【完結】一泊、泊めてください

加藤伊織

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冬の章

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「おいおい、お汁粉だと? 食べたくなるじゃないか。俺に飯テロをするな……おっ、いいな。自分の手の届かないものに思いを馳せる憂い顔だ。人間くさくて俺は好きだな」

 シャッター音に気付かないほど、意識を飛ばしてしまっていた。池田に見せられた画面の中の自分は切なげで、何かを恋い慕う気持ちが視線ひとつからも溢れていた。

「思い悩む感情を知って、君の引き出しはひとつ増えた。今度の引き出しは凄いぞ。このまま恋愛映画のポスターにもできそうないい顔だ。
 年上の友人として、君がいろんな経験をして、新しい感情を覚えて、その度に新しい君が生まれてくるのは歓迎すべきことだ。その方が君の人生はきっと豊かになるからな。
 だが、仕事仲間として、短期的なものの見方をしたときは必ずしもそれはプラスじゃない。わかるな?」
「今与えられている仕事には、こういう俺は必要ない?」
「勘違いするなよ。必要ないんじゃなくて、別の顔が必要なんだ。君の今の感情が、目の前の仕事に際して関係ないからだ。殺すことはないさ。どこかへちょっと仕舞っておけばいい。
 仕舞ったものは出しても良くなったらちゃんと出せよ? 仕舞いっぱなしじゃ感情も死ぬし、それも君の一部なんだからな」

 スマホを尻ポケットにしまい、池田は空に向かって手を広げたままくるりと回った。時折意味もなくこういうことをする彼は、いつも楽しげだ。

「氷坂真珠という人間にとっては、君が感じて増やしてきた全てのものは宝さ。君自身も、君にまつわる誰も彼も、大事にすべきものだ。少なくとも俺は、君の変化を歓迎する。
 だけど、撮りたい絵が撮れないとなると、カメラマンとしては困る。それだけさ」

 池田は、真珠の心の変化をありのままに受け止めようとしてくれる。殺すことはない。ちょっと仕舞っていけばいい。心の重りが池田の言葉ですっと溶けていった。

「今までの君も、他の引き出しの中にあるだろう? それを今は見せてくれ。しかし、俺はこの物憂い顔もなかなかだと思うぞ。今度はこういう線でも君を推してみよう。
 さぁて、君が今着てるのはどういうイメージの服だ? どういう顔をすればいい? 今まで通りの一匹狼じゃなくてもいい。ナイフを持った繊細な青年でも何でも構わない。イメージを自分の中で膨らませろ」

 コートの中に着ているのは、フーディーの中にロゴTシャツ。そしてダメージジーンズだ。
 コートの中からフードを引っ張り出すと、真珠はそれを被った。

 俺に軽々しく近づくなよ、と人を見下すような視線を池田に向けてみせる。シャッターを押した池田は、真珠に駆け寄ると満足げにその背中をバンバンと叩いた。

「見ろ、真珠。ひっさびさに君の偉そうなドヤ顔が撮れたぞ!」
「ドヤ顔って……他に言いようはないのか」

 画面を覗き込むと、確かに池田の言う通りの表情をした青年が写っていた。脚を開いた立ち姿は自信に満ちているように見え、フードの奥に僅かに隠れた顔は画面の向こうを射貫くように見つめている。
 過去に何度も見てきたような、真珠らしいとも言えるワンショットだ。

「よし、帰るぞ! このままさくっと終わらせてしまおう!」
「累、ありがとう」

 素直に礼を言うと、池田はくるりと振り向いた。わしわしと真珠の頭を撫でて、髪を掻き乱す。

「20歳過ぎて急に素直になったな! 反抗期が終わったか?」
「別に反抗期だったわけじゃない」

 車に乗り込む前に、自動販売機で池田はミルクティーをふたつ買った。普段は飲まないものを受け取って真珠が怪訝そうな顔をしているのを見て笑う。

「お汁粉がなかったからミルクティーさ。疲れたときには甘いものも必要だぜ。自制ばかりじゃなくて、たまには甘えていいんだ。君の場合は久米が厳しい分、俺が甘やかしてやる。何せ君が中学生の頃から知ってるお兄さんだからな! まあ、でも久米にもあんまり心配を掛けさせないでやってくれ。あいつはあれで、君のことを一番に気に掛けてる。このままだと早々に禿げるぞ!」
「禿げ……ふっ」

 額が盛大に後退した久米を想像すると、思わず笑いが漏れた。久々に和んだ表情を浮かべている真珠に、池田も笑い声を立てた。

「連絡をしておかないとな」

 これから帰ると久米に連絡をするのだろう。池田はシートベルトを締める前に、スマホに指を滑らせていた。


「ご迷惑をおかけしました」

 スタジオに戻って最初に真珠がしたことは、その場のスタッフに頭を下げることだった。

「俺は、プロとして俺に与えられた仕事を全うする。改めて、よろしくお願いします」

 真珠の宣言に、先ほどとは明らかに心持ちが変わったのがはっきりとわかったのだろう。
 慌ただしくスタッフが動き始めた。ヘアメイクが駆け寄ってきて、池田にぐしゃぐしゃにされた髪を整える。

「氷坂くん、目が変わったね」

 真珠より大分年上の女性のヘアメイクは、ほっとした顔をしていた。

「最近元気なく見えたから。辛いこともあると思うけど、頑張って」
「……ありがとう」

 短く答えると、微笑まれた。
 村の人だけではなくて、こんな身近でも、真珠を心配していた人はたくさんいたのだ。やっとそれに気付くことができた。互いにプロだから、殊更に言葉を重ねなくても、ひとつのものを作り上げるために同じ方向を向いていた。その目が自分に向けられていないからといって、気遣われていないわけではなかったのだ。
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