宏を叩くと、篤宏は声を漏らしてなんとか目を覚ましてくれた。

「ん……おはよう。……んん? なにこれ」
「離せ。なんで俺を抱きしめて寝てるんだ」
「知らないよ、それを言ったら君だって、夜中に僕の胸に顔をすりすりしてたんだよ」
「俺だってそんなの知らない」

 緩んだ篤宏の腕から抜け出して、思わず布団の横に正座した。篤宏は寝乱れた髪のままそんな真珠を見上げると、朝の光の中でふわりと笑う。

「寒くなかったかい?」

 優しく微笑みかけてくるのは反則だ。ただ気遣われれば、それ以上このお人好しに向かって言える愚痴はない。

「……おかげさまで」
「さて、それじゃあ起きようか。一緒に寝てるところをカメラに撮られたら大変なことになる」
「嫌なスキャンダルだ」
「ははは、しかも僕が売名行為とか言われる側だよ」

 軽口を叩きながら朝から上機嫌な様子の篤宏を見て、真珠はここにいられるのも残り数時間なのだと思うと僅かな寂しさすら感じた。

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