21 / 51
春の章
21
しおりを挟む
ふたりがすっかり身支度を整えて布団を押し入れに仕舞った頃、昨夜予告した通りの時間にスタッフがやってきた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
マイクに入らないディレクターの朝の挨拶は、後々テロップになるとわかっている。
「たっぷり眠った。すごくすっきりした。今日は、泊めてもらったお礼をしっかりやるつもりだ」
カメラに向かって宣言すると、キッチンで朝食の準備を始めていた篤宏が振り返ったのが見えた。
一夜の宿の恩返しとして、何をしたらいいか。昨日この家に着いたときからそれを真珠は考え続けていた。
畑を手伝おうかと最初は思ったが、水遣り以外に何をしたらいいか見当もつかないし、いちいち篤宏に聞いて作業をするのもかえって彼の手を煩わせるだろう。
考えた末の結論は、掃除をして、床と柱を磨くことだった。一夜の礼は、篤宏だけではなくこの家に対してもするべきだと、一晩を過ごして思うようになっていた。
篤宏から畳は目に沿って箒で掃くのがいいと教わり、実際にやってみる。なるほど、日本家屋はそれに合った道具が長年使われ続けていたのだと実感した。掃除機ではなくて、はたきと箒と雑巾が、合理的なのだ。
床にはワックスを掛けようとしたが、別の方法で手入れすることになった。人が住んでいなかった間に一度は傷んだこの古い家は、伝統的な方法で手入れをされているらしい。この方法はミネから教わったのだと篤宏から説明され、その通りに米ぬかの入った袋を使って、床と柱を丁寧に磨き上げた。
力を込めて擦るたびに艶が増していくのがわかって、じわりと達成感が増していく。
家を支える大黒柱を磨きながら、真珠は心から祈った。
どうか、この心落ち着く家が、これからも永くあり続けてほしい、と。
掃除を終えると、冷えた牛乳が振る舞われた。一晩のうちにクリーム層が瓶の上の方にできていて、篤宏が瓶を振って混ぜているのを見ると物珍しさに心が弾む。
コップ一杯の甘い牛乳は、昨日よりも更に貴重な物に思えて、真珠は惜しみながらそれを飲んだ。
いよいよ篤宏の家を離れるという時間になると真珠も篤宏も言葉少なになっていて、真珠だけではなく篤宏も一緒に過ごした時間を惜しんでくれているのだと、彼の表情からわかる。
玄関を出たところで向かい合うと、篤宏になんと言葉を掛けたらいいのか考えあぐね、真珠は篤宏の顔を見られずに俯いた。
ありがとうございましたと言うべきなのだろう。しかしそれだけでは足りない。
「また……来てもいいか?」
俯いたままで呟いた言葉は、真珠の名残惜しさを篤宏に伝えるものだ。彼にはどれだけの感謝の言葉を連ねても、真珠の思いは伝わらない気がする。
「もちろん。田舎のおじいちゃんの家みたいに思ってくれていいよ。いつでも待ってる」
顔を上げると穏やかに篤宏が笑っていた。きっとこれが放映されたら、彼にはファンができるのだろう。そして、「小説家」としての榊原篤宏も、再び注目されるのだ。そうであって欲しかった。
「……さしずめあんたは、田舎のじいさんの家を引き継いだ従兄ってところか。……ありがとう」
「またね、シロくん」
「ああ、また」
別れの言葉ではなく再会を約した言葉を交わすと、晴れ晴れとした気持ちになった。
昨日と同じくらいに晴れ渡った春空の下を、村の中心に向かって歩く。振り返ると篤宏が手を振っているのが見えて、真珠は彼の姿が見えなくなるまで何度も振り返った。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
マイクに入らないディレクターの朝の挨拶は、後々テロップになるとわかっている。
「たっぷり眠った。すごくすっきりした。今日は、泊めてもらったお礼をしっかりやるつもりだ」
カメラに向かって宣言すると、キッチンで朝食の準備を始めていた篤宏が振り返ったのが見えた。
一夜の宿の恩返しとして、何をしたらいいか。昨日この家に着いたときからそれを真珠は考え続けていた。
畑を手伝おうかと最初は思ったが、水遣り以外に何をしたらいいか見当もつかないし、いちいち篤宏に聞いて作業をするのもかえって彼の手を煩わせるだろう。
考えた末の結論は、掃除をして、床と柱を磨くことだった。一夜の礼は、篤宏だけではなくこの家に対してもするべきだと、一晩を過ごして思うようになっていた。
篤宏から畳は目に沿って箒で掃くのがいいと教わり、実際にやってみる。なるほど、日本家屋はそれに合った道具が長年使われ続けていたのだと実感した。掃除機ではなくて、はたきと箒と雑巾が、合理的なのだ。
床にはワックスを掛けようとしたが、別の方法で手入れすることになった。人が住んでいなかった間に一度は傷んだこの古い家は、伝統的な方法で手入れをされているらしい。この方法はミネから教わったのだと篤宏から説明され、その通りに米ぬかの入った袋を使って、床と柱を丁寧に磨き上げた。
力を込めて擦るたびに艶が増していくのがわかって、じわりと達成感が増していく。
家を支える大黒柱を磨きながら、真珠は心から祈った。
どうか、この心落ち着く家が、これからも永くあり続けてほしい、と。
掃除を終えると、冷えた牛乳が振る舞われた。一晩のうちにクリーム層が瓶の上の方にできていて、篤宏が瓶を振って混ぜているのを見ると物珍しさに心が弾む。
コップ一杯の甘い牛乳は、昨日よりも更に貴重な物に思えて、真珠は惜しみながらそれを飲んだ。
いよいよ篤宏の家を離れるという時間になると真珠も篤宏も言葉少なになっていて、真珠だけではなく篤宏も一緒に過ごした時間を惜しんでくれているのだと、彼の表情からわかる。
玄関を出たところで向かい合うと、篤宏になんと言葉を掛けたらいいのか考えあぐね、真珠は篤宏の顔を見られずに俯いた。
ありがとうございましたと言うべきなのだろう。しかしそれだけでは足りない。
「また……来てもいいか?」
俯いたままで呟いた言葉は、真珠の名残惜しさを篤宏に伝えるものだ。彼にはどれだけの感謝の言葉を連ねても、真珠の思いは伝わらない気がする。
「もちろん。田舎のおじいちゃんの家みたいに思ってくれていいよ。いつでも待ってる」
顔を上げると穏やかに篤宏が笑っていた。きっとこれが放映されたら、彼にはファンができるのだろう。そして、「小説家」としての榊原篤宏も、再び注目されるのだ。そうであって欲しかった。
「……さしずめあんたは、田舎のじいさんの家を引き継いだ従兄ってところか。……ありがとう」
「またね、シロくん」
「ああ、また」
別れの言葉ではなく再会を約した言葉を交わすと、晴れ晴れとした気持ちになった。
昨日と同じくらいに晴れ渡った春空の下を、村の中心に向かって歩く。振り返ると篤宏が手を振っているのが見えて、真珠は彼の姿が見えなくなるまで何度も振り返った。
21
あなたにおすすめの小説
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
幼き改革者、皇孫降臨 〜三歳にして朝廷を震わせる〜
由香
キャラ文芸
瑞栄王朝の皇孫・凌曜は、わずか三歳。
泣かず、騒がず、ただ静かに周囲を見つめる幼子だった。
しかしその「無邪気な疑問」は、後宮の不正を暴き、腐敗した朝廷を揺るがしていく。
皇帝である祖父の絶対的な溺愛と後ろ盾のもと、血を流すことなく失脚者を生み、国の歪みを正していく凌曜。
やがて反改革派の最後の抵抗を越え、彼は“決める者”ではなく、“問い続ける存在”として朝廷に立つ。
これは、剣も権謀も持たぬ幼き改革者が、「なぜ?」という一言で国を変えていく物語。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる