華夏百鬼抄

盛桃李もりももり

文字の大きさ
5 / 8

第五話 出馬仙

しおりを挟む
 中国の東北地方には、ほかにはない独特の“信仰しんこう”がある。
 ──出馬仙しゅつばせん

 “出馬”とは、仙家せんけが人に憑き、
 その口や手足を借りて現世に姿を現すことをいう。

 東北では、五種類の“仙”が特に知られている。

 きつね──狡猾で賢く、言葉と知恵を司る。
 こう──黄鼬いたち俊敏しゅんびんで家を守り、邪を祓う。
 はく──ハリネズミ。五穀豊穣ごこくほうじょうの守り神。
 りゅう──蛇。病を癒やし厄を解く、冷ややかで神秘的な存在。
 かい──鼠。影のように生き、陰と陽を行き来する。人々は畏れと敬意を抱く。

 これらの動物は“仙家”の象徴とされてきた。
 人々はその力を借りて、病を治し、災いを避け、運命を占う。
 そして、その媒介となる者──仙を呼び降ろす者。
 それが、“出馬仙”と呼ばれる人々である。

 彼らは“神”ではなく“人”だ。
 だが、儀式の最中に仙がその身に宿るとき、
 声も瞳も、まるで別の存在へと変わるという。

 “出馬仙”は占い師であり、巫女であり、医師でもある。
 そして何より、“人と神の狭間に立つ者”だった。

 今でも東北のいち廟会びょうえでは、
 線香の煙の向こうに、赤布を掛けた香案こうあんが見えることがある。
 その前に座る老女の唇が、かすかに動いた。
 「仙家せんけ、いらっしゃい。」

 その一言とともに、
 空気がふっと変わり、そこだけ世界がねじれる──
 そう語る人もいる。

 安倍真言あべまことがその言葉を初めて聞いたとき、
 彼は思わず首を傾げた。

「“出馬でば”? 出場とか出陣みたいな意味?」

 林莉莉リンリリィは笑いながら首を振った。
「似てるけど違うわ。
 東北の“出馬仙しゅつばせん”っていうのは、
 本当に“仙家”と交わることができる人のことよ。」

 真言は隣を見る。
 ホテルのロビーのソファに座る少女──
 彼女こそ、“出馬仙”だという東北出身のキキだった。

 ジーンズのジャケットを無造作に羽織り、
 中にはゆったりしたグレーのセーター。
 髪をざっくりまとめ、瞳は明るく、唇には小さな笑み。
 手首の赤い紐が揺れ、照明を受けて微かに光る。
 その光が、彼女に説明のつかない神秘を添えていた。

 真言は目を離せなかった。
 想像していた“霊媒”とはまるで違う。
 山奥の巫女のような重さもなく、
 むしろ都会的で快活で、どこか自由だった。

 リリィはそんな彼の視線に気づいて笑う。
「キキは東北の子よ。
 冬は日本の北国みたいに長くて厳しいの。
 雪が屋根も道も埋めるほどね。
 でも──あそこにはもう一つの名前がある。“満州まんしゅう”。」

 真言は頷いた。
 “東北”という言葉が、ただの地名ではないことを理解する。
 そこには、歴史と記憶の重みが眠っていた。

 キキはその土地の風をまとった人間だった。
 大雑把で明るいが、その奥に
 “見えている者”特有の静けさがある。

「ねえ、上に行こう。」
 キキが立ち上がり、声を弾ませた。
「このホテル、ちょっと変な感じがするんだよね。」

 真言は眉をひそめる。
「変って、どういう?」

 リリィが肩をすくめる。
「彼女の“変”は、インテリアの話じゃないの。」

 キキは真言を見て、にやりと笑った。
「さっき来る時ね──
 あなたの後ろに“影”が一つ、ついてきた気がしたの。」

 真言の背筋が凍る。
「……冗談だよね?」

「たぶん見間違い。でも念のため、ね。」
 軽い調子の声に、どこか本気の響きが混じっていた。

 真言は半歩後ずさり、リリィを見る。
 リリィは苦笑して手を振った。
「心配しなくていいわ。キキはいつもこうなの。
 感っていうか、もうクセみたいなものよ。」

 三人はエレベーターへと向かう。
 キキがふと口を開いた。

「ホテルに泊まる時のルールって、知ってる?
 部屋に入る前は、必ずノック。
 “お邪魔します”って言ってからね。
 もし中に……“誰か”がいたら困るでしょ?」

 真言は乾いた笑いを漏らした。
「“誰か”って……まさか、幽霊とか?」

「それはね──あとで教えてあげる。」

 エレベーターの中は、白い光に満たされていた。
 空気は冷たく、妙に重い。

「中国のホテルって、“4階”のボタンがない所が多いの知ってる?」
 キキが神妙な顔で言った。
「“四(スー)”と“死(スー)”が同じ音だからね。
 誰だって“死の部屋”には泊まりたくないでしょ?」

 真言はパネルを見上げた。
 確かに、3階の次は5階だ。
 日本でも“4”や“9”を避ける風習はあるが、
 こうして聞くと、背筋が少し冷えた。

 キキはいたずらっぽく笑いながら続けた。
「鏡をベッドの正面に置いちゃダメ。
 夜中に目を開けて映ったら……自分だけとは限らない。」

「スリッパを片方裏返して脱ぐのもダメ。
 “呼んじゃう”らしいの。
 あとね、夜に服を窓辺とかバスルームのドアに掛けないこと。
 “何か”がその形を借りて出てくるかも。」

 彼女は手首の赤い紐を指でなぞった。
「これね、十年以上のお守り。
 どこに行く時も一緒。」

 真言の背中に冷たいものが這う。
 日本にも似た禁忌はあるが、
 こうして一つずつ語られると、不思議と胸がざわめいた。

 「チン」という音が鳴り、エレベーターが止まる。
 扉が開くと、長い廊下が続いていた。
 厚い絨毯が足音を吸い込み、天井のライトがちらつく。
 奥の暗がりに、誰かが立っているように見えた。

 真言が部屋の前で立ち止まると、キキが目を細めた。
「やっぱり……あんまり良くないね。」

「え?」

 キキは顎を上げ、周囲を見渡した。
「この部屋、廊下の一番奥でしょ。
 こういう“突き当たりの部屋”って、気が淀むのよ。
 “モノ”が集まりやすい。
 まあ、知ってる人なら絶対選ばないかな。」

 真言の胸がどくりと鳴る。
 清潔で新しいホテルなのに、なぜか心がざわついた。

 リリィが苦笑する。
「ちょっと、キキ!初対面の人を怖がらせないで。」

「大丈夫、大丈夫! 何かいたら、あたしが何とかする!」
 その明るさに、真言の緊張が少し緩む。

 彼女は唐突で口も悪い。けれど、どこか真っすぐだった。
 なぜか、その存在が頼もしく感じられた。

 真言は深呼吸をし、カードキーを手に取る。
 廊下に静かな電子音が響いた。

 ピッ。

 ──ロックが外れる音がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あべこべな世界

廣瀬純七
ファンタジー
男女の立場が入れ替わったあべこべな世界で想像を越える不思議な日常を体験した健太の話

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

処理中です...