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冬の章
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一度沸き起こった里心は日を追うごとに真珠の中で膨らんでいき、失ったものを思ってため息を漏らす日々が続いた。
軽く動きを入れてみせる真珠に合わせて、シャッター音がスタジオに響く。
今日の仕事は春物の撮影で、何人かのモデルが他にもいたが、それは全て撮り終えてしまっていた。真珠だけが最後まで納得のいくものが撮れず、ひとり残っている。
「うーん、イマイチだな。君にしては表情が冴えんなあ」
カメラの液晶で今撮ったものを確認して、今日のカメラマンである池田累は表情を曇らせた。しかし次の瞬間にはぱっと笑って、休憩だ、と周りに声を掛ける。
「こういうときには気分を切り替えるに限る! 久米、真珠を借りるぞ」
池田は真珠がデビューする前からの付き合いがあるカメラマンだ。当時はスタジオアシスタントをしながらカメラマンとしての仕事が入り始めた頃だったが、よく練習といっては真珠のいろいろな写真を撮ってくれた。
それらの多くは駆け出しモデルだった真珠にとってありがたい宣材になったし、池田の人柄もあって、仕事の上で一番信頼できる気の置けない相手になっていた。
「いつ返してくれるんです?」
軽口を叩き返す久米も、池田には一目置いている。最近不安定さを滲ませる時がある真珠を託せるのは、相手を信頼しているからだろう。
「そうだなあ、1時間くらいだ。いいか? それで仕事が出来る状態にして返すさ」
「わかりました……頼みます」
久米が放ってきたコートを羽織ると、真珠は池田の後ろに続いてスタジオを後にした。
ただでさえひとりだけ撮影が押してしまったのに、さらに一時間とは。この仕事に関わる人達のスケジュールを大幅に狂わせてしまっている。
自己嫌悪に真珠は唇を噛んだ。途端に池田がすっとガムを差し出してくる。
「噛むならガムにしておけよ。後で唇に歯形が付いてましたじゃ洒落にならないぜ」
「わかった……それにしても、相変わらずこのガムの趣味はどうにかならないのか」
見たことのないパッケージのガムは、書かれている言葉が日本語ではない。嫌な予感を覚えつつ包み紙をはがすと、食べる前から得体の知れない匂いが漂ってきた。
「おい、累。なんだこれは」
車の中に充満した匂いに辟易して、寒いとわかっていながら思わず窓を開ける。もうこの匂いだけでガムを口に入れる気がなくなった。
「ドリアンだ。匂いは酷いが、味はいいぞ。まあ、ガムじゃなくて生の果物の話だけどな」
「ガムの味はどうなんだ」
「そりゃもう酷いな! ほとんど罰ゲームだ」
「そんなものを俺に渡すな」
「はははっ、すまんすまん、今他にガムを持ってなかったもんでな! 眠気覚ましとしては最高なんだがなあ」
軽口を叩きながら池田は車を走らせる。どこへ行くつもりかはわからなかった。
やがて池田が車を停めたのは、有名な公園の駐車場だった。入園料をふたり分払うと、池田はさっさと中に入っていく。慌てて真珠は彼の後ろに続いた。
季節のせいか、人はかなり少なかった。それでも常緑樹も多く植えられた公園は、緑の気配が濃い。ここの周りだけはぽっかりとビルがなく、空も幾分開けていた。それだけでほっとする。
そして、いつのまにか東京の空を狭いと思うようになっていたのに気付いた。
カシャリというスマホのシャッター音が響いた。振り返ると池田が真珠にレンズを向けている。
「……こんなところに来てまで撮ってるのか」
「まあ、見てみろ。今の君の表情だ」
池田に示された画像に、真珠は愕然とした。
写っているのは、空を見上げるうつろな目の青年だ。魂が抜け落ちているような、力のない表情は自分のものとは思えなかった。
「酷いな」
思わず目を逸らして、吐き捨てる。
「そうか? 俺はそうは思わないぜ。昔の君は絶対しなかったような顔だ。昔の君には出来なかった顔だ。だから、君に今来ている仕事にはこういう表情は向いていない。そうだな、写真にタイトルを付けるなら、喪失ってところか。そのままだな。ははは」
明るさを失わない、決して悲観的なところのない池田の声は真珠には痛かった。
「君が仕事を始めたときから俺は知ってるが、君が弱音を吐いたところは見たことがないな。
涙を見せたこともない。でも今は弱くて折れそうだし、泣きたいって顔をしてるぞ。泣き方がわからないなら顔を見ないで手を握っててやろうか? それともぎゅーの方がいいか?」
「どっちも要らないし、泣くつもりもない」
「ははっ、やっぱりそうか」
鼻を鳴らした真珠の表情が若干以前のようなものに戻ったのを見て、池田は何度もうなずいて見せた。
「うん、いつもの君の顔が戻ってきたな。そこで空を見上げて、一番恋しいものを胸に思い描いてみろ。今まで君が周りに見せたことのない表情を、今なら俺が写し出してやる」
スタジオでの指示のような池田の言葉に、真珠は木々を眺めて、遠い村を思った。
きっと今は雪が積もっているのだろう。雪かきをしようとするカヨを慌てて止めに行く篤宏の姿が自然と胸に浮かんだ。
「今、君には何が見えてる?」
「一面に雪が積もった、山奥の村だ。雪下ろしが危ないからっておばあちゃんを止めておいて、お節介な小説家が屋根の上でスコップを持ってる。
格好悪い長靴を履いて、寒さに鼻を赤くして……でも、それが終わる頃には中から声がかかるんだ。家の中に入るとおばあちゃんがニコニコしてて、湯気の立つお汁粉が用意されてる」
半年以上村に通い続けて、篤宏から聞かされてきた村の生活が、今では真珠の中にもありありと思い起こすことが出来るものになっていた。
軽く動きを入れてみせる真珠に合わせて、シャッター音がスタジオに響く。
今日の仕事は春物の撮影で、何人かのモデルが他にもいたが、それは全て撮り終えてしまっていた。真珠だけが最後まで納得のいくものが撮れず、ひとり残っている。
「うーん、イマイチだな。君にしては表情が冴えんなあ」
カメラの液晶で今撮ったものを確認して、今日のカメラマンである池田累は表情を曇らせた。しかし次の瞬間にはぱっと笑って、休憩だ、と周りに声を掛ける。
「こういうときには気分を切り替えるに限る! 久米、真珠を借りるぞ」
池田は真珠がデビューする前からの付き合いがあるカメラマンだ。当時はスタジオアシスタントをしながらカメラマンとしての仕事が入り始めた頃だったが、よく練習といっては真珠のいろいろな写真を撮ってくれた。
それらの多くは駆け出しモデルだった真珠にとってありがたい宣材になったし、池田の人柄もあって、仕事の上で一番信頼できる気の置けない相手になっていた。
「いつ返してくれるんです?」
軽口を叩き返す久米も、池田には一目置いている。最近不安定さを滲ませる時がある真珠を託せるのは、相手を信頼しているからだろう。
「そうだなあ、1時間くらいだ。いいか? それで仕事が出来る状態にして返すさ」
「わかりました……頼みます」
久米が放ってきたコートを羽織ると、真珠は池田の後ろに続いてスタジオを後にした。
ただでさえひとりだけ撮影が押してしまったのに、さらに一時間とは。この仕事に関わる人達のスケジュールを大幅に狂わせてしまっている。
自己嫌悪に真珠は唇を噛んだ。途端に池田がすっとガムを差し出してくる。
「噛むならガムにしておけよ。後で唇に歯形が付いてましたじゃ洒落にならないぜ」
「わかった……それにしても、相変わらずこのガムの趣味はどうにかならないのか」
見たことのないパッケージのガムは、書かれている言葉が日本語ではない。嫌な予感を覚えつつ包み紙をはがすと、食べる前から得体の知れない匂いが漂ってきた。
「おい、累。なんだこれは」
車の中に充満した匂いに辟易して、寒いとわかっていながら思わず窓を開ける。もうこの匂いだけでガムを口に入れる気がなくなった。
「ドリアンだ。匂いは酷いが、味はいいぞ。まあ、ガムじゃなくて生の果物の話だけどな」
「ガムの味はどうなんだ」
「そりゃもう酷いな! ほとんど罰ゲームだ」
「そんなものを俺に渡すな」
「はははっ、すまんすまん、今他にガムを持ってなかったもんでな! 眠気覚ましとしては最高なんだがなあ」
軽口を叩きながら池田は車を走らせる。どこへ行くつもりかはわからなかった。
やがて池田が車を停めたのは、有名な公園の駐車場だった。入園料をふたり分払うと、池田はさっさと中に入っていく。慌てて真珠は彼の後ろに続いた。
季節のせいか、人はかなり少なかった。それでも常緑樹も多く植えられた公園は、緑の気配が濃い。ここの周りだけはぽっかりとビルがなく、空も幾分開けていた。それだけでほっとする。
そして、いつのまにか東京の空を狭いと思うようになっていたのに気付いた。
カシャリというスマホのシャッター音が響いた。振り返ると池田が真珠にレンズを向けている。
「……こんなところに来てまで撮ってるのか」
「まあ、見てみろ。今の君の表情だ」
池田に示された画像に、真珠は愕然とした。
写っているのは、空を見上げるうつろな目の青年だ。魂が抜け落ちているような、力のない表情は自分のものとは思えなかった。
「酷いな」
思わず目を逸らして、吐き捨てる。
「そうか? 俺はそうは思わないぜ。昔の君は絶対しなかったような顔だ。昔の君には出来なかった顔だ。だから、君に今来ている仕事にはこういう表情は向いていない。そうだな、写真にタイトルを付けるなら、喪失ってところか。そのままだな。ははは」
明るさを失わない、決して悲観的なところのない池田の声は真珠には痛かった。
「君が仕事を始めたときから俺は知ってるが、君が弱音を吐いたところは見たことがないな。
涙を見せたこともない。でも今は弱くて折れそうだし、泣きたいって顔をしてるぞ。泣き方がわからないなら顔を見ないで手を握っててやろうか? それともぎゅーの方がいいか?」
「どっちも要らないし、泣くつもりもない」
「ははっ、やっぱりそうか」
鼻を鳴らした真珠の表情が若干以前のようなものに戻ったのを見て、池田は何度もうなずいて見せた。
「うん、いつもの君の顔が戻ってきたな。そこで空を見上げて、一番恋しいものを胸に思い描いてみろ。今まで君が周りに見せたことのない表情を、今なら俺が写し出してやる」
スタジオでの指示のような池田の言葉に、真珠は木々を眺めて、遠い村を思った。
きっと今は雪が積もっているのだろう。雪かきをしようとするカヨを慌てて止めに行く篤宏の姿が自然と胸に浮かんだ。
「今、君には何が見えてる?」
「一面に雪が積もった、山奥の村だ。雪下ろしが危ないからっておばあちゃんを止めておいて、お節介な小説家が屋根の上でスコップを持ってる。
格好悪い長靴を履いて、寒さに鼻を赤くして……でも、それが終わる頃には中から声がかかるんだ。家の中に入るとおばあちゃんがニコニコしてて、湯気の立つお汁粉が用意されてる」
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