公爵家のだんまり令嬢(聖女)は溺愛されておりまして

茶歩

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第54話『落ちた瞬間』

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敢えて自分がタイプの女だと言ったシンドラを、ネロは可笑しそうに笑い、じっとその猫のような大きな瞳を見つめた。
シンドラはしばらくネロの甘い眼差しに耐えたが、堪らずに目を逸らしてしまった。

ネロの方が何枚も上手のようだ。


「貴方はとても遊び人でしょ?」


「俺?普通だと思うけどね」


いや、そんなわけがない。
誘い方だって、扱い方だってかなり慣れている。
シンドラがマチルダとして現れなければ、あの女性たちと今頃どんなことをしていたのか、簡単に想像できてしまう。

レオ王子を見習ってもらいたいものだ。



「誰かを好きになったことある?」


「そりゃああるよ、もちろん。
俺女の子はみんな好きだもん」



そうだろうなぁ、とシンドラは内心苦笑いだ。


「誰か1人を愛したことはないの?」


「そんなこと聞いてどうするの?」


「貴方のことが知りたいのよ」



ネロは、小さくため息を吐いた。
シンドラが何を探ろうとしているのかが分からない。


「じゃあマチルダを、今晩ゆっくり愛そうかな」


そう言って、シンドラの顎をクイっと持ち上げると、シンドラの表情はあからさまに引き攣った。



ーー無理してるなぁ、シンドラさん。



ネロが冷静にそんなことを思っていると、意を決したシンドラが、おもむろにネロの上へと跨った。


「‥随分と積極的だね」


「あら、積極的な方好きなんじゃないの?」


シンドラは一生懸命主導権を獲得しようとしているらしい。無理しているシンドラを、一瞬は気遣おうとしたネロだったが、形勢逆転するのは頂けない。


「まぁ好きだけど。
でも俺はどっちかというと、責めるのが好きなんだよね。屈服させて、辱めたい」


「ドSなのね」


「まぁ、ほんの少しね」


ネロは、自分の膝の上に跨るシンドラの腰を、両手でぎゅっと引き寄せた。
2人の間に、ほぼほぼ距離はない。


「こんなに近付かなくたっていいじゃない」


シンドラが平静を装ってそう言った。


「いいじゃん。ダメなの?」


こんな会話で生じる吐息すら、簡単に交わってしまう距離感だ。


「寂しがり屋なのね」


「はは、そうかも」


「‥でも貴方は、その先には進まないのね」


ここ最近のシンドラに対する接し方と同じだ。
近付いてくるものの、それ以上の距離を詰めるのを嫌がる。
シンドラからすれば、ずっとベタベタと近距離にいるのだから、ネロはもっと早くマチルダに手を出してくるとばかり思っていた。

ところがどうだ。
やたらと誘惑してくるような台詞や仕草を見せる癖に、キスすらしようとしてこない。



遊び慣れているはずなんじゃないの‥?
あの女性達ではなくて、マチルダを選んだくせに‥どうして手を出してこないんだろう。

そんな疑問が浮かぶ。



もちろんネロとしては、マチルダは一夜限りの相手ではなく、シンドラなのだ。お互い初対面な振りをしていても、そう簡単に手が出せるわけがない。



「どういう意味?」


先程のシンドラの問いかけの意味がよくわからなかったらしい。ネロは首を傾げた。



「私と近付きたいのか、近付きたくないのか、どっちなの?」



それは、マチルダとしてというより、シンドラとしての台詞だった。


ちょっかいを出してくるくせに、まるで嫌われたいように振る舞う。そんな、到底理解することのできないネロに対するシンドラの台詞。


ネロは、少し押し黙った。
シンドラの魂胆を、今の台詞で何となく察したのだ。


でも、あのシンドラが、そんなことを知りたくてこんな不似合いなことをしているとは到底信じられない。
きっと思い過ごしだろう、そう思うことにした。



「飲もうと言ったのはマチルダだろう?」


確かにそうだが。
それを行儀よく守る男だと思っていなかったのだ。


「本当にそれだけ?
キスすらしてこないじゃない」



お互いが触れ合う部分が熱を帯びている。
ネロの長い睫毛を全て数えられるのではないか。そう思ってしまう程の異常な距離感。

何故手を出してこないのかが純粋に疑問でそう尋ねたが、自分で言っておいて「マズイ」台詞だったと激しく後悔した。


まるで『手を出して欲しい』と言っているようだ。
こんなことを言ってしまっては、この先下手に断れば矛盾してしまう。


しかし、今更自分の人生を自分の為に生きようとは思っていないシンドラだが、こんな形で貞操を失うのはやはり避けたい。
シンドラにとっては一応大切な『ハジメテ』だが、ネロにとっては数ある夜のうちの1つ。そんなちっぽけなもので終わってしまうのだ。




そんな後悔と不安をよそに、ネロはシンドラの前髪を指で掻き分けて、優しく額にキスをした。
柔らかい唇の感触が、シンドラを襲う。まるで電気がピリッと走ったかのような感覚に、シンドラはついに襲われてしまうのだと目をぎゅっと瞑った。





「‥無理はしないほうがいい。
君は本当は遊び慣れてないでしょ」


そう言うと、シンドラを両脇から軽々と抱え上げ、元の場所へと座らせた。



「‥‥」







ーーーーーやばい。




何かが突然、心臓からズドンと落ちてしまったような気がした。
心の何処かに引っかかっていた何かが、完全に。


キスをされた額を片手で触り、ただただ一点を見つめた。



ネロの顔が見れない。


心臓も、突然煩いほどに音を立て始めた。





手を出す気がないうえで、あの台詞を言ったのだと察した途端、これだ。


シンドラは、自分の気持ちが全く分からなかった。
まるで、これは‥

いや、まさかあのネロを好きになるわけがない。天と地がひっくり返ったって、それは無い‥‥はず。




突然静かになったシンドラの顔を、ネロは不思議そうに覗き込んだ。



懸命に両手で顔を隠すが、その手の隙間から真っ赤に染まった肌が見えている。



「‥‥え?」


ネロも思わずそんな声を出した。


「ち、ちがうの」




女の子に対してなら誰にでも、簡単に手を出すと思ってたから。
ギャップにやられただけで別に惚れたわけじゃ‥いや、でも、どうしよう。胸が苦しすぎる。


ーーーと、ここでシンドラはあることに気が付いた。



今はマチルダの格好をしてるんだから、惚れたって何したって関係ない!と。
シンドラに戻った時に、冷静さを取り戻せば何ら問題はない。


 

「‥大丈夫?」


ネロが、少し気まずそうにシンドラに尋ねた。
シンドラが自分にこんな表情をする日が来るだなんて、ネロは微塵も予想していなかったのだ。



「惚れちゃったみたい」


開き直ったら、随分と簡単に本音は零れ落ちたようだ。



「‥え?」


「すごいドキドキしてるの」


シンドラの眉は八の字に下がり、未だにネロを見ることができずに伏せ目がちだ。口元はすっかり緩んでいる。


誰がどう見ても、演技ではなく素だと分かるほど、シンドラは素直に気持ちを表していた。


マチルダの正体がバレない限り、全く問題はない。
シンドラが、人生で初めて自分だけのために素直になった瞬間だった。



「‥‥」


「好きになったみたい。駄目?」


「‥‥俺のこと騙そうとしてるでしょ」


「違うよ。初めてなの。
初めてだからよく分からないんだけど‥
たぶんこれ、恋だと思う」



ネロもまた、シンドラと同様に顔を手で隠して、ため息を吐いた。


こんな展開、予想外にも程がある。





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