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第二十五話
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はじめての、興行。少しだけ緊張したものの、私は難なく歌を歌い終えた。終わると、たくさんの賞賛の声と拍手が、自分に向けられてきた。それが嬉しくて、終わったあともしばらくの間私は余韻に浸っていた。何人かの先輩の芸人からも褒められたりはしたが、やはり彪林殿だけは何も言わなかった。
続けて四日、五日と興行を行った。少し大きな街へ行くと、もっと楽しいと思えるようになってきた。年齢が近そうな男の子に花を渡された時は、かなり戸惑った。渡された花をぼんやりと眺めながら、私は兄者のことを思い出していた。今ごろ、どうしているだろうか。科挙に通って、自分の手などけして届かないような身分になっているかもしれない。懐かしむだけで、会いたいとは思わなかった。合わせる顔がない。あんな別れ方を、してしまったのだから。
花は、翌日にはぐしゃぐしゃに引きちぎられて、床に散っていた。少女たちの仕業だろうと思いながら、私はそれを拾って集めた。ごめんね。小さな声でつぶやいて、男の子に謝った。
六日、七日。その少女たちも、日が経つにつれてだんだんいなくなっていった。やめていったと聞かされたが、喜びの感情は一切湧いてこなかった。少女たちとともに過ごす、もっと良い道はあったのではないか。考えそうになって、やめる。もう、過ぎたことだ。私は胸に刻みつけている、目的を達成しなければならない。少女たちがいなくなった拠点は、しんとしていた。自分ひとりが、高いところに取り残されたような。ふと、そんな気分になった。
私が正式に芸人となった、祝いの宴が開かれた。食事が、いつもより豪華。私にとっては、それだけだった。紅成様は、調子が優れないと言って部屋から出てこないらしい。宴が終わって、私は外の空気を吸いに出た。
「どうだ、龍翠」
鄭義殿の、声。縁側に腰掛けている私の隣に、鄭義殿が座った。
「……どうだとは、何ですか」
「いろいろさ。たとえば──芸人になったのを皆から祝われる、今の気分はどうだ、とかな」
「ご飯が、美味しかったです」
「お前、喋らないでただ食うだけだったものな。白藍からも料理を分けてもらって。あれで足りないとは、俺も驚いたぞ」
「滅多に食べられないものですから。今日のうちに、と思って」
「さすがは、似ている」
「──誰に?」
口もとで笑っている、鄭義殿の横顔を見つめた。しばらく黙ったあと、鄭義殿は
「なんでもない」
と言って、また笑った。
「……そうですか」
「なあ。やはり、話す気にはならないか?」
「何を」
「とぼけるなよ。お前がここへ来た、本当の目的」
「……」
「何度だって言ってる。俺はお前の味方だと」
「信用、できないですね」
「じゃあ、俺が先に話してやろうか」
鄭義殿が、立ち上がった。振り返って、私の目をじっと見つめる。
「聞きたいなら、ついてこい」
素直に、迷う。なんの事かは、知らない。が、聞きたいという衝動はだんだんと強まってきた。ゆっくり、立ち上がる。聞いても、自分は何も話さなければいい。そう思った。
しばらく歩いて、人気の少ない草原の真ん中に、鄭義殿は腰を下ろした。遠くで、一座の拠点から漏れ出す灯りが瞬いている。私のための灯りだと思うと、少し変な気分になった。
「紅隆様のことをよく知っているのは、俺と扈珀だけだ。紅成様でさえ、自分の父親のことについては深くは知らない。そもそも、不仲だからな」
鄭義殿が、話す。意外と少ないということに、私は驚いた。
「何故、あなたは紅隆様のことを……?」
「……いい。ここではあの人のことを、紅隆と呼ぼう。──まず俺はな、幼い頃から不思議な目を持っていた。こう言うといかにも胡散臭いが、まあ、呪いが存在する世界だ」
ぞくり、と背筋に寒気が走った。呪い。この男は、呪いのことを知っている。
「どんな目か、教えてやろう。呪いの力を見極める目だ。だからお前を初めてみた時、すぐにわかった。こいつは呪い師だな、と」
「──では、あなたは」
「生憎、俺は呪い師ではない。ただ、そういう目を持っている、というだけだ。紅隆は、昔からずっと呪い師を欲しがっていた。呪い師を探すために旅芸人の一座を立ち上げ、旅をしているようなものだな。そこで俺は、一座が興行をしている間に、その周りを歩き回って呪い師を探す役目を負っている」
「……なんと、地道な」
「そうするしか、道はないのだ。もちろん、そう簡単に呪い師は見つからない。見つかったとして、──今までに一度しかなかったな。開封府にいた、男だった。薬屋を営んでいるところを、俺が見つけた」
息が、詰まった。それは、と言おうとするも、なかなか言葉が出てこなかった。開封府。薬屋。まさしく、──。
「だが、今回は自分からここに近づいてきたから、驚いたな。龍翠。名を聞いて、ますます驚いた。あの時の薬屋の男、もしや龍庸の娘ではないか、と思ってな」
鄭義殿が、笑った。その通りだ、とは言えなかった。
「……俺が今話してやれるのは、ここまでだ。次は、お前の番だ」
「嫌です。信用できません、あなたが私の味方になるなど……」
「紅隆にとって敵になるようなことを、しようとしているのだな。安心しろ、俺も紅隆が憎いのだ。幼かった俺を両親から引き離し、旅に連れ回され、こっぴどくこき使われた。なあ、話してみろよ。お前が紅隆に手を出そうとしているのなら、俺は協力する。本当だ」
「……私は……」
迷った。が、今になってようやく気づきはじめてきた。私は、負けている。鄭義殿に、私の事情をほとんど察されているのだと。ここまでくれば、話してしまうべきか。かなりの間、迷った。
「──私は、紅隆を殺しに来たのです」
言って、しまった。鄭義殿が、凍りついたように動かなくなる。それから、ふっ切れたように笑いはじめた。
「そうか。復讐をしに来たのか、両親の」
「両親だけじゃありません。祖母の、祖母の──……」
言葉が、喉につっかえる。復讐をしに来た、と。鄭義殿は、なぜそれを知っているのか。もう、わけがわからなくなった。知りたいことが、あまりにも多すぎる。
「……う」
「どうした。一度、頭を休めるか?」
「……もう、いいです。今あなたに言ったことを、激しく後悔しました」
「何を言ってる。俺はお前の味方だ、と言っただろう。協力してやるよ、その、紅隆を殺──」
「やめてください。これは、私の問題です。あなたには関係ありません」
「ほう。紅隆を殺すことが、か?」
「しかし、このことを紅隆にもし話したなら、私は……私は、まずあなたを殺します」
「おい、おい」
また、鄭義殿が笑う。一度、私は思いっきり深呼吸をした。
「最初に賭けたんだ。お前は、俺に本当の目的を喋ってくれた。お前が何と言おうと、俺はお前に協力する。持っている情報は、全部教える。まあ、一気に教えるわけにはいかないがな。お前の頭が、こんがらがってしまうから」
協力する。なんて、甘い言葉なのだろう。ひとりでこの目的を果たすのは、やはり厳しい。その厳しさに耐えようとしているところに、この男は協力しようと囁いてくる。
「……」
「このことは、二人だけの秘密だ。いいな、約束しよう」
ぽん、と頭に手を置かれる。馴れ馴れしいと思うも、不思議と心地良いのが悔しかった。鄭義殿が、先に立ち上がって拠点の方に戻っていく。また、私はひとり取り残された。
続けて四日、五日と興行を行った。少し大きな街へ行くと、もっと楽しいと思えるようになってきた。年齢が近そうな男の子に花を渡された時は、かなり戸惑った。渡された花をぼんやりと眺めながら、私は兄者のことを思い出していた。今ごろ、どうしているだろうか。科挙に通って、自分の手などけして届かないような身分になっているかもしれない。懐かしむだけで、会いたいとは思わなかった。合わせる顔がない。あんな別れ方を、してしまったのだから。
花は、翌日にはぐしゃぐしゃに引きちぎられて、床に散っていた。少女たちの仕業だろうと思いながら、私はそれを拾って集めた。ごめんね。小さな声でつぶやいて、男の子に謝った。
六日、七日。その少女たちも、日が経つにつれてだんだんいなくなっていった。やめていったと聞かされたが、喜びの感情は一切湧いてこなかった。少女たちとともに過ごす、もっと良い道はあったのではないか。考えそうになって、やめる。もう、過ぎたことだ。私は胸に刻みつけている、目的を達成しなければならない。少女たちがいなくなった拠点は、しんとしていた。自分ひとりが、高いところに取り残されたような。ふと、そんな気分になった。
私が正式に芸人となった、祝いの宴が開かれた。食事が、いつもより豪華。私にとっては、それだけだった。紅成様は、調子が優れないと言って部屋から出てこないらしい。宴が終わって、私は外の空気を吸いに出た。
「どうだ、龍翠」
鄭義殿の、声。縁側に腰掛けている私の隣に、鄭義殿が座った。
「……どうだとは、何ですか」
「いろいろさ。たとえば──芸人になったのを皆から祝われる、今の気分はどうだ、とかな」
「ご飯が、美味しかったです」
「お前、喋らないでただ食うだけだったものな。白藍からも料理を分けてもらって。あれで足りないとは、俺も驚いたぞ」
「滅多に食べられないものですから。今日のうちに、と思って」
「さすがは、似ている」
「──誰に?」
口もとで笑っている、鄭義殿の横顔を見つめた。しばらく黙ったあと、鄭義殿は
「なんでもない」
と言って、また笑った。
「……そうですか」
「なあ。やはり、話す気にはならないか?」
「何を」
「とぼけるなよ。お前がここへ来た、本当の目的」
「……」
「何度だって言ってる。俺はお前の味方だと」
「信用、できないですね」
「じゃあ、俺が先に話してやろうか」
鄭義殿が、立ち上がった。振り返って、私の目をじっと見つめる。
「聞きたいなら、ついてこい」
素直に、迷う。なんの事かは、知らない。が、聞きたいという衝動はだんだんと強まってきた。ゆっくり、立ち上がる。聞いても、自分は何も話さなければいい。そう思った。
しばらく歩いて、人気の少ない草原の真ん中に、鄭義殿は腰を下ろした。遠くで、一座の拠点から漏れ出す灯りが瞬いている。私のための灯りだと思うと、少し変な気分になった。
「紅隆様のことをよく知っているのは、俺と扈珀だけだ。紅成様でさえ、自分の父親のことについては深くは知らない。そもそも、不仲だからな」
鄭義殿が、話す。意外と少ないということに、私は驚いた。
「何故、あなたは紅隆様のことを……?」
「……いい。ここではあの人のことを、紅隆と呼ぼう。──まず俺はな、幼い頃から不思議な目を持っていた。こう言うといかにも胡散臭いが、まあ、呪いが存在する世界だ」
ぞくり、と背筋に寒気が走った。呪い。この男は、呪いのことを知っている。
「どんな目か、教えてやろう。呪いの力を見極める目だ。だからお前を初めてみた時、すぐにわかった。こいつは呪い師だな、と」
「──では、あなたは」
「生憎、俺は呪い師ではない。ただ、そういう目を持っている、というだけだ。紅隆は、昔からずっと呪い師を欲しがっていた。呪い師を探すために旅芸人の一座を立ち上げ、旅をしているようなものだな。そこで俺は、一座が興行をしている間に、その周りを歩き回って呪い師を探す役目を負っている」
「……なんと、地道な」
「そうするしか、道はないのだ。もちろん、そう簡単に呪い師は見つからない。見つかったとして、──今までに一度しかなかったな。開封府にいた、男だった。薬屋を営んでいるところを、俺が見つけた」
息が、詰まった。それは、と言おうとするも、なかなか言葉が出てこなかった。開封府。薬屋。まさしく、──。
「だが、今回は自分からここに近づいてきたから、驚いたな。龍翠。名を聞いて、ますます驚いた。あの時の薬屋の男、もしや龍庸の娘ではないか、と思ってな」
鄭義殿が、笑った。その通りだ、とは言えなかった。
「……俺が今話してやれるのは、ここまでだ。次は、お前の番だ」
「嫌です。信用できません、あなたが私の味方になるなど……」
「紅隆にとって敵になるようなことを、しようとしているのだな。安心しろ、俺も紅隆が憎いのだ。幼かった俺を両親から引き離し、旅に連れ回され、こっぴどくこき使われた。なあ、話してみろよ。お前が紅隆に手を出そうとしているのなら、俺は協力する。本当だ」
「……私は……」
迷った。が、今になってようやく気づきはじめてきた。私は、負けている。鄭義殿に、私の事情をほとんど察されているのだと。ここまでくれば、話してしまうべきか。かなりの間、迷った。
「──私は、紅隆を殺しに来たのです」
言って、しまった。鄭義殿が、凍りついたように動かなくなる。それから、ふっ切れたように笑いはじめた。
「そうか。復讐をしに来たのか、両親の」
「両親だけじゃありません。祖母の、祖母の──……」
言葉が、喉につっかえる。復讐をしに来た、と。鄭義殿は、なぜそれを知っているのか。もう、わけがわからなくなった。知りたいことが、あまりにも多すぎる。
「……う」
「どうした。一度、頭を休めるか?」
「……もう、いいです。今あなたに言ったことを、激しく後悔しました」
「何を言ってる。俺はお前の味方だ、と言っただろう。協力してやるよ、その、紅隆を殺──」
「やめてください。これは、私の問題です。あなたには関係ありません」
「ほう。紅隆を殺すことが、か?」
「しかし、このことを紅隆にもし話したなら、私は……私は、まずあなたを殺します」
「おい、おい」
また、鄭義殿が笑う。一度、私は思いっきり深呼吸をした。
「最初に賭けたんだ。お前は、俺に本当の目的を喋ってくれた。お前が何と言おうと、俺はお前に協力する。持っている情報は、全部教える。まあ、一気に教えるわけにはいかないがな。お前の頭が、こんがらがってしまうから」
協力する。なんて、甘い言葉なのだろう。ひとりでこの目的を果たすのは、やはり厳しい。その厳しさに耐えようとしているところに、この男は協力しようと囁いてくる。
「……」
「このことは、二人だけの秘密だ。いいな、約束しよう」
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