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第53話『ハニートラップ2』
しおりを挟むシンドラが変身した金髪美女は、前髪がちょうど眉あたりで一直線に揃えられており、その猫のような大きな瞳がより強調されていた。
片側だけ髪を耳にかけており、ツン、と尖った小さな耳が控えめに顔を出している。
サラサラな長い髪は胸元まで伸びており、丈の短いタイトなワンピースは、その素晴らしいスタイルを惜しげもなくひけらかしていた。
ネロが片手で顔を隠し、ため息を吐いた。
シンドラの魂胆がよくわからずに、困惑している様子だ。一方、シンドラは見破られていることに気が付かずに、小悪魔な美女になりきっていた。
「ね‥ねぇ、お兄さん。この人は‥?」
ネロの両サイドにいた女性たちが、突然現れてテーブルを叩きつけたシンドラを見て引き気味に尋ねた。
周囲から見れば、修羅場のような光景だ。もちろん、ネロの浮気現場に彼女が現れた、というような場面である。
シンドラは、女性たちを睨むだけでまだ何も言葉を発していない。勢いよく乗り込んだのはいいものの、何と言ってネロを奪えるのかがわからなかったのだ。
ネロは両サイドの女性たちに「ごめんね」と伝えて静かに立ち上がった。女性たちも、トラブルは避けたいようで、訳がわからないまま納得した様子だった。
ネロは、ただただ怖い顔をしているシンドラの腕を取ると店の入り口へと歩き出し、ポケットからガサゴソと何枚かのお札を取り出して店員へと渡していた。
シンドラとユーリと3人の飲食代は先ほどもう済ませていた。いま渡したのは、あの女性たちの分のようだった。
財布を管理しているネロの特権だろうか。こんなに遊ぶお金を持っていたのか、とシンドラは突っ込みたくなったが、ここで突っ込んでは正体がバレてしまう。
ただただ、ネロに掴まれている左手首に神経を集中させ、ネロに引っ張られるまま足を動かす。
店の外は、さすが飲み屋街といったところで、通りはわりと人が多かった。
「‥‥‥‥で、なんですか?」
立ち止まったネロが振り返り、やや複雑な面持ちでシンドラに声をかけた。その姿からは、普段の余裕さはあまり感じられない。
シンドラは、そんなネロの様子を見て多少違和感を感じたものの、急に現れた美女に驚いているのだろう、と安易に受け止めた。
「‥飲みましょ?お兄さん」
うふ、という笑い声まで付けて、上目遣いでネロを誘う。ネロの様子に、普段とは違う違和感を感じつつも、ネロはあの女性たちよりもこの金髪小悪魔美女を選んだのだ。よって、シンドラには、少しの余裕と自信があった。
「‥‥お嬢さん、お名前は?」
シンドラの様子から、本気で自分を騙しにかかっていると感じたネロは、あえてこの騙しに乗っかり、シンドラの魂胆を暴いてやろうと決めた。
いつも通り、柔らかい笑みで、まるで女性を口説くかのような眼差しでシンドラを見つめる。
「マチルダよ。貴方は?」
にっこりと笑いながらそう言う。
昼間使ったメリーという偽名でも良かったが、マチルダの方が使い慣れている名前だった。こっちの方がボロが出にくいだろう。
ネロは、滑らかに偽名を使うシンドラにある意味感心しつつも、こんな形でシンドラの笑みを見ることになるとは思ってもおらず、心の中で苦笑いを浮かべていた。
「ネロだよ。
マチルダ、なんで俺を誘ったの?」
「貴方に興味を持ったからよ」
「どうして?
店に入ってきた時から、一直線で俺のところに来なかった?」
ネロが柔らかく微笑む。
整った中性的な顔立ちは、月明かりに照らされてどこか幻想的に見えた。
普段のゲスいネロを知らなければ、「綺麗な人」と言いたくなってしまいそうだ。
やっぱりネロの観察力はすごい。シンドラはそう思いながら、何とかはぐらかせる方法はないか考えた。
「‥好みだったの。それじゃダメ?」
小悪魔な美女だからこそ、こういう甘えた返しは有効だろう。ネロもきっと内心デレデレしているはずだ。シンドラはそう思いながら、極め付けの必殺技として、ネロの胸元をツンっと突いた。
ネロは小さく笑い、胸を突いてきたシンドラの手を取って、その小さな手に優しくキスをした。
ちらりとシンドラを見れば、一瞬小さく体をビクつかせている。
サディストなネロに火がついた瞬間だった。
こうなったら、とことん虐めてあげよう。
「‥マチルダ。
ここじゃなんだから、飲みに行く?
それともホテル?」
ネロの顔を見ていたシンドラは、さっと視線を逸らした。今さら正体がバレたり、自ら正体を打ち明けたりしたら、一生ネロに馬鹿にされ続けてしまう。
そんなことのために、わざわざこんなことをしているわけではない。
何が何でもマチルダを貫き通して、ネロを知りたいのだ。
「飲みに行きましょう?」
「えー、今すぐ食べちゃいたいな」
ネロが妖艶に微笑んだ。
気を抜くとキスをされてしまいそうな距離感だ。そんな危険な男との駆け引きを自ら始めてしまったということに、シンドラはこの時やっと気が付いた。
キスだけじゃない。下手すりゃ本気で食われる。
ここは、うまく立ち回らないと‥。
「私はもっと貴方を知ってからがいいの」
「‥そう。じゃあ飲みに行こうか」
ネロは、そう言ってシンドラの肩を抱いて歩き出した。
シンドラは一生懸命マチルダを装い、ぴったりとネロに寄り添った。
どこか強気な、魅力たっぷりな女性を演じているものの、内心は爆発しそうなほどに心臓が暴れていた。
そもそも‥ネロを知るためだけにここまでやる必要があったのか。
シンドラは、何故か衝動的になった自分の気持ちを理解できずにいた。
ーーー私もまだまだ未熟だ。
なんで自らこんなことを‥
隣にホテルがあるバーへと入った。
店内は先ほどの店よりも更に薄暗く、客層は男女のペアばかりだ。
密着しあい、カウンターで熱くキスを交わすカップルまでいる。
店の奥にある、カーテンで遮られた半個室のソファ席に案内され、まるでカップルのように寄り添って腰を掛けた。
シンドラは、この変身魔法により様々な場面に潜入する機会はあったが、こうした場面はあまり慣れてはいない。
マチルダになりきり、ネロにぴったりと寄り添っているものの、この先どうやってこの駆け引きを勝ち抜けばいいのか、ぐるぐると考え続けていた。
ネロの警戒心を解き、歪んだ接し方をしてくるその根底に秘められた『繊細』『寂しがり屋』な一面を知りたいのだ。
ネロがスムーズに酒を頼み、シンドラは流れるままに酒を受け取って2人は飲み出した。
「ネロ、慣れてるわね」
あの山小屋で生活していたくせに、やたらとスマートだ。街暮らしをしていて、女遊びに手練れている男。そんな印象を受ける。
「そう?普通だよ。
そう言うマチルダは、見た目とは裏腹に案外慣れてなさそうだね。あまり遊び慣れてないの?」
こんなにもネロに寄り添っているのに、見抜かれているとは‥。やはり侮れない‥。
シンドラはグッと唾を飲み込んだ。
実際には初めから見抜かれていて、見事に玩具化しているだけなのだが。
「どっちが好き?」
「え?」
「遊んでる子と、遊んでない子」
シンドラがそう尋ねると、ネロは堪えきれずに吹き出した。シンドラがこれを言っていると思うと、堪らなく面白いのだ。
なんのために、あの真面目なシンドラがこんなことをしているのか。ネロの興味も更に増した。
「うーん、どっちも好きだけどなぁ。
遊んでる子かな」
ネロは、こう言えばシンドラは遊んでる子になりきるのではないか、と予想した。
もちろん、その予想は見事に命中する。
「じゃあ私、ネロの好みだ」
そう言って、シンドラは微笑んだ。
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