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陽だまり
しおりを挟む一年前のあの日。
やっぱり私はこうやって、この場所に佇んでいた。
ただ、酷く悲しくて、呆然としたまま、泣く事も出来ないでーー
身体も、そして、心まで冷え切って、一歩も動けない。
2月は、まるで氷の世界だ……
心が空虚に呟いた時――
凍える私を暖めてくれるかのように、お日さまが降りて来たの。
ずっと、1年上の先輩が好きだった。
バスケ部の主将で、頭も良くて……おまけにカッコイイ人だった。
遠くから、きゃぁきゃぁ舞い上がって見ているだけで幸せだったのに、ふと気付いたの。
先輩は来月卒業してしまう。
もう、見ている事も許されなくなるんだ……って。
そういういろいろが後押しするのか、年末のクリスマスからこの季節にかけて、どんどん新しいカップルが誕生するのだ。
私の周りにも、毎日幸せ~って顔をしている友達が増えた。
笑美ったら、いつまで「見てる」つもり?
頑張ってみなよ。先輩、卒業しちゃうよ?
日毎に増える、背中を押してくれる友達の声。
勇気をもらって、その気になってーー
2月14日、私はこの場所に来たのだ。
学校へ行くのとは反対方向の電車に乗って、一駅で降りる。
そこが、先輩がいつも利用する駅だった。
人気者の先輩だったから、あの日、学校へ行かせてしまったら、望みはないと、何となく感じていた。
機会を待っている数多のライバルより先に、彼を捕まえなきゃ……って、今思えば、そんな計算をしたところで、先輩の気持ちがどうこうなったわけではないんだろうけれど、その時の私は必死だったの。
改札を抜けて、路肩に霜の下りた駅前の道へ出る。
落ち着かない気持ちで、それでも、カバンから取り出した包みに願いを込めた。
けれどーー
向こうから歩いて来た先輩は、ひとりじゃなかった。
先輩に寄り添う女の子が、幸せそうに笑ってた。
バスケ部のマネージャーとして、いつも彼の側にいる人だった。
立ち尽くす私の傍らを、二人が通り過ぎていく。
先輩は、リボンが掛けられた小さな包みを大事そうに持っていてーー
びっくりしたよ。でも嬉しかった。
ホントに? すごく不安だったのよ?
聞くともなしに、会話が私の耳を打つ。
先輩の手が、首元の赤いマフラーにそっと触れた。
このマフラー、暖かいな。
良かった、気に入ってもらえて。
告げられなかった想いを持て余し、凍えながら佇む。
そんな女の子とすれ違った事など、この人は永遠に知らずに生きて行くのだ。
遠ざかって行く声が、他所の世界のもののように、耳の中で小さく震えてーーやがて聞こえなくなった。
何しょぼくれてんだよ。
突然掛けられた声で、私は氷の世界から引き戻された。
目の前で、屈託のない表情を向けて来るのが、同じクラスの沢田だと認識するのに、僅かばかりの時間を要した。
その間に沢田の方は、私の観察を終えたらしく、彼は小さく溜息をついた。
そっか……
誰にともなく呟いてーー
いきなり、私の手から、行き場を失った包みを取り上げた。
何すんのよ……。
我に返った私の声を無視して、沢田は断りもなく包みをバリバリと開けていく。
その上、あろう事か、私が呆気に取られている間に、彼は中身をムシャムシャと平らげてしまったのだ。
一之瀬ってさぁ……笑美ってんだろ?
まだ口をモグモグさせながら沢田が言った。
笑う……って書くんだからさ、そんな顔してんなよ。
子供っぽく見えるほどの屈託のない笑顔は、この男の特徴だった。
沢田は口の中の物も飲み込んでしまうと、行こうぜ……って、私を促した。
何だか救われた思いがしてーー
でも、いつもじゃれ合ってるクラスメイトに弱みを見せちゃったのが、ちょっぴり悔しくてーー
勝手に食べちゃう? 普通。
私はわざと唇を尖らせて抗議した。
沢田は、こちらを横目でちらりと見て、また笑った。
貰い手がなくなっちまったら、いつだって俺が処分してやろ~じゃないか。
辛い気持ちは、丸めてポイ! だ。
笑いながらそう言ってーー
沢田は、自分が開けた包みの残骸を、くしゃっと丸めて駅前のくずかごに投げ入れた。
そんな事があった後も、沢田は私の失恋について誰かに喋るわけでもなく、かといって、特別に気遣ってくれるわけでもなくーー
仲良くしているグループの一人として、いつもと変わらずそこにいた。
暑い夏の日も、凍て付く冬の日も
たとえ夜の闇の中だって
太陽が変わらずそこにあるように――
一年前と同じように、路肩に霜が下りていた。
私は身を縮めて、悴んだ手に白い息を吹きかける。
カバンに忍ばせてあった包みを取り出して、人影を探して視線を漂わせた。
あ……
一年前は学生服だったあの人が、少し大人びた様子で歩いて来る。
グレーのコート姿で、首元には、鮮やかな赤いマフラー。
そっか……
あの時の彼女と、今も仲良くしてるんだね。
告げられなかった想いを抱える女の子が存在する事は、やはり永遠に知られないまま、先輩が目の前を通り過ぎて行く。
去年、この場で氷の世界に捕らわれた瞬間の事を、記憶として思い返す。
ちょっぴり感傷的な気分で、私は先輩の背中を見送った。
「何しょぼくれてんだよ」
突然掛けられた声で、私は現在に引き戻された。
振り返ったら、そこには屈託のない笑顔。
「沢田……おはよう」
ぎこちなく言うと、沢田はちょっと困ったように笑って、おはよう……と、返した。
そう、困ったように――彼は、私の手元と、駅の構内に消えようとしている先輩の背中を交互に見た。
「そっか……」
一年前と同じように、誰にともなく呟いてーー
「リベンジ失敗か」
続けてそう言って、またしても断りなく、私の手元から包みを取り上げた。
「あ……」
思わず止めようとした私に、沢田は、任しとけ……と、笑顔を向ける。
バリバリと乱暴に包みを開けて、中身を一気にムシャムシャと食べた。
「あの……沢田……?」
「言ったろ?」
沢田は、口の中に残ったものをすっかり飲み込んで、また屈託なく笑った。
「いつだって処分してやるからってさ」
私は呆気に取られてーー
我に返って頭を振る。
沢田、そうじゃなくって……
「それ……あんたの」
ボソっと言った。
愛想のない、でもこれは一応、告白って事になるんだけど。
「へ?」
あまりの愛想のなさに、沢田はピンと来なかったみたいでーー
ちょっと考えた後、げっ! と、小さく叫んだ。
「『げっ』ってなによ、『げっ』って」
傷つくじゃない。
「一之瀬さ~……そういう事は、先に言ってくれよ~~! なんだよ、イッキ食いしちまったじゃね~か」
沢田は本気で後悔したように、顔をしかめて座り込んでしまった。
な、なによ……
そんなに嫌がらなくてもいいじゃない。
涙が、目の縁に盛り上がって来るのがわかる。
だめだ、泣きそう。
ぐっと堪える私をよそに、沢田は座り込んだまま、頭まで抱え込んだ。
そして、ものすごくブルーな声でひとりごちたの。
「勿体ねぇ……そうだとわかってたら、もっと味わって食うんだった……」
え……?
話の展開が、彼のそれまでのセリフから予想したのとは、違う方向へ転がった。
つい、目を見開いてしまって、あっと思った時には、涙がーー
で、これってまさか義理とか言う? ……って、訊きながら私を振り返って、沢田は慌てて立ち上がった。
こぼれた涙に気付かれてしまった。
「……ってオチは、なさそうだな……」
言いながら歩み寄った彼は、私の目元を、自分の袖口で、ごしっと拭いた。
「『笑美』ってんだろ? 笑顔が美しい……って書くんだから、泣くな」
覗き込んで来る屈託のない笑顔に、照れたような色が加わっていた。
恥ずかしいのと、悔しいのとで、私は沢田を睨み上げる。
「だって……沢田が泣かした……」
恨みがましく言ってやると、沢田は、悪い……と、頭を掻いた。
「けどさ、あの状況だぜ~? 一之瀬、切なそうな顔で突っ立ってるし、リベンジだと思うじゃん」
言い訳しながら、すでに見えなくなった背中を追うように、立てた親指を駅に向けた。
私が一年前誰を好きだったのかって事まで、気付かれてた訳ね。
私は溜息をひとつついて。
「ちょっと感傷に浸ってただけだもん。でも、吹っ切れてるって、改めて確認できたから……」
うん。今日、先輩に会えて良かったのかも知れない。
「ありがとね。一年前の事も、今日もそうだと思って助けてくれようとしたんだよね……」
連れ立って駅へと歩きながら、私は照れ臭くて、小声でそう言った。
傍らで、沢田がくすっと笑いを漏らした。
「う~ん……ちょっと違うかもな」
こちらも照れ臭そうな声だった。
「たとえ誰か他の奴に向けられたものでも、一之瀬の『好き』って気持ちが込められたものだから……だったら俺が食ってやろうって……」
そこで深呼吸するように、沢田は一拍置いた。
「俺……1年の頃からずっと、お前の事、好きだったから……。行き場のなくなったお前の想い、全部俺が貰ってやるって思ってさ。捨てられたり、他の奴の口に入ったりするの、嫌だったんだ」
知らなかった。
そんな風に、ずっと想われていたなんて……
いつも、本当に屈託のない様子で側にいたからーー
返す言葉を失っている私の傍らで、沢田は、くっと唇を引き締めた。
「でも、切なかったぜ……。とても味わってなんて食えなかった」
その、初めて見せる表情に、強く心を揺さぶられた。
バリバリと包みを開けて、ムシャムシャと一気に食べる姿が、脳裏に甦る。
無神経なの? それともただの食いしん坊? って、問いたくなるような、でも、私にとって大きな優しさだった行動の裏に、彼のそんな気持ちが隠れていたなんて。
立ち止まってしまった私に気付いて、沢田は手を差し伸べる。
そっと、私が彼の手に掴まると、沢田は嬉しそうに微笑んだ。
「だからめちゃめちゃブルーになっちまったの。せっかく俺にくれたチョコなのに、まるで泥団子でも食うように、味も感じないうちに飲み込んじまってさ~。二年越しの片想いが実った瞬間だったのに、気付かないでやんの」
は~勿体無い事した……と、呟いて、沢田は首をかっくんと落として見せた。
次々と明らかになる沢田の気持ちに、私は嬉しいんだか、切ないんだか、恥ずかしいんだか、自分でもよくわからなくてーー
でも、胸がきゅんとした。
「チョコね、手作りだったんだよ?」
私が言うと、沢田は、うそ~ん……と、情けない顔をした。
思わず笑ってしまった。
「材料、まだ少し残ってるの。明日でよかったら、また作ってきてあげる」
ぱぁっと、明るい笑顔が輝いた。
繋いだ手が、きゅっと強く握り込まれて、私の胸が、どきん……と跳ねた。
暑い夏の日も、凍て付く冬の日も
たとえ夜の闇の中だって
太陽は変わらずそこにある
陽だまりの中にいるような暖かさに触れて、そのあたりまえだと思っていた存在の大切さに、気付けて良かった……って――
私は、暖かい大きな手を、そっと握り返した。
END
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