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第80話 ドラゴンの峰、彼らの悩み事
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クラーケンハイムを後にしたトウマは、次の目的地である迷宮都市へと向かっていた。街道を外れ、山岳地帯の険しい道を歩いていると、空気が段々と薄くなってくる。
「うーん、だいぶ登ったな」
琥珀色の瞳で周囲を見回すと、眼下には雲海が広がっている。ここは通称「ドラゴンの峰」と呼ばれる場所で、その名の通りドラゴンたちが住んでいると言われている山だった。
「せっかくだから、ちょっと寄り道してみるか」
トウマは本来のルートから外れ、更に山の奥へと足を向けた。好奇心旺盛な性格が、またしても彼を予定外の場所へと導いている。
――――――
しばらく歩いていると、前方に巨大な洞窟の入り口が見えてきた。
「へぇ、これはでかい洞窟だな」
入り口は人間数十人が横に並んでも余裕で入れそうなほど大きく、奥からは微かに暖かい風が吹いてくる。
「中に誰かいるのか?」
トウマが洞窟に近づいた時、突然空から巨大な影が降りてきた。
「うわっ!」
慌てて身を伏せると、目の前に巨大な翼を持つ生き物が着地した。全身が深い青色の鱗に覆われ、知性的な瞳を持つその生き物は、まぎれもなくドラゴンだった。
「人間よ、何しに来た?」
ドラゴンは低い声で問いかけてきた。敵意はないようだったが、警戒心は強そうだった。
「あー、すまん。通りすがりの冒険者だ。別に悪気はねえんだが」
トウマは両手を上げて、敵意がないことを示した。
「冒険者……か。この山に来る人間は珍しいな」
ドラゴンは首を傾げた。
「俺はトウマだ。お前さんは?」
「私はアルティス。この山の長老の一人だ」
「長老? ってことは、やっぱり他にもドラゴンがいるのか?」
「ああ、この山には我々の一族が住んでいる」
アルティスは振り返って洞窟を見た。
「そうか、邪魔して悪かったな。あんた達の噂を聞いてたんで、ちょっと寄らせてもらっただけなんだ。敵対するつもりは無いから、迷惑なら俺はこれで……」
トウマが立ち去ろうとした時、アルティスが声をかけた。
「待て、人間よ。できれば、お前の力を借りたいことがある」
「俺の力を?」
「そうだ。実はいま、我らは少々問題を抱えていてな」
アルティスの表情が困ったように曇った。
「問題?どんな問題だ?」
「まずは中に入ってもらった方が早いだろう。他の者たちにも会ってもらいたい」
トウマは少し考えた後、頷いた。ドラゴンが人間に頼みたい問題とはどんなものなのか興味が湧いたのだ。
「分かった。話だけでも聞いてみよう」
――――――
洞窟の中は予想以上に広く、天井も高い。奥へ進むにつれて、複数のドラゴンたちの気配を感じ取ることができた。
「ほお、人間が来るとは珍しいな」
「本当に小さいのう」
「だが、内に秘める魔力はかなりのものだ。ただの人間ではなさそうだな」
洞窟の奥で、数匹のドラゴンたちがトウマを見つめていた。皆、アルティスと同じように知性的な瞳を持ち、敵意はないようだった。
「皆、紹介しよう。こちらは冒険者のトウマだ」
アルティスがトウマを紹介すると、ドラゴンたちは興味深そうに見つめてきた。
「トウマだ。よろしく」
トウマは軽く手を上げて挨拶した。
「さて。それで、問題っていうのは?」
「うむ。実は……」
アルティスは言いにくそうに口を開いた。
「我々の一族の中に若い者が一匹いるのだが……その者が少し前に人間の街に降りて行ってしまってな」
「人間の街に?」
「ああ。スイリーゼという名の若い雌だ。好奇心旺盛で、人間の世界に興味を持っていたのだが……」
そこまで言うとアルティスは深い溜息をついた。
「まさか、街で暴れてるとか?」
「いや、そうではない。むしろ逆だ」
「逆?」
「うむ。スイリーゼは人間に変身する術を覚えて、街の中で人間として生活しているようなのだ」
アルティスの返答に、トウマは眉をひそめた。確かに人間の街にドラゴンの娘が隠れ住んでいるというのは特殊な状況ではあるが、話しぶりからしてバレているわけでもなさそうだ。
「それの何が問題なんだ?」
「問題はの……彼女が人間の世界に馴染みすぎて、ドラゴンとして生きることを拒否していることなのだ」
アルティスの声には深い悲しみが込められていた。
「我々が呼びかけても、もう応えてくれない。このままでは、一族から完全に離れてしまうかもしれん」
「なるほど……」
トウマは状況を理解した。確かに一族にとっては重要な問題なのだろう。
「それで、俺に何をしてもらいたいんだ?」
「彼女に近づき、話を聞いてもらいたい。我々では街に入ることができないからな」
「なぜ俺に頼むんだ?他にも近くを訪れた人間はいたと思うが」
「これは我らにとって大事な問題だ。頼むのであれば信用に足る人間でなければならぬ。我らに敵意を持つものや、我らを恐れるような人間には頼めぬことだ。お前はそのどちらでもなかった。そして、これまでの話でその誠実さも感じ取れたからだ」
アルティスは真剣な表情でトウマを見つめた。
「そうか……」
トウマは少し考えた。確かに、ドラゴンたちが街に入るのは難しいだろう。それにここまで言って貰えたのだ。できれば、彼らの助けになりたかった。
「分かった。やってみよう」
「本当か!感謝するぞ、トウマよ」
アルティスの表情が明るくなった。
「ただし、無理強いはしないぞ。最終的には本人が決めることだからな」
「それで構わない。ただ、我らの気持ちを伝えてもらえれば」
「分かった、任せてくれ」
トウマは力強く頷いた。
――――――
「スイリーゼがいるのは、この山の麓にある『風の谷』という街だ」
アルティスが地図を広げながら説明した。
「人間の姿をした時の特徴を教えてもらえるか?」
「そうだな……髪は銀色で、瞳は青い。年の頃は人間で言うなら二十歳くらいに見えるはずだ」
「銀髪に青い瞳か。分かった」
トウマは特徴を頭に叩き込んだ。
「それから、これを持っていってくれ」
アルティスが差し出したのは、美しい青い石だった。
「これは?」
「我々ドラゴンの一族の証だ。これを見れば、スイリーゼも我々からの使者だと分かるだろう」
「なるほど。それは助かる」
トウマは石を受け取った。手に取ると、微かに暖かい感触があった。
「それじゃあ、行ってくる」
「頼んだぞ、トウマ」
――――――
風の谷町は、山の麓にある小さな街だった。商業が盛んで、多くの商人や旅人が行き交っている。
「さて、どこにいるかな」
トウマは街の中を歩き回りながら、銀髪の女性を探した。しかし、なかなか見つからない。
「酒場で情報収集するか」
街の中心部にある酒場に入ると、昼間だというのに多くの客で賑わっていた。
「すまん、マスター」
カウンターに座ったトウマは、店主に声をかけた。
「いらっしゃい。何にしますか?」
「とりあえずエールを一杯。それから、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「この街に、銀髪で青い瞳の女性がいないか? 年は二十歳くらいの」
店主は少し考えた後、思い当たったのか頷きながら答えた。
「ああ、スイリーゼさんのことですね」
「スイリーゼ?」
アルティスから聞いた通りの名前だ。偽名を使ったりはしていないらしい。
「ええ、最近この街に来た方です。とても美人で、街の男性陣の間でも評判なんですよ」
「そうか。その人はどこにいるんだ?」
「確か、街の外れにある花屋で働いているはずです」
「花屋?」
「『花の香り』という店です。街の東側にありますよ」
「ありがとう」
トウマはエールを飲み干すと、急いで店を出た。
――――――
「花の香り」は、その名の通り花の香りが漂う小さな店だった。店の前には色とりどりの花が並び、見ているだけで心が和む。
「いらっしゃいませ」
店の奥から声が聞こえ、一人の女性が現れた。銀色の髪と青い瞳、そして整った顔立ち。間違いなく、探していた人物だった。
「悪い、客じゃないんだが、もしかしてあんたがスイリーゼか?」
「はい、そうですが……」
スイリーゼは不思議そうにトウマを見つめた。
「俺はトウマ、冒険者をやってる。それで、ちょっとあんたに話があるんだが」
「冒険者の方が、私に?」
「ああ、大事な話なんだ。これを……」
トウマは青い石を取り出して見せると、スイリーゼの表情が変わった。明らかに動揺しているのが分かる。
「それは……それを、どこで?」
「アルティスから預かった」
「アルティス……」
その名を呟いたスイリーゼの瞳に涙が浮かんだ。
「あの人が、私を……」
「あぁ、今も心配してるぞ。お前のことをな」
「そうですか。ですが、私は……」
そこまで言うと、スイリーゼは俯いてしまった。
「話を聞かせてくれないか? なぜ山を降りたんだ?」
スイリーゼは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「私は、人間の世界が羨ましかったんです」
「羨ましい?」
「ドラゴンは確かに強くて、長生きです。でも、人間のように他の種族と交流することはありません」
そう話すスイリーゼの声は震えていた。
「人間は短い生命の中で、たくさんの人と出会い、愛し合い、家族を作る。私には、それがとても美しく見えたんです」
「なるほど」
「だから、人間の姿になって、実際にこの街で暮らし始めたんです」
「それで、どうだった?」
「とても楽しかったです。人間の皆さんは優しくて、私を受け入れてくれました」
スイリーゼの表情が明るくなった。この街での生活を本当に楽しんでいるのが伝わってくる。
「だから、私はこのまま人として生きていきたいと考えています」
彼女の話を聞き終え、トウマは深く頷いた。
「そうか。あんたがそう決めたのなら、俺はそれを止める気はない。ただ、山にいる皆は、お前のことを本当に心配してる」
「……」
「だから、もう一度、彼らに会いに行ってもらえないか?」
トウマは真剣な表情でスイリーゼを見つめる。
「別に戻ってこいって言ってるわけじゃない。ただ、お前の気持ちを直接聞かせてほしいんだ」
「でも、私は……」
「お前がここで幸せに暮らしてるなら、きっと皆も安心する。それにお前の真剣な気持ちを伝えれば、彼らもきっと理解してくれるはずだ」
トウマの提案に、スイリーゼは長い間考えていた。トウマが静かに彼女の決断を待っていると、やがて彼女は顔を上げた。
「分かりました。もう一度だけ、会いに行きます」
「本当か?」
「はい。トウマさんの言う通りです。私の気持ちを、ちゃんと伝えるべきでした」
そう答えるスイリーゼの表情は、決意に満ちていた。
「よし、じゃあ一緒に山に登るか」
「はい」
――――――
夕方、トウマとスイリーゼは山の中腹にある洞窟に到着した。
「スイリーゼ!」
アルティスが真っ先に駆け寄ってきた。
「アルティス……」
「無事だったか。心配したぞ」
アルティスの瞳には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい。何も言わずに出て行ってしまって」
「いや、謝ることはない。我らも考えを押し付けてしまっていた」
「皆さん、聞いてください」
スイリーゼは洞窟にいる全てのドラゴンたちに向かって話し始めた。
「私は、人間として生きることを選びました」
静寂が洞窟を包んだ。
「でも、皆さんのことを忘れるわけではありません。いつまでも、私の大切な家族です」
「スイリーゼ……」
「だから、許して貰えるのなら、時々は山に帰ってきます。皆さんに会いに」
「本当か?」
「はい。私、人間として生きることとドラゴンとしての誇りを持つことは、両立できると思うんです」
スイリーゼの言葉に、ドラゴンたちは深く頷いた。
「そうか。お前がそれで幸せなら、我々も嬉しい」
そう答えると、アルティスはスイリーゼに優しく微笑んだ。
「ありがとう、アルティス」
「トウマ、お前のおかげだ。本当にありがとう」
アルティスはトウマに深く頭を下げた。
「いや、俺は何もしてないさ。スイリーゼが自分で決めたことだからな」
「そうかもしれない。だが、お前がいなければこのような結果にはならなかった」
「まぁ、そうかもな。役に立てたようで良かったよ」
――――――
翌朝、トウマは山を下りる準備をしていた。ドラゴンたちの問題も解決したし、そろそろ予定していた街への旅を再開するためだ。
「本当にもう行ってしまうのか?」
「ああ、良い経験をさせて貰ったが、一か所に留まるのは性に合わないんでな」
「そうか……」
「だけど、また通りかかったら寄らせて貰うよ」
「うむ。その時を楽しみにしている」
「スイリーゼも、元気でな」
「はい、トウマさんもお気をつけて」
スイリーゼは深々と頭を下げた。
「じゃあ、またな」
トウマは手を振ると、再び山道を歩き始めた。
――――――
山を下りながら、トウマは今回の出来事を振り返っていた。スイリーゼが自分の気持ちを伝えることができ、ドラゴンたちも彼女の選択を受け入れた。誰も傷つくことなく、問題が解決した形だった。
「まぁ、良い結果になったな。さて、次の街まではあと二日ってところか」
そう呟きながらトウマは前方に広がる景色を見つめた。まだまだ道のりは長いが、それもまた楽しみの一つだった。
「うーん、だいぶ登ったな」
琥珀色の瞳で周囲を見回すと、眼下には雲海が広がっている。ここは通称「ドラゴンの峰」と呼ばれる場所で、その名の通りドラゴンたちが住んでいると言われている山だった。
「せっかくだから、ちょっと寄り道してみるか」
トウマは本来のルートから外れ、更に山の奥へと足を向けた。好奇心旺盛な性格が、またしても彼を予定外の場所へと導いている。
――――――
しばらく歩いていると、前方に巨大な洞窟の入り口が見えてきた。
「へぇ、これはでかい洞窟だな」
入り口は人間数十人が横に並んでも余裕で入れそうなほど大きく、奥からは微かに暖かい風が吹いてくる。
「中に誰かいるのか?」
トウマが洞窟に近づいた時、突然空から巨大な影が降りてきた。
「うわっ!」
慌てて身を伏せると、目の前に巨大な翼を持つ生き物が着地した。全身が深い青色の鱗に覆われ、知性的な瞳を持つその生き物は、まぎれもなくドラゴンだった。
「人間よ、何しに来た?」
ドラゴンは低い声で問いかけてきた。敵意はないようだったが、警戒心は強そうだった。
「あー、すまん。通りすがりの冒険者だ。別に悪気はねえんだが」
トウマは両手を上げて、敵意がないことを示した。
「冒険者……か。この山に来る人間は珍しいな」
ドラゴンは首を傾げた。
「俺はトウマだ。お前さんは?」
「私はアルティス。この山の長老の一人だ」
「長老? ってことは、やっぱり他にもドラゴンがいるのか?」
「ああ、この山には我々の一族が住んでいる」
アルティスは振り返って洞窟を見た。
「そうか、邪魔して悪かったな。あんた達の噂を聞いてたんで、ちょっと寄らせてもらっただけなんだ。敵対するつもりは無いから、迷惑なら俺はこれで……」
トウマが立ち去ろうとした時、アルティスが声をかけた。
「待て、人間よ。できれば、お前の力を借りたいことがある」
「俺の力を?」
「そうだ。実はいま、我らは少々問題を抱えていてな」
アルティスの表情が困ったように曇った。
「問題?どんな問題だ?」
「まずは中に入ってもらった方が早いだろう。他の者たちにも会ってもらいたい」
トウマは少し考えた後、頷いた。ドラゴンが人間に頼みたい問題とはどんなものなのか興味が湧いたのだ。
「分かった。話だけでも聞いてみよう」
――――――
洞窟の中は予想以上に広く、天井も高い。奥へ進むにつれて、複数のドラゴンたちの気配を感じ取ることができた。
「ほお、人間が来るとは珍しいな」
「本当に小さいのう」
「だが、内に秘める魔力はかなりのものだ。ただの人間ではなさそうだな」
洞窟の奥で、数匹のドラゴンたちがトウマを見つめていた。皆、アルティスと同じように知性的な瞳を持ち、敵意はないようだった。
「皆、紹介しよう。こちらは冒険者のトウマだ」
アルティスがトウマを紹介すると、ドラゴンたちは興味深そうに見つめてきた。
「トウマだ。よろしく」
トウマは軽く手を上げて挨拶した。
「さて。それで、問題っていうのは?」
「うむ。実は……」
アルティスは言いにくそうに口を開いた。
「我々の一族の中に若い者が一匹いるのだが……その者が少し前に人間の街に降りて行ってしまってな」
「人間の街に?」
「ああ。スイリーゼという名の若い雌だ。好奇心旺盛で、人間の世界に興味を持っていたのだが……」
そこまで言うとアルティスは深い溜息をついた。
「まさか、街で暴れてるとか?」
「いや、そうではない。むしろ逆だ」
「逆?」
「うむ。スイリーゼは人間に変身する術を覚えて、街の中で人間として生活しているようなのだ」
アルティスの返答に、トウマは眉をひそめた。確かに人間の街にドラゴンの娘が隠れ住んでいるというのは特殊な状況ではあるが、話しぶりからしてバレているわけでもなさそうだ。
「それの何が問題なんだ?」
「問題はの……彼女が人間の世界に馴染みすぎて、ドラゴンとして生きることを拒否していることなのだ」
アルティスの声には深い悲しみが込められていた。
「我々が呼びかけても、もう応えてくれない。このままでは、一族から完全に離れてしまうかもしれん」
「なるほど……」
トウマは状況を理解した。確かに一族にとっては重要な問題なのだろう。
「それで、俺に何をしてもらいたいんだ?」
「彼女に近づき、話を聞いてもらいたい。我々では街に入ることができないからな」
「なぜ俺に頼むんだ?他にも近くを訪れた人間はいたと思うが」
「これは我らにとって大事な問題だ。頼むのであれば信用に足る人間でなければならぬ。我らに敵意を持つものや、我らを恐れるような人間には頼めぬことだ。お前はそのどちらでもなかった。そして、これまでの話でその誠実さも感じ取れたからだ」
アルティスは真剣な表情でトウマを見つめた。
「そうか……」
トウマは少し考えた。確かに、ドラゴンたちが街に入るのは難しいだろう。それにここまで言って貰えたのだ。できれば、彼らの助けになりたかった。
「分かった。やってみよう」
「本当か!感謝するぞ、トウマよ」
アルティスの表情が明るくなった。
「ただし、無理強いはしないぞ。最終的には本人が決めることだからな」
「それで構わない。ただ、我らの気持ちを伝えてもらえれば」
「分かった、任せてくれ」
トウマは力強く頷いた。
――――――
「スイリーゼがいるのは、この山の麓にある『風の谷』という街だ」
アルティスが地図を広げながら説明した。
「人間の姿をした時の特徴を教えてもらえるか?」
「そうだな……髪は銀色で、瞳は青い。年の頃は人間で言うなら二十歳くらいに見えるはずだ」
「銀髪に青い瞳か。分かった」
トウマは特徴を頭に叩き込んだ。
「それから、これを持っていってくれ」
アルティスが差し出したのは、美しい青い石だった。
「これは?」
「我々ドラゴンの一族の証だ。これを見れば、スイリーゼも我々からの使者だと分かるだろう」
「なるほど。それは助かる」
トウマは石を受け取った。手に取ると、微かに暖かい感触があった。
「それじゃあ、行ってくる」
「頼んだぞ、トウマ」
――――――
風の谷町は、山の麓にある小さな街だった。商業が盛んで、多くの商人や旅人が行き交っている。
「さて、どこにいるかな」
トウマは街の中を歩き回りながら、銀髪の女性を探した。しかし、なかなか見つからない。
「酒場で情報収集するか」
街の中心部にある酒場に入ると、昼間だというのに多くの客で賑わっていた。
「すまん、マスター」
カウンターに座ったトウマは、店主に声をかけた。
「いらっしゃい。何にしますか?」
「とりあえずエールを一杯。それから、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何でしょう?」
「この街に、銀髪で青い瞳の女性がいないか? 年は二十歳くらいの」
店主は少し考えた後、思い当たったのか頷きながら答えた。
「ああ、スイリーゼさんのことですね」
「スイリーゼ?」
アルティスから聞いた通りの名前だ。偽名を使ったりはしていないらしい。
「ええ、最近この街に来た方です。とても美人で、街の男性陣の間でも評判なんですよ」
「そうか。その人はどこにいるんだ?」
「確か、街の外れにある花屋で働いているはずです」
「花屋?」
「『花の香り』という店です。街の東側にありますよ」
「ありがとう」
トウマはエールを飲み干すと、急いで店を出た。
――――――
「花の香り」は、その名の通り花の香りが漂う小さな店だった。店の前には色とりどりの花が並び、見ているだけで心が和む。
「いらっしゃいませ」
店の奥から声が聞こえ、一人の女性が現れた。銀色の髪と青い瞳、そして整った顔立ち。間違いなく、探していた人物だった。
「悪い、客じゃないんだが、もしかしてあんたがスイリーゼか?」
「はい、そうですが……」
スイリーゼは不思議そうにトウマを見つめた。
「俺はトウマ、冒険者をやってる。それで、ちょっとあんたに話があるんだが」
「冒険者の方が、私に?」
「ああ、大事な話なんだ。これを……」
トウマは青い石を取り出して見せると、スイリーゼの表情が変わった。明らかに動揺しているのが分かる。
「それは……それを、どこで?」
「アルティスから預かった」
「アルティス……」
その名を呟いたスイリーゼの瞳に涙が浮かんだ。
「あの人が、私を……」
「あぁ、今も心配してるぞ。お前のことをな」
「そうですか。ですが、私は……」
そこまで言うと、スイリーゼは俯いてしまった。
「話を聞かせてくれないか? なぜ山を降りたんだ?」
スイリーゼは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「私は、人間の世界が羨ましかったんです」
「羨ましい?」
「ドラゴンは確かに強くて、長生きです。でも、人間のように他の種族と交流することはありません」
そう話すスイリーゼの声は震えていた。
「人間は短い生命の中で、たくさんの人と出会い、愛し合い、家族を作る。私には、それがとても美しく見えたんです」
「なるほど」
「だから、人間の姿になって、実際にこの街で暮らし始めたんです」
「それで、どうだった?」
「とても楽しかったです。人間の皆さんは優しくて、私を受け入れてくれました」
スイリーゼの表情が明るくなった。この街での生活を本当に楽しんでいるのが伝わってくる。
「だから、私はこのまま人として生きていきたいと考えています」
彼女の話を聞き終え、トウマは深く頷いた。
「そうか。あんたがそう決めたのなら、俺はそれを止める気はない。ただ、山にいる皆は、お前のことを本当に心配してる」
「……」
「だから、もう一度、彼らに会いに行ってもらえないか?」
トウマは真剣な表情でスイリーゼを見つめる。
「別に戻ってこいって言ってるわけじゃない。ただ、お前の気持ちを直接聞かせてほしいんだ」
「でも、私は……」
「お前がここで幸せに暮らしてるなら、きっと皆も安心する。それにお前の真剣な気持ちを伝えれば、彼らもきっと理解してくれるはずだ」
トウマの提案に、スイリーゼは長い間考えていた。トウマが静かに彼女の決断を待っていると、やがて彼女は顔を上げた。
「分かりました。もう一度だけ、会いに行きます」
「本当か?」
「はい。トウマさんの言う通りです。私の気持ちを、ちゃんと伝えるべきでした」
そう答えるスイリーゼの表情は、決意に満ちていた。
「よし、じゃあ一緒に山に登るか」
「はい」
――――――
夕方、トウマとスイリーゼは山の中腹にある洞窟に到着した。
「スイリーゼ!」
アルティスが真っ先に駆け寄ってきた。
「アルティス……」
「無事だったか。心配したぞ」
アルティスの瞳には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい。何も言わずに出て行ってしまって」
「いや、謝ることはない。我らも考えを押し付けてしまっていた」
「皆さん、聞いてください」
スイリーゼは洞窟にいる全てのドラゴンたちに向かって話し始めた。
「私は、人間として生きることを選びました」
静寂が洞窟を包んだ。
「でも、皆さんのことを忘れるわけではありません。いつまでも、私の大切な家族です」
「スイリーゼ……」
「だから、許して貰えるのなら、時々は山に帰ってきます。皆さんに会いに」
「本当か?」
「はい。私、人間として生きることとドラゴンとしての誇りを持つことは、両立できると思うんです」
スイリーゼの言葉に、ドラゴンたちは深く頷いた。
「そうか。お前がそれで幸せなら、我々も嬉しい」
そう答えると、アルティスはスイリーゼに優しく微笑んだ。
「ありがとう、アルティス」
「トウマ、お前のおかげだ。本当にありがとう」
アルティスはトウマに深く頭を下げた。
「いや、俺は何もしてないさ。スイリーゼが自分で決めたことだからな」
「そうかもしれない。だが、お前がいなければこのような結果にはならなかった」
「まぁ、そうかもな。役に立てたようで良かったよ」
――――――
翌朝、トウマは山を下りる準備をしていた。ドラゴンたちの問題も解決したし、そろそろ予定していた街への旅を再開するためだ。
「本当にもう行ってしまうのか?」
「ああ、良い経験をさせて貰ったが、一か所に留まるのは性に合わないんでな」
「そうか……」
「だけど、また通りかかったら寄らせて貰うよ」
「うむ。その時を楽しみにしている」
「スイリーゼも、元気でな」
「はい、トウマさんもお気をつけて」
スイリーゼは深々と頭を下げた。
「じゃあ、またな」
トウマは手を振ると、再び山道を歩き始めた。
――――――
山を下りながら、トウマは今回の出来事を振り返っていた。スイリーゼが自分の気持ちを伝えることができ、ドラゴンたちも彼女の選択を受け入れた。誰も傷つくことなく、問題が解決した形だった。
「まぁ、良い結果になったな。さて、次の街まではあと二日ってところか」
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俺、黒田 蓮(くろだ れん)35歳は前世でブラック企業の社畜だった。過労死寸前で倒れ、次に目覚めたとき、そこは剣と魔法の異世界。しかも、幼少期の俺は、とある大貴族の私生児、アレン・クロイツェルとして生まれ変わっていた。
前世の記憶と、この世界では「外れスキル」とされる『万物鑑定』と『薬草栽培(ハイレベル)』。そして、誰にも知られていない規格外の莫大な魔力を持っていた。
しかし、俺は決意する。「今世こそ、誰にも邪魔されない、のんびりしたスローライフを送る!」と。
これは、スローライフを死守したい天才薬師のアレンと、彼の作る規格外の薬に振り回される異世界の物語。
平穏を愛する(自称)凡人薬師の、のんびりだけど実は波乱万丈な辺境スローライフファンタジー。
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