華夏百鬼抄

盛桃李もりももり

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第六話 陰陽の瞳

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 カードキーをかざすと、「ピッ」と軽い音が鳴った。
 キキの合図にうなずき、安倍真言あべ まことはドアを三度ノックする。
 「失礼します」と小さく声をかけ、そっと取っ手を押した。

 照明がぱっと灯る。
 漂うのは、消毒液と芳香剤が混じったような、どこか無機質な匂い。
 部屋は整然としていて、真っ白なシーツがぴんと張られ、
 ティーセットも案内書も几帳面に並んでいた。
 見慣れた、高級ホテルの一室――ただ、それだけのはずだった。

 キキは一歩足を踏み入れ、部屋を見回す。
 眉を寄せ、空気を探るように数秒黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……気のせい、かな。」

 その一言で、真言の肩の力が抜けた。
 張りつめていた空気がふっと緩み、胸の奥に沈んでいた緊張がほどけていく。

 「ほら、だから言ったでしょ。」
 リリィが笑いを含んだ声で言う。
 「初対面で“影がついてきた”なんて言うから、真言くん顔真っ青だったじゃない。」

 真言は咳払いしてごまかした。
 キキは気にも留めず、帆布のバッグをベッドに放り出し、
 そのまま腰を下ろした。まるで自分の部屋のように。

 少しの沈黙のあと、彼女がぽつりと言う。
「ねえ……“幽霊を見る方法”って、世の中に意外とたくさんあるんだよ。」

 真言は思わず息をのんだ。
 さっき緩んだ神経が、再びぴんと張り詰める。
 彼は反射的にポケットから小さなノートを取り出し、ペンを構えた。

 「出た出た、真言の取材モード。」
 リリィが半分呆れたように笑う。
 「キキの怪談講座、開講~。」

 真言は少し照れながらも、姿勢を正して聞く体勢を取った。
 その真面目すぎる様子に、キキがくすっと笑う。

「ふふっ、まるで授業みたい。
 せっかくだから“国際オカルト交流”ってことで、ちゃんと教えてあげる。」

 軽口を叩きながらも、その瞳は真剣だった。

 やがて彼女は笑みを消し、声を低く落とした。
「“陰陽眼いんようがん”って、聞いたことある?」

 真言は顔を上げ、ペンを止めた。
 部屋の空気が一瞬で静まる。

「文字どおり、“陰”と“陽”の眼。
 この世――つまり陽間ようえんは、生きている人の世界。
 一方、“陰”は、死者の行く場所。
 本来、この二つは交わるべきじゃないの。」

 キキは手首の赤い紐を指でなぞりながら続ける。
「でもね、まれにいるの。
 その境目を“見てしまう”人が。
 影しか見えない人もいれば、
 昼でもはっきりと“向こう側”を見てしまう人もいる。
 ……そして一度見たら、もう忘れられない。」

 真言は無意識に息を詰めた。
 冷房の音が遠ざかり、耳の奥まで静寂が満ちる。

「つまり……生まれつきのもの、ってこと?」

「そう。体質みたいなもの。
 誰にでも見えるわけじゃないけど、
 一度“見えた”人は、もう戻れない。
 向こうが、あなたを“覚える”から。」

 リリィが苦笑しながら口を挟む。
「この子、自分で“目がひとつ多い”って言うの。
 つまり、普通の人には見えないものが見えちゃうってわけ。」

 真言は思わずキキの瞳を見つめた。
 そこに映るのは光の反射か、それとも――。
 胸の奥に、微かなざわめきが生まれた。

 キキの声が、再び低く落ちる。
「人ってさ、見えないものほど、知りたくなるでしょ?
 でも、それって火遊びに似てるんだよ。
 燃えるのは、いつも“見ようとした側”だから。」

 彼女は指先で真言を指した。
「たとえば――あなたみたいにね。」

 真言は肩をすくめる。
 キキは口角を上げ、にやりと笑った。

「“幽霊を見る方法”、試してみる?」

 リリィがすぐに遮る。
「ダメ。彼、そういうの本気にするタイプだから。」

 キキは笑って肩をすくめた。
「有名なのは“牛の涙”。
 牛って、霊が見えるって言うでしょ?
 その涙を目に塗れば、あんたも見えるようになる。
 でもね――一度開いた“目”は、もう閉じない。
 明るい場所でも、影がついてくる。
 そういう人、けっこういるんだよ。」

 真言は息を止めたまま、ペンを握りしめる。

「もう一つ、“真夜中の十字路”。
 子の刻――夜の零時から一時まで。
 世界の境目が一番薄くなる時間。
 人のいない交差点に、熱々の白飯を置いて、
 その上に三本の線香を立てる。
 煙が揺れたら、腰を折って、自分の脚の間から覗くの。」

 彼女の声が、部屋の温度を下げていく。
 ライトの光が青白く見え、
 カーテンの影が床を這うように伸びた。

「その一瞬、見るの。
 “向こう”から寄ってくるモノたちを。
 影のような灰色の塊が、ぞろぞろと……
 ある人はこう言ったの。
 『無数の手が、飯を奪うように伸びてきた』って。」

 ――サッ、と空気が動いた気がした。
 真言の手の中のペンが震え、紙に黒い線が走る。

 リリィが軽く彼の肩を叩いた。
「もう、その辺でやめときなさいよ。
 彼、顔色悪いわ。」

 キキはおどけたように指をくるりと回した。
「冗談よ。……たぶんね。」

 彼女の声が途切れると、部屋に静寂が戻った。
 明かりは変わらず灯っているのに、
 どこか、光が薄い。

 沈黙の中、ペン先が紙を擦る音だけが響いていた。
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