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浅葱編
破滅の足音が遠くに聞こえる
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初めて着たときに「似合うね」と玲一が笑ったので、浅葱は玲一の家に呼ばれたときには白いバスローブを借りて寝るようになった。
見た目はそこいらのタオルと同じようなパイル地に見えるのに、バスローブは厚みがあって柔らかく、肌触りも着心地も良かった。ラブホテルに置いてあるような安っぽいものではなくてロング丈のものなので、風呂上がりに冷えることもない。
ベッドの上で玲一に寄り添って、キスもできそうなくらいに顔を近づける。離れないでくれと言わんばかりに抱き寄せられて、額をコツリと合わせた。
間近から琥珀色の目を覗き込みながら、玲一と呼吸を揃える。目を細めながら深く深く息をしていると、彼の目が次第にとろんとし始めた。ゆっくりと瞼が落ちていくと、そこから玲一が本物の寝息を立て始めるまではそれ程掛からない。
腕のいい職人が魂をこめて作った人形のような、作り物めいた美しさが玲一にはある。作り手の魂はこもっているが、彼自身の魂がここに宿っていないのではないかと、彼が眠っている間は時々不安になるほどだ。
玲一はいつも穏やかで優しく、浅葱と一緒にいてよく笑った。食事をしながら、テレビ番組を並んで見てくだらない話をしながら、猫の話をしながら。
出会った頃に比べたら、彼はかなり落ち着いた。それは間違いないが、未だ彼の心は傷が残っていて、縋るものを求めているのがわかるのだ。
抱きしめて欲しいと訴える彼の声は、いつもどこか寂しげだ。
今は俺がいるだろう。そう声に出さずに思いだけ込めて抱きしめても、いくら思いを注いでも、きっと彼の寂しさを完全に埋めることはできないのだろう。
一ヶ月近く彼の元に足を運び続け、浅葱の絶望はその度毎に深くなっていった。
玲一が用意してくれる手料理を一緒に食べて、食後には玲一が淹れてくれるコーヒーを飲む最近は淹れ方のコツを教わって、浅葱もやらせて貰うようになった。
その後は求められるときに時折彼を抱きしめて、甘えさせてやる。そして、一緒にベッドで横たわって、彼を眠りに就かせる。
それが、買われる浅葱と買う玲一のいびつな関係だった。いっそ恋人同士だったら良かっただろうが、恋人にはなり得ない。互いに相手に求めているものがすれ違っているからだ。
一ヶ月前のあの日に、振り切るために名刺を渡したことを、浅葱は心の底から後悔していた。
玲一からは友情に近い愛情のような「何か」を求められている。だから浅葱は友情に見せかけた愛情を注ぐしかなかった。それしか持っていないのだから仕方がない。代わりに玲一が浅葱に与えるのは金だ。
名前も聞かず、店を通した約束以外で会おうとはしない。ルールは完璧に守っている。彼はそれだけ見ればいい客だ。週に2回、下手をすると3回、高い金を出して浅葱を買ってくれる。
そう、玲一は「客」なのだ。
だから浅葱は、どんどん不安になっていった。最近は玲一に呼ばれるのが怖いと思うことすらある。玲一が嫌いだからではなく、玲一の事を心配しているから。彼が短期間に自分に注ぎ込んだ金額を思うとひやりとする。
玲一が誰かに依存したいのはわかっているが、それは別の人間にすべきだ。金で買う男娼ではなくて、もっと親身に彼の側にいてやれる恋人がいればいい。愛情を求める対価を愛情で返せる相手でなければならないはずだ。
玲一が自分に抱いている感情は、お昼寝屋からの刷り込みなのであって、性愛を求められているわけではない。けれど自分はそうではない。抱きしめる度に思いは募ったし、何度も寝顔にキスをしかけて、歯形が付くほど唇を噛んで押しとどまっている。
自分の体を求めない男のところに何度も通って、ただその寝顔を見ているというのは辛いものだった。だからお昼寝屋でのバイトのシフトをずらしたというのに。
自分がいくらで買われているのか知っているのだから、玲一の求める物の対価としてはそれはあまりに高い。長くこんないびつな関係が続けられるとは思えなかった。
玲一の所に行った回数がついに10回になって、浅葱は思い詰めたあまりに水曜日と週末に入れている枠は全て消した。平日の最長3時間だけの枠しかサイトからは見えなくなる。聡い玲一ならこれで気付くだろう。
玲一が破滅する前に、自分は離れなくてはいけないのだ。
「このお客と何かトラブルでもあったのか? 確かにかなり頻繁にお呼びが掛かるし、もしストーカー行為とかされてたらこちらから話は付けるからな」
太客である玲一からの指名が入る部分だけを消して貰ったことで、店からは玲一絡みの問題があるのではないかと心配をされた。それに浅葱は頭を振る。
「いえ、トラブルとかそういう事じゃないです。……いい人です。いい人過ぎる。俺の問題なんです。すみません」
きゅっと唇を噛んだ浅葱に、マネージャーはそれ以上突っ込んだことを聞いては来なかった。
見た目はそこいらのタオルと同じようなパイル地に見えるのに、バスローブは厚みがあって柔らかく、肌触りも着心地も良かった。ラブホテルに置いてあるような安っぽいものではなくてロング丈のものなので、風呂上がりに冷えることもない。
ベッドの上で玲一に寄り添って、キスもできそうなくらいに顔を近づける。離れないでくれと言わんばかりに抱き寄せられて、額をコツリと合わせた。
間近から琥珀色の目を覗き込みながら、玲一と呼吸を揃える。目を細めながら深く深く息をしていると、彼の目が次第にとろんとし始めた。ゆっくりと瞼が落ちていくと、そこから玲一が本物の寝息を立て始めるまではそれ程掛からない。
腕のいい職人が魂をこめて作った人形のような、作り物めいた美しさが玲一にはある。作り手の魂はこもっているが、彼自身の魂がここに宿っていないのではないかと、彼が眠っている間は時々不安になるほどだ。
玲一はいつも穏やかで優しく、浅葱と一緒にいてよく笑った。食事をしながら、テレビ番組を並んで見てくだらない話をしながら、猫の話をしながら。
出会った頃に比べたら、彼はかなり落ち着いた。それは間違いないが、未だ彼の心は傷が残っていて、縋るものを求めているのがわかるのだ。
抱きしめて欲しいと訴える彼の声は、いつもどこか寂しげだ。
今は俺がいるだろう。そう声に出さずに思いだけ込めて抱きしめても、いくら思いを注いでも、きっと彼の寂しさを完全に埋めることはできないのだろう。
一ヶ月近く彼の元に足を運び続け、浅葱の絶望はその度毎に深くなっていった。
玲一が用意してくれる手料理を一緒に食べて、食後には玲一が淹れてくれるコーヒーを飲む最近は淹れ方のコツを教わって、浅葱もやらせて貰うようになった。
その後は求められるときに時折彼を抱きしめて、甘えさせてやる。そして、一緒にベッドで横たわって、彼を眠りに就かせる。
それが、買われる浅葱と買う玲一のいびつな関係だった。いっそ恋人同士だったら良かっただろうが、恋人にはなり得ない。互いに相手に求めているものがすれ違っているからだ。
一ヶ月前のあの日に、振り切るために名刺を渡したことを、浅葱は心の底から後悔していた。
玲一からは友情に近い愛情のような「何か」を求められている。だから浅葱は友情に見せかけた愛情を注ぐしかなかった。それしか持っていないのだから仕方がない。代わりに玲一が浅葱に与えるのは金だ。
名前も聞かず、店を通した約束以外で会おうとはしない。ルールは完璧に守っている。彼はそれだけ見ればいい客だ。週に2回、下手をすると3回、高い金を出して浅葱を買ってくれる。
そう、玲一は「客」なのだ。
だから浅葱は、どんどん不安になっていった。最近は玲一に呼ばれるのが怖いと思うことすらある。玲一が嫌いだからではなく、玲一の事を心配しているから。彼が短期間に自分に注ぎ込んだ金額を思うとひやりとする。
玲一が誰かに依存したいのはわかっているが、それは別の人間にすべきだ。金で買う男娼ではなくて、もっと親身に彼の側にいてやれる恋人がいればいい。愛情を求める対価を愛情で返せる相手でなければならないはずだ。
玲一が自分に抱いている感情は、お昼寝屋からの刷り込みなのであって、性愛を求められているわけではない。けれど自分はそうではない。抱きしめる度に思いは募ったし、何度も寝顔にキスをしかけて、歯形が付くほど唇を噛んで押しとどまっている。
自分の体を求めない男のところに何度も通って、ただその寝顔を見ているというのは辛いものだった。だからお昼寝屋でのバイトのシフトをずらしたというのに。
自分がいくらで買われているのか知っているのだから、玲一の求める物の対価としてはそれはあまりに高い。長くこんないびつな関係が続けられるとは思えなかった。
玲一の所に行った回数がついに10回になって、浅葱は思い詰めたあまりに水曜日と週末に入れている枠は全て消した。平日の最長3時間だけの枠しかサイトからは見えなくなる。聡い玲一ならこれで気付くだろう。
玲一が破滅する前に、自分は離れなくてはいけないのだ。
「このお客と何かトラブルでもあったのか? 確かにかなり頻繁にお呼びが掛かるし、もしストーカー行為とかされてたらこちらから話は付けるからな」
太客である玲一からの指名が入る部分だけを消して貰ったことで、店からは玲一絡みの問題があるのではないかと心配をされた。それに浅葱は頭を振る。
「いえ、トラブルとかそういう事じゃないです。……いい人です。いい人過ぎる。俺の問題なんです。すみません」
きゅっと唇を噛んだ浅葱に、マネージャーはそれ以上突っ込んだことを聞いては来なかった。
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