【完結】一泊、泊めてください

加藤伊織

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夏の章

11

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 遅めの昼食を作るために篤宏はキッチンに立っていた。初めて会ったときから彼の料理には感心しきりだが、自分のために手間を掛けさせているのではないかという罪悪感も真珠にはわずかにある。

「篤宏、たまには素麺とかでも構わないぞ」

 炊きたてのご飯を筆頭に、食卓に並んだ料理の数々にため息が出る。アジの開きにインゲンの生姜醤油和え、大根おろしを添えただし巻き卵。そして、採れたてのトマトはカットされて、ベビーリーフと一緒に出されていた。

「……シロくん」

 すっと表情を消した篤宏が真珠の向かいに座り、低い声で呟いた。視線の圧力が半端ではなく、篤宏の静かな怒りが感じられるようで、思わず真珠はひるむ。

「いや、篤宏の料理より素麺がいいって意味じゃなく、て……こんなに手間を掛けてもらうのが悪い気が」
「あのね、シロくん」

 トン、と篤宏の長い指がテーブルを叩く。こんな顔をした篤宏を見るのは初めてで、真珠は息を詰めて篤宏を見つめた。

「……素麺は、茹でる人間は暑いんだよ」
「あっ」
「あれはね、僕に言わせれば掛けた労力が報われない料理だよ。出した相手からは手抜きと思われやすいし、素麺だけ食べてしまおうとしがちだからバランスも良くない。しかも、高級品の素麺と、100円で買えるような素麺は、喉越しとかではっきり違いがわかるんだ。わかるかい? 暑いから素麺にしようなんて安易な考えで用意した結果、湯気で大汗をかくし、自分が今食べているのが安物だとわかってしまう虚しさときたら」

 篤宏の後ろに燃え盛る炎が見えた気がした。真珠が来ているからきちんとした食事を用意しているのではなく、篤宏は恐らくひとりでもきちんとした食事を用意して食べるのがポリシーなのだ。唐突に真珠はそう悟った。

「そういえば、この間出版社の人と打ち合わせをしたんだ」
「本が出るのか?」

 食事中に何気ない振りを装って篤宏が言った言葉に、思わず真珠が身を乗り出した。そんな真珠を見て、篤宏は少し照れくさそうに笑った。

「うん。受賞した出版社とは違うんだけど。最近僕が書いたものを読んでもらったら、すごく驚かれてね。受賞作とも、その後出した本ともかなり変わってるって。それで話が進んで。
 オンライン会議だったけど、凄く話が盛り上がったよ。元々僕のデビュー作は読んでくれてたそうだけど、きっかけはやっぱりテレビに出たことでね。――シロくんには、どれだけ感謝しても足りない。あの時君と出会わなかったら、こんなチャンスは巡ってこなかった」
「間口を――あれは俺が何かしたわけじゃない。あんたが自分で間口を広げたんだ。篤宏の作品が箸にも棒にもかからないものだったら、出版しようってことにはならなかっただろうし」
「ああ、そうだね、君も出版業界には関わってるから厳しさは知ってるんだね。でもやっぱり、話題性って大事だと思ったよ。電車でここに来るときに、最後に電車を乗り換える駅があるだろう? あそこの駅前の書店で、僕の既刊を取り上げてサイン色紙を飾ってくれたんだ。さすがに本にサインはさせてもらえなかったけど。ポーズつけた写真も撮られてさ。なにしろ地元の作家ってことになると、書店に来る人が感じる親近感もあるし、これは目立つよって店長さんが鼻息を荒くしてたよ。僕も、それがきっかけになれば嬉しいしね」
「……良かったな」

 しみじみと嬉しそうに言う真珠に、篤宏は目を細くした。

「僕はこの村に来て本当に良かったと思う。ここは古い暮らしが残ってる分、確かに不自由はある。でも、人の生活がどうやって成り立っていくかっていう縮図を見ることができた。
 古い慣習を遡ればそれが必要になった背景がわかったり……ここで僕は地に足の着いた生活というのがどういうものなのか、実感したんだ。今の僕の小説は僕が経験したことでできてる。甘いもの、苦いもの、不味いけど薬になるもの……体が、食べた物でできているようにね。上手いものを書こうとか、うけるものを書こうとか、背伸びをするのはやめたんだ。君が前に言った通り、僕は今でも栄養を取り続けてた。それを気付かせてくれた君は、本当に」

 そこで唐突に篤宏は言葉を切った。真珠は言葉の続きを待って無言でいたが、篤宏は笑ったままで目を伏せ、茶碗を手に取る。

「まあ、この話は後で。今はご飯を食べてしまおうか」
「……嫌に気になるところで話を切るな」
「今晩食べたいものはあるかい?」

 話を誤魔化されたなと思いながら、真珠は考え込んだ。篤宏が真珠にリクエストを聞くのは初めてだ。少し考えて、真珠はなんとなく思いついたものを口に乗せる。

「そうだな、グラタンが食べたい」
「この暑いのにグラタン? まあ、いつも和食が中心だから、たまにはそういうのもいいね。オッケー、さっき牛乳を買ってきたばかりだから、それでホワイトソースを作ろうか。また殺菌を手伝ってくれるかい?」
「ああ」

 当たり前のように手伝いを頼まれると、篤宏にとって自分は客なのではく、日常に組み込まれているのだという気になった。彼は常々「君の家と思っていい」と口に出していたが、それが口だけではなくて心の底からそう思ってくれているのだとわかる。

 もっと、この家に長くいられたらいい。
 もっと、この家に来られるようになりたい。
 真珠は、はっきりとそう思うようになっていた。
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