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夏の章
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午後5時にバスを降りても、夏の日差しはそれほど陰っていない。山に囲まれている分だけ日没は早いが、太陽の傾きは変わらないのだ。
足早に篤宏の家へと向かい、いつものように玄関をノックする。玄関を開けて真珠の姿を見た篤宏は激しく驚いていた。真珠の訪問は事前に連絡をしていないせいでいつも突然だが、篤宏が驚いているのを見たのは初めてだ。
「おかえり。終バスでこっちに来たのかい?」
「ただいま。2日続けて休みにできなかった。今日は午前中に仕事が入ってただけだから、仕事の後に急いでギリギリ間に合った」
土間で少し雑に靴を脱ぐ。居間に上がり込むと急に疲れが出て、ばたりと音を立てて真珠は横になった。
正直、東京からここに向かう間は、時間も気持ちもあらゆるところで余裕がなくて気疲れしてしまった。電車が仮に5分でも遅れてしまったら、終バスの時間に間に合わない。その時はもう最寄り駅から東京に戻るしかないのかと悩んだりもした。
冷茶をコップに入れて真珠に差し出しながら、篤宏はその話を聞いて苦笑する。
「いや、大丈夫だよ。その辺の感覚はやっぱり東京に住んでるせいなんだろうなあ。電車が遅れたら、バスが待つからね」
「バスが待つ……そうか、そうだったのか……」
まだまだ田舎の感覚はわからないことだらけだ。自分の心配が杞憂だったと知って、真珠は脱力した。
「それでも、頑張ってきてくれたんだね」
真珠の傍らに膝をついた篤宏は、手を伸ばして真珠の頭を撫でた。労われているのはわかったが、撫でるだけではなくてさらさらと髪を梳かれて妙に気恥ずかしくなる。
「……だから、子供扱いするのはやめろ」
篤宏の手を振り払うと、さほど悪いとも思っている様子もなく、ごめんごめんと謝られた。
蛍が活発に動くのは日没直後だという。真珠の持ち物の中に長袖の上着がないのを確認すると、篤宏は自分の生成りのシャツを真珠に差し出した。
「長袖を着た方がいい。半袖だと蚊に刺されるだろうからね」
自分も長袖に着替える篤宏を見ながら、真珠は首を傾げた。
「虫除けをすればいいんじゃないのか?」
「蛍も虫だよ」
単純明快な篤宏の答えに、目から鱗が落ちる思いだ。納得して篤宏のシャツに着替えると、袖が少し余る。カフスを折り返してやっと、真珠にちょうどいい長さの袖になった。
「強い明かりは蛍の活動を妨げるっていうから、川の側までしか懐中電灯は使えないんだけど。ここからずっと目を慣らして歩いて行くよりはましだよね」
災害時にでも使うような大型の懐中電灯を、篤宏は物置から出してきた。準備を整えて玄関を出た直後に、表情を曇らせながら点灯のチェックをしている。
「それで、ちょっと言いにくいんだけど……」
消え入りそうな篤宏の語尾に、真珠も思わず眉を寄せて尋ねた。
「なんだ?」
「……悪いけど、手をつないで歩いてくれないかなあ」
篤宏の秀麗な眉が寄っていて、彼が心底申し訳ないと思っているのがわかる。わかるのだが、何を今更と真珠は拍子抜けした。
「行くぞ」
篤宏の持つ懐中電灯を取り上げると、篤宏の手を握って真珠は歩き出した。躊躇のない真珠の行動に驚いたように、篤宏が一歩遅れて慌てて付いてくる。
「手をつなぐくらい何だ。一緒の布団で寝てるくせに」
「いや、それとこれとは話が別でさ! 大の大人が夜に外を歩くのに手をつないでもらわないといけないって、格好悪くないかい!?」
「誰に見られるわけじゃないだろう。無理をして怪我でもしたらそっちの方がよほど格好悪い。あんたの格好良さというのは、誰に向けたものなんだ」
真珠がそこまで言って、やっと篤宏は口を閉ざした。
懐中電灯で足元を照らしつつ、真珠は用心深く道を選んで歩く。小川まではたいした距離ではないが、真珠はここまで暗い道を歩いたことはない。
足早に篤宏の家へと向かい、いつものように玄関をノックする。玄関を開けて真珠の姿を見た篤宏は激しく驚いていた。真珠の訪問は事前に連絡をしていないせいでいつも突然だが、篤宏が驚いているのを見たのは初めてだ。
「おかえり。終バスでこっちに来たのかい?」
「ただいま。2日続けて休みにできなかった。今日は午前中に仕事が入ってただけだから、仕事の後に急いでギリギリ間に合った」
土間で少し雑に靴を脱ぐ。居間に上がり込むと急に疲れが出て、ばたりと音を立てて真珠は横になった。
正直、東京からここに向かう間は、時間も気持ちもあらゆるところで余裕がなくて気疲れしてしまった。電車が仮に5分でも遅れてしまったら、終バスの時間に間に合わない。その時はもう最寄り駅から東京に戻るしかないのかと悩んだりもした。
冷茶をコップに入れて真珠に差し出しながら、篤宏はその話を聞いて苦笑する。
「いや、大丈夫だよ。その辺の感覚はやっぱり東京に住んでるせいなんだろうなあ。電車が遅れたら、バスが待つからね」
「バスが待つ……そうか、そうだったのか……」
まだまだ田舎の感覚はわからないことだらけだ。自分の心配が杞憂だったと知って、真珠は脱力した。
「それでも、頑張ってきてくれたんだね」
真珠の傍らに膝をついた篤宏は、手を伸ばして真珠の頭を撫でた。労われているのはわかったが、撫でるだけではなくてさらさらと髪を梳かれて妙に気恥ずかしくなる。
「……だから、子供扱いするのはやめろ」
篤宏の手を振り払うと、さほど悪いとも思っている様子もなく、ごめんごめんと謝られた。
蛍が活発に動くのは日没直後だという。真珠の持ち物の中に長袖の上着がないのを確認すると、篤宏は自分の生成りのシャツを真珠に差し出した。
「長袖を着た方がいい。半袖だと蚊に刺されるだろうからね」
自分も長袖に着替える篤宏を見ながら、真珠は首を傾げた。
「虫除けをすればいいんじゃないのか?」
「蛍も虫だよ」
単純明快な篤宏の答えに、目から鱗が落ちる思いだ。納得して篤宏のシャツに着替えると、袖が少し余る。カフスを折り返してやっと、真珠にちょうどいい長さの袖になった。
「強い明かりは蛍の活動を妨げるっていうから、川の側までしか懐中電灯は使えないんだけど。ここからずっと目を慣らして歩いて行くよりはましだよね」
災害時にでも使うような大型の懐中電灯を、篤宏は物置から出してきた。準備を整えて玄関を出た直後に、表情を曇らせながら点灯のチェックをしている。
「それで、ちょっと言いにくいんだけど……」
消え入りそうな篤宏の語尾に、真珠も思わず眉を寄せて尋ねた。
「なんだ?」
「……悪いけど、手をつないで歩いてくれないかなあ」
篤宏の秀麗な眉が寄っていて、彼が心底申し訳ないと思っているのがわかる。わかるのだが、何を今更と真珠は拍子抜けした。
「行くぞ」
篤宏の持つ懐中電灯を取り上げると、篤宏の手を握って真珠は歩き出した。躊躇のない真珠の行動に驚いたように、篤宏が一歩遅れて慌てて付いてくる。
「手をつなぐくらい何だ。一緒の布団で寝てるくせに」
「いや、それとこれとは話が別でさ! 大の大人が夜に外を歩くのに手をつないでもらわないといけないって、格好悪くないかい!?」
「誰に見られるわけじゃないだろう。無理をして怪我でもしたらそっちの方がよほど格好悪い。あんたの格好良さというのは、誰に向けたものなんだ」
真珠がそこまで言って、やっと篤宏は口を閉ざした。
懐中電灯で足元を照らしつつ、真珠は用心深く道を選んで歩く。小川まではたいした距離ではないが、真珠はここまで暗い道を歩いたことはない。
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