十人十色の恋愛模様

黒蓬

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消えた片思い、零れた想い

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教室の窓から差し込む柔らかな光が、机の上に置かれた英語の教科書を照らしていた。堀江美咲は溜息をついて、窓の外を見やった。校庭では体育の授業が行われており、男子生徒たちがサッカーに興じている姿が見える。その中に、一人の少年の姿を目で追った。

「佐藤くん…」

小さく呟いた声は、誰にも届かない。

クラスの中では人気者で、運動神経抜群の佐藤悠人。中学二年の秋から密かに想いを寄せる相手だ。高校に入っても同じクラスになれた喜びは大きかったが、彼との距離は一向に縮まる気配がない。

「また佐藤くんのこと見てるの?」

突然背後から声をかけられ、美咲は思わず肩を跳ねさせた。振り返ると、親友の加藤リサが意地悪そうな笑みを浮かべていた。

「も、もう、リサちゃん!びっくりするじゃない」

「だって、そんなに見つめてたら、バレちゃうよ?」

リサは椅子を引き寄せて、美咲の隣に座った。その表情は少し心配そうだ。

「でも、いつまでも黙ってても始まらないんじゃない?高校二年の夏も終わろうとしてるのに」

美咲は小さく首を振った。

「無理だよ…佐藤くんの周りにはいつも可愛い子が集まってるし、私なんて…」

「そんなことないよ!美咲は十分可愛いし、真面目だし、料理も上手いし」

リサの励ましの言葉に、美咲は弱々しく微笑んだ。自分に自信がないわけではない。ただ、佐藤くんのことになると、どうしても臆病になってしまう。

「ねえ、今度の文化祭、私たちのクラスは喫茶店をやるんでしょ?その準備で話しかけるチャンスがあるかもよ」

リサの提案に、美咲はちょっとだけ希望を持った。文化祭の準備ならば、自然に会話が生まれるかもしれない。それを考えると、胸の奥がほんの少しだけ熱くなった。

――――――――――――――――――――――――

「じゃあ、装飾担当は佐藤と…えーと、堀江さん、お願いできるかな」

放課後の教室。文化祭の打ち合わせで、クラス委員の井上が役割分担を決めていた。美咲は自分の名前と佐藤くんの名前が続けて呼ばれたことに、思わず顔を上げた。

「あ、はい!」

思わず大きな声で返事をしてしまい、クラスメイトたちから視線が集まる。頬が熱くなるのを感じながら、美咲は小さく肩をすくめた。

「了解」

佐藤くんの返事はいつもの通り、さらりとしたものだった。特別な反応はない。当然だ、彼にとって自分は「クラスメイトの一人」でしかないのだから。

「お、悠人とミサキのコンビか。いいじゃん」

クラスの人気者・高橋ケンタが意味深な口調で言った。

「なに言ってんだよ、単なる役割分担だろ」

佐藤くんは軽く肩をすくめて答えた。その言葉に、美咲の胸が少し締め付けられる感覚があった。「単なる」という言葉が、妙に心に引っかかる。

「じゃあ、各担当ごとに集まって、詳細を詰めてください。来週には企画書を提出してもらいます」

井上の言葉で、教室内が小さなグループに分かれ始めた。美咲は緊張しながら自分の席を立ち、佐藤くんの方へと向かった。

「あの、佐藤くん…」

「あ、堀江。どうする?今から話し合う?」

佐藤くんは意外にも自然に話しかけてきた。美咲は予想していなかった展開に、少し戸惑いながらも嬉しさを感じた。

「う、うん…大丈夫だよ」

「じゃあ、図書室にでも行こうか。ここだと騒がしいし」

図書室。二人きりになれる場所。美咲の心臓が早鐘を打ち始めた。

――――――――――――――――――――――――

図書室は放課後ということもあり、静かだった。一部の生徒たちが本を読んでいたり、勉強をしていたりするだけで、会話するには十分な静けさがある。

二人は窓際の机に向かい合って座った。佐藤くんはカバンから手帳を取り出し、ページをめくる。その真剣な横顔を見つめながら、美咲は自分の鼓動が静かな図書室に響いているのではないかと心配になった。

「装飾って言っても、結構範囲広いよな。エントランスから店内まで考えないといけない」

「そうだね…あの、私、去年の文化祭の時に写真撮っておいたの。他のクラスの装飾とか」

美咲はスマホを取り出し、保存してあった写真を見せた。佐藤くんは少し身を乗り出して、画面を覗き込む。その距離の近さに、美咲は息を詰めた。

「おぉ、これいいな。参考になりそう」

佐藤くんの言葉に、美咲は小さく微笑んだ。写真を撮っておいてよかった。

「じゃあ、まずはテーマカラーを決めようか。クラスの喫茶店のコンセプトは『和モダン』だから…」

二人は真剣に話し合いを始めた。最初は緊張していた美咲だったが、佐藤くんの真摯な態度と優しい物腰に、次第に打ち解けていった。彼は自分が想像していた以上に、話しやすい人だった。

「堀江って、こういうデザイン系得意なの?」

佐藤くんの質問に、美咲は少し照れながら答えた。

「ま、まぁね。小さい頃からお絵描きとか好きだったから…」

「へぇ、知らなかった。俺、絵心ゼロだから助かるよ」

そう言って佐藤くんは柔らかく笑った。その笑顔に、美咲の胸がきゅっと締め付けられる。

「あ、そういえば」

佐藤くんが急に思い出したように言った。

「堀江って、中学の時も同じ学校だったよな?覚えてる?俺ら、二年の時に同じクラスだったよね」

美咲の心臓が跳ねた。彼が覚えていてくれたのだ。

「う、うん…覚えてるよ」

「あの時はあんまり話さなかったけど、なんか縁があるね」

佐藤くんの言葉に、美咲は内心で小さく叫んだ。縁。それはいい兆候なのかもしれない。

「そうだね…」

二人の会話は自然と弾み、気づけば図書室の閉館時間が近づいていた。

「おっと、もうこんな時間か。今日はここまでにして、また明日続き考えようか」

美咲は少し残念に思いながらも頷いた。こんなに長く佐藤くんと二人きりで話したのは初めてだ。この時間がずっと続けばいいのに…そんな思いが胸をよぎる。

――――――――――――――――――――――――

翌日から、美咲と佐藤くんは放課後に顔を合わせるようになった。最初は文化祭の装飾についての話し合いだけだったが、次第に他の話題にも広がっていった。好きな音楽の話、最近見た映画の話、将来の夢の話…。

「佐藤くんは大学で何を専攻したいの?」

ある日、美咲は思い切って質問してみた。

「俺?スポーツ科学かな。体を動かすのが好きだし、将来はスポーツトレーナーみたいな仕事に就きたいんだ」

佐藤くんは目を輝かせながら答えた。その姿に、美咲はますます惹かれていった。

「美咲は?」

突然、佐藤くんが美咲の名前を呼んだ。美咲は思わず顔を上げた。今まで「堀江」と呼んでいたのに、急に「美咲」と呼ばれたことに戸惑いを隠せない。

「あ、ごめん。堀江って呼んだ方がいい?」

佐藤くんは少し困ったように笑った。

「い、いや…美咲でいいよ!その方が…嬉しい」

勇気を出して本心を言った美咲に、佐藤くんは柔らかく微笑んだ。

「そっか。じゃあ、俺のことも悠人って呼んでよ」

美咲の心は踊り出しそうなほど弾んだ。名前で呼び合うということは、それだけ距離が縮まったということだ。

「う、うん…悠人くん」

初めて口にした彼の名前が、甘く感じた。

――――――――――――――――――――――――

文化祭の準備は着々と進んでいった。美咲と悠人は毎日のように顔を合わせ、装飾について考えを巡らせた。二人で買い出しに行ったり、一緒に作業をしたりする時間が増えるにつれ、美咲の想いは日に日に大きくなっていった。

「これ、こっちの壁に貼ろうか」

悠人が持っていた和紙の装飾を指さした。

「うん、そこがいいと思う」

美咲が答えると、悠人は脚立に上って壁に装飾を貼り始めた。その背中を見上げながら、美咲は告白することを考えていた。文化祭が終わったら…そう決めていた。

「あれ?」

悠人が不思議そうな声を上げた。

「どうしたの?」

「この紙、堀江…じゃなくて、美咲の名前が書いてある」

悠人が指さした紙切れには、確かに「堀江美咲」と書かれていた。

「え?」

美咲は驚いて紙を見た。それは自分が中学の時に使っていたノートの切れ端だった。文化祭の装飾用の材料箱に間違って入ってしまったのだろう。

「ごめん、これ私のだ。間違えて…」

「あ、でもこれ…」

悠人はその紙をじっと見ていた。そこには名前の周りに小さなハートマークがいくつも描かれ、そして…「佐藤悠人」の名前も。

美咲の顔から血の気が引いた。中学二年の時、密かに落書きしていたノートの切れ端だ。どうしてこんなものが…

「これって…」

悠人の声は静かだった。美咲はパニックに陥った。

「ご、ごめんなさい!これは…その…」

言葉にならない。こんな形で気持ちがバレるなんて…美咲は思わず目に涙が溢れそうになった。

「美咲…もしかして、俺のこと…」

告白のタイミングなんて、こんなはずじゃなかった。美咲は混乱と恥ずかしさで頭が真っ白になり、咄嗟に紙を奪い取ると、教室を飛び出した。

――――――――――――――――――――――――

屋上。人気のない静かな場所。美咲は膝を抱えて座り込んでいた。顔を上げる勇気もなく、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

「ここにいたんだ」

背後から聞こえた声に、美咲は身を固くした。悠人だ。

「み、見ないで…」

「見ないでって言われても…」

悠人は美咲の隣に腰を下ろした。しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。

「あの紙…中学の時の?」

悠人の静かな問いに、美咲は小さく頷いた。

「うん…中学二年の時から、ずっと…」

「そうか…」

再び沈黙。美咲は恥ずかしさで穴があったら入りたいと思った。

「俺、気づかなくてごめん」

意外な言葉に、美咲は思わず顔を上げた。

「え?」

「そんなに長い間、俺のこと好きでいてくれたなんて…気づかなくてごめん」

悠人の表情は真剣だった。怒っているわけでも、嫌がっているわけでもない。

「あの…悠人くんは、私のこと…どう思ってるの?」

勇気を振り絞って聞いた美咲に、悠人は少し困ったような、でも優しい表情を見せた。

「正直に言うと…」

美咲は息を止めた。

「俺、最近まで美咲のことをちゃんと見てなかった。ただのクラスメイトって思ってた」

その言葉に、美咲の心が沈んだ。やっぱり…

「でも、この文化祭の準備で一緒に過ごすようになって、いろいろ気づいたんだ。美咲の優しさとか、真面目なところとか、絵が上手いところとか…」

悠人は少し照れたように頬を掻いた。

「俺、美咲のこと、好きになりかけてる」

その言葉に、美咲は自分の耳を疑った。

「え…?」

「うん。好きになりかけてる。まだ『好き』って断言できるほどじゃないけど、でも、これからもっと一緒にいたいって思う。そして、もしかしたら…」

悠人の言葉は、美咲の胸に暖かい波を広げた。「好きになりかけてる」。それは「好き」ではないけれど、「嫌い」でもない。希望が持てる言葉だった。

「本当に?」

「うん、本当だよ。だから…これからも一緒にいてくれる?」

悠人は照れくさそうに笑いながら、手を差し出した。美咲はその手を見つめ、ゆっくりと自分の手を重ねた。

「うん…一緒にいる」

二人の手が重なったとき、美咲は思った。これは恋愛の始まり。まだ「両想い」とは言えないかもしれないけれど、これから二人で育んでいく関係の第一歩だ。

中学二年の秋から密かに想いを寄せ続けた相手に、こうして手を繋げる日が来るなんて。人の気持ちは変わるもの。そして、恋愛は十人十色、それぞれの形がある。

美咲の胸の中で、長い間抱えていた片思いが、新しい何かへと変わり始めていた。

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