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第五話
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結婚式は私の体調を考慮して、ごくごく小さいものにしてもらった。私のドレス姿に両親も彼も大喜び。使用人たちも祝福してくれた。お姉様には、いかに私の結婚が幸せなものかを見せつけられたと思う。私は大満足だった。
異変に気付くまでは。
「ダヴィデ。お父様とお母様がどこにいるのか知ってる?」
最初は新婚生活の私たちに、気を利かせてくれているのかと思った。けれど、違うと気づいた。たぶん、二人は家の中のどこにもいない。それに、使用人の数も減っている気がする。
いったいいつから?
不安な私とは反対に、ダヴィデは『ようやく気づいたか』とでもいうようにほほ笑んだ。
「いないよ」
「え?」
「本邸には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」
「……なんで?」
「必要かい?」
「え?」
「私がいるのに、他の者が必要?」
笑顔で首をかしげるダヴィデ。どうしてだろう。その笑顔が怖いと思うなんて。
「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」
「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」
「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」
「いや。最終的には出て行ってもらうよ」
「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」
私の質問にダヴィデはクスクス笑った。なんで笑っているのかと顔を顰める。
「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」
「ダヴィデが? でも……」
「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」
「……う、うん」
言いようのない不安感に包まれたが、「いいえ」とはとてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。
私が音をあげたのはそれから数カ月後。結婚してからちょうど一年くらいたった頃だろうか。もう、無理だと思った。
最初はそんなに気にならなかったのだ。むしろ、ダヴィデの腕に抱えられて移動するのは嬉しいくらいだった。けれど、どこに行くのもダヴィデがいないと移動できないのはストレスだった。
「少しくらい、いいでしょう」
「申し訳ございません。旦那様がいない間はこの部屋から出てはいけない決まりとなっておりますので」
「そんな」
ときおり、用事があるとかで外に出て行くダヴィデ。そんな日は庭どころか部屋の外にすら出してもらえない。いつの間にか鍵は外から開け閉めするものに替えられていた。
『ミルカ、少しくらい外に出ないと体は弱る一方よ。さあ、庭を散歩しましょう』
幼い頃、お姉様から言われた言葉だ。私はその言葉が大っ嫌いだった。お姉様になにがわかるの? 元気なお姉様にこのつらさがわかるわけない。だから、平気でそんなことを言うんでしょ。ひどい人。意地悪。そう思っていた。でも、今ならわかる。あの散歩は必要だったと、私を思っての言葉だったのだと。
ああ、そうだ。あれもそう。
『ミルカ、嫌いでも野菜は食べなさい。偏食をなおさないと元気にはなれないわよ』
お姉様は意地悪で言っているんだと思っていた。でも、それも違った。ダヴィデはお姉様とは違って健康食だけしか食べさせてくれない。ご褒美を用意しておいてくれない。たまに好きなモノを食べる日を設けてくれない。私がどんなに嘆いても、「ミルカのためなんだ」と言って、悲しそうな表情を浮かべるだけ。食べたら頭を撫でてくれるけど、食事内容は変わらない。
いつしか食欲もわかなくなっていた。
意地悪なお姉様とは比べモノにならない程優しい、と思っていたダヴィデ。でも、その優しさが私の体を、なによりも精神を蝕んでいく。そう、精神。一番つらいのはダヴィデが四六時中側にいること。自由にできるのは寝ている間か、ダヴィデが仕事かなにかで屋敷を空ける時だけ。それも部屋の中限定で。
どこに移動するのもダヴィデに抱きかかえられ、食事の時はダヴィデが食べさせてくれ(「自分で食べられるわ」と言っても聞いてもらえなかった)、お風呂もダヴィデに入れてもらい(夫婦になったんだから恥ずかしがることはない、と聞いてくれない)、一番嫌なのは……お手洗い。もう、思い出したくもない。(しかも、健康状態をみるために観察が必要なんて)
私の精神状態はこの一年で限界を迎えた。
――お姉様、助けて。
真っ先に頭に浮かんだのはお姉様だった。お姉様ならこの状況をなんとかしてくれる。今までずっとそうだったから。そう思って、私はお姉様宛に手紙を書いた。『お姉様に会いたい。会いに来てほしい』と。お姉様が了承してくれるまで何度も。ダヴィデはなにも言わなかった。その時点で私は気づくべきだったのかもしれない。
「お、姉さま」
「ミルカ」
久しぶりに会うお姉様はとても奇麗だった。以前よりも活き活きしていて、元気そうだった。――ずるいわ。
そう思ったけれど、今それを口にしたらお姉様は助けてくれない。ぐっとこらえて私はお姉様を見上げた。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
涙を流す。これはわざとじゃない。本気の。でも、ちょうどよかった。今まで涙を流しながらした懇願を、お姉様はことわったことがなかったから。
――おかしい。
お姉様は困ったような表情を浮かべるだけでなにも言わない。
――なんでよ!
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ダヴィデはそう言って私の頭を撫でる。途端に、体が震え出した。ほら、お姉様見て、おかしいでしょ。こんなに私は拒否反応を示しているのよ。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
絶句した。そう、だけど違う。そうじゃない。でも、うまく言葉にできない。私はお姉様のように語彙力がないから、どう説明したらわかってもらえるかわからない。
でてきたのは、
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
という否定の言葉だけ。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
ダヴィデが慰めるような口調でなんか言ってる。
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
え? お姉様?
「ま、まってお姉さま」
お姉様は私を無視して部屋を出て行った。耳元でダヴィデがささやく。
「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」
契約?
どんな?
ふと頭に浮かんだのは……
『まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね』
『ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ』
「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」
「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、ずっとね」
ダヴィデの甘い声が、脳に響く。そして、脳から、体へと広がっていく。まるで、病が体を蝕んでいくように、じわじわと。
異変に気付くまでは。
「ダヴィデ。お父様とお母様がどこにいるのか知ってる?」
最初は新婚生活の私たちに、気を利かせてくれているのかと思った。けれど、違うと気づいた。たぶん、二人は家の中のどこにもいない。それに、使用人の数も減っている気がする。
いったいいつから?
不安な私とは反対に、ダヴィデは『ようやく気づいたか』とでもいうようにほほ笑んだ。
「いないよ」
「え?」
「本邸には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」
「……なんで?」
「必要かい?」
「え?」
「私がいるのに、他の者が必要?」
笑顔で首をかしげるダヴィデ。どうしてだろう。その笑顔が怖いと思うなんて。
「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」
「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」
「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」
「いや。最終的には出て行ってもらうよ」
「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」
私の質問にダヴィデはクスクス笑った。なんで笑っているのかと顔を顰める。
「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」
「ダヴィデが? でも……」
「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」
「……う、うん」
言いようのない不安感に包まれたが、「いいえ」とはとてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。
私が音をあげたのはそれから数カ月後。結婚してからちょうど一年くらいたった頃だろうか。もう、無理だと思った。
最初はそんなに気にならなかったのだ。むしろ、ダヴィデの腕に抱えられて移動するのは嬉しいくらいだった。けれど、どこに行くのもダヴィデがいないと移動できないのはストレスだった。
「少しくらい、いいでしょう」
「申し訳ございません。旦那様がいない間はこの部屋から出てはいけない決まりとなっておりますので」
「そんな」
ときおり、用事があるとかで外に出て行くダヴィデ。そんな日は庭どころか部屋の外にすら出してもらえない。いつの間にか鍵は外から開け閉めするものに替えられていた。
『ミルカ、少しくらい外に出ないと体は弱る一方よ。さあ、庭を散歩しましょう』
幼い頃、お姉様から言われた言葉だ。私はその言葉が大っ嫌いだった。お姉様になにがわかるの? 元気なお姉様にこのつらさがわかるわけない。だから、平気でそんなことを言うんでしょ。ひどい人。意地悪。そう思っていた。でも、今ならわかる。あの散歩は必要だったと、私を思っての言葉だったのだと。
ああ、そうだ。あれもそう。
『ミルカ、嫌いでも野菜は食べなさい。偏食をなおさないと元気にはなれないわよ』
お姉様は意地悪で言っているんだと思っていた。でも、それも違った。ダヴィデはお姉様とは違って健康食だけしか食べさせてくれない。ご褒美を用意しておいてくれない。たまに好きなモノを食べる日を設けてくれない。私がどんなに嘆いても、「ミルカのためなんだ」と言って、悲しそうな表情を浮かべるだけ。食べたら頭を撫でてくれるけど、食事内容は変わらない。
いつしか食欲もわかなくなっていた。
意地悪なお姉様とは比べモノにならない程優しい、と思っていたダヴィデ。でも、その優しさが私の体を、なによりも精神を蝕んでいく。そう、精神。一番つらいのはダヴィデが四六時中側にいること。自由にできるのは寝ている間か、ダヴィデが仕事かなにかで屋敷を空ける時だけ。それも部屋の中限定で。
どこに移動するのもダヴィデに抱きかかえられ、食事の時はダヴィデが食べさせてくれ(「自分で食べられるわ」と言っても聞いてもらえなかった)、お風呂もダヴィデに入れてもらい(夫婦になったんだから恥ずかしがることはない、と聞いてくれない)、一番嫌なのは……お手洗い。もう、思い出したくもない。(しかも、健康状態をみるために観察が必要なんて)
私の精神状態はこの一年で限界を迎えた。
――お姉様、助けて。
真っ先に頭に浮かんだのはお姉様だった。お姉様ならこの状況をなんとかしてくれる。今までずっとそうだったから。そう思って、私はお姉様宛に手紙を書いた。『お姉様に会いたい。会いに来てほしい』と。お姉様が了承してくれるまで何度も。ダヴィデはなにも言わなかった。その時点で私は気づくべきだったのかもしれない。
「お、姉さま」
「ミルカ」
久しぶりに会うお姉様はとても奇麗だった。以前よりも活き活きしていて、元気そうだった。――ずるいわ。
そう思ったけれど、今それを口にしたらお姉様は助けてくれない。ぐっとこらえて私はお姉様を見上げた。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
涙を流す。これはわざとじゃない。本気の。でも、ちょうどよかった。今まで涙を流しながらした懇願を、お姉様はことわったことがなかったから。
――おかしい。
お姉様は困ったような表情を浮かべるだけでなにも言わない。
――なんでよ!
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
「ああ、私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ダヴィデはそう言って私の頭を撫でる。途端に、体が震え出した。ほら、お姉様見て、おかしいでしょ。こんなに私は拒否反応を示しているのよ。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
絶句した。そう、だけど違う。そうじゃない。でも、うまく言葉にできない。私はお姉様のように語彙力がないから、どう説明したらわかってもらえるかわからない。
でてきたのは、
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
という否定の言葉だけ。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
ダヴィデが慰めるような口調でなんか言ってる。
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
え? お姉様?
「ま、まってお姉さま」
お姉様は私を無視して部屋を出て行った。耳元でダヴィデがささやく。
「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」
契約?
どんな?
ふと頭に浮かんだのは……
『まあ、心強い。これからはミルカの側にはダヴィデ様がいてくださるのだから、私がいなくても大丈夫ですわね』
『ああ。ミルカのことは私に任せてほしい。私の生涯をかけてミルカを大切にすると誓うよ』
「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」
「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、ずっとね」
ダヴィデの甘い声が、脳に響く。そして、脳から、体へと広がっていく。まるで、病が体を蝕んでいくように、じわじわと。
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