麻婆愛妻の日記 ― スパイシーな日々

盛桃李もりももり

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第10話 バイトと暮らし

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 平日の夜。
 リビングに入ると、ナオミがソファでスマホを見つめていた。
 膝にはピピが丸くなり、足元ではナッツが画面を覗き込んでいる。

「ただいま。」
「おかえり。」

 返事はしたものの、ナオミの視線はスマホから離れない。
 求人サイトの一覧が映っていた。

「……仕事探してるの?」

「うん。ちょっとね、バイトでもしようかなって。」

「いいんだけどさ……急にどうして?」
「別に大した理由じゃないよ。
 少しでも家計の足しになればいいし、
 家にばっかりいると、ちょっと退屈ある。」

 言ってから、ナオミはスマホを伏せた。
 その表情には、不安よりも“少し迷いのある強さ”があった。

 たしかに、僕たちが結婚してからの七年間、
 ナオミはずっと家を支えてくれていた。

 大学を出て貿易会社で働き、
 今よりもっと“社会の中の人”だった彼女。
 でも母の病気で帰国し、
 再び日本に戻る頃には仕事も辞めざるを得なかった。

「家にいるの、嫌ってわけじゃないよ。」
「でもね、世界がちょっと小さくなる感じがある。
 誰とも話さない日も多いし……
 なんか、もったいない気がして。」

 胸の奥が静かに揺れた。

「無理に働かなくてもいいんだよ。」
「無理じゃないよ。ちょっと外の空気吸いたいだけ。」

 僕は少し考えて言った。

「……お金のためだけに働くのは、しんどいよ。
 せっかくなら、ナオミが好きなことのほうがいいと思う。」

 ナオミは意外そうに目を上げた。

「好きなこと、か……」

 その瞬間、ふと思い出した。
 以前ナオミが見せてくれた中国語の記事のことを。

「全部満たす必要はない。
 足りないものがあっても、
 いま、ちょうどいい幸せを感じられること。
 それを“小満しょうまん”って言うある。」

 あの時の彼女の声を、
 僕は妙に鮮明に覚えている。

 人生には、“満ちすぎない幸せ”というものがある。
 欠けているようで、実はそれがちょうどいい。
 僕たちの暮らしは、きっとそういう形なんだと思えた。

 ナオミは言う。

「わたしたち、家も小さいし、特別なもの何もないけど……
 二人と二匹で暮らしてるだけで十分幸せあるよ。」

 僕は少し照れながら笑った。

「僕もそう思う。
 豪華なものなんてなくても……
 家に帰ればナオミがいて、猫がいて、
 ご飯食べて、文句言って、笑って……
 それだけで“足りてる”。」

 ナオミの表情がふっとやわらかくなる。

「でもね、」ナオミが続けた。
「満足してても……もっと世界見たい気持ちもある。
 ちょっと働いて、人と話して、外に出て……
 それも悪くないと思う。」

「うん。いいと思う。
 ナオミがやりたいなら、僕は応援するよ。
 お金じゃなくて……ナオミのために。」

 ナオミは少し照れたように視線をそらした。

「じゃあね、あなたも中国語勉強するある?
 バイトして帰ったら、中国語で“おかえり”って言ってほしい。」

「それハードル高いな……」
「大事あるよ。言葉って、思ってる以上に力あるから。」

 ピピが「にゃ」と鳴き、
 ナッツがお腹を見せて転がった。
 二人の間に、いつもの空気がふわりと戻っていく。

 外へ向かう彼女の気持ちも、
 今を大切にする彼女の気持ちも、
 どちらもナオミの本音なんだ。

 そして僕らの暮らしはきっと、
 欲張らず、足りすぎず、
 “小満”というちょうどいいバランスで続いていく。
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