13 / 13
さりげなく癒して【13】
しおりを挟むさりげなく癒して
【13】
「どうして……?」
祐貴が言って、瞳子の瞳を覗き込んだ。
それが辛くて、瞳子は視線を逸らせた。
「とーこさん……」
畳み掛けるように名前を呼ばれて、瞳子は俯いた。
「言ったでしょう……? 私は、ただの男嫌いじゃない。男の人が恐いの」
「……俺も……恐いの……?」
躊躇いがちに訊かれて、瞳子は弾かれたように顔を上げた。
激しくかぶりを振る。
「違う……。あなたは違うとわかってる」
「じゃあ、どうして……」
じっと見詰められて、瞳子の決心が揺らぎそうになる。
それを振り払うように、瞳子はまたかぶりを振った。
「頭ではわかっていても、だめなの。私の意思ではどうにもならない所で、恐怖心は勝手に私を支配してしまう……。あなたがいつか欲しがるものを……私は、与えて上げられないかも知れない。あなたは優しい人だから、きっと私に酷い事はしない。だからこそ、恐いの。きっとあなたは待てなくなって……いつか私の前からいなくなってしまう……」
とうとう……言ってしまった。
最後の審判が下されるだろう。
祐貴が男である限り、それを望まないはずはないのだ。
瞳子は覚悟をしたように、唇を噛み締めた。
「待てるよ」
しかし、それは予期しなかった言葉であった。
瞳子は見開いた瞳を向けた。
「まさか……待てるわけないわ……」
「待てますよ、俺は……」
「簡単に言わないで……! 失う事がどんなに辛いか……あなたは知らないから!」
瞳子の声は、ほとんど悲鳴だった。
「失う辛さは知っています。だから、とーこさんを失いたくない」
真摯な瞳が、瞳子を見詰めていた。
「そのためなら、何だってする。何年だって待つ」
瞳子は言葉を失って、その瞳から目を離せないでいた。
「俺は待てますよ……。知ってる? とーこさん。俺、あなたに出会うのを、何年も待ってたんですから……。待つのは得意なんだ」
「……え……?」
祐貴の言った意味がわからず、瞳子は問うような瞳を向けた。
祐貴が漂わせた視線は、どこか苦しげに空を見詰めた。
「俺もね……女を憎んでいた時期があったんです……」
呟きに、耳を疑った。
祐貴の口から出たセリフとは思えなかったのである。
高校時代、祐貴には付き合っていた彼女がいた。
幼顔で、無邪気な笑顔が可愛い女の子だった。
将来の事は、何となく考えていた。
こんなお部屋に住んで、子供は何人くらいで……
夢を語るその横顔を見詰めながら、彼女もそのつもりなのだろうと思っていた。
ずっと、一緒にいられると思っていた。
祐貴が大学に進学し、田舎で就職した彼女とは離れ離れになった。
それでも祐貴は不安を感じていなかった。
互いの想いを信じて疑わなかった。
まとまった休みがあれば会いに戻り、手紙と電話で距離を埋めた。
遠距離恋愛が始まって半年が過ぎ、彼女の手紙が途切れがちになっても、学生の自分とは違い、きっと仕事が大変なのだろうと気遣った。
小さな身体で、精一杯頑張っている姿を思い、労わりの手紙を書き綴った。
しかし――
同郷の友人に久しぶりに会った時、祐貴が想像すらした事もないような噂話を聞いた。
彼女が結婚するらしい……。
無論、祐貴は信じなかった。
いい加減な噂話に違いないと思いながらも、どうしても嫌な感じに胸が粟立った。
彼女を休ませてやりたくて控えていた電話だったが、久しぶりに聞いた声はよそよそしくーー
祐貴はそれが真実であると知らされた。
相手は、彼女が勤める会社の、社長の息子だと言う。
あなたの事は好きよ。
でも、恋愛と結婚は違うってわかったの……。
電話の声が、他人のもののように思えた。
彼女は、男の財産に嫁いだのだ。
祐貴は女を信用しなくなった。
人を愛するという感情が、ぽっかりと欠落していた。
恋愛感情の伴わない行為を、自分でも数えていられないほど重ねた。
憂さを晴らすように、その日その日の女を相手にした。
本来の自分を見失ったまま、いくつもの季節が移ろい――
同窓会の案内状が届いて、祐貴は久しぶりに帰郷した。
会場に現れた祐貴を、同級生たちは驚愕して見詰めた。
祐貴が、あまりにも変わってしまったからであった。
元々、綺麗な顔立ちであったが、漂う雰囲気は純粋で朴訥だった祐貴が、遊び慣れたせいか、都会的で危険な色香を放つようになっていた。
目が合って微笑を向けただけで、足が立たなくなった女がいた。
お前になら抱かれてもいいと言って、皆の失笑を買った男がいた。
そんな席に、彼女もいた。
その日、彼女を抱いた。
誘ったのは彼女の方だった。
吐き気がした。
かつて自分が愛した女は、こんな女だったのか……
憎しみをぶつけるように抱いた。
すでに、そこに愛がない事を知った。
しかし――
彼女は祐貴に溺れた。
大学に戻った祐貴に、彼女から連絡が来るようになった。
今更、何の関わりが欲しいと言うのか……
祐貴には終わった事なのだ。
すでに愛はなかった。ただ、裏切られたという思いだけが、しこりのように心に巣食っていた。
居留守を決め込み、相手にしなかった祐貴だったが――
ある日、彼女は祐貴のアパートを訪ねて来た。
何をしに来たのか……と問う。
会いたかったの……と、彼女は言った。
あなたの事が、忘れられない……と……。
その身勝手さに、腹立ちを通り越して、笑いが込み上げる。
あの時は、ただ、そんな気分だったから抱いてやっただけだ。
所帯じみた田舎の女に、本気になる訳がないだろう……?
そう言って、祐貴は声を立てて笑った。
あなたは変わったわ……
唇を震わせて、彼女が言った。
祐貴は鼻で笑った。
先に変わったのはお前だろう……?
彼女は蒼ざめて帰って行った。
これは……復讐だったのか?
だとすれば、すべてが終わったのだ……。
後ろ姿を見送りながら、祐貴はそう思った。
しかし、祐貴の荒んだ生活は変わらなかった。
逆に、突然感じるようになった虚無感に苛立ち、一層ささくれ立った。
心のしこりは、腫れ上がって疼いていた。
内側で悲鳴を上げているのに、祐貴は耳を塞いで、気付かぬ振りをした。
そんな祐貴を救い出してくれたのが、博之と詩織だった。
未熟な愛によって傷付いた心は、神聖な愛によって癒されていった。
ゆっくりと……時間をかけて……
祐貴は本来の自分を取り戻した。
本当の恋というものがあるとしたら、手に入れたい……
薄っぺらなものは、もう、いらない……
太陽のように、水のように、空気のように……自然体で生きよう。
いつか……その人に出会ったとき、懐を大きく開いて、さりげなく柔らかに包み込めるように。
何年もかかって……
やっと、あなたに出会えた。
どこか遠くを漂っていた祐貴の視線が、瞳子の所へ戻って来た。
瞳子は、それをただ見詰め返した。
この人も苦しんだのだ。
苦しんで、苦しんで……
ドロドロとした膿をすべて吐き出し……
今、自分の前に現れたのだ。
心の闇から抜け出し、立ち直った者の持つ、強さと優しさ。
だからこそ、滑り込んで来たのだ……自分の心の隙間に。
祐貴は瞳子の両手を取った。
「心配性のとーこさん……。余計な事は考えないで。あなたの正直な気持ちを、俺に聞かせて」
「私の……正直な、気持ち……?」
瞳子が自身を探るように呟くと、祐貴は包み込むように柔らかい表情で頷いた。
私の気持ち……
雑多な心配事を、すべて取り除いた裸の心。
祐貴は急かす素振りもなく、ただ黙って瞳子の手を握ってくれる。
暖かな、大きな手……。穏やかな眼差し……。
私は、この手が好き。
この眼差しも……微笑みも……
「私は……」
失いたくないと……必要なのだと……
心が叫んでいた。
目の前の、この瞳に、嘘はつけないと思った。
そして、自分自身にも……。
「……私は……」
瞳子の頬を、ひとすじの涙が伝い落ちた。
「……あなたが好きです……」
言うなり、力一杯抱き締められた。
「先の事は、これから考えればいい……ふたりで……」
祐貴の声が、瞳子の胸につかえたものを取り去って行く。
瞳子は言葉が出なくて、ただ頷いた。
「心配しないで。俺は待てるから……とーこさんが、俺を好きでいてくれる限り……」
祐貴はそう言って、瞳子を更に強く抱き締める。
瞳子の涙はとめどなく流れ、祐貴のシャツを濡らしていく。
きつく拘束される事も心地良いのだと、瞳子は初めて知った。
これからも、ずっと側にいてくれるのだ。
逞しい腕も、温かな胸も……
瞳子は身じろぎして、祐貴の顔を見上げた。
この優しい眼差しも……
穏やかな微笑みも……
ずっと、私の側に……。
愛しいひとの泣き濡れた瞳が、じっと自分を見詰めている。
祐貴の胸に、想いが一杯になって、溢れた。
「……キス……してもいい……?」
思わず、訊いてしまっていた。
瞳子の頬が真っ赤に染まった。
「そっ、そんな事、訊かないで……。予告なんてされたら、私はきっと……いちいち逃げ出してしまうから……」
その様子が可愛くて、祐貴はくすっと笑いを漏らした。
わたわたしている身体をやんわりと捕まえ、細い頤に手を添える。
ゆっくりと顔を近付けて……
「じゃぁ、訊かない……」
そっと囁いた唇が、瞳子の柔らかい唇に触れた。
瞳子は完熟トマトのように、耳まで赤くなってしまった。
祐貴の視線は愛しげに、自分に注がれている。
完熟トマトから湯気が出た。
「あっ、あのっ……やっぱり、いきなりも困ってしまうなって……だから、少しだけ予告を……」
祐貴はくすくす笑った。
「とーこさん、可愛い」
「あの……早瀬くん……聞いてる……? 予告の件ですが……」
祐貴は――聞いていなかった。
言われた側からまた、瞳子の唇を盗んだ。
さっきの触れるだけのものより、少しだけ、長く、深いくちづけ――
そっと離れると、瞳子はすっかりおとなしくなってしまった。
ぽおっとした顔で、吐息をつく。
その耳元で、祐貴が囁いた。
「とーこさん……予告請求の御提案ですが……」
うっとりと、瞳子が視線を向けると――
祐貴は悪戯っ子のように、に~っと笑って言った。
「今更遅い」
END
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる