武徳JK ~山川異域、風月同天!

盛桃李もりももり

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第九章

第一話 尾行もまた修行なり

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「……本当にやるの?」
 彩音あやねは、肩にかけたカバンの紐をぎゅっと握りしめ、落ち着かない視線を左右に走らせた。
「見つかったらどうすんの? てか、相手がお母さんでしょ?」

 惠美めぐみは真剣そのものの表情で、まっすぐ前を見据えた。
「守るためには、まず真実を見極めねばならぬ。」

「……いや、また始まったよ古文モード……」

「えっと……つまり、その、最近母が忙しい理由を知りたいだけです。」

「まあ、そういわれてもさ……」
 彩音は眉をひそめたが、結局は観念したようにうなずく。

 二人はコンビニの軒先のきさきに身を潜め、硝子越しに視線を走らせた。
 ビルの玄関から現れたのは、高橋貴子。
 濃紺のスーツにヒール、手には分厚い資料の束。
 表情は柔らかく、それでいて一分の隙もない。

「……うわぁ。」

「惠美のお母さん、ドラマの“できる女”って感じじゃん。めっちゃカッコいい。」

 惠美は答えず、ただ背筋を伸ばした。
 その横顔には、どこか硬い影が落ちている。

 人波に紛れながら、二人の“尾行”が始まった。

「ちょ、ちょっと早いって!」
 彩音が袖を引く。
「そんな堂々と歩いたらバレるでしょ!」

「……なるほど。」
 惠美は真顔で頷き、近くの広告看板の陰にぴたりと張りついた。
 まるでスパイ映画のワンシーンのような動き。

「いや、逆に目立つから!!」

「……修行です。」

「何の修行なの!?」

 そんな小競り合いを繰り返しながら、二人は仕事帰りの人々の流れに紛れ、
 貴子の後ろ姿を追い続けた。

 ビル街を抜け、駅前の通りを渡り、そして小さな居酒屋の灯りが見えてくる。



 暖簾のれんをくぐった貴子は、数名の同僚と席に着いた。
 笑顔を絶やさず、グラスを持ち上げ、
 乾杯の声に応じながらも、机の端に置いた手帳からペンを離さない。

 彼女の指先は、まるで戦場の兵のように迷いがなかった。
 冗談に笑い、取引先の話に頷きながらも、
 その眼差しの奥は、終始どこか冷めている。

 李守義りしゅぎの声が、惠美の胸の奥で響いた。

むかし、戦場は血と鉄の匂いに満ちていた。
 今の世は、笑みと酒の中で人がられる。
 剣を捨てた者たちは、言葉と礼を武器とするのだ……)

 惠美は居酒屋のガラス越しに母を見つめながら、小さく呟いた。
「……母さん、ずっと戦ってるんだね。」

 彩音はその横顔を見て、はっとしたように息をのむ。
 ――こんな声音の惠美を聞くのは、初めてだった。

 だが、その席にはもう一人――
 あの男がいた。

 大島。

 スーツの襟は乱れひとつなく、笑みは穏やかで柔らかい。
 話し方は穏やかで、どんな相手にも圧を与えない。
 だが、場を回す手際と話題の切り返し方、どれも完璧すぎた。

「あの人……」
 彩音が小声で囁く。
「なんか、頼りになりそう。」

 惠美は返さなかった。
 彼女の瞳は、静かに大島を捉えたままだ。
 
 笑い合う同僚たち。
 けれど、彼の視線は時おり貴子へと向けられる。
 一瞬だけ長く、わずかに柔らかい。
 それは上司への信頼とも違う――もっと、深く、危ういもの。
 
(……これは“庇護ひご”ではない。)
 李守義《りしゅぎ》が低く呟く。
(――戦場なら、あの目は“狙い”だ。)

 惠美は指先を強く握った。
 湯気の向こう、母の笑顔がどこか遠く霞んで見える。
 夜風が吹き抜け、街の灯がかすかに揺れた。

 彼女の胸の奥には、まだ小さな痛みが灯っていた。
 それは消えかけた火のようで――それでも確かに、燃えていた。
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