29 / 51
夏の章
7
しおりを挟む
「ああ、もう、君ってさ……凄いよね。だから、そんな君と一緒なら、僕も自分と切り離してこの光景を楽しめる気がしたんだよ。君とここに来て良かった」
やっと篤宏が笑った。肩から力を抜いた様子で、篤宏が無理をして笑っているのではないと真珠にもわかる。篤宏の手を離すと、真珠は手を伸ばして彼の頭をぐしゃりと撫でた。
「ははっ、誰かに頭を撫でられたのなんて何年ぶりだろう。――シロくん」
「なんだ」
「キスしていい?」
篤宏の言葉は唐突すぎて、真珠は理解が一瞬遅れた。ぽかんとしている真珠の頬にそっと手を添えると、篤宏は低く落ち着いた声でもう一度繰り返した。
「キス、していい?」
「……振り切りすぎておかしくなったのか」
「そうじゃない。君があんまり綺麗で、格好いいなと思って。自分でも不思議だけど、自分から誰かにキスしたいって思ったのって初めてだ。嫌なら正直に言って。断られたから泊めないとか、僕はそんなに心狭くないからね」
笑顔のままの篤宏は、彼が冗談を言っているのではないとわかる。真珠は、篤宏の手を今度は振り払うことができなかった。
混乱しながら自分の心を探る。頬に触れる篤宏の手の感触を、何故か嫌だとは思えなかった。
「……嫌じゃない気がして、悩んでる」
考え考え口に出した言葉で、篤宏の顔が近づいて来た。
嫌なら、押し返せばいい。抵抗すればいい。けれど、そうする気にならないのは――。
真珠がなおも悩んでいると、篤宏の柔らかな唇が遠慮がちにそっと真珠の唇に降りてきた。
ただ、本当に触れるだけの軽いキスだった。
それで終わりかと思ったら、少し角度を変えて軽く啄むようなキスが続いた。触れているだけのものから、篤宏の唇の内側を感じられるようなものへと変わっていく。
首の後ろがぞわぞわとした。嫌悪感ではなくて、胸の奥が焼けるような感覚に真珠は戸惑いながら、それをただ受け入れていた。
ふと、違和感を感じて真珠は篤宏の胸を押した。篤宏は離れながら、ごめんと一言呟く。
「違う。蚊に刺された」
「……え? ええ? 蚊に刺された? キスが嫌だったんじゃなくて?」
「悔しいが、キスは気持ちよかった。……あんたの服がでかいから、隙間からやられたんだぞ」
掻いてしまわないように、痒みを我慢しながら、真珠は自分の手首をぎゅっと握った。口をへの字に曲げた真珠の顔を見て、篤宏が堪えきれずに吹き出す。
「あー、酷い。僕がしてきたキスの中で最低の終わり方だ」
「蚊のいないところにすれば良かったんだ」
「ははっ、そうだね。じゃあ、早く帰って薬を塗ろう。虫刺されの痕が残ったら大変だ」
篤宏に促されて、真珠は再び懐中電灯を手に取った。どちらからともなく手を繋ぎ、元来た道を少し足早に戻る。家の灯りが見えたとき、篤宏が手を引かれたままで一歩後ろからシロくんと呼びかけてきた。
「また、キスしてもいいかい?」
篤宏の甘さを含んだ声に動揺する自分を感じながら、真珠は前を向いて篤宏に顔を見せないままで返した。
「蚊のいないところならな」
帰宅してすぐ、篤宏は救急箱を持ってきてくれた。明るいところで手首を見ると、掻くのを我慢はしていたがぷくりと小さな腫れができている。厳しい目つきで手首を見つめて痒み止めを塗る真珠に、篤宏は小さな保冷剤を手渡した。
痛いほどの冷たさに、痒みがいくらか引いていく。
ほっとして深く息を吐いた真珠を見て、篤宏は急に笑い始めた。笑いが止まらないようで、肩を震わせながら腹を押さえている。
「……何がおかしいんだ」
「ご、ごめ……んんっ。急に来た。蚊に刺された、って! すっごいドキドキしながらキスしてさ、君が抵抗しなかったから、オッケーなのかな、本当にいいのかなって悩みながら続けてたら、胸を押されたじゃないか。すっと背筋が冷たくなる感じがして離れたら、君が見たことないくらい真面目な顔で『蚊に刺された』って言ったんだよ!」
「刺されたんだから仕方ないじゃないか」
篤宏がドキドキしていたと自分から言ったことに驚きつつ、それを見せないように真珠は殊更にむすりと言ってみせた。んんっ、と咳払いをして笑い声を収め、篤宏は立ち上がる。
「遅くなったけどご飯にしよう。吸われた血の分取り返さないとね」
その言葉で、急に真珠は空腹感を感じ始めた。篤宏の料理は折り紙付きだ。ご飯にしようという一言で、不機嫌さを装いきれなくなる。自分の現金さがおかしくなるほどだ。
篤宏が背中を向けてキッチンに向かったのを見ながら、真珠は篤宏と重ね合った自分の唇にそっと指を当てた。
やっと篤宏が笑った。肩から力を抜いた様子で、篤宏が無理をして笑っているのではないと真珠にもわかる。篤宏の手を離すと、真珠は手を伸ばして彼の頭をぐしゃりと撫でた。
「ははっ、誰かに頭を撫でられたのなんて何年ぶりだろう。――シロくん」
「なんだ」
「キスしていい?」
篤宏の言葉は唐突すぎて、真珠は理解が一瞬遅れた。ぽかんとしている真珠の頬にそっと手を添えると、篤宏は低く落ち着いた声でもう一度繰り返した。
「キス、していい?」
「……振り切りすぎておかしくなったのか」
「そうじゃない。君があんまり綺麗で、格好いいなと思って。自分でも不思議だけど、自分から誰かにキスしたいって思ったのって初めてだ。嫌なら正直に言って。断られたから泊めないとか、僕はそんなに心狭くないからね」
笑顔のままの篤宏は、彼が冗談を言っているのではないとわかる。真珠は、篤宏の手を今度は振り払うことができなかった。
混乱しながら自分の心を探る。頬に触れる篤宏の手の感触を、何故か嫌だとは思えなかった。
「……嫌じゃない気がして、悩んでる」
考え考え口に出した言葉で、篤宏の顔が近づいて来た。
嫌なら、押し返せばいい。抵抗すればいい。けれど、そうする気にならないのは――。
真珠がなおも悩んでいると、篤宏の柔らかな唇が遠慮がちにそっと真珠の唇に降りてきた。
ただ、本当に触れるだけの軽いキスだった。
それで終わりかと思ったら、少し角度を変えて軽く啄むようなキスが続いた。触れているだけのものから、篤宏の唇の内側を感じられるようなものへと変わっていく。
首の後ろがぞわぞわとした。嫌悪感ではなくて、胸の奥が焼けるような感覚に真珠は戸惑いながら、それをただ受け入れていた。
ふと、違和感を感じて真珠は篤宏の胸を押した。篤宏は離れながら、ごめんと一言呟く。
「違う。蚊に刺された」
「……え? ええ? 蚊に刺された? キスが嫌だったんじゃなくて?」
「悔しいが、キスは気持ちよかった。……あんたの服がでかいから、隙間からやられたんだぞ」
掻いてしまわないように、痒みを我慢しながら、真珠は自分の手首をぎゅっと握った。口をへの字に曲げた真珠の顔を見て、篤宏が堪えきれずに吹き出す。
「あー、酷い。僕がしてきたキスの中で最低の終わり方だ」
「蚊のいないところにすれば良かったんだ」
「ははっ、そうだね。じゃあ、早く帰って薬を塗ろう。虫刺されの痕が残ったら大変だ」
篤宏に促されて、真珠は再び懐中電灯を手に取った。どちらからともなく手を繋ぎ、元来た道を少し足早に戻る。家の灯りが見えたとき、篤宏が手を引かれたままで一歩後ろからシロくんと呼びかけてきた。
「また、キスしてもいいかい?」
篤宏の甘さを含んだ声に動揺する自分を感じながら、真珠は前を向いて篤宏に顔を見せないままで返した。
「蚊のいないところならな」
帰宅してすぐ、篤宏は救急箱を持ってきてくれた。明るいところで手首を見ると、掻くのを我慢はしていたがぷくりと小さな腫れができている。厳しい目つきで手首を見つめて痒み止めを塗る真珠に、篤宏は小さな保冷剤を手渡した。
痛いほどの冷たさに、痒みがいくらか引いていく。
ほっとして深く息を吐いた真珠を見て、篤宏は急に笑い始めた。笑いが止まらないようで、肩を震わせながら腹を押さえている。
「……何がおかしいんだ」
「ご、ごめ……んんっ。急に来た。蚊に刺された、って! すっごいドキドキしながらキスしてさ、君が抵抗しなかったから、オッケーなのかな、本当にいいのかなって悩みながら続けてたら、胸を押されたじゃないか。すっと背筋が冷たくなる感じがして離れたら、君が見たことないくらい真面目な顔で『蚊に刺された』って言ったんだよ!」
「刺されたんだから仕方ないじゃないか」
篤宏がドキドキしていたと自分から言ったことに驚きつつ、それを見せないように真珠は殊更にむすりと言ってみせた。んんっ、と咳払いをして笑い声を収め、篤宏は立ち上がる。
「遅くなったけどご飯にしよう。吸われた血の分取り返さないとね」
その言葉で、急に真珠は空腹感を感じ始めた。篤宏の料理は折り紙付きだ。ご飯にしようという一言で、不機嫌さを装いきれなくなる。自分の現金さがおかしくなるほどだ。
篤宏が背中を向けてキッチンに向かったのを見ながら、真珠は篤宏と重ね合った自分の唇にそっと指を当てた。
15
あなたにおすすめの小説
異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?
来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。
そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった!
亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。
「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」
「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」
おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。
現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。
お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、
美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
幼き改革者、皇孫降臨 〜三歳にして朝廷を震わせる〜
由香
キャラ文芸
瑞栄王朝の皇孫・凌曜は、わずか三歳。
泣かず、騒がず、ただ静かに周囲を見つめる幼子だった。
しかしその「無邪気な疑問」は、後宮の不正を暴き、腐敗した朝廷を揺るがしていく。
皇帝である祖父の絶対的な溺愛と後ろ盾のもと、血を流すことなく失脚者を生み、国の歪みを正していく凌曜。
やがて反改革派の最後の抵抗を越え、彼は“決める者”ではなく、“問い続ける存在”として朝廷に立つ。
これは、剣も権謀も持たぬ幼き改革者が、「なぜ?」という一言で国を変えていく物語。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる