紅の呪い師

Ryuren

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第六十一話

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 紅隆は、あっさりと玲玉の入座を承諾した。まさか旅芸人とは思っていなかったようで、玲玉は少し戸惑っていたが、一座の雰囲気にはすぐに馴染んだ。一座の人間にばれないように、ひっそりと逢い引きをする。なんとなく、人には見られたくないと思った。日に日に妖艶さを増していく玲玉を、俺は満足に眺めていた。玲玉の腕を褒める芸人の言葉や、玲玉について語っている用心棒の会話を聞きながら。その玲玉を拾って連れてきたのは、この俺だ、と。誇らしかった。何かに対して誇りを持ったり、大事にしようと思ったことは、それが初めてだった。

「もう、いい。俺の負けだ」
 李順と、棒で立合いをしていた時。李順が、息を荒らげながら地面に座り込んだ。用心棒というわけではないが、暇な時はこうして武芸を磨くのが習慣だった。自分の身を自分で守れることに、越したことはない。しかも、何かあれば玲玉まで守れるのだ。少しだけ、自分の腕にまで誇りを感じるようになった。
「休むぞ」
 棒を放り投げ、木陰に向かって歩き出す。李順は、まだ後ろで動かずにいた。しばらくして、大きな息をついてから、李順が俺の隣に腰掛ける。
  何も言わずに、水を飲んだ。風は、もうだいぶ涼しくなっている。ふと、玲玉の顔が頭に浮かんだ。会いたくなったが、今は駄目だ。興行の最中だし、李順がいる。
「……」
 途端に、何かが肩にのしかかってきた。眉間に、皺を寄せた。李順だった。立合いのあとは、勝っても負けても、いつもこうして甘えてくるのだ。もう、そんな年頃ではないはずなのに。
「やめろ。重たい」
 李順が、無視した。舌打ちをして、俺はそっぽを向いた。夏だったら問答無用で押しのけていたのだが、今はそこまで暑くない。押しのける方が、今は面倒だった。
「鄭義」
 気だるそうな声で、李順が言う。
「何だよ」
「最近、冷たいよな」
 何が、と言いかけて、やめる。自分のことだろう。急にこんなことを聞いてくる李順を、少々怪しんだ。
「お前が、いつまで経っても大人にならないからだ」
「……」
「大人は、こうして俺によりかかったり、普通しない」
 李順は、動かなかった。顔が見えないので、表情はわからない。それでも、機嫌が悪いということは、いやでもわかった。
「大人って、なんなんだよ」
 李順が、呟く。だんだん、言葉にいちいち返すのが面倒になってきた。
「なあ、鄭義。俺って、まだ子どもだろう?」
「……何を言ってる。十五となれば、男ならもうそろそろ、大人にならなければならない」
「誰が決めたんだ、そんなこと」
 知らなかった。しかし、自分はいつだって誰にも甘えずに、生きてきたつもりだ。そしてこれからも、また。
「大人になれば、仕事はひとりでこなす。もう、仕事中にまで俺について回るなんてことはするな」
「なんで」
「そんなんじゃ、生きていけないぞ」
「鄭義は」
 李順が、顔を上げた。肩から離れ、見開いた目で自分を見ている。強い、眼差しだった。
「俺と離れたら、何処へ行くんだ?」
 李順の瞳が、微かに震えた。
「……は?」
「李玲玉のもとへ、行くのか? それが、大人なのか? 女のもとへ、行くのが」
「何を」
「あいつが来てから、お前はなんだかおかしくなった。男と女がどうってのは、用心棒の話でよく聞く。お前と李玲玉も、そうなのか? 違うよな」
「おい」
「夜、李玲玉と何してるんだ? 勝手に二人で、外になんか出て」
 見ている。こいつは、俺と玲玉のことを見ている。何故。一番、見られたくない人間に。
「そもそも、あいつが来る前、お前はしきりに宿屋に通ってたよな。そこに、李玲玉がいたんだろ?」
「李順」
「玲玉は、遊技だったのか? なんで何も教えてくれないんだよ。玲玉と、媾合ったのか? 男と女に、なったのか?」
「どこで、そんなこと……」
「大人なら、みんな知ってることなんだろ」
 李順の顔が、微かに上気している。気味が悪くなって、俺は思わず立ち上がった。何も考えずに、逃げようとする。李順が、真後ろで声を上げた。
「待てよ」
「お前には、関係ない事だ」
「何でだよ。そういうとこで、子ども扱いすんのかよ」
 走った。振り返らなかった。自分が、不器用だということはわかる。李順が、そういう年頃だというのも。それでも、苦手だった。関わっていたくなかった。

 自分の顔が、知らぬ間に熱くなっている。玲玉と、媾合う。考えただけで、心臓が暴れた。自分は、玲玉の着物の下の肌には、触れたことさえない。そんなことはしてはいけない、と思った。思い込んだ。

 ──しても、いいのだろうか。

 手が、震える。駄目だ、ともう一度、強く思い込んだ。



 それからも、ひっそりと逢い引きを続けた。李順の目を気にしながら、俺は玲玉と夜の街を散歩していたりした。隣にいる玲玉の匂いに酔うのが、好きだった。手から、腕から、もっと際どいところに触れようとして、いつも自分を咎める。玲玉は、何も気にしていない様子で、今日あったことを楽しそうに話すのだった。
 本当に、時々抱き合ったりするだけだ。それだけで、それ以上はなにもなかった。

 李順は、あれきり何も言わなくなった。自分も、大人がどうのとは、二度と李順に言わなかった。

「それでね……水晶様は、白藍を……」
「嫌だわ、そんなの。信じたくない」
 使用人の噂話が、ぼんやりと耳に届いてくる。すぐに、聞かないようにした。自分の上、いや全く別のところで、何か複雑なことが起きているようだ。紅隆をはじめ、扈珀やその周りの人間たち。白藍が扈珀の子を産んだというのは、少し驚いた。しかも、何やら特別な事情があるらしい。その子もやがて行方不明になって、白藍の気は触れてしまった。それを南宮水晶が、どうのだと……。
 関わってはいけないのだから、気にする必要もまたないのだ。自分は、呪い師をただ探すだけでいい。しかし、心のどこかで大人たちを畏怖していた。皆、何かが狂っている。おかしい、と。様々な村の人間を見ているうちに、紅隆たちがどこか違うということは、薄々実感しはじめていた。

 開封を、訪れた。紅隆が、拠点となる屋敷を買ったようなのだ。かといって、特に大きな感情は沸いて来なかったが、過ごしやすいとは思った。李順は、やはり子どものように喜んでいた。

 城郭を、歩いている時。ふと、目にとまった男がいた。思わず、男を凝視する。何か、見覚えのある雰囲気を感じとった。
「……あれは」
 薬屋を、営んでいる。明らかに、南宮水晶と同じものを感じた。──ということは。あの、男が。
 やっと、見つけた。胸が、高鳴った。だが、慌ててはいけない。せめて、あと二日、よく観察しなければ。一度、深呼吸をした。男を、改めて見る。かつて見た事のないくらい、美しい目の形をしていた。

 ようやく、自分にしかできない仕事をこなしたのだ。何か、満足に似たものが胸の中に込み上げてくるのを、俺はひしと感じていた。



 紅隆は、それこそ喜んでいた。薬屋の男──龍庸は、本当に呪い師だったのだという。しかし、紅隆はどこか落ち着きがなかった。急ぎすぎているのだ。そのせいで、直に誘いを入れてしまったのが、見事に断られた。冷静さを失っていない、扈珀がいる意味がなかった。呆れたものの、自分に口を出す資格などない。自分は、言われた仕事だけをしていればよかった。

 開封にて、玲玉の名はますます売れた。綺麗に着飾り、更に色気と妖艶さを増した玲玉は、もはや自分とは遠いところにいるように感じた。しかしそれは芸をしている時だけで、夜になれば玲玉はすぐにいつもの懐っこさを顕にしてみせた。幸せだった。貯めていた銭は、すべて玲玉への贈り物に使った。開封は、人や物で溢れかえっている。物を貰う時、少し玲玉は申し訳なさそうな顔をしたが、身につけた姿を褒めると、すぐに笑顔を取り戻した。
 この世でいちばん綺麗な女だ、と玲玉を抱きしめた。胸の中で、玲玉が頷く。その素直さが、好きだった。すべてが、自分のものだった。純粋さも、何もかも。この幸せが崩れることなど、永遠にない。これを守るためなら、自分はなんだってできる気がするから。何も、疑わなかった。これからのことなど、何も。

 永遠のものだと、思っていたのに。

 「──李玲玉を、龍庸のもとへ嫁がせる」 

 顔を、上げた。何か、聞き間違えたのではないか、と耳を疑う。頭の中で、繰り返した。
 ……玲玉、を?
 何も、言えなかった。ただ、手が震えるだけだ。何故。何故、玲玉を。紅隆が、言った。たしかに、紅隆が。
 紅隆が、言ったのだ。何かを言うことは、許されない。自分は、何かを言う、資格はない。それでも。……玲玉が、人の妻になるのだ。自分ではない、男の。
「玲玉、が?」
 ふらり、と立ち上がった。何も考えられずに、俺はそのまま寝台に倒れ込んだ。早く、眠ってしまえ。目覚めたら、夢であるはずだから。
 これは、夢であるはずなのだから。



「──鄭義様」
 自分を見た途端に、玲玉が両眼から涙を溢れさせる。夢では、なかった。絶望、だった。震える手で、玲玉の体に触れる。やはり、夢ではなかった。
「私は、嫁に行かなければならないのですか?」
 言葉が、出なかった。紅隆に、今は逆らえない。逆らったことが、ないからだ。俺は今まで、紅隆の言うことだけを聞いて、生きてきた。それでも、玲玉が、行ってしまうというのなら。
「駄目だ……」
 玲玉を、強く抱く。
「行っては、いけない」
 何か、必ず裏がある。あんな恐ろしい大人の、思うがままになってしまえば──。
「でも……」
 呪い師の、力を継ぐ子。それが、欲しいだけなのだろうか。どっちにしたって、許せない。玲玉が、自分以外の、男のものになることなど。
「鄭義様」
 あの時、玲玉にはじめて触れたのは、俺なのだ。俺の世界に彩りを与えてくれたのも、また、玲玉だ。玲玉は、俺のすべてだ。思い出す。けものの、怯えたような目で、自分を見上げた玲玉の顔。きれいになって、一生懸命に箸を遣っている顔。無邪気に笑って、刺繍を見せてきた。褒めると、喜んだ。自分についていきたい、と言った。
 幸せだと言って、泣いた。その体を抱いたのは、自分だ。他の誰でもない、自分なのに。

「俺が、連れ戻す」

 玲玉が、顔を上げた。
「必ず、すぐに連れ戻すから。それまで、待っていろ」
 息を、止める。ここまで来たら、欺いてやる。忠誠、過去、居場所、自分のすべてを捨ててでも、欺いてやるのだ。抱いている腕に、力を込めた。離すものか。絶対、に。

 夜の明かりが、いつもよりぼんやりと瞬く。
 腕の中の体が、小さく震えた。
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