Bastard & Master

幾月柑凪

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Bastard & Master 【10】

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【10】





 クリステルと黒騎士とのやり取りを、少し離れた所から見ていたレオンは、疎外感にも似た感情が湧き起こるのをどうする事も出来ないでいた。

 クリステルは微笑みのひとつも浮かべず、辺りにはピリピリとした空気が漂っているのに、二人の間には共通した何かがあった。
 生まれながらに高貴なものが持つ、洗練された雰囲気である。
 男は黒い甲冑を身に付けた姿であるというのに、クリステルのいう「優雅なリード」で、すぐにでもダンスが踊れそうな身のこなしだ。

 俺に、あんなマネができるのか……?

 そんなの無理だ、と思う気持ちと、負けず嫌いの性格とがレオンの思考を掻き混ぜる。
 ふたりの一挙手一投足を、固唾を飲んで見つめてしまう。



「しかし……こんなところであなたにお目に掛かれるとは。あなたのような方が、供を一人連れただけで旅など……」
 ラインハルトの言葉に、クリステルは一瞬目を見開き、そして初めて僅かに口元を緩めた。
「供をしているのは私です。彼が王の召喚を受けたのです」
 クリステルが言うと、少しの間があって後、ラインハルトはレオンに視線を向けた。

「それは……ご無礼を申し上げた」
 真っ直ぐに見られて、レオンはぐっと奥歯に力を込める。
「いや、構わない」
 負けじと、真っ直ぐ見つめ返す。

 ラインハルトは、ふっと微笑んで、クリステルに向き直った。
「今回の事は、私も不本意でした。次にお目にかかれた時、必ず埋め合わせをさせていただきたく存じます。どうか、道中ご無事で……」

「あ……」
 レオンは小さく声をあげた。
 ラインハルトはスマートな動作でクリステルの白い手を取ると、優雅に身を屈め、その手の甲にくちづけを落としたのだ。

 ちぇ……
 キザな野郎……

「ありがとうございます。あなたも、どうぞお気を付けて」
 クリステルの言葉に頷いて、ラインハルトはレオンにも小さく会釈をした。
 もう一度、名残惜しげにクリステルを見つめて――踵を返した。

「戻るぞ、ダニエル」
 ひらりと黒馬に跨ると、供をしているスピリッツ・マスターに声を掛け、颯爽と駆け出す。

 スピリッツ・マスターの青年は、クリステルに向かって苦笑を投げた。
「完敗です」
 そう言われて、クリステルが思わず微笑を返すと、彼はペコリと頭を下げて主人の後を追って去って行った。



 二頭の馬が遠ざかるのを見送っているクリステルの隣に、レオンが並んだ。
「あれ……何者だ?」
 クリステルが、ちらりとレオンを横目に見る。
「ジュリアス・ラインハルト……。西の隣国、フッサールの王族の一人です。性根の腐った人間の多いフッサール王家で、唯一まともな話の出来る男だと、私は思っています」
 辛らつなのか、誉めているのか、よくわからない口調に、レオンは肩を竦めた。

「どうりで……高貴な香りがプンプンしてたぜ。元々の育ちが違うわけだ。俺の事、供の者と間違えても文句は言えないな」
 自嘲するでもなく、レオンが正直にそう言うと、クリステルは、さぁ、どうでしょうね……と、意味ありげに微笑んだ。





「あなたもお人が悪いですね……。あんな凄腕の、しかも美人の術師とお知り合いだなんて、一言も仰って下さらないんですから」
 ラインハルトに漸く追いついたダニエルが吐息混じりに言った。

 ラインハルトは、ん? と彼を見て笑った。
「無理を言うな……。私とて術師としての彼女を見たのは今日が初めてなのだ。私が知っている彼女は、社交界の華と謳われる姫君だからな」
 ダニエルは、なるほど……と頷いた。

「別れ際、敗北宣言をして参りました。そうしたら、あの方、微笑んで下さった……」
 ダニエルがうっとりと呟く。
 ラインハルトはその顔を横目で見て、嫌味な溜息をついた。
「幸せな奴め」
 ぼそり、と、本音が漏れる。



 ダニエルが何かを思い出したように、くすくす笑った。
「何だ?」
 ラインハルトが問うと、ダニエルは、意地悪を仰いましたね……と言った。
「彼の事、従者だなんて、本当は思っていらっしゃらなかったんでしょう?」

 ラインハルトはニヤリと笑った。
「身なりは質素だが、あの雰囲気……以前、どこかで会った事があるような気がする。それに、美しい男だった。あんな男が、私が唯一惚れた女性と二人旅をしているなどと思うと、意地悪のひとつも言いたくなる」

 あっさり白状されて、ダニエルが目を丸くした。
「そうか……国の女性たちに素っ気ないのは、あの方が本命だからでしたか」
 ラインハルトは、ふん、と鼻を鳴らす。

「だが、子供じみた事を言ったと、少し後悔している」
「え……?」
 ダニエルが主人の顔を窺うと、初めて見る、照れたような苦笑を浮かべていた。
「彼女にはお見通しだった……」
 そう言い残して、ラインハルトは馬の脚を早める。

 彼らの帰りを待ちわびた兵たちが、向こうで手を振っているのが見えた。










 ボシュエの街の市場は活気に満ちている。
 あてもなく旅を続けている少女ネリーは、昨日買い換えたばかりの杖を誇らしげに掲げ、市場を散策していた。

 ネリーはスピリッツ・マスターである。

 ひび割れが出来ていた檜の古い杖を、コツコツ溜めたお金で新しい物に買い換えたのが嬉しくてしょうがない。
 先端を地面につけると、小さな赤い飾りの石が丁度胸の辺りに来る。
 これまで使っていた杖よりも、ほんの少し長い事が、また嬉しい。

 以前、大きな街の古い教会で、その地の水不足を救ったというスピリッツ・マスターの肖像画を見た事がある。
 身の丈ほどの長い杖を持ち、その先端には紫の大きな石がついていた。
 その絵をみた時から、長くて石のついた杖はネリーの憧れだったのだ。

 本当は絵の術師のように、紫の石が欲しかった。
 しかし本当かどうか定かではないが、その神秘な雰囲気から、紫の石は力を増幅させる働きがあると言い伝えられていて、値が張るのだ。

 次に人気があるのが、邪悪を退けると言われている赤い石だ。
 ネリーは、小さいけれど赤い石の飾りのついた杖を手に入れたのだ。
 気分はすっかり一流の術師で、意気揚揚のネリーであった。



 すべての物がキラキラと輝いて見えるネリーの瞳に、ひとりの青年の姿が飛び込んで来た。

 いきなり、周りの景色が霞んで見えた。

 りりしい姿形に、颯爽とした歩き方。誰もいないところへ、時折とても優しい微笑を向けている。
 術師であるネリーには、その微笑の先に小さな風の精霊が纏わりついているのだと、すぐにわかった。
 術師でもなさそうなのに、青年と精霊とが仲良しなのだと見て取れる。

「……素敵……」
 ネリーは呟いて、青年の元へ引き寄せられるように近付いた。

 一目惚れであった。





 テーブルマナー実習の後、青年貴族の姿から解放されて、レオンは市場を楽しんでいた。
 クリステルとは市場に入ったところで別れ、只今別行動中である。

 たまにはおひとりで羽を伸ばしていらっしゃい……。
 クリステルはそう言ったが、多分女性には女性の買い物があるのだろう……と、レオンは思っていた。

 レオンの護衛には、ずっと上空の方に風の精霊がついている。それとは別に、仲良くなった小さな風の精霊が、相変わらずレオンにくっついて離れようとしない。
 とても小さな精霊なので、ふたりはそれを「プティ」と呼んでいた。



「こんにちは」

 突然声を掛けられて、レオンは振り返った。
 少女がにこにこと笑っていた。

 手に杖を持っているのに気付いて、彼女もスピリッツ・マスターなのだろうとレオンは思った。
 近寄って来る者には用心するように言われていたが、しかし悪人のようには見えない。
 レオンがじっと観察しているので、少女は少し赤くなってもじもじした。その恥ずかしそうな笑顔が、なかなかチャーミングだ。

「えっと……あなた、可愛い精霊をつれているのね……。術師ではないんでしょう?」
 恥ずかしげにしている割に、ちゃんと質問を投げかけて来る。
 その積極的な感じに、レオンは苦笑した。
「ああ……プティの事か……? 友達なんだ。」
 事も無げにレオンが言うと、少女は目を真ん丸く見開いた。

「精霊に名前までつけてるの?」
 驚いたように訊かれ、レオンは頷いた。

「俺は術師じゃないからな。精霊との間に利害関係はない……。単に仲良しなだけなんだが、友達に名前がないと不便だろ?」
 レオンが言うと、プティが彼の髪の毛をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
 レオンは声を立てて笑いながら、よせよプティ……と言った。
 その接し方のあまりにも自然な感じに、少女はしばし言葉をなくす。

 自分が忘れている何かを、この青年は持っている……。
 更に心が惹き付けられ、これは運命なのかも知れないと、夢見がちな心が思った。



「あなたって素敵ね」
 うっとりと言われて、レオンがぽかんと口をあける。

「あたしはネリー。ごらんの通り、スピリッツ・マスターよ。あなたの名前は?」
 ネリーがどんどん積極性を増す。
「レ……レオン……」
 反対に、それに追い込まれるように、レオンはたじたじと答える。

「レオンね……。その服装とその買い物……あなた旅の途中なんでしょう? どう? あたしを一緒に連れて行ってよ。術師がいると、旅は何かと便利よ」
 はちきれんばかりの笑顔で、ネリーが言う。
 レオンは苦笑した。
「残念だけど、同伴の術師がいるんだ」



 ネリーは、すっと笑顔を引っ込めて、しかし諦めまいと考えていた。彼女にとって、これは運命の出会いなのだ。

 彼に纏わりついている精霊の小ささを思えば、それを彼の護衛につけている術師のレベルも大した事はない……と、彼女は思った。
 どちらかと言えば、思い込みの激しいタイプの少女に、レオンの言った「友達」の意味合いを、きちんと理解する事は難しいのかも知れない。
 そしてまた、上空から彼らの様子を見守っている本物の護衛がいる事に気付くほど、ネリーは上級者ではなかった。



「そんなのクビにしちゃいなさいよ。あたしの方が上級者だわ」
 胸を張って言うネリーに、レオンはケラケラと笑った。
「俺の連れは凄腕だよ」
「……そうなの……?」
 急に不安そうにレオンを伺う。
「ああ……。『自称』……だがね」

 レオンは事実、まだクリステルと、あのラインハルトが連れていた術師にしか会った事がないのだ。他のスピリッツ・マスターがどうであるか知らないため、比較する事が出来ないのだ。

 レオンがそう答えると、途端にまたネリーは不敵な表情を浮かべる。
「『自称・凄腕』? ふんっ! 『自称』ほどあてにならないものはないわ」

 その自信はどこから来るんだぁ?
 お前だって、「自称・上級者」だろう……?

 レオンは呆れてしまう。

 しかしネリーは満面に笑みを浮かべ、レオンを見上げた。
「決めたっ! あたしレオンについて行く!」

 お……おいおい……。
 決めた……って……
 勝手に決めるなよ……っ!

 レオンは面食らって言葉も出ない。

「あたし、きっとあなたの役に立つから!」
 ネリーの方は、やる気満々である。



 こっ……
 こんなの連れてって大丈夫なのかぁ~~?

 頭を抱えるレオンの傍らで、プティはどこか不機嫌そうに砂埃を巻き上げた。





   つづく

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