十人十色の恋愛模様

黒蓬

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無口な彼女と窓際の席

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教室の窓際の席。それは主人公の特等席ではなく、単なる学校生活の一角に過ぎなかった。少なくとも高校二年生の篠原真也にとっては。

「篠原、また寝てるのか」

クラス委員長の鋭い声に、私は半ば開いた目を完全に開けた。窓から差し込む日差しが、まぶしくて少し目を細める。

「すみません…今起きました」

自分でも情けない返事をしながら、姿勢を正す。周りからは小さな笑い声が聞こえてきた。もう慣れたけど。

「もう、何回目?授業中に寝るのはやめなさいよ」

朝比奈レイカ、クラスの委員長で優等生。彼女の叱責の声は教室の隅々まで響き渡るほど通っている。

「はい…気をつけます」

私は素直に謝った。反論する気力もない。だって、昨晩も深夜までバイトをしていたから。

――――――――――――――――――――――――

授業が終わり、放課後の準備をしていると、隣の席から小さな声が聞こえてきた。

「…ノート、貸してあげる」

振り向くと、クラスで一番目立たない存在、葉山カスミが私を見ていた。彼女は転校してきて一ヶ月ほど。クラスの誰とも積極的に話さず、授業中もほとんど発言しない。だからこそ、彼女から声をかけられたことに驚いた。

「え?あ、ありがとう…でも、なんで?」

カスミは無表情のまま、きちんと整理されたノートを差し出した。

「寝てたから…」

短い言葉だけを残して、彼女は自分の荷物をカバンに入れ始めた。彼女のノートは驚くほど丁寧で、カラフルなペンで重要なポイントが整理されていた。私が寝ている間の授業内容がすべて完璧に記録されている。

「これ、すごいな…ありがとう、助かる」

礼を言うと、カスミはわずかに顔を赤らめて、小さく頷いただけだった。

――――――――――――――――――――――――

その日から、不思議な関係が始まった。私が授業中に居眠りすると、決まってカスミがノートを貸してくれる。彼女との会話は最小限で、お互いの個人的なことには触れなかったが、徐々に心地よい緊張感が生まれていった。

ある日、いつものように彼女がノートを差し出したとき、私は勇気を出して聞いてみた。

「どうして、いつも手伝ってくれるの?」

カスミは少し驚いたような表情を見せた後、目線を落として答えた。

「篠原くんは…疲れてるから」

その一言で、私は胸が締め付けられるような感覚になった。誰にも気づかれていないと思っていた自分の状況を、この無口な女の子は見透かしていたのだ。

「バイトが忙しいの?」

彼女の質問に、私は素直に答えた。

「うん、父親が病気で…家計を助けないといけなくて」

その瞬間、思いがけず自分の胸の内を打ち明けていた。普段は誰にも話さないことを。

カスミは黙ってうなずき、「大変だね」とだけ言った。しかし、その短い言葉に彼女の温かさを感じた気がした。

放課後、カフェでバイトを始める前に、彼女からのノートをコピーしようと図書室に向かった。静かな図書室で作業をしていると、予想外の人物が現れた。

「へえ、篠原くんが図書室に来るなんて珍しいね」

朝比奈レイカだ。彼女は図書委員でもあるらしい。

「ノートをコピーしてるだけだよ」

私は素っ気なく答えた。クラス委員長には良い印象を持っていない。いつも上から目線で人を評価しているように感じるから。

「それって…葉山さんのノート?」

鋭い指摘に、思わず顔を上げた。

「なんで分かったの?」

レイカは少し不機嫌そうな表情を浮かべた。

「あの子のノートは有名だよ。整理がすごく上手で。でも、なんでそれを持ってるの?」

「貸してくれたんだ」

「へえ…あの子が?珍しいね」

レイカの言葉には、明らかな嫉妬の色が混じっていた。私はそれを無視して作業を続けた。

――――――――――――――――――――――――

次の日、教室に入るとカスミの席が空いていた。心配になって周りのクラスメイトに聞くと、風邪で休んでいるらしい。

「葉山さん、休みか…」

私は少し寂しさを感じた。彼女のノートをお借りしたままだったことを思い出し、放課後に彼女の家に届けようと決めた。保健室で住所を教えてもらい、バイトの前に寄ることにした。

カスミの家は学校から歩いて15分ほどの場所にあった。インターホンを押すと、しばらくして弱々しい声で応答があった。

「どちら様ですか…」

「篠原です。クラスメイトの。ノートを返しに来ました」

少し間があって、ドアが開いた。マスクをしたカスミが立っていた。明らかに体調が悪そうだ。

「具合悪そうだね…大丈夫?」

「うん…ありがとう」

彼女はノートを受け取ろうとしたが、その手が震えているのが見えた。

「熱あるの?」

「少し…」

彼女の返事に、私は思わず心配になった。

「家に誰かいる?」

カスミは首を横に振った。

「一人暮らし…だから」

その言葉に驚いた。高校生で一人暮らしとは珍しい。

「じゃあ、薬とか買ってきた方がいいんじゃない?」

彼女は少し迷ったような表情を見せたが、小さく頷いた。

「待っててね、すぐ戻るから」

――――――――――――――――――――――――

近くのドラッグストアで解熱剤とスポーツドリンク、それから簡単に食べられるおかゆを買って戻った。カスミは驚いた表情で私を見つめていた。

「こんなにたくさん…ありがとう」

「当たり前だよ。一人で具合悪いのは辛いでしょ」

私は台所を借りて、温かいおかゆを用意した。父親の看病で身についた技術だ。カスミはベッドに座り、恥ずかしそうに私の行動を見つめていた。

「いつも…一人だから、こんな風に誰かが世話してくれるの久しぶりで…」

その言葉に、私は彼女の孤独を感じた。

「両親は?」

「海外に…仕事で」

短い返事だったが、その背後にある寂しさを感じ取ることができた。

「そっか…なんか、お互い似てるね」

おかゆを彼女に渡しながら言った。

「どういう意味?」

「俺も実質的に一人みたいなもんだから。父親は入院中で、母親は…いないし」

カスミは黙って私の話を聞いていた。その瞳には理解と共感の色が浮かんでいるようだった。

「だから、ノートを貸してくれて本当に助かったんだ。あれがないと、テスト前にパニックになってたと思う」

彼女は小さく微笑んだ。初めて見る彼女の笑顔に、私の心臓が妙な動きをした。

「篠原くんは…頑張り屋さんだね」

「そんなことないよ。授業中、いつも寝てるのに」

「それは…理由があるから。バイトも、お父さんのためにしてるんでしょ?」

彼女の言葉に、胸が熱くなった。普段、自分のことを認めてもらえる経験があまりなかったからだ。

「カスミも頑張ってるよね。いつも完璧なノートを取って、一人暮らしもして」

会話が続くうちに、お互いの距離が縮まっていくのを感じた。

――――――――――――――――――――――――

次の日、カスミは学校に来なかった。心配になって放課後また彼女の家を訪ねると、熱が上がっていた。

「病院に行こう」

私の提案に、彼女は弱々しく抵抗した。

「大丈夫…一人で行ける…」

「無理しないで。俺が付き添うから」

結局、彼女を説得して近くの病院へ連れて行った。診察の結果、インフルエンザの疑いがあり、数日の安静が必要とのことだった。

「ごめんね…迷惑かけて」

帰り道、彼女は申し訳なさそうに言った。

「気にしないで。友達だよ、俺たち」

その言葉に、カスミの目が少し潤んだ気がした。

――――――――――――――――――――――――

数日後、彼女が学校に戻ってきた。いつもの無表情に戻っていたが、私と目が合うと小さく会釈をした。クラスの他の生徒たちは、そんな私たちの変化に気づいていなかったが、一人だけ鋭い視線を送る人物がいた。朝比奈レイカだ。

昼休み、私がカスミの席に近づくと、レイカが割り込んできた。

「篠原くん、ちょっといい?生徒会の件で相談があるんだけど」

唐突な申し出に戸惑いながらも、私はレイカについていった。

「実は、来月の文化祭の企画について意見が欲しくて…」

彼女の言葉は明らかに口実だった。話が進むにつれ、彼女の本当の意図が見えてきた。

「篠原くんって、意外と優しいんだね。葉山さんのこと、看病したって?」

その言葉に、私は驚いた。情報の回るのが早い。

「ただの友達として当然のことをしただけだよ」

「ふーん、友達ね」

レイカの声には皮肉が込められていた。

「あの子、転校してきてから誰とも親しくしてなかったから、みんな驚いてるよ。特に篠原くんみたいな人と…」

「どういう意味?」

思わず声が荒くなった。

「別に悪い意味じゃないよ。ただ、タイプが違うなって。あの子、実は頭いいし、コミュ障でもなくて。ただ自分から距離を置いてるだけなんだよね」

レイカの言葉は、私の知らないカスミの一面を示していた。

「あと、篠原くんのバイトのこと、クラスの皆知ってるよ。お父さんの病気のことも」

「なんで…」

「委員長だから、そういう情報は入ってくるの。別に悪いことじゃないでしょ?むしろ頑張ってるなって、皆思ってるよ」

レイカの言葉は意外だった。彼女のイメージが少し変わる。

「それで、お願いがあるんだけど…葉山さんのこと、もっと皆と仲良くなれるよう手伝ってくれない?あの子、篠原くんのことは信頼してるみたいだし」

予想外の提案に、私は戸惑った。

――――――――――――――――――――――――

教室に戻ると、カスミが一人で窓の外を眺めていた。私は彼女の横に座り、レイカとの会話を伝えた。

「文化祭で、みんなと一緒に何かやってみない?」

カスミは驚いたような表情を見せた後、少し考えて答えた。

「私…人と関わるの、あまり得意じゃなくて」

「でも、俺とは話せてるじゃん」

「篠原くんは…特別だから」

その言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。

「特別?」

カスミは顔を赤らめ、言葉を選ぶように話し始めた。

「篠原くんは…私のことを、変な目で見なかった。ただの『静かな子』って。それが…嬉しかった」

彼女の言葉に、何かが胸の奥で温かくなるのを感じた。

「俺も…カスミが最初に声をかけてくれたとき、嬉しかったよ」

二人の間に静かな空気が流れた。

――――――――――――――――――――――――

翌日から、カスミは少しずつクラスの活動に参加し始めた。文化祭の準備では、彼女のアイデアが採用され、クラスメイトたちも彼女の才能に気づき始めた。レイカさえも、カスミを認め始めていた。

そんな変化の中、私たちの関係も深まっていった。授業の合間や放課後、お互いの話を聞き合う時間が増えていった。彼女の家族のこと、私の父親のこと、未来の夢…少しずつお互いを知っていく過程は、新しい扉を開けるような感覚だった。

文化祭前日の放課後、最後の準備をしていると、カスミが私を呼び止めた。

「篠原くん、ちょっといい?」

彼女の表情は真剣で、少し緊張していた。

「どうしたの?」

「屋上に…行ってもいい?」

 ――――――――――――――――――――――――

夕暮れ時の屋上は誰もおらず、二人きりの空間だった。カスミは手すりに寄りかかり、言葉を探すように空を見上げていた。

「私ね、転校する前はね、全然違う人だったの」

突然の告白に、私は黙って聞き入った。

「前の学校では、人気者だったの。でも、それが苦しくて…みんなの期待に応えなきゃいけなくて、本当の自分を出せなくて」

彼女の言葉には、今まで見せなかった感情が込められていた。

「だから、転校して決めたの。もう無理して明るく振る舞わない。自分らしくいようって」

「そうだったんだ…」

「でも、そうしたら今度は『無口な子』っていうレッテルを貼られて…結局、どこに行っても『何か』にならなきゃいけないのかなって思ってた」

カスミは私の方を向いた。彼女の目には涙が浮かんでいた。

「でも、篠原くんは違った。何も求めなかった。ただそのまま受け入れてくれた」

彼女の言葉に、私は胸が締め付けられる思いだった。

「俺こそ…カスミに救われたよ。ノートを貸してくれたり、俺の事情を理解してくれたり」

お互いの視線が絡み合い、言葉にならない何かが通じ合っていた。

「私ね、篠原くんのこと…」

カスミが言いかけたとき、突然ドアが開く音がした。振り向くと、そこにはレイカが立っていた。

「あ、ごめん…邪魔した?」

明らかに意図的なタイミングだった。レイカは少し焦った表情を隠しきれていない。

「朝比奈さん…どうしたの?」

カスミが冷静に尋ねた。

「明日の最終確認があるんだけど…二人とも来てほしくて」

私たちは仕方なく屋上を後にした。階段を降りる途中、レイカが小声で私に言った。

「篠原くん、私も…話したいことがあるの。文化祭の後で」

彼女の表情は真剣で、いつもの高圧的な態度はなかった。状況が複雑になっていくのを感じた。

――――――――――――――――――――――――

文化祭当日。私たちのクラスの出し物は大成功を収めた。カスミのアイデアが功を奏し、多くの来場者から好評を得た。彼女自身も、徐々に周りのクラスメイトと打ち解け始めていた。

閉会後の片付けをしていると、カスミが近づいてきた。

「篠原くん、昨日の続き…話せる?」

その瞬間、またもレイカが割り込んできた。

「篠原くん、約束してた話、いい?」

二人の女の子の視線が私に集中した。選択を迫られている状況に、私は戸惑った。しかし、この時来た結論は意外なものだった。

「二人とも…俺が話したいことがある」

予想外の言葉に、二人は驚いた表情を見せた。

「俺、自分のことばかり考えてた。父親のこと、バイト、成績…でも、二人のおかげで変われた気がする」

私は二人の顔を見つめながら続けた。

「だから、俺も自分の気持ちに正直になりたい」

そして、私はカスミの方を向いた。

「カスミ、俺…君のことが好きだ」

教室が静まり返った。カスミの顔が真っ赤になり、レイカは唇を噛んだ。

「でも、レイカのことも大切だ。クラスのみんなのこともそう」

私は深呼吸して、自分の本当の気持ちを言葉にした。

「だから、これからもみんなと一緒にいたい。特に、カスミとは…もっと深く知り合いたい」

カスミの目に涙が浮かんだ。彼女はゆっくりと頷いた。

「私も…篠原くんのことが好き」

シンプルな告白だったが、その言葉の重みは計り知れなかった。レイカは少し寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に変えた。

「もう、何このタイミング。私の出る幕ないじゃん」

彼女は強がりながらも、二人を祝福するような笑顔を見せた。

「でも、二人とも忘れないでね。私たちはクラスメイトだから、これからもよろしくね」

レイカの言葉に、三人の間に新しい絆が生まれたことを感じた。

――――――――――――――――――――――――

夕方、片付けが終わった後、カスミと二人で校門を出た。秋の空気が二人の周りを包み、静かな時間が流れていた。

「これからどうする?」

私の質問に、カスミは少し考えてから答えた。

「一緒に…帰る?」

シンプルだけど、その言葉には大きな意味があった。これからの二人の道程を示すような。

「うん、一緒に帰ろう」

手を繋ぐことはなかったけれど、二人の間の距離は、もう以前のようではなかった。窓際の席から始まった私たちの物語は、これからも続いていく。まだ見ぬ未来へと。
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