公爵家のだんまり令嬢(聖女)は溺愛されておりまして

茶歩

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第69話『弟』

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大切な仲間との再会も束の間、ネロはユーリのただならぬ様子に、言葉には言い表せない漠然とした不安を抱いた。


「え、なにユーリ。
まさかの知り合いなの?」


そわそわと体の端から冷たくなっていく。
だが、ネロにはその理由がわからない。懸命に通常通りの軽いノリを演じるものの、何故か責めているような態度を隠しきれない。


「おまえ‥‥キリスか?」


ユーリの言葉に、ネロは唇を固く結んだ。


昔、ネロと同じ歳の弟がいたことを聞かされていた。
その弟は、若くして亡くなったと。

弟の名前は聞いたことがないが、ネロとユーリが出会った日、ユーリはなかなか名を名乗らなかったネロに対し『キリス』と仮名を付けようとした。


弟の名を聞いたことがなくても、それだけで。
それだけで、敵として立つこの男がユーリの実の弟であるといとも簡単に想像できてしまう。


「‥‥俺がわかるのか」


キリスはがくっと膝から崩れ落ちた。
幼かったキリスと、当時もう青年だったユーリ。ユーリの顔付きはそうそう変わらないが、ユーリと離れてから思春期を迎えて大人びたキリスは、もちろん当時の子どもの頃の見た目とは随分と変わっている。

それを、一目見ただけでユーリは見抜いてしまった。



キリスは、まるで一気に戦意を喪失したかのように、ユーリを見上げる。


「俺は‥‥俺の今までは何だったんだ‥」


「キリス、まさか本当にキリスなのか‥。
俺は、てっきりお前が死んだのかと‥」


ユーリは言葉に詰まったように、キリスの目の前で腰を下ろし、キリスの頬に手を当てた。


「元気にやってたのか?
辛い思いはしてなかったか‥?」


「っ‥‥」


「キリス‥?」


キリスがユーリから目を逸らして俯くと、地面にはぼたぼたっと涙が零れ落ちた。


「キリス様‥?!」


あまりの出来事に、ルージュが一歩二歩と後退りをしている。キリスの目から涙が溢れるなど、ルージュにとっては青天の霹靂でしかなかったのだ。


「俺は‥貴方の仇を討つことだけが生きる希望だった。
死んだって聞かされたから‥ノートリアムと契約を交わしたんだ‥。あの幼かった日から、今まで‥心を殺してっ‥。兄ちゃんっ‥‥」


闇の魔女、ノートリアム。
ユーリでさえその名は聞いたことがあった。

そのノートリアムと、キリスは契約を交わした。
自分の仇を討とうと、何も知らなかったあの幼き日に。

そして今、仲間に立ちはだかる敵として、キリスはここにいる。



「すまない‥キリス。
兄のくせに、俺はお前を全く守れていなかったな‥」


心を押し潰されながら、ユーリはキリスに想いを伝えた。
シンドラはただ、目を見張って黙りこくり、ルージュもまた事態を理解できずに口を閉ざしている。


唯一、ネロだけがこの場面をいち早く飲み込んでは、喉が焼け付くような心苦しさを抱いていた。


「ねえ‥ユーリ。
どうするつもり?」


ネロがユーリに問う。
ユーリはやっとキリスから視線を移し、ネロを見た。

その哀愁漂う表情がなにを考えているのか、そんなこと察したくもない。


「‥‥魔女との契約は絶対。そのキリスってやつは、俺らと戦わなきゃ確実に死ぬんだよ。
ユーリはどうするの。俺らの敵になるの?」


ネロにとって、ユーリはまさしく兄だった。
ユーリに救われ、ユーリに育てられここまで来たのだ。

ユーリの優しさは本物だった。

だが少なくとも、ユーリはネロにキリスを重ねていた。それが今、ネロの心を途方もなく苦しませる。


捨てられた子どもが親を憎む瞳のように、ネロの眼光は鋭かった。


「敵になるのなら、いくらユーリでも容赦はしない」


心が荒んで仕方がない。
ユーリにとって苦渋の決断でしかないことはわかってる。

だけど、本当の弟と感動の再会を果たしたユーリが、すぐさまキリスを敵として討つとも思えない。
最悪、ユーリは敵になってしまうのだ。

ネロにとって、ユーリとの思い出は深い。
そして、共にレオ王子と生きていくことを選んでからは、同じ目標を追って生きてきた。

だけど自信がないのだ。

ユーリが弟を捨てて、自分たちの元に戻ってきてくれる自信が。


「‥そうだな。俺は、レオやお前たちを裏切ることはしたくないよ」


ユーリが小さく笑った。思わずネロが目を見開く。


「じゃあ‥!」


「だが、最後くらいは兄でいたい」


「‥‥え?」


ネロの指先が、体が。
またもや熱を失い冷たくなっていく。


キリスが胸を押さえて苦しそうに唸り声を上げ始めると、ユーリはキリスの肩をそっと優しく抱いた。


ユーリは片方の手で何やら首から下げていたものを取り外すと、シンドラにそれを投げた。


「その懐中時計は、もう1人の大切な弟から貰った宝物なんだ。‥シンドラ、ネロを‥弟を頼んだぞ」


「ユ、ユーリさんっ!!」


「ちょっと待てよユーリ!!」


ネロがユーリに近寄ろうとするが、ユーリは片手で剣を振りかざし、ネロを遠ざける。



「ネロ、悪いな」


「嫌だっ!やめろ!!!」


ユーリが力なく笑った時、キリスの体が光った。



「兄ちゃん‥‥ありがとう」


涙を流しながら、ユーリの肩に頭を置いたキリスの表情は、村が焼けて以降初めて見せる人間味溢れるものだった。


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